洗濯士のエフィ 〜僕は鑑定士だというのに、なぜか洗濯屋のエルフと旅をすることになりました〜

「光り? 本当だ。何か光ってる」

 エフィが指差した茂みに、何やら明るい光りが見えていた。

「今、鑑定してみるよ……鑑定! えぇ!? ……エフィ、僕たち、凄い物を見つけてしまったかもしれない!」
「なに? なに?」
「あれは、星夜草(ほしよそう)の花だよ!」
「星夜草の花!? それって、十数年に一度、満天の星空が広がる月のない夜にしか咲かないっていうとっても貴重な花よね!?」
「うん。間違いないよ」
「すごい! 早く見に行こう!」

 一足早く駆け出したエフィを追いかけ、花のそばまで行って見ると、あたらめてその希少さに驚く。星夜草の花は、辺りを見回しても、咲いていたのは、たった一輪のみだったからだ。

「あの光り具合からいけば、もう少し咲いていると思ったけど、まさか一輪だけだなんて」
「そうね。それにしても、とっても綺麗だね。眺めてるだけでうっとりしちゃう。さすが、『愛の女神』と言われるだけあるね!」

 そうなのか? 言われてみれば、そんなことを聞いたことがあるような……ないような?
 僕としては、魔法薬の材料としてかなりの高値で取引される貴重な素材っていう認識なんだけどな。

「エフィ、見惚れているところ、申し訳ないんだけど、そろそろ採取させてもらってもいいかな?」
「へ? あぁ! ごめんね! どうぞ!」
「それと、星夜草自体も貴重な素材だから、こっちも集めていいかな?」
「もちろん! 私も手伝う!」

 それにしてもついてるな。星夜草の花を採取できただけでも相当運が良いというのに、こんなにたくさんの星夜草まで手に入れることができるだなんて。

「ねぇ、レント。ずっと気になってたんだけど……」
「な、何?」
「レントのその鞄って……」

 鞄? これがどうかした?

「魔法の収納鞄よね?」
「うん。そうだよ」
「やっぱり! いいなぁ。それ、私も欲しいんだけど、すっごく高くて買えないんだよなぁ」

 なんだ。そういうことだったのか。険しい顔でこっちを見てたから、何か怒らすようなことしたんじゃないかって、心配しちゃったよ。

「てかさ、魔法の収納鞄って、なんであんなに高いのかな?」
「それは、貴重な素材をたくさん使ってるし、なにより鞄を作れる職人がとにかく少ないから、どうしても、ね?」
「にしたって高すぎでしょ!」
「まぁ、そうだね」
「なのに、レントはすごいね!」
「え? 僕が、すごい?」
「うん。だって、その鞄一つで、お屋敷が買えるくらいするでしょ? だから、レントはものすごく頑張ったんだなって思ったの」
「……ま、まぁ。それなりに? 頑張った……かな」
「本当、すごいよ! 私も頑張らなくっちゃ!」

 そう言われると心が痛い。本当は、家を出る時に、父さんへの当て付けで、執事に頼み込んで用意してもらったなんて言えない。

「エフィ、星夜草はもう十分に採取できたから、薪になりそうな枝を拾って晩ごはんにしようか」
「うん! そうだね!」

 僕とエフィは、両手いっぱいに枝を拾い集め川岸に戻ると、火を起こし晩ごはんの支度をはじめた。

「魚は、木の枝にさして焚き火のそばで焼く! レント、お塩ってあったりする?」
「あるよ。他にも必要なものがあれば言って。いろいろあるから。それと、調理器具も一通り揃ってるからね」

 僕は、鞄からまな板や包丁、鍋、胡椒などの調味料を取り出すと、エフィの前に並べた。

「レント! すごいね! これが、ぜーんぶそこに収まってるなんて! 本当、便利ね! あ、この包丁とまな板かりるね。私こう見えて結構料理得意なんだ」

 そう言うとエフィは慣れた手つきで、料理をはじめた。

「ねぇ、レント。この不思議な匂いがするの、何?」
「あー、それはスープの素だよ。前に東方諸国を旅して来たっていう商人から買ったんだ。たしか豆を発酵させたもの、とか言ってたかな? それをお湯に溶かすだけで、すぐにスープを飲めるんだ」
「すごいね! それじゃ、これできのこのスープを作ってみるね! レントは魚を見といてくれる?」
「うん。こっちは任せて」

 鼻歌混じりで楽しそうに料理をするエフィ。
 僕は、そんなエフィの横で、魚が焦げないよう見張った。

「レ、レントー!」
「どうした!? 火傷でもした!? 大丈夫?」
「こ、これ……」
「ん? スープ?」
「うん。今ね、味見してみたんだけど……」
「う、うん」
「すんごくおいしいね!」

 なんだ。びっくりさせないでよ。てっきり火傷か怪我でもしたのかと思ったよ。でも、良かったそうじゃなくて。

「そうでしょ。そのスープ、本当、簡単につくれるのにすごく美味しいんだよ」
「だね! よーし! これで出来上がりっと。ちょっと待ってね。うん。焼き魚(こっち)も良さそうね。はい、これ。レントの分」

 エフィは、きのこのスープをよそった深皿を僕の前においた後、木の枝にささったままの魚の塩焼きを手渡してきた。

「ありがとう」
「うん。それじゃ、食べよう! いっただきまーす!」
「いただきます!」

 僕たちは、まず魚の塩焼きにかぶりついた。
 ふっくらと肉厚な白身。口いっぱいに広がる香ばしい香り。程よい塩味……大自然の恵み、最高――!

「「おいしい!!」」

 顔を見合わせた僕たちの言葉が重なる。

「んんー! スープもおいしい! レント、きのこと一緒に食べてみて。最高だから!」
「うん……うん! うん! 本当だ! きのこの食感がたまらないね!」
「でしょ! でしょ! そうだレント、さっき倒したフォレストウルフは、あのままでよかったの? お肉とか皮とか骨は食材や素材になるんじゃなかったっけ?」
「うん。でもあれは、あえてそのままにしたんだ。ああすることで、しばらくはフォレストウルフたちが大人しくなるからね」
「なるほどね」
「それと、肉だけは、少量だけど回収しておいたよ」
「さすがレント! 抜け目ないね」

 ふふん。鑑定士とはいえ、僕も商人の端くれ。どんな時でも利となるものは逃さないさ。それに、品物うんぬんの前に、旅をするうえで、食料の確保は重要だからね。



「もう無理。お腹いっぱい」

 膨れたお腹をさすりながら、地面に大の字で寝転んだエフィ。
 僕は、そんなエフィに向かって少々意地悪を言う。

「エフィ、食べてすぐ横になると牛になるよ?」
「牛? へーき。へーき。私、太らない体質だから」

 そう言って、笑いながらお腹をポンポンと叩くエフィ。
 たしかに、エフィは、太っているようには見えないけど、決して痩せ型ってわけでもない。
 でも、言われてみれば文献に載っていたエルフの絵もエフィと同じような体型、いやもう少し痩せていたかな?
 だとしたら、エルフって、エフィが言うように、太らない体質なのかもしれないな。

「ふぁ。お腹いっぱいになったら、なんだか眠くなってきちゃった」

 同感だ。満腹で眠気を感じる。
 だけど、二人で寝るわけにはいかない。フォレストウルフが襲ってくるようなことはしばらく無いと思うけど、フォレストウルフが大人しくしていることをいい事に、他の魔獣が来ないとも限らないからね。念のため見張りは交代でした方がいい。なんなら、今夜は僕がするからエフィには休んでもらいたい。

「エフィ、先に寝て。僕は見張りをしてるから」
「そう? それじゃ、交代で休もう。ふぁ……ごめんね、レント。私、もう、起きて……られない、かも……後で起こ……し、て」

 エフィはよほど疲れていたのか、それとも僕と同じで寝不足だったのか、しゃべっている間に寝落ちしてしまった。

「……こんな夜は、久しぶりだな」

 一人見上げた空には、散りばめられた宝石のように瞬く無数の星。
 街の喧騒を忘れさせてくれる星空の下、焚き火の薪がはぜる音と、時折頬を優しく撫でる風が、僕の瞼を徐々に重たくしていく。
 あぁ……すごく、落ち……着……く。



「……ント……レント! そろそろ起きて!」

 ……ん、んん……んんん!? 眩しい……って! 僕、もしかして寝てしまってたんじゃ!?

「おはよ。レント」

 やっぱり! 僕も寝落ちしてしまっていたんだ!

「ごめん! エフィ!」
「謝ることなんてないよ。私だって交代するって言ったのに、朝まで起きなかったんだから」

 そう言うと、エフィは片目をつむり、ペロっと舌を出した。

「いや、でも……」
「何もなかったんだからいいじゃない。ほらほら、レント! そんな深刻な顔しない! 私もレントも疲れてたんだら仕方ないよ。今はよく寝て元気になったんだから、もう気にしない! ね?」

 僕がゆっくり頷くと、エフィはにっこりと微笑み返してくれた。

「はい、これ。レントの分。今日は歩くよ! ペース上げてけば、日が落ちる前にはオルグ山に登れると思う。だから、朝ご飯は歩きながら食べるよ!」

 エフィは、半分に割ったチーズを僕に手渡すと、足早に歩き始めた。

「ちょ、ちょっと待って!」
「早く! 早く!」

 エフィを追いかけ、横に並んだ僕は、彼女に手渡されたチーズを見せながら言う。

「エフィ、このチーズは?」
「朝ごはん」
「あ、いや、それはわかってるけど」
「非常食用で持ってたやつ。昨日は慌てて出発しちゃったでしょ? だから買出しする時間がなくって。リュックの中見たらこの一個しかなかったの。たがら半分こ」
「いいの?」
「いいに決まってるじゃない。レントだって、昨日、私にパンくれたでしょ? だから、遠慮しないで食べて」
「ありがとう。いただきます」
「どうぞ。召し上がれ」

 それから僕たちは、休む間もなく歩き続け、日が暮れる頃には、オルグ山の中腹辺りまで来ていた。

「かなり良いペースで来れたけど、さすがに、これ以上進むのはやめた方がよさそうだね」
「そうね。なら、あそこはどう?」
「うん。良さそうだ」

 僕たちは、大きな岩の窪みを見つけると、そこで野宿する準備を整え、火を起こした。

「ねぇ、レント。そういえばさ、オルグ山に登り始めてからここまで魔獣一匹遭遇しなかったよね? やっぱりコレのおかげかな?」

 エフィは、魔獣除けのチャームをぷらぷらと揺らしながら言った。

「そうだね。麓近くには低ランクの魔獣がいたから、僕たちが持ってる魔獣除けのチャームが効果を発揮したのは間違いないと思う。だけど、この辺りにはそもそも魔獣の気配がないんだよね」
「魔獣の気配がない? それって、どういうこと?」
「僕はオルグ山に入ってから定期的に鑑定を行使していたんだけど、この辺りに来てから魔獣の鑑定結果がピタリと出なくなったんだよ」
「そうだったんだ! それで、レッドドラゴンはどう?」
「まだ、鑑定結果には出てきてないね」
「そっか。まだこの辺りにはいないってことか」
「うん。でもね、ちょっと面白い鑑定結果が出てるんだ」
「面白い? 何? 何?」
「ここからもう少し登ったところに魔素が集まってる場所がありそうなんだ」
「魔素が集まってる!? それってもしかして、魔鉱石じゃない?」
「たぶんそうだと思う。まだ距離があるから、鑑定結果は曖昧なんだけどね」
「鑑定結果が曖昧? そんなことあるの?」
「あるよ。僕の鑑定は普通の鑑定と違って、広域を鑑定することができるんだけど、鑑定範囲が広くなればなるほど結果が曖昧になるんだ。例えば名前が出ないとか、種別がおおまかになるとか、不明って表記されるとかね」
「そうなんだ。でも、レントはやっぱりすごいね。広域を鑑定できるのって、かなりレベルを上げないとだよね?」
「そうだね。独学だけど、小さい頃から剣より勉強してきたからね」

 そう。鑑定に関しては、魔法の収納鞄とは違い、僕がちゃんと自分自身で努力した結果身につけたものだ。それだけは、胸を張って言える! それだけは!

「ねぇ、レント。ちょっとだけ見に行ってみない? その魔鉱石」
「え? 今から? それはさすがに危ないよ」
「でも、この辺りに魔獣はいないんでしょ?」
「魔獣はいないかもだけど、もう暗いし、やめた方がいいよ」
「そんなこと言わないでさ。ちょっとだけ。見るだけだから。ね? いいでしょ? ね? 行こうよぉ」

 はぁ。このパターン。言い出したら何言っても無駄なやつだよな。仕方ない。見るだけ見たら戻ってこよう。

「見るだけだよ?」
「やったー!」

 僕とエフィは、ランタンの灯りをたよりに、鑑定結果が出た岩場へと向かった。

「レント! 見て! あそこ! あの形と輝き! やっぱり魔鉱石だよ! 何の魔鉱石かな?」
「あ! エフィ! ちょっと! 走ったら危ないって!」

 鑑定……紫水晶の魔法石。大小さまざまな大きさの紫水晶を多数融合させた人工魔法石。
 え? これって、自然にできる魔鉱石じゃなくて、結界や封印に用いる人工的に作り出した魔法石だよね!? 

「エフィ! それ、絶対触ったらだめだからね!」
「え?」
「え?」

 遅かった。
 魔法石の一部が欠ける音が夜闇に響いたと同時に、エフィの右手には、紫水晶の結晶が握られていた。

「エフィ! 怪我はない? 体調は?」
「うん。大丈夫。なんともないよ。でも、これ。光らなくなっちゃった」
「ひとまず怪我や体調不良がなくてよかった。でも、魔法石(これ)が光りを失ったってことは……」

 鑑定! ……紫水晶の結晶。予想通りだ。輝きを失った魔法石は、ただの紫水晶の結晶に戻ってる。
 これが何かの結界や封印の類いだとしたら、この下には……あった。
 僕が、紫水晶の魔法石が立っていた周りの砂や土、小石をかき分けると、複雑な模様が施された魔法陣がその姿を現した。

「レント、これって何?」
「何かの結界か封印の魔法陣だと思う」
「えぇ!? どうしよう。私、壊しちゃったよ!? 大丈夫かな?」

 たぶん……いや、十中八九大丈夫じゃないと思う。

「エフィ、残念だけど、この魔法陣は効力を失ってる」
「えぇ!? だとしたら、結界がなくなってしまったか、封印が解けてしまったってことになるよね?」
「そうなるね」

 これは、ひょっとしたら、ひょっとするぞ。
 鑑定! ……レッドドラゴン。竜種。火属性。メス。獄炎ブレス。鋭い爪。強者の覇気……その他諸々。

「……やっぱり、そうだったか」
「レント、何かわかったの? その表情からして、状況はよくないよね?」
「うん。この魔法陣は、レッドドラゴンを封印していたものだね。今あらためて鑑定してみたら、レッドドラゴンの鑑定結果が出たから間違いないよ。40年前の大規模魔獣討伐以来、レッドドラゴンの姿が目撃されなくなったのは、ここに封印されていたからだったみたいだね」
「えぇ!? 私、やっちゃった、よね?」
「やっちゃったね」
「ど、どうしよう」

 小刻みに震えながら、オロオロと右へ左へ歩き回るエフィ。しばらくの間、そんなエフィの姿を黙って見ていたが、彼女は、ふと何かを思いついたのか、ピタリとその動きを止めた。

「レント! 私、今すごく焦っちゃったけど、よくよく考えてみたら、これって結果的にはよかったよね?」
「よかったかどうかは置いといて、レッドドラゴンを発見できたことに関して言えば、まぁ、良かったんじゃないかな。だけど、封印を解いてしまった以上なんとかしないと。もし、レッドドラゴンが山から降りたりでもしたら、人里に甚大な被害が出てしまうかもしれない」
「えぇ!? やっぱりダメじゃん! こうなったら、レッドドラゴンを倒すしかない! って、それはさすがに無理だよね?」

 僕が深く頷くと、エフィは、がっくりと肩を落としうなだれた。

「とはいえ、何か手は考えないと……」

 レッドドラゴン。僕とエフィでなんとかなる相手じゃない。だとしたら……そうだ!

「エフィ。今すぐ街に戻って、冒険者ギルドに応援を要請しよう!」
「ダメ! レント、それはダメだよ!」
「ダメ? なんで?」
「だって、もう、間に合わないから!」

 目を見開き、全身を振るわせながら僕の背後を指差すエフィ。

「何? 後?」

 振り向くとそこには、灼熱の炎が揺らめくような赤色の鱗を全身にまとった巨大なドラゴンの姿があった。

「…………」

 一瞬で脈拍が上がり、うまく呼吸ができない。無意識に手足が震え、立っているだけで精一杯だ。
 と、そんな僕の横を何かが駆け抜けていった。

「お先!!」

 エフィ!? 僕の目に映った人影は、紛れもなくエフィだった。

「レント! 私がレッドドラゴンを引きつけるから、後はよろしく!」
「よろしくって、エフィ! そんなの無茶だよ!」
「先手必勝! これでもくらえ!」

 レッドドラゴンと対峙したエフィは、すぐさま泡の魔法を連続で発動。
 頭から半身泡まみれになったレッドドラゴンは、しばらくの間ピクリとも動かず僕たちの様子を伺っていたが、やがて、ゆっくり首をもたげると、大きな翼を広げ、バサリ、バサリと羽ばたかせ、泡を払い落としてしまった。
 エフィが、次の一手を打とうと、魔法陣を展開させた瞬間、レッドドラゴンは右前足を振り上げ鋭い爪を露わにした。
 まずい! あれは爪で攻撃する体勢だ! あんなのまともに喰らったらひとたまりもない! 助けなきゃ! でも、今からじゃ間に合わない!

「バブリム!」

 レッドドラゴンが右前足を振り下ろしたと同時に、エフィの泡の魔法が発動。
 レッドドラゴンは、その泡で足元をとられ、振り下ろした自らの前足の遠心力で、わずかに体勢を崩し、鋭い爪は、エフィの顔面すれすれをすり抜けていった。
 しかし、間一髪爪が当たることはなかったものの、振り下ろされた前足によって巻き起こった風で、エフィは僕の後ろまで、吹き飛ばされてしまった。

「……痛ったぁ」
「エフィ! 大丈夫!?」
「だ、大丈夫。それよりレント、早く逃げて!」

 エフィからレッドドラゴンに視線を戻した僕は、鞄からフォレストウルフの肉を取り出すと、レッドドラゴンの後方めがけて、全力で投げ放った。
 レッドドラゴンは、肉に反応し飛び上がると、口を大きく開け広げ、その肉を丸呑みにした。

「うへぇ。あの肉塊を一口で丸呑みかよ」

 でも、肉を喰らっていた間は、少しだけどヤツの注意が僕たちから逸れていた。肉はまだある。
 だとしたら……もう一度肉を囮にして、ヤツが気を逸らした隙に一撃喰らわせることができるかもしれない。
 だけど、その一撃はどこに入れる? あのとんでもなく硬そうな鱗は全身を覆っているし、こんな短剣じゃ当然歯が立たないよな……ん? あれは……古傷? 右前足の鱗と鱗の間に、少しだけ直に皮膚が見えているところがある!
 きっと、チャンスは一度きり。成功する確率だって低いにきまってる。それでもやるか? 今ならエフィの洗濯魔法で撹乱して逃げることもできるんじゃないか? どうする? どうするよ? ああ! もう! 迷ってる暇なんてない!

「エフィ! 援護を頼む!」
「やるのね! わかった! 任せて!」

 こうなったら、一か八かやってやる! 僕だって商人の端くれ! ほしいものは、なんとしても手に入れてやるんだ!
 そして、逃げ出した僕が、何言ってるんだって話だけど……剣聖の血をひく者として、強者を目前に背を向けることなんて……できない! エフィは、僕が守る!

「バブリム! バブリム! バブリム!……バブリム!」

 僕が走り出したと同時に、エフィが泡の魔法を連続で発動。
 大量に発生した泡がレッドドラゴンの全身を包み込む。が、レッドドラゴンはすぐさま翼を羽ばたかせ、体を揺さぶり、泡を全て払い落としてしまった。
 さっきは、しばらくの間、様子を見てくれたけど、今回はその間は無しか。さすがレッドドラゴン。学習能力が高い。これは、簡単には距離を縮めさせてくれそうにないな。
 アイツの眼は完全に僕を捉えてる。下手に飛び込めばあの鋭い爪の餌食になるのは確実だ。この距離じゃ、肉を囮にしてもまだ古傷に一撃を喰らわせることは不可能。もっと、もっとヤツに近づかないと。でも、どうやって近づく? って、あの体勢、やばい!

「エフィ! 今すぐ隠れて! そしてできるだけ遠くに逃げて!」

 レッドドラゴンの喉元が明るく輝き、牙と牙の間から炎と煙がチラつきはじめた。
 (ブレス)発動の予兆だ。こいつが放つブレスはさっきの鑑定結果から超高火力の獄炎ブレスだと判明している。もし、そんなブレスを浴びれば骨どころか、ちり一つ残らないだろう。
 ごめん、エフィ。僕はもう、ダメかもしれない。たとえここで肉を囮にしてブレスを回避できたとしても、ヤツに一撃を喰らわせることもできなければ、逃げることもできない。
 だから、エフィ。君だけは、なんとか生き延びてほしい。せめて、君が逃げられるだけの時間はなんとしても死守するから!

「倍々ウォルス!」
「エフィ!?」

 エフィは隠れることなく魔法陣を展開すると、水の魔法を発動した。

「エフィ、なんで!?」
「レントー! ドラゴンに向かって走ってー!」

 なんでだよ! エフィ! これじゃ僕の覚悟が水の泡じゃないか! とは言っても覚悟を決めたのは僕の勝手なんだけど。それでもさぁ……なんて思いつつもエフィの叫び声で走り出した僕。
 そんな僕の目に、巨大な水玉で頭をすっぽりと覆われたレッドドラゴンの姿が映った。

「す、すごい!」

 まさか水の魔法でアイツの頭を覆うことができるだなんて! そうか、バイバイって、つまりあれは倍々ってことだったんだね! だからあんなに巨大な水玉が出せたんだ! エフィ! 君ってやつは、本当にすごいよ!
 この隙に、あの古傷を! と思った瞬間、レッドドラゴンは翼を大きく羽ばたかせ、水玉を振り切り、空へと舞い上がってしまった。

「なんてこった。飛んでしまったら、もう、攻撃なんて当てられないじゃないか。え? うそ、だろ?」

 今度こそ終わりだ。空中に留まるレッドドラゴンの喉元が再び輝き出した。

「バブリム! バブリム! バブリム! ……バブリムー!」

 諦めかけた僕の耳に、エフィが泡の魔法を連続で放つ声が飛び込む。
 見れば、レッドドラゴンの周りを無数の泡玉が囲んでいた。
 でも、これ、エフィには悪いけど、ハッキリ言って何の意味もない。
 そう思った次の瞬間、レッドドラゴンの口が大きく開き、まるで昼間になったかのような眩しく明るい閃光が放たれ、轟音とともに灼熱の炎が空を覆った。
 しかし、そのブレスは、僕やエフィには向けられず、レッドドラゴンを囲んでいた泡玉を焼き払っただけだった。
 た、助かった。エフィ、なんの意味もないなんて思ってごめん。ちゃんと泡が囮になってくれた。

「倍々ウォルス! バブリム!」

 泡玉が消え去ってすぐのこと。エフィが水の魔法を唱える声が聞こえ、レッドドラゴンの頭をまた、あの巨大な水玉が覆った。それも今度は泡入りで。
 空中で頭を泡入りの水玉で覆われたレッドドラゴンは、驚いたのか、バサバサと翼を不規則に動かしたかと思うと、体勢を崩し、地面に叩きつけられた。

「レント! いまー!!」
「うぉぉぉぉ!」

 千載一遇のチャンス! これ以上の好条件は二度と訪れないだろう。
 僕は無我夢中で走り、レッドドラゴンの右前足の古傷に短剣の刃を振り落とした。

 ガッ! ……ズズ。

「当たった!! 一撃入った!!」

 短剣は突き刺さらなかったものの、刃は古傷をなぞり、うっすらとした切り傷を与えることができた。
 すると、その傷口から溶岩のように真っ赤な血が滲み出し、ポタリ、ポタリと地面に落ちた。

「エフィー!」
「任せてー!」 

 エフィは、地面に垂れたレッドドラゴンの血めがけて全力で飛び込み、地面に這いつくばった。
 グルルルル……と低い唸り声をあげ、僕を睨みつけるレッドドラゴン。
 いつブレスを吐き出してもおかしくない面構えでこちらを凝視するレッドドラゴンと対峙する僕。

「エフィ!! まだ??」
「もうちょっと! もうちょっとだから、耐えて!」

 耐えてって言われても、この距離でコイツにブレスを吐かれたら、さすがにヤバイ!
 とは言え、エフィも必死に地面についたレッドドラゴンの血をかき集めてくれている。
 今は、コイツも僕に一撃を喰らってかなり警戒しているようだから、むやみに仕掛けてこようとはしていない。
 けど、ひとたび僕が視線を外せば、すぐに襲ってくるだろう。
 だから、エフィの採取が終わるまでは、この睨み合いを終わらせるわけにはいかない!

 ぐぬぬぬぬ。
 グルルルル。

 くっ。生きた心地がしない。実際の睨み合いはほんの数秒なんだろうけど、僕には数十分に思えるほど時間の経過を遅く感じる。

「レント! 終わったよ!」
「よし! 全力で逃げるぞ!」

 僕は、振り返って、エフィまで駆け寄ると、彼女の手を取り全速力で戦線を離脱。
 しかし、それを合図にレッドドラゴンも僕たちを追いかけてきた。

「しまった!」

 執拗に追い回してくるレッドドラゴンを気にかけるあまり、僕たちはいつの間にか崖っぷちに追い込まれてしまっていた。

「もう後がない! どうしよう!?」
「大丈夫! レント、私につかまって!」
「つかまる? いや、でも、それって……」

 私につかまれって、それ、エフィの体に抱きつくってことだよね? そんなこと……いや、今は恥ずかしがってる場合じゃない! きっとエフィには、僕たちが助かるための名案があるにちがいない!

「わかった!」

 僕は、エフィに言われた通り、彼女の体にしっかりとしがみついた。

「いっくよー! 倍々の倍々ヒーティア!!」

 エフィの唱えた温風の魔法は、魔法陣から飛び出すと爆風となり僕たちを大空へと押し出した。
 しかし、その時、魔法の収納鞄からフォレストウルフの肉と星夜草の花が落ちてしまったことに僕は気づいていなかった。