追い出されたはずなのに、なぜか元旦那さまによる溺愛が始まりました―孤児の私が愛を知るまでの三年間―


 きっと屋敷は大変なことになっているだろう。当主である清冬様は、部下から頼りにされているはずだ。だけど、あの人には何の能力もない。だからこそ屋敷のどこかに隠れているだろうと、そう思っていた。

 だけど――

「清冬様、お逃げください! 私が引き留めておきますので、その隙に!」
「見誤るなよツツジ。俺一人死んだところで何の損もない。が、この屋敷にいる者全員を死なせて見ろ。一体どれだけの人数が泣くと思っている」

 日登家の屋敷の敷地内に入った途端に、二人の言い合いが聞こえた。それはツツジさんと、清冬様。清冬様は既にケガをしているのか、白い着物が所々赤く染まっている。

「日登家の当主は清冬様です。当主が倒れるのは、お家が潰されたも同然。何人が路頭に迷うことでしょう」
「……ふっ。何度も言わせるな。〝俺一人死んだところで何の損もない〟そう言ったろう。それに俺の代わりは、もういる。あの娘、未春だ」

 これには、私だけでなくツツジさんも目を丸くした。「なにを……」と、声にならない声を絞り出している。

「簡単なことだ。日登家が生き残るためには、治癒能力が使える奴がいればいいんだ。未春には、俺の影武者になってもらえ。そうすれば日登家がお取り潰しになることはない。アイツが死ぬまでは安泰だ」
「清冬様……」
「だから気張れよツツジ。俺の最期を誰にも見られるな。俺が死んだら、その辺の妖怪に食わせておけ」

 ニッと強気に笑う清冬様を見て、胸が締め付けられてしまった。彼が熱心に遊郭に通った理由が、やっと分かったのだ。

「全て、日登家のためだったのですね。皆を守るために、意地も何もかもを捨てて、私に再縁を申し込んだ」

 だから清冬様は私の元へ来て花束を渡したんだ。私を屋敷に戻すため。自分の亡き後を、私に託すため。

「本当に、ひどいお方だ」

 結局、清冬様は私のことを好きではなかった。
 全ては日登家のためだったのだから。
 落胆すると同時に「これでいい」とさえ思ってしまう。私の能力が頼られるということは、多くの命を救えるということだ。罪を償えるということだ。
 私は胸に両手をあてる。そうして「私にそのような機会を与えてくださりありがとうございます」と、視線の先にいる清冬様を見つめた。
 そうはいっても、側近であるツツジ様は納得がいかない。今まで仕えてきた大事な当主が簡単に命を投げ出そうとするのを、黙ったままではいられないらしい。

「そうまでして日登家が大切ですか。自分の命を捨ててまで。
 これは言わまいと思っていましたが……。
 治癒能力なき清冬様は「日登家の名前から解放され自由に生きる」という手もあるのですよ」

 一瞬、清冬様はキョトンした顔をした。だけど、ゆるりと口角を上げた。

「……大切なのは、日登家ではない」

 言いながら、二本の剣を持って上空の妖怪を見上げる清冬様。その目に写っているのは妖怪だけど、その頭にあるのは別の物のような気がした。

「約束したのだ、未春と」

――あの子らは皆そろって優秀だ。引き続き日登家で面倒を見る

「日登家だ、当主だという前に、一人の男が女と交わした約束も守れないようでは、誰かさんに〝女々しい〟と怒られるやもしれん。さすがにそれは情けないだろう?」

「……っ」

 なに、何なのだ、あの人は……。さっきの話だと、今がんばってるのも、もう体がボロボロなのに戦おうとしているのも、全ては「私との約束を守るため」に聞こえる。
 さっきから胸の高鳴りが止まらない。体の内側から、火山が噴火しているように熱い。これは、なんという感情なのだろう。今まで私の中に湧いてこなかった、初めて知る気持ちだ。
 一方の清冬様は、妖怪と戦う傍ら、ツツジさんと会話を続ける。

「最後に聞いてくれ、ツツジ。俺は日登家に生まれた意味が、とんと分からなかった。分からなくて、分からなくて……そして、やっぱり分からないままだった。情けない当主で世話をかけたな」
「清冬様、そんな事をおっしゃらないでください」

 ツツジさんは今にも泣きそうだった。そんな彼の背後から近づく妖怪を、清冬様が一刀両断する。

「俺は、未春の能力をもらって驚いた。日登家ではない者が、これほど強大な力を持っているのかと。と同時に、どうして日登家の跡継ぎは未春ではなく、俺だったのかと疑問を持った。親父も、きっと〝未春が自分の子供だったら〟と思ったに違いない。日登家の跡継ぎは俺ではなく、未春の方がよほどいい――と」

「!」

 その言葉を聞いて、私は「昔の私」を思い出した。
 そして、どうしようもなく冷たい涙が出てきた。
 呼応したのだ。今の清冬様と、昔の私が。

――どうして日登家の跡継ぎは未春ではなく、俺だったのかと疑問を持った。親父も、きっと〝未春が自分の子供だったら〟と思ったに違いない。日登家の跡継ぎは俺ではなく、未春の方がよほどいい

――どうして私ではなく、あの子が死なないとならなかったんだ。自分が食べる物を我慢すれば、例えそれで自分が餓死したとしても、親から愛されているあの子が生き残る方がよほどいい

 同じことを思っていたんだ。私と、清冬様は。
 こんな時に意外な共通点を見つけてしまい、思わず笑みがもれる。でも清冬様は、私とは違うのだ。干扇様を見ていれば分かる。

「自分の命を犠牲にしてまで息子の立場を守った干扇様が、清冬様を嫌いなわけがありません」

 干扇様をお世話していた私だからこそ分かる。干扇様は、確かに清冬様を思っていた。例え能力がなくたって、親が子に向ける慈愛の心は、誰よりも深くあったのだ。
 それを教えてあげなければ。そうでなければ干扇様が浮かばれない。
 干扇様のお心を伝えるまでは、何が何でも清冬様には生きていてもらわなければ――

 ぐいっと袖で涙を拭きとった後、近くに落ちていた刀を拾いあげ、清冬様に思い切り投げる。
 まるで体を串刺しにするように迫る刃。それを清冬様は、ツツジさんが反応するよりも早くなぎ倒す。そうして刀の出所を探った後、いとも簡単に肩で息をする私を見つけた。

「へぇ、随分と小さな妖怪がいたもんだ。俺に当たったらどうするつもりだったんだ?」
「その時は、私が治癒いたします」
「……はは。言ってくれる」

 口角を上げた清冬様。その時、私はこの人の本当の顔を見た気がした。あなたはもっと冷徹で、無関心で、強欲で、自分本位な人ではなかっただろうか。こんなにも……優しい瞳で私を見つめる人だったろうか。

「未春」
「……はい」

 こんなにも優しい声で、私の名前を呼んでいただろうか。
 こんなにも、こんなにも――

「こんな状況で何をと思うだろうが、今日で最後だから聞いてくれ。
 屋敷に戻ってきて欲しい。もう一度、俺と一緒になってくれ」
「……」
「やはりダメか?」

 分かり切ったように笑う、どこか諦めた表情。いつもの清冬様らしくない。あなたは遊郭にだって乗り込むお人だったから。
 いつもの清冬様が見たい――そう思った私は、いつの間にか口を開いて喋っていた。

「私たちが一緒になれるかどうかは、清冬様にかかっています」
「……というと?」
「まずは清冬様が生き残らねば。そうしないと、一緒になるも何もあったものではないですから」

 上空の妖怪たちを見ながら突っぱねて言うと、清冬様は「ぶっ!」と吹き出した。その笑顔は純粋無垢な子供のようで、きっと清冬様の素顔なのだろう。……そうか。

 この人は素直ではないだけで、意外と中身は真っすぐな人なのだ。
 己の心を上手く表現できないだけで、

――約束したのだ、未春と

 彼の心はあの白いバラのように澄み渡っているのではないかと、そう思った。

「私からも一つ、聞いていいですか?」
「構わない」
「以前、清冬様は〝欲しいのは能力だけではない〟とおっしゃいました。あの真意を知りたくて……。いえ、差し出がましい質問でした。忘れてください」

 こんな時に図々しいお願いをしている事に気付き、急いで口に蓋をする。
 そんな私に一瞬呆気に取られるも、清冬様は妖艶な笑みを浮かべた。

「未春。その質問は、この場を生き残れたら教えてやる」
「……はい、わかりました」

 そこからは清冬様と私、そして妖怪たちの一騎打ちだった。

 どうやら清冬様が修行をしていたのは嘘でも何でもなかったらしく、目に負えない速さで刀を動かす。二刀流だろうが何だろうが彼の身のこなしは軽やかなもので、迫る妖怪を次から次になぎ倒していった。

 清冬様が戦っている間は軍人たちの治癒を、清冬様の治癒を行っている間は軍人たちが戦う戦法をとると、人間側に勝利の軍配が上がる。夜が明けきる頃には、空にいた妖怪たちは地上で屍と化していた。

「よし、こんなものか」
「なんとか終わりましたね……」

 だんだんと景色が色づいて行き、屋敷の輪郭をハッキリと映し出す。一匹の妖怪もいないことを目視で確認すると、私の隣に立っていた清冬様は膝から崩れ落ちた。ドサッと大きな音を響かせ、地面に転がる。見ると、暗闇では見えなかった傷からいくつもの血が垂れていた。

「清冬様、お気を確かに。いま治癒いたします」
「はぁ、情けないな……」

 清冬様は深いため息をついた後、寝転がったまま空へ目をやる。

「お前ナシでは生きられないなんてな。つくづく俺は無力だと、虚しい現実を突きつけられる」

 顔を歪めた清冬様。だけどそんな彼を慰めるように、山から朝日が力強い日光と共に顔を出す。

「朝焼けか。眩しいからか、白く見えるな」
「白色ですか。いいではありませんか」

 治癒しながら淡々と言うと、清冬様は「ふん」と鼻を鳴らした。

「〝いい〟と言う割には、あまりバラを喜ばなかったな」
「すみません。だけど今は、部屋で綺麗に咲き誇っております。
 あの……清冬様」

 一息つけたところで、戦いの前に交わした「約束」を再び持ち出す。

――以前、清冬様は〝欲しいのは能力だけではない〟とおっしゃいました。あの真意を知りたくて
――この場を生き残れたら教えてやる

「あの時の答えを今、教えていただけないでしょうか」
「……せっかちな奴だ」

 不敵な笑みを浮かべた清冬様は、治癒が効いてきたらしい。肘に力を入れて、体を起こす。倒れないように、サッと背中へ手を回す。同時に、清冬様が「え」と驚いた。まさか私が支えるとは思わなかったらしい。
 清冬様は「ますます情けないな」と呟いた後。少しずつ自分の気持ちを吐露し始める。

「能力ではなくお前だけがほしい、と言ったら嘘になる。しかし未春がいない屋敷は、なんだか味気ない」
「味気ない……?」
「力を失った俺にも、お前の〝治癒の糸〟は見え続けている。屋敷中に糸が見えているというのに、肝心な未春の姿はない。そのことになぜか寂しさを覚えてな」

 寂しさ? そう反復すると、清冬様は頷いた。

「そうだな……。きっと、あれだろう。
 お前が俺から力を取り戻すためとは言え、最初で最後の抱擁が、存外この俺に効いたのだ」
「!」

 眉を下げて笑う清冬様を見た瞬間、胸の内側に何かが積もっていくのが分かった。それは温かで、胸がそわそわと落ち着かなくなる何かだ。

「再び、俺からも聞いていいか」
「……はい」
「もう一度、俺と婚姻し屋敷に戻ってきてほしい」
「しかし、私は……」

 人殺しという肩書を持っている。私が治癒の力を得たのは自分の愚かな行いのせいだからであり、その詳細は、とても白日の下に晒せるものではない。
 私の体は、私の命は、あの日から生きられなかった「春ノ助」に捧げるものであって……そこに私的な感情は入れてはいけない。戦闘の後から、なぜか清冬様を見ると心が跳ね、指の先が温かくなっていく理由にだって、見て見ぬふりをしないといけないのだ。
 それなのに――

「未春、お前が背負っている〝業(ごう)〟ごと、お前を受け止める。だからお前は何も恐れず、ただ俺の手を握ればいい。どんな時もどんな物も、二人で一緒に背負うと約束しよう」
「っ!」

 パタッと、涙が落ちる音が聞こえた。それくらい、静かな時間が流れていた。
 だけど静かな「外」とは対照的に、私の心は燃えるように温度が上がっていく。

 私の前に差し出された手。この手を握れば、この指を合わせれば……。私の心だけでなく、氷点下だった私たちの関係も、熱く燃え上がるだろうか。白いバラが赤く染まるくらいの情熱を、持ち合わせることが出来るだろうか。似た者同士の、私たちの間に。

 私と清冬様。生きて来た立場や境遇は違えど、しんしんと降り積もる冷たい雪の中に、ずっと己の心があった似た者同士だ。

――どうして日登家の跡継ぎは末春ではなく、俺だったのかと。親父も、きっと〝末春が自分の子供だったら〟と思っただろうな。日登家の跡継ぎは俺ではなく、末春の方がよほどいい、と

――どうして私ではなく、あの子が死なないとならなかったんだ。自分が食べる物を我慢すれば、例えそれで餓死したとしても、親から愛されているあの子が生き残る方がよほどいい

 清冬様はちゃんと親から愛されている。でも勘違いだったとはいえ、それでも冷たい雪は降ったのだ。それぞれの心に、確かな重みを募らせてしまった。

 だけど冬は必ず終わりを告げる。そうして温かな春を迎える。
 花は咲き乱れ、虫が土から顔を出し、温かな風が日本を包み込む――

 そんな未だ見ぬ春をあなたと一緒に見たいと思うのは、私の我儘だろうか。清冬様と一緒なら、後ろだけではなく前を向く勇気が持てると思うのは、都合がよすぎる思い込みだろうか。
 すると大きな腹の虫が鳴り響く。清冬様だ。

「腹が空いたな。向こうに炊き出しを用意させている。未春も来い、一緒に食べよう」
「でも、まだお返事が……」

 すると清冬様は「優柔不断な奴だ」と言って、待ちきれなくなったと言わんばかりに、勢いよく私の手をさらう。

「清冬様、この手は?」
「腹が減ってはなんとやら、だ。お前も、子供たちの事が心配だろう。きっと泣いているに違いない。しかし皆で飯を囲めば笑顔になると、親父から聞いたことがある。本当に皆が笑うか物は試しだ。つべこべ言わずに付いて来い」
「戦いで疲弊した皆を活気づけたいと、素直にそうおっしゃればいいのに……」

 小さな声で反論する。すると、どうやら正論だったらしい清冬様が、私と繋いだ手に力を込めた。

「俺と繋いだ手をこれほど熱くさせておきながら、それでも〝婚姻する〟と素直になれない未春に言われたくないがな」
「え、っと……っ」

 カッと顔を熱くしていると、日登家の家来たちが道の端で座って、休みながら私たちを見ている。そういえば、最前線で戦っていたから、私が能力を使うところを皆に診られてしまったのだ。何と言えばいいのか分からず、ただ視線をまっすぐ前に定める。

「清冬様、お屋敷の人に『私が治癒の力を使える』ってバレましたよ。どうするおつもりですか?」

 顔を熱くした矢先、現実のことを心配する私を見て、清冬様は「浪漫の無い奴め」と悪態をついた。続いて「心配いらん」と、しっかりした顔つきと足取りで、屋敷の人達が大勢集まる場所へ移動する。

「妻にも治癒能力が移った、と話せば問題ない」
「妻って……。まだ婚姻のお返事をしていないのですが」
「お前が素直にならないのなら、外堀から埋める。こうでもしないと未春は首を縦に振らないだろうからな」

 ニヤリと悪い笑みを浮かべる清冬様。繋いだ手に力を込め「観念しろ未春」と、まるで子供のようにケラケラ笑った。そんな彼の姿を見ていると、一人だけ片意地張っているのも馬鹿らしく思える。

 だから私より一回りも二回りも大きな手に包まれている、その安心感を覚えながら。「わかりました」と、清冬様に笑顔を返した。

【 完 】