「レントよ。方角は合っておるか?」
「うん。大丈夫。このまま奥に見えている山脈に向かって飛んで」
「うむ」
僕たちが向かっているベルネ・ベルタは、テムリドの北西に連なるベルネ山脈の一角に位置する要塞都市で、その昔、魔族との争いが激化の一途を辿っていた時代、魔族の支配下にあった北方諸国の動きを監視するために造られた街と要塞だという。
「ねぇ、エフィ。僕はまだベルネ・ベルタに行ったことがないんだけど、あの街って、三つに分かれてるっていうのは本当なの?」
「うん。本当だよ。山頂に要塞があって、山の中腹と麓に街があるの」
「やっぱりそうなんだ。僕、実はベルネ・ベルタにすごく行きたかったんだ。魔族と戦っていた時代からある空中要塞を見てみたくてね」
「そうだったんだ。私は麓の街にしか行ったことないから、下から見ただけだけど、たしかにあれはすごいかも。レントが見に行くなら、私もついてこっと」
「妾も行くぞ」
「うん。なら、みんなで行ってみよう」
◇
「ディアラ。そろそろ明るくなってきたから、地上に降りようか」
「そうじゃな」
このまま飛び続けていれば、もっと早くベルネ・ベルタに着くだろうけど、さすがに昼間は飛ぶわけには行かない。もし、ディアラのこの姿を誰かに見られたりでもしたら、レッドドラゴンが現れた! 討伐だ! なんて大騒ぎになりかねないからね。それに、一晩中飛び続けてくれたディアラを休ませてあげたい。
地上に降り立った僕たちは、大きな古木の木陰を見つけると、その根本に腰を下ろした。
「ディアラ、お疲れ様」
「本当、ありがとう。疲れたでしょ?」
「レント、エフィ。二人とも妾を労ってくれるとは、嬉しい限りじゃ。そうじゃな。久しぶりに長く飛んだからの」
「だよね。それじゃ、ここで少し休もうか。お腹も空いただろ?」
「うん! 空いた!」
「妾もじゃ!」
「だったら……はい、これ」
僕は、パンとハチミツ、それとリンゴのジュースを魔法の収納鞄から取り出すと、エフィとディアラに渡した。
すると、エフィが目を丸くして言う。
「わぁ! これ! めちゃくちゃ行列が出来てたパン屋さんのやつじゃん! なんで買えたの?」
「へへん。ちょっと暇だった……いや、だいぶ暇な時間があったからね。並んできた」
「たしかにレント、お店にいないなぁって時あったね。でも、いいの? そんな貴重なものもらっちゃって」
「いいんだよ。みんなで食べようって思って買ったものだから。だから、二人とも遠慮なく食べて」
「ありがとう! レント。いただきます! うん! おいしい!」
「ありがたくいただくのじゃ。おお! これは美味じゃの。ところでレントよ。空を飛ぶのはやはり夜になってからかの?」
「そうだね。明るいうちはやめた方がいいと思う。だから、これ食べ終わったら、夜まで仮眠を取ろうと思うんだけど、どうかな?」
「よいのではないか?」
「うん。いいと思う」
「なら、そうしよう」
僕たちは、食事を済ませると、そのまま根の陰に寝転んだり、座ったりしながら仮眠を取り、日が暮れるのを待った。
◇
「うん。いいね。いつもなら、暗くてやだなと思うところだけど、今回は絶好の飛行日和だと言っていい」
そう呟き見上げた空には厚い雲が広がり、夜空を覆い隠していた。
「ディアラ、いける?」
「いつでもよいぞ」
そう言って、ドラゴンの姿になったディアラは、僕たちをその背中に乗せると、一気に雲の上まで飛び上がった。
「すごーい! 雲の上にいる! 月が明るーい!」
「す、すごい。まるで光り輝く海の上を飛んでいるみたいだ。とはいっても、飛んだことはないんだけどね」
「どうじゃ? この方が見つからんじゃろ? レントよ。夜が明ける前に、このままベルネ・ベルタまで飛ぶ。よいな?」
「うん。お願いするよ。でも無理はしないでよ」
「わかっておる。さあ、二人ともしっかりと掴まっておるのじゃぞ。いざ!」
ディアラが、力強く翼を羽ばたかせると、その巨体が、まるで弓の名手が放つ矢の如く爆進。
月明かりに照らされ、眼下に広がる雲に落とされた陰が静かに雲の上を走る光景は、美しいを超えて神秘的だった。
「レント! ディアラ! あそこ! 雲から突き出てるのって、山よね?」
「そうだね。ベルネ山脈だ」
「てことは、もうベルネ・ベルタに到着したってこと?」
「そうなるね。ディアラ、この辺りで降りてみたいんだけど、いいかな?」
「うむ」
地上に降り立った僕は、視線の先に見えた光景に鳥肌がたった。山肌に沿ってゆらめく無数の光。間違いなく人工的な灯り。
「すごい……あれが、ベルネ・ベルタ。うわさ通り、山が燃えているみたいだ」
「ほほう。これはなかなか。妾が生まれ育った里には及ばぬが、風情があって良いの」
「おお! この良さがわかるとは、ディアラも通だね」
「んっふふ。そうであろう? もっと褒め称えても良いのじゃぞ? レントよ」
「よ! ディアラ様! お目が高い!」
「ふふん!」
「ほら、ほら。二人とも。遊んでないで行くよ」
「ほーい」
「はいなのじゃ」
◇
「エフィ、あそこの門が街の入り口、なんだよね?」
「うん。そう」
「だけど……閉まってるよね? 門」
「うん。閉まってるね」
「もしかして、夜は閉門してるのかな?」
「そうみたい」
「なんじゃ? あの門が邪魔ならば、妾が壊してやろうか?」
「いや、いや。ディアラ。そんな物騒な真似はやめて。いきなり騒ぎになっちゃうから」
「そうね。さすがにそれはダメね。朝にあれば開くんだから、ここで待ったらいいんじゃない?」
うん。エフィの言う通りだ。あの門をくぐれば目的地なわけだし、今更焦る必要はない。ここ二日で昼夜逆転してしまっていたから、戻すには丁度いい機会だ。
……とは思ったものの、眠れないし、眠くない。二人はどうだろう?
うん。ディアラは……爆睡。そりゃあれだけの力を使ったんだ。当然だよね。
エフィは? え? エフィも爆睡してる! 昼間あんなに寝てたのに、よく眠れるな。
僕もとりあえず横になろう。
◇
「レント、おはよう!」
「おはようなのじゃ!」
「二人とも、おはよう」
結局一睡もすることなく迎えた朝。だけど、巨大な跳ね橋が降りてくる荘厳な光景と、門が開く様を終始この目で拝めたのは、起きていた甲斐があったというものだ。
「あ! もう門が開いてる!」
門が開いていることに気づいたエフィが、門の方を指さし、僕の袖を引っ張った。
「うん。開いてるね」
「あれ? もしかして、レントはもう気づいてたの?」
「うん。僕はあの門が開くところも跳ね橋が降りてくるところも見てたからね」
「なんと! それは妾も見てみたかったのお」
おや? あのディアラの反応は、もしかして門や跳ね橋に興味があるのかな?
「すごく、良かったよ」
「ううーん。レントよ、それはいけずというものじゃ」
おお! これは、門、跳ね橋好きとみてほぼ間違いなさそうだな。後で詳しく聞いてみようかな。
「ごめん。ごめん。つい」
「ねぇ、二人とも。なんなの? それ。門が開いて、跳ね橋が降りてきただけの話でしょ?」
ははーん。エフィは、そういったことには興味がないんだね。
「だけ? エフィさん。わかってないねぇ。あれはそう、ロマンだよ」
「ロマン?」
「そうじゃぞ。あれはロマンじゃ」
「……そ、そうなんだ。ふーん。ロマン、なんだ。あー、えっと、私には、ちょっとまだ早かったかな。それはそうと、もう街に入れるから、おばあちゃんのところに行こうよ」
「うん」
「うむ」
◇
「ここがそうよ」
エフィに案内され、たどり着いたのは、なんということはない、連なる建物の一角にある普通の家だった。
トン、トン、トン。
エフィが扉を叩くと、しばらくしてゆっくりと扉が開き、一人のおばあさんが出てきた。
「……ん? どちら様かの?」
「おばあちゃん、私よ。エフィ」
「エフィ? ……エフィ……エフィ!? 洗濯屋のお嬢ちゃんかい?」
「うん! そうだよ! 洗濯士のエフィ! だよ!」
あ、そこは何気にサラッと訂正するんだ。
「立ち話もなんだからね。中に入っておくれ。おや、後ろのお二人さんもエフィちゃんのお友達かい?」
「うん。そう」
「そうかい。そうかい。それじゃお友達も一緒にお入り」
部屋の中に通された僕たちは、おばあさんに言われるがまま、小さな丸テーブルを囲むように席についた。
「エフィちゃんが戻って来たということは、もしかして、お願いしていたアレが、キレイになったということかい?」
「うん! ピッカピカになったよ!」
エフィが、テーブルの上にあの布切れを置くと、それを見たおばあさんの目から大粒の涙が溢れ落ちた。
「あぁ……ジェイス……お帰り」
おばあさんの涙と鼻をすする音が僕の胸をグッと締め付ける。
悲しい、なんてそんな一言では言い表せない深い、深い悲しみが、ひしひしと伝わってくる。
沈黙。僕は、おばあさんにかける言葉が見つからず、自然と口を閉ざしてしまった。
それは僕だけじゃない。エフィもディアラも同じだった。
そんな沈黙を破ったのは、他でもないおばあさんだった。
「すまなかったね。もう、大丈夫だよ。エフィちゃん。本当にありがとうね。こんなにキレイにしてもらって、息子も大喜びしているだろうさ」
「おばあちゃん……」
おばあさんは、そう言うと本棚から一冊の古びた本を取り出し、エフィに手渡した。
「エフィちゃん。はい。これ」
「うわぁ! ありがとう! おばあちゃん! でも、ほんにいいの? 報酬はこれがいいって言ったのは私なんだけど、これって、やっぱり大事なものだよね?」
「いいんだよ。わしにはもう必要のないものだからね。エフィちゃんが使ってくれた方が、本も喜ぶってもんさ。だから遠慮なく持っていっておくれ」
あれは、何だろう? 魔法書みたいに見えるけど、それにしてはちょっと薄い気がするんだよな。
「エフィ、それは?」
「ん? あー、これ? これはね、洗濯魔法が書かれた本だよ。おばあちゃんね、息子さんが亡くなるまでこの街で洗濯屋さんをしてたんだって。この本は、おばあちゃんが若かった頃、街を訪れた行商人から買ったもので、おばあちゃんが洗濯屋さんを始めるきっかけになった本なんだって」
「ふふ。もう、ずいぶん昔の話だよ。さてと、私はアレを用意しようかね」
おばあさんは、にっこり微笑むと台所の方へ行ってしまった。
「洗濯魔法が書かれた本があるなんて、初めて聞いたし、初めて見たよ」
「でしょうね。洗濯魔法の本なんてそうはないもの。洗濯魔法自体が日常魔法の一部で珍しいものじゃないでしょ? だから、あえてそれを魔法書にすることはほとんどないんだよね。でもたまーに、こうして魔法書として残してくれる人がいる。だから、見つけた時には、譲ってもらえないか交渉して、譲ってもらえた時には、私の洗濯の極意に加えさせてもらってるの」
なるほど。エフィは、そうやっていろいろな洗濯魔法を探し回収しているのか。
でも、もし魔法書を譲ってもらえなかったら? どうするんだろう。
「エフィ、もし魔法書を譲ってもらえなかったら?」
「その時は、直接教えてもらってる」
「ねるほどね。そういう方法もあるんだ」
「でも、それでも教えてくれない時は?」
「んー。今まで教えてくれなかったことはなかったかな。まぁ洗濯魔法だからね。別に特別なものじゃないし」
「そうか。そういうものなのか」
「うん。そういうものだよ。さぁてと、どんな洗濯魔法が書かれてるのかなぁ? あぐぐ……あ、頭が」
エフィは、魔法書のページをめくった途端、片手で頭を抱えうずくまってしまった。
「どうしたの? エフィ。大丈夫? 頭が痛いの?」
「ああ……う、誰かの、声が……頭の中に、響いて……」
『エフィ——ようやく——見つけましたね——私の書を』
「お、お師匠様?」
「え? お師匠様? お師匠様って何?」
「お師匠様の声がする」
お師匠様の声? 僕には何も聞こえないけど?
「エフィ。声なんて聞こえないけど? ディアラは、聞こえた?」
「いいや。妾も聞こえなかったぞ」
「お師匠様の声が、頭の中に……え? 指南書? ……試練……?」
虚な目で、うわごとのように呟くエフィ。
これは、まずいんじゃないか!? あの魔法書、何か呪いでも仕掛けられてたのか!?
「エフィ! しっかり!」
僕が慌ててエフィの手を握ると、エフィは、ハッと目を見開き、正気を取り戻した。
「……レント」
「エフィ。大丈夫?」
「エフィよ。何があったのじゃ?」
「お師匠様の声がね。私の頭の中に入ってきたの」
「そのお師匠様ってのは?」
「ソレア・ランドローネ。私に洗濯魔法とはなんたるものかを叩き込んでくれた人よ」
まさかエフィにお師匠様がいたなんて。てっきり独学かと思ってた。それに、エフィの他に洗濯魔法を探求していた人がいただなんて驚きだよ。
「ソレア・ランドローネ、もしかしてエフィの名前にあるランドローネって」
「そう。お師匠様からもらったの」
「それで、お師匠様の声が頭の中に入って来たっていうのは?」
「うん。この魔法書を開いたらね、お師匠様の声が頭の中に直接聞こえてきたの」
「それは、どんな?」
「うん。この魔法書は、しかるべきときのために、お師匠様が私のために思念を込め残したものだって言ってた」
しかるべきときのため? しかるべきって何だ?
それに、思念を込め残したってことは、エフィのお師匠様はもうこの世にはいないってことなのか?
「エフィ、お師匠様は、その……ご健在なの?」
エフィは、悲しさと困惑が混ざり合ったような複雑な表情をみせると首を横に振った。
「たぶん……ううん。もう死んじゃってると思う。お師匠様はね、ある日突然、いなくなってしまったの。ずいぶん昔の話だし、お師匠様は人間だったから、さすがに生きてないよ」
「そうだったんだ。ごめん。変なこと聞いちゃったね」
「ううん。いいの。それにしても驚いちゃったな。お師匠様がこんなものを残していたなんて。久しぶりにお師匠様の声聞いたら、なんかいろいろ思い出しちゃったな」
「お師匠様との思い出って、どんなものがあるの?」
「うーん。そうね、洗濯魔法に関しては妥協を許してくれないとーっても厳しい人だったから、修行、修行ってものすごくしごかれて、よく泣かされたり、ご飯抜きにされたりしたかな。でも、それ以外の時は、温厚で優しくて、女性らしくて、頑張ったご褒美って甘いお菓子とか買ってくれたりしたなぁ。お師匠様も洗濯魔法を極める旅をしてたから、魔獣や敵対する相手への洗濯魔法を応用した対処法なんかも教えてくれた。なによりお師匠様は、行く先々でみんなに慕われてたなぁ」
「そうか。お師匠様は、エフィにとって自慢のお師匠様なんだね」
「うん!」
エフィは、嬉しそうに満面の笑みで頷いた。
エフィのお師匠様については、今のでなんとなくわかった。後は、しかるべきときについて聞いておかなくては。
「話を戻すけど、エフィ。しかるべきときっていうのは?」
「わからない。言葉は途切れ途切れだったし、何に対することなのかさっぱり。でもね、そのときに備えて、お師匠様が自ら創り出した洗濯魔法をいくつか残したって言ってた」
「エフィのお師匠様が残した洗濯魔法か。なんかすごそうだね」
「うん。きっとすごいものだと思う。お師匠様の洗濯魔法は、なんていうか、洗濯の域を超えてたっていうか、本当にすごかったからね」
「ちょっと想像はつかないけど、きっとそうなんだろうね。だとしたら、次はそのお師匠様が残した洗濯魔法を探すことになるかな?」
「そうだね。なんかいろいろ気になるし、お師匠様の洗濯魔法、探してみたいかな」
なんか、ものすごく冒険らしくなって気がする!
「お二人さん。話は終わったかい? 終わったなら、こっちにきてお茶にしないかい?」
「レント。エフィ。このお茶はとてもおいしいぞ」
まったくディアラときたら。静かだと思ったら、ちゃっかりもうお茶をいただいてたのか。
「ありがとうございます。いただきます」
「おばあちゃん! ありがとう! いだだきまーす! うーん。おいしい! おばあちゃん、このお茶、すごくいい香りがするね!」
「そうだろう? これは、息子が西南の遠征に行った際のお土産でね。名前をなんと言ったか?」
この澄んだ紅色に甘い香り、南西諸国で有名なお茶といえば……たぶん、リーリス茶だろうな。
「もしかして、リーリス茶ではないですか?」
「リーリス茶! そうそう。そういう名前だったね」
「ほう。この茶はリーリス茶と申すか。妾のいた国の茶とはずいぶん色も香りも違うが、実に優美なものじゃの」
「そうだね。リーリス茶は、その名の通りリーリスという低木の葉を乾燥、発酵させたものになるんだけど、このリーリスが、人工栽培がまだ出来なくてね。自生しているものを集めるんだけど、採取量が極めて少ないから、とても希少なんだ。特にちゃんと飲める年代物となると、ものすごい高級品になるね」
「えぇ!? おばあちゃん、そんな貴重なものを良かったの? しかも息子さんが買って来てくれた思い出の品なのに」
「いいんだよ。どんなに高級だろうが、貴重だろうが、思い出だろうが、これはお茶なんだよ? 大事にしまっておくよりも、みんなで、こうして飲んでくれた方がいいにきまってるじゃないか」
「なんか、おばあちゃんならそう言うかなって思った」
「そうだろう? だから遠慮なく飲んでおくれ」
「はーい!」
「はい!」
「はいなのじゃ!」
◇
「ごちそうさまでした!」
「おばあちゃん、ごちそうさま」
「ごちそうさまなのじゃ」
「はいよ。お粗末さまでした」
「それじゃ、おばあちゃん。私たち、そろそろ行くね」
「エフィちゃん。本当にありがとうね。みんな、気をつけてお行きよ」
「うん! またね! おばあちゃん!」
「おばあさん、失礼いたします」
「おばあさま。失礼するのじゃ」
おばあさんに一礼し、家の外に出た僕たちは、誰からともなく全員で顔を見合わせた。
「さて、エフィのお師匠様が残したっていう洗濯魔法を探すってことは決まったけど、実際どこに向かったらいいのか。エフィ、何かわかる?」
「それがね、場所とかそういう具体的な話がぜんぜん出て来なかったんだ。あ、でも、試練を用意したとか言ってたかな」
「試練?」
「うん。その洗濯魔法を得るに相応な知識とか力が備わっているか試させてもらうって」
相応な知識! 相応な力! そして試練! これは更に冒険らしくなってきたぞ!
でもね、その前に、僕には気になって仕方がないことがあるんだ。もう、視界に入ってるアレ、がね。
「ねぇ、エフィ。ディアラ。その洗濯魔法を探しに行く前に、あそこに寄ってもいいかな?」
僕が指をさした先にあるもの。それは、空中要塞!
ここまで来て、あそこを見ずに移動なんてできない!
「おお! それは良い考えじゃな!」
「エフィは?」
「二人ともみたいんでしょ? いいよ」
「やったー!」
「やったーなのじゃ!」
麓の街から山の地形に沿って作られた道を登り、中腹の街で一休み。
小休憩を終えると、再び山頂に向かって出発。中腹からは舗装された道はなくなり、空中要塞に近づくにつれて、山道はどんどん険しくなり、呼吸も苦しくなっていった。
「はぁ。はぁ。やっと着いた。さすがは空中要塞だ。簡単には登らせてくれなかったね」
「そうだね。けっこうしんどかったね」
「そうか? 妾は平気じゃぞ?」
「ディアラはね。そうだろうね」
「レントよ。そう恨むような目で見るでない。ほれ、もう少しの辛抱じゃ。あの城壁まで登れば、きっと絶景が待っておるぞ?」
たしかに! ディアラの言う通りだ! あそこまで登り詰めれば、ここまでの苦労が報われる! よし! あと少し! 頑張るぞ!
「……」
城壁まで登りきった僕は、目に映る光景にしばらくの間、言葉を失った。
「……す、すごい。麓の広大な森に、大平原。その先にあるあれは、国境城壁! 北側諸国があんな先まで見えるなんて!」
「これは、まさに絶景じゃな」
「うん。私でもこれはすごいと思う! ねぇ、レント。アレは何かな?」
「ん? どれ?」
「ほら、国境城壁のもっと先に見える黒いモヤモヤしたもの」
エフィに言われ、目を凝らしてみると、たしかに国境城壁を越えた先のさらに奥に、何やら黒い霧のようなものがうごめいているのが見えた。
「本当だ。黒い何かが動いているように見えるね」
「レントの鑑定でわかったりする?」
「いや、さすがに距離がありすぎて無理だね」
「そうだよね。あ! レント! あそこに兵士さんがいるよ! あの人なら何か知ってるかも。聞いてみようよ!」
「そうだね」
僕たちはこの要塞を守る兵士の一人に話を聞くことにした。
「あの、すみません」
「ん? なにかな?」
「あの国境城壁の先に見える黒い霧のようなものはなんでしょうか?」
「あー、あれは魔王の呪いと呼ばれている汚れの瘴気だよ。今は、大賢者フィンテ様の意思を継いだ聖王様によって張られたと言われている結界で抑えられている。我々は結界や魔王の呪い、国境城壁に異変がないか監視していのさ」
「魔王の呪い! 汚れの瘴気! あれが……」
それは、北側諸国で最も美しい国と称されていた水の聖都ウォルステニアに突如として発生した正体不明の黒い霧状の何かで、都の民、動植物その全てが次々と原因不明の病を発症し、死に絶えていったことから、汚れの瘴気と名付けられた。そのあまりにも無差別的で慈悲の無い様から、いつしか魔王の呪いと呼ばれるようになったんだ。
「レント。私も知ってるよ、魔王の呪い。ちょうどそのくらいだったんだ。お師匠様がいなくなったの」
「それは、魔王の呪いが現れた時期と、お師匠様が失踪した時期が同じくらいだったってこと?」
「うん」
「だとしたら、魔王の呪いとお師匠様の失踪には何か関係があるんじゃ?」
「かもしれないけど、わからない」
「そう、だよね。だけど、こうなると、しかるべきときっていうお師匠様の言葉がすごく気になるし、魔王の呪いとお師匠様失踪の関係性が否定できない以上、お師匠様が残した洗濯魔法は、やっぱり探し出さないとだね」
「だね」
「うん。大丈夫。このまま奥に見えている山脈に向かって飛んで」
「うむ」
僕たちが向かっているベルネ・ベルタは、テムリドの北西に連なるベルネ山脈の一角に位置する要塞都市で、その昔、魔族との争いが激化の一途を辿っていた時代、魔族の支配下にあった北方諸国の動きを監視するために造られた街と要塞だという。
「ねぇ、エフィ。僕はまだベルネ・ベルタに行ったことがないんだけど、あの街って、三つに分かれてるっていうのは本当なの?」
「うん。本当だよ。山頂に要塞があって、山の中腹と麓に街があるの」
「やっぱりそうなんだ。僕、実はベルネ・ベルタにすごく行きたかったんだ。魔族と戦っていた時代からある空中要塞を見てみたくてね」
「そうだったんだ。私は麓の街にしか行ったことないから、下から見ただけだけど、たしかにあれはすごいかも。レントが見に行くなら、私もついてこっと」
「妾も行くぞ」
「うん。なら、みんなで行ってみよう」
◇
「ディアラ。そろそろ明るくなってきたから、地上に降りようか」
「そうじゃな」
このまま飛び続けていれば、もっと早くベルネ・ベルタに着くだろうけど、さすがに昼間は飛ぶわけには行かない。もし、ディアラのこの姿を誰かに見られたりでもしたら、レッドドラゴンが現れた! 討伐だ! なんて大騒ぎになりかねないからね。それに、一晩中飛び続けてくれたディアラを休ませてあげたい。
地上に降り立った僕たちは、大きな古木の木陰を見つけると、その根本に腰を下ろした。
「ディアラ、お疲れ様」
「本当、ありがとう。疲れたでしょ?」
「レント、エフィ。二人とも妾を労ってくれるとは、嬉しい限りじゃ。そうじゃな。久しぶりに長く飛んだからの」
「だよね。それじゃ、ここで少し休もうか。お腹も空いただろ?」
「うん! 空いた!」
「妾もじゃ!」
「だったら……はい、これ」
僕は、パンとハチミツ、それとリンゴのジュースを魔法の収納鞄から取り出すと、エフィとディアラに渡した。
すると、エフィが目を丸くして言う。
「わぁ! これ! めちゃくちゃ行列が出来てたパン屋さんのやつじゃん! なんで買えたの?」
「へへん。ちょっと暇だった……いや、だいぶ暇な時間があったからね。並んできた」
「たしかにレント、お店にいないなぁって時あったね。でも、いいの? そんな貴重なものもらっちゃって」
「いいんだよ。みんなで食べようって思って買ったものだから。だから、二人とも遠慮なく食べて」
「ありがとう! レント。いただきます! うん! おいしい!」
「ありがたくいただくのじゃ。おお! これは美味じゃの。ところでレントよ。空を飛ぶのはやはり夜になってからかの?」
「そうだね。明るいうちはやめた方がいいと思う。だから、これ食べ終わったら、夜まで仮眠を取ろうと思うんだけど、どうかな?」
「よいのではないか?」
「うん。いいと思う」
「なら、そうしよう」
僕たちは、食事を済ませると、そのまま根の陰に寝転んだり、座ったりしながら仮眠を取り、日が暮れるのを待った。
◇
「うん。いいね。いつもなら、暗くてやだなと思うところだけど、今回は絶好の飛行日和だと言っていい」
そう呟き見上げた空には厚い雲が広がり、夜空を覆い隠していた。
「ディアラ、いける?」
「いつでもよいぞ」
そう言って、ドラゴンの姿になったディアラは、僕たちをその背中に乗せると、一気に雲の上まで飛び上がった。
「すごーい! 雲の上にいる! 月が明るーい!」
「す、すごい。まるで光り輝く海の上を飛んでいるみたいだ。とはいっても、飛んだことはないんだけどね」
「どうじゃ? この方が見つからんじゃろ? レントよ。夜が明ける前に、このままベルネ・ベルタまで飛ぶ。よいな?」
「うん。お願いするよ。でも無理はしないでよ」
「わかっておる。さあ、二人ともしっかりと掴まっておるのじゃぞ。いざ!」
ディアラが、力強く翼を羽ばたかせると、その巨体が、まるで弓の名手が放つ矢の如く爆進。
月明かりに照らされ、眼下に広がる雲に落とされた陰が静かに雲の上を走る光景は、美しいを超えて神秘的だった。
「レント! ディアラ! あそこ! 雲から突き出てるのって、山よね?」
「そうだね。ベルネ山脈だ」
「てことは、もうベルネ・ベルタに到着したってこと?」
「そうなるね。ディアラ、この辺りで降りてみたいんだけど、いいかな?」
「うむ」
地上に降り立った僕は、視線の先に見えた光景に鳥肌がたった。山肌に沿ってゆらめく無数の光。間違いなく人工的な灯り。
「すごい……あれが、ベルネ・ベルタ。うわさ通り、山が燃えているみたいだ」
「ほほう。これはなかなか。妾が生まれ育った里には及ばぬが、風情があって良いの」
「おお! この良さがわかるとは、ディアラも通だね」
「んっふふ。そうであろう? もっと褒め称えても良いのじゃぞ? レントよ」
「よ! ディアラ様! お目が高い!」
「ふふん!」
「ほら、ほら。二人とも。遊んでないで行くよ」
「ほーい」
「はいなのじゃ」
◇
「エフィ、あそこの門が街の入り口、なんだよね?」
「うん。そう」
「だけど……閉まってるよね? 門」
「うん。閉まってるね」
「もしかして、夜は閉門してるのかな?」
「そうみたい」
「なんじゃ? あの門が邪魔ならば、妾が壊してやろうか?」
「いや、いや。ディアラ。そんな物騒な真似はやめて。いきなり騒ぎになっちゃうから」
「そうね。さすがにそれはダメね。朝にあれば開くんだから、ここで待ったらいいんじゃない?」
うん。エフィの言う通りだ。あの門をくぐれば目的地なわけだし、今更焦る必要はない。ここ二日で昼夜逆転してしまっていたから、戻すには丁度いい機会だ。
……とは思ったものの、眠れないし、眠くない。二人はどうだろう?
うん。ディアラは……爆睡。そりゃあれだけの力を使ったんだ。当然だよね。
エフィは? え? エフィも爆睡してる! 昼間あんなに寝てたのに、よく眠れるな。
僕もとりあえず横になろう。
◇
「レント、おはよう!」
「おはようなのじゃ!」
「二人とも、おはよう」
結局一睡もすることなく迎えた朝。だけど、巨大な跳ね橋が降りてくる荘厳な光景と、門が開く様を終始この目で拝めたのは、起きていた甲斐があったというものだ。
「あ! もう門が開いてる!」
門が開いていることに気づいたエフィが、門の方を指さし、僕の袖を引っ張った。
「うん。開いてるね」
「あれ? もしかして、レントはもう気づいてたの?」
「うん。僕はあの門が開くところも跳ね橋が降りてくるところも見てたからね」
「なんと! それは妾も見てみたかったのお」
おや? あのディアラの反応は、もしかして門や跳ね橋に興味があるのかな?
「すごく、良かったよ」
「ううーん。レントよ、それはいけずというものじゃ」
おお! これは、門、跳ね橋好きとみてほぼ間違いなさそうだな。後で詳しく聞いてみようかな。
「ごめん。ごめん。つい」
「ねぇ、二人とも。なんなの? それ。門が開いて、跳ね橋が降りてきただけの話でしょ?」
ははーん。エフィは、そういったことには興味がないんだね。
「だけ? エフィさん。わかってないねぇ。あれはそう、ロマンだよ」
「ロマン?」
「そうじゃぞ。あれはロマンじゃ」
「……そ、そうなんだ。ふーん。ロマン、なんだ。あー、えっと、私には、ちょっとまだ早かったかな。それはそうと、もう街に入れるから、おばあちゃんのところに行こうよ」
「うん」
「うむ」
◇
「ここがそうよ」
エフィに案内され、たどり着いたのは、なんということはない、連なる建物の一角にある普通の家だった。
トン、トン、トン。
エフィが扉を叩くと、しばらくしてゆっくりと扉が開き、一人のおばあさんが出てきた。
「……ん? どちら様かの?」
「おばあちゃん、私よ。エフィ」
「エフィ? ……エフィ……エフィ!? 洗濯屋のお嬢ちゃんかい?」
「うん! そうだよ! 洗濯士のエフィ! だよ!」
あ、そこは何気にサラッと訂正するんだ。
「立ち話もなんだからね。中に入っておくれ。おや、後ろのお二人さんもエフィちゃんのお友達かい?」
「うん。そう」
「そうかい。そうかい。それじゃお友達も一緒にお入り」
部屋の中に通された僕たちは、おばあさんに言われるがまま、小さな丸テーブルを囲むように席についた。
「エフィちゃんが戻って来たということは、もしかして、お願いしていたアレが、キレイになったということかい?」
「うん! ピッカピカになったよ!」
エフィが、テーブルの上にあの布切れを置くと、それを見たおばあさんの目から大粒の涙が溢れ落ちた。
「あぁ……ジェイス……お帰り」
おばあさんの涙と鼻をすする音が僕の胸をグッと締め付ける。
悲しい、なんてそんな一言では言い表せない深い、深い悲しみが、ひしひしと伝わってくる。
沈黙。僕は、おばあさんにかける言葉が見つからず、自然と口を閉ざしてしまった。
それは僕だけじゃない。エフィもディアラも同じだった。
そんな沈黙を破ったのは、他でもないおばあさんだった。
「すまなかったね。もう、大丈夫だよ。エフィちゃん。本当にありがとうね。こんなにキレイにしてもらって、息子も大喜びしているだろうさ」
「おばあちゃん……」
おばあさんは、そう言うと本棚から一冊の古びた本を取り出し、エフィに手渡した。
「エフィちゃん。はい。これ」
「うわぁ! ありがとう! おばあちゃん! でも、ほんにいいの? 報酬はこれがいいって言ったのは私なんだけど、これって、やっぱり大事なものだよね?」
「いいんだよ。わしにはもう必要のないものだからね。エフィちゃんが使ってくれた方が、本も喜ぶってもんさ。だから遠慮なく持っていっておくれ」
あれは、何だろう? 魔法書みたいに見えるけど、それにしてはちょっと薄い気がするんだよな。
「エフィ、それは?」
「ん? あー、これ? これはね、洗濯魔法が書かれた本だよ。おばあちゃんね、息子さんが亡くなるまでこの街で洗濯屋さんをしてたんだって。この本は、おばあちゃんが若かった頃、街を訪れた行商人から買ったもので、おばあちゃんが洗濯屋さんを始めるきっかけになった本なんだって」
「ふふ。もう、ずいぶん昔の話だよ。さてと、私はアレを用意しようかね」
おばあさんは、にっこり微笑むと台所の方へ行ってしまった。
「洗濯魔法が書かれた本があるなんて、初めて聞いたし、初めて見たよ」
「でしょうね。洗濯魔法の本なんてそうはないもの。洗濯魔法自体が日常魔法の一部で珍しいものじゃないでしょ? だから、あえてそれを魔法書にすることはほとんどないんだよね。でもたまーに、こうして魔法書として残してくれる人がいる。だから、見つけた時には、譲ってもらえないか交渉して、譲ってもらえた時には、私の洗濯の極意に加えさせてもらってるの」
なるほど。エフィは、そうやっていろいろな洗濯魔法を探し回収しているのか。
でも、もし魔法書を譲ってもらえなかったら? どうするんだろう。
「エフィ、もし魔法書を譲ってもらえなかったら?」
「その時は、直接教えてもらってる」
「ねるほどね。そういう方法もあるんだ」
「でも、それでも教えてくれない時は?」
「んー。今まで教えてくれなかったことはなかったかな。まぁ洗濯魔法だからね。別に特別なものじゃないし」
「そうか。そういうものなのか」
「うん。そういうものだよ。さぁてと、どんな洗濯魔法が書かれてるのかなぁ? あぐぐ……あ、頭が」
エフィは、魔法書のページをめくった途端、片手で頭を抱えうずくまってしまった。
「どうしたの? エフィ。大丈夫? 頭が痛いの?」
「ああ……う、誰かの、声が……頭の中に、響いて……」
『エフィ——ようやく——見つけましたね——私の書を』
「お、お師匠様?」
「え? お師匠様? お師匠様って何?」
「お師匠様の声がする」
お師匠様の声? 僕には何も聞こえないけど?
「エフィ。声なんて聞こえないけど? ディアラは、聞こえた?」
「いいや。妾も聞こえなかったぞ」
「お師匠様の声が、頭の中に……え? 指南書? ……試練……?」
虚な目で、うわごとのように呟くエフィ。
これは、まずいんじゃないか!? あの魔法書、何か呪いでも仕掛けられてたのか!?
「エフィ! しっかり!」
僕が慌ててエフィの手を握ると、エフィは、ハッと目を見開き、正気を取り戻した。
「……レント」
「エフィ。大丈夫?」
「エフィよ。何があったのじゃ?」
「お師匠様の声がね。私の頭の中に入ってきたの」
「そのお師匠様ってのは?」
「ソレア・ランドローネ。私に洗濯魔法とはなんたるものかを叩き込んでくれた人よ」
まさかエフィにお師匠様がいたなんて。てっきり独学かと思ってた。それに、エフィの他に洗濯魔法を探求していた人がいただなんて驚きだよ。
「ソレア・ランドローネ、もしかしてエフィの名前にあるランドローネって」
「そう。お師匠様からもらったの」
「それで、お師匠様の声が頭の中に入って来たっていうのは?」
「うん。この魔法書を開いたらね、お師匠様の声が頭の中に直接聞こえてきたの」
「それは、どんな?」
「うん。この魔法書は、しかるべきときのために、お師匠様が私のために思念を込め残したものだって言ってた」
しかるべきときのため? しかるべきって何だ?
それに、思念を込め残したってことは、エフィのお師匠様はもうこの世にはいないってことなのか?
「エフィ、お師匠様は、その……ご健在なの?」
エフィは、悲しさと困惑が混ざり合ったような複雑な表情をみせると首を横に振った。
「たぶん……ううん。もう死んじゃってると思う。お師匠様はね、ある日突然、いなくなってしまったの。ずいぶん昔の話だし、お師匠様は人間だったから、さすがに生きてないよ」
「そうだったんだ。ごめん。変なこと聞いちゃったね」
「ううん。いいの。それにしても驚いちゃったな。お師匠様がこんなものを残していたなんて。久しぶりにお師匠様の声聞いたら、なんかいろいろ思い出しちゃったな」
「お師匠様との思い出って、どんなものがあるの?」
「うーん。そうね、洗濯魔法に関しては妥協を許してくれないとーっても厳しい人だったから、修行、修行ってものすごくしごかれて、よく泣かされたり、ご飯抜きにされたりしたかな。でも、それ以外の時は、温厚で優しくて、女性らしくて、頑張ったご褒美って甘いお菓子とか買ってくれたりしたなぁ。お師匠様も洗濯魔法を極める旅をしてたから、魔獣や敵対する相手への洗濯魔法を応用した対処法なんかも教えてくれた。なによりお師匠様は、行く先々でみんなに慕われてたなぁ」
「そうか。お師匠様は、エフィにとって自慢のお師匠様なんだね」
「うん!」
エフィは、嬉しそうに満面の笑みで頷いた。
エフィのお師匠様については、今のでなんとなくわかった。後は、しかるべきときについて聞いておかなくては。
「話を戻すけど、エフィ。しかるべきときっていうのは?」
「わからない。言葉は途切れ途切れだったし、何に対することなのかさっぱり。でもね、そのときに備えて、お師匠様が自ら創り出した洗濯魔法をいくつか残したって言ってた」
「エフィのお師匠様が残した洗濯魔法か。なんかすごそうだね」
「うん。きっとすごいものだと思う。お師匠様の洗濯魔法は、なんていうか、洗濯の域を超えてたっていうか、本当にすごかったからね」
「ちょっと想像はつかないけど、きっとそうなんだろうね。だとしたら、次はそのお師匠様が残した洗濯魔法を探すことになるかな?」
「そうだね。なんかいろいろ気になるし、お師匠様の洗濯魔法、探してみたいかな」
なんか、ものすごく冒険らしくなって気がする!
「お二人さん。話は終わったかい? 終わったなら、こっちにきてお茶にしないかい?」
「レント。エフィ。このお茶はとてもおいしいぞ」
まったくディアラときたら。静かだと思ったら、ちゃっかりもうお茶をいただいてたのか。
「ありがとうございます。いただきます」
「おばあちゃん! ありがとう! いだだきまーす! うーん。おいしい! おばあちゃん、このお茶、すごくいい香りがするね!」
「そうだろう? これは、息子が西南の遠征に行った際のお土産でね。名前をなんと言ったか?」
この澄んだ紅色に甘い香り、南西諸国で有名なお茶といえば……たぶん、リーリス茶だろうな。
「もしかして、リーリス茶ではないですか?」
「リーリス茶! そうそう。そういう名前だったね」
「ほう。この茶はリーリス茶と申すか。妾のいた国の茶とはずいぶん色も香りも違うが、実に優美なものじゃの」
「そうだね。リーリス茶は、その名の通りリーリスという低木の葉を乾燥、発酵させたものになるんだけど、このリーリスが、人工栽培がまだ出来なくてね。自生しているものを集めるんだけど、採取量が極めて少ないから、とても希少なんだ。特にちゃんと飲める年代物となると、ものすごい高級品になるね」
「えぇ!? おばあちゃん、そんな貴重なものを良かったの? しかも息子さんが買って来てくれた思い出の品なのに」
「いいんだよ。どんなに高級だろうが、貴重だろうが、思い出だろうが、これはお茶なんだよ? 大事にしまっておくよりも、みんなで、こうして飲んでくれた方がいいにきまってるじゃないか」
「なんか、おばあちゃんならそう言うかなって思った」
「そうだろう? だから遠慮なく飲んでおくれ」
「はーい!」
「はい!」
「はいなのじゃ!」
◇
「ごちそうさまでした!」
「おばあちゃん、ごちそうさま」
「ごちそうさまなのじゃ」
「はいよ。お粗末さまでした」
「それじゃ、おばあちゃん。私たち、そろそろ行くね」
「エフィちゃん。本当にありがとうね。みんな、気をつけてお行きよ」
「うん! またね! おばあちゃん!」
「おばあさん、失礼いたします」
「おばあさま。失礼するのじゃ」
おばあさんに一礼し、家の外に出た僕たちは、誰からともなく全員で顔を見合わせた。
「さて、エフィのお師匠様が残したっていう洗濯魔法を探すってことは決まったけど、実際どこに向かったらいいのか。エフィ、何かわかる?」
「それがね、場所とかそういう具体的な話がぜんぜん出て来なかったんだ。あ、でも、試練を用意したとか言ってたかな」
「試練?」
「うん。その洗濯魔法を得るに相応な知識とか力が備わっているか試させてもらうって」
相応な知識! 相応な力! そして試練! これは更に冒険らしくなってきたぞ!
でもね、その前に、僕には気になって仕方がないことがあるんだ。もう、視界に入ってるアレ、がね。
「ねぇ、エフィ。ディアラ。その洗濯魔法を探しに行く前に、あそこに寄ってもいいかな?」
僕が指をさした先にあるもの。それは、空中要塞!
ここまで来て、あそこを見ずに移動なんてできない!
「おお! それは良い考えじゃな!」
「エフィは?」
「二人ともみたいんでしょ? いいよ」
「やったー!」
「やったーなのじゃ!」
麓の街から山の地形に沿って作られた道を登り、中腹の街で一休み。
小休憩を終えると、再び山頂に向かって出発。中腹からは舗装された道はなくなり、空中要塞に近づくにつれて、山道はどんどん険しくなり、呼吸も苦しくなっていった。
「はぁ。はぁ。やっと着いた。さすがは空中要塞だ。簡単には登らせてくれなかったね」
「そうだね。けっこうしんどかったね」
「そうか? 妾は平気じゃぞ?」
「ディアラはね。そうだろうね」
「レントよ。そう恨むような目で見るでない。ほれ、もう少しの辛抱じゃ。あの城壁まで登れば、きっと絶景が待っておるぞ?」
たしかに! ディアラの言う通りだ! あそこまで登り詰めれば、ここまでの苦労が報われる! よし! あと少し! 頑張るぞ!
「……」
城壁まで登りきった僕は、目に映る光景にしばらくの間、言葉を失った。
「……す、すごい。麓の広大な森に、大平原。その先にあるあれは、国境城壁! 北側諸国があんな先まで見えるなんて!」
「これは、まさに絶景じゃな」
「うん。私でもこれはすごいと思う! ねぇ、レント。アレは何かな?」
「ん? どれ?」
「ほら、国境城壁のもっと先に見える黒いモヤモヤしたもの」
エフィに言われ、目を凝らしてみると、たしかに国境城壁を越えた先のさらに奥に、何やら黒い霧のようなものがうごめいているのが見えた。
「本当だ。黒い何かが動いているように見えるね」
「レントの鑑定でわかったりする?」
「いや、さすがに距離がありすぎて無理だね」
「そうだよね。あ! レント! あそこに兵士さんがいるよ! あの人なら何か知ってるかも。聞いてみようよ!」
「そうだね」
僕たちはこの要塞を守る兵士の一人に話を聞くことにした。
「あの、すみません」
「ん? なにかな?」
「あの国境城壁の先に見える黒い霧のようなものはなんでしょうか?」
「あー、あれは魔王の呪いと呼ばれている汚れの瘴気だよ。今は、大賢者フィンテ様の意思を継いだ聖王様によって張られたと言われている結界で抑えられている。我々は結界や魔王の呪い、国境城壁に異変がないか監視していのさ」
「魔王の呪い! 汚れの瘴気! あれが……」
それは、北側諸国で最も美しい国と称されていた水の聖都ウォルステニアに突如として発生した正体不明の黒い霧状の何かで、都の民、動植物その全てが次々と原因不明の病を発症し、死に絶えていったことから、汚れの瘴気と名付けられた。そのあまりにも無差別的で慈悲の無い様から、いつしか魔王の呪いと呼ばれるようになったんだ。
「レント。私も知ってるよ、魔王の呪い。ちょうどそのくらいだったんだ。お師匠様がいなくなったの」
「それは、魔王の呪いが現れた時期と、お師匠様が失踪した時期が同じくらいだったってこと?」
「うん」
「だとしたら、魔王の呪いとお師匠様の失踪には何か関係があるんじゃ?」
「かもしれないけど、わからない」
「そう、だよね。だけど、こうなると、しかるべきときっていうお師匠様の言葉がすごく気になるし、魔王の呪いとお師匠様失踪の関係性が否定できない以上、お師匠様が残した洗濯魔法は、やっぱり探し出さないとだね」
「だね」
