その翌日――
「おう。来たか」
「えぇっと……」
昨日と同じシチュエーションで、清冬様は現れた。遊女でも何でもない私と会うために遊郭へと足を延ばし、医者として働く元妻である私と今日も同室したのだ。
昨日と比べて変わったことと言えば、私が遊女の姿ではなく普通の着物姿で来たことだ。あとは「おう」と、私に挨拶をするようになったこと。
「今日は、いったい何のご用でしょうか」
「〝またいらしてくださった〟とか、可愛い言い方できないのか」
「……も、申し訳ありません」
強面を見ると縮みあがってしまって、震えながら頭を下げる。すると清冬様が、場にそぐわない大きな舌打ちをした。それを受け、また私は小さくなる。
「顔を上げろ」と言われたから、素直に上げる。しかし清冬様の顔に出来たシワの数がどんどん増えている。それでも整った顔は見ごたえがあるのだから不思議だ。惹きつけられる、とでも言うのだろうか。きっと周辺の女性が放っておかないだろう。
清冬様は、この顔で何人の女性を虜にしてきたのだろう。私が嫁いだ後だって、こうやって女遊びをしていたはずだ。清冬様の代わりに屋敷で治癒を行っていた私の事は、一切考える暇もなく。
「おい、酌をしてくれないのか」
「……私は、遊女ではないので。やり方を知りません」
むしろ清冬様の方がよくご存じなのでは?と、つい口が滑ってしまった。これには清冬様も目を丸くして私を見ている。私は私で、ヘビに睨まれたカエルだ。あぁ、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。昔のことを懐古していたら、ついペラペラと話してしまった……っ。
当然、清冬様はムッとした顔つきになる。あえて言葉にするなら、「不機嫌の上塗り」だ。
「あいにくだが、遊郭の暖簾をくぐったのは『お前を探しだして初めてのこと』だ」
「え……?」
「故に、ここでのしきたりも楽しみ方も知らない。金を積めばたいていの事はまかり通るという事だけは分かっていた。だからこうしてお前と会えた」
「私のために、お金を……?」
私と会うためにお金を使うだなんて、どういう風の吹き回しだろう。昨日の花束もそうだ。どうして、今さら私に構うのだろう。まさか本当に「再縁したい」と思っているのだろうか。
きっと私の自惚れにすぎない。だって、あれだけこっぴどく叱責され、屋敷を追い出されたのだ。今さら私を求める道理がない。
それでも、そうは思っていても……。本当に私を求めてくれているのなら、僅かに喜んでしまっている私がいる。屋敷を出てから一人きりだった私にとって、自分に伸ばしてくれる手というのは、それなりに魅力的に映るものだ。
「ま、毎日遊郭通いなんて。ツツジさんが心配しますよ」
平然を装って、正しいことを言ってみる。だけど馬の耳に念仏だった。
「だから『早くお帰りください』って? 昨日も言ったが、俺は用があってここに来ている。明日も来てほしくなければ、さっさと良い返事をよこせ。俺がここへ来るか来ないかは、お前次第なんだぞ」
「……」
その「用」というのは、まさか求婚――?
そう予想するまでもなく、清冬様が座る座敷の横に、昨日も見た白いバラの花束が置かれている。薄黄色の畳に映える白――この色が、まさか私への「求婚の証」だなんて。
あんな仕打ちを受けた後では、とてもじゃないけど受け取る気にはならない。
「申し訳ありません、清冬様。花束と一緒にお帰りください……っ」
「理由は?」
「清冬様は、離縁の際に『治癒能力が手に入ったからお前は用済み』とおっしゃいました。きっと、また私から能力を奪うおつもりなのでしょう。そうして捨てるのです、この私を」
「……」
はっきり述べると、清冬様は取り付く島もないとあきらめたらしい。キセルに火をつけた。
この際だから思っていることは言っておこう。何日もこう通われては、店の人にも迷惑がかかる。
背筋をのばして、震える手を握りしめる。鋭い目を見据えながら、続きを話した。
「私はここで働きながらも治癒の糸を伸ばして、日登家の屋敷にいるケガ人へ治癒を施しています。それでは気に入りませんか? 治癒能力を自分の物にしないと、気が済みませんか……?
本来なら、自分から縁を切った相手に再び求婚を申し込むなど、屈辱的な事のはず。
ですが清冬様は、なんのためらいもなしにやってのける。それは裏を返せば……私の能力が欲しくてたまらないからなのでしょう。それほど治癒能力が欲しいのですか?」
「……そうだ、と言ったら?」
「っ!」
頭に強い衝撃が加わる。やっぱりそうだったのだという納得と、また裏切るつもりだったんだという強い怒りが、右へ左へと私の脳を揺さぶる。吐きそうなほど、気持ちが悪くなった。
そんな私を見て、清冬様は「顔色が優れない」と、私の肩に手を置いた。瞬間、ぞわりを怖気が立つ。気づけば私は、手を振り上げて清冬様を叩いていた。
「あ……、す、すみませんっ」
「……」
急いで手を引っ込め、頭を下げる。いくら憎い相手と言えど、相手は日登家だ。手を上げるなんて言語道断。身分が違いすぎる。今すぐ捕まってもおかしくない失態だ。
「また、私は手を……」
困った末に暴挙に出るなんて、卑しい者のすることだ。もう私は「そんな卑しい事はしない」と、あの掘っ立て小屋の中で、子供たちの寝顔を見ながら誓ったのに。それでも守れなかった。
自分の意志の弱さに愕然としていると、清冬様が薄い唇を動かす。
「俺が欲しいと思っているのは、能力だけではない」
「……え?」
キセルをくわえ、すうと息を吐く清冬様。叩かれた頬が薄くピンク色に色づいている。まるで少しお化粧をしているようだ。それさえも顔が整った清冬様には似合ってしまうが。
「一つ聞きたいのだが。俺が屋敷にいない間、どうして親父の看病をした? 子供らのことがあるからか?」
「……最初は、確かにそうでした」
噓じゃない。屋敷に向かっていたあの時は、確かに「子供たちのため」に頑張ろうと思っていただけだった。だけど屋敷に足を踏み入れた瞬間、あの時の干扇様の優しいお姿が私の心にずっと残った。
「私は孤児でした。もちろん私を捨てた親の顔なんて覚えていません。親というのは自分勝手なものだと、そう思っていました。だけど干扇様は違った。自分のお命を削ってまで子供に徒する姿……私の親にも少しでもこういった想いはあっただろうかと、いや、あったはずだと。理屈はないですが、そんな希望が持てたのです。それまで親のことを思い出す時は、暗い気持ちばかりでしたから。干扇様が、それを変えてくださったのです。だから恩返しのつもりでお世話をさせていただきました」
「……そうか」
カンッと、キセルの雁を灰入れに落とす清冬様は、どこか遠くを見ていて……。無駄な肉の無いキレイな横顔に、思わず見入ってしまった。澄んだ瞳の奥では、干扇様を思い出しているのだろうか。
なんて思っていると――
「しかし孤児の生まれにも関わらず、日登家の妻になれたとは。とんだ棚からぼた餅だな」
「……離縁したので、昔の話です」
率直に異見してみるも、清冬様のお心には届いていないらしい。
ばかりか「だから言ってるだろう」と強気な態度で反論される。
「俺からの求婚を受け入れれば、再び〝日登家の嫁〟という地位が手に入るぞ?」
「……いえ、丁重にお断りさせていただきます。私の能力は、私のものです」
「ほう」
前髪の間から覗く、切れ長の瞳。心なしかキュッと狭まったような気がする。きっと怒っておられるのだろう。開けっぴろげに物を言いすぎてしまった。
私は一言「すみませんでした」と添え、立ち上がる。だけどパシリと、私の手を清冬様は躊躇なく握った。同時に、私の懐からとある物が落ちてしまう。
「これは?」
「あ……」
落ちたのは、年季の入った小さな財布。財布と言っても、小さな巾着に紐がついているだけという、簡易的な物だ。
「これはお前のか? 血もついてるしボロボロじゃないか。今から買いに行くか? 好きなのを選ぶといい」
「ち、ちがいます。これは、私のではなくて……っ」
「?」
清冬様の手にあった財布を乱暴に取り返す。
あぁ、なんで着物から出てしまったのか。見られたくなかったのに……。
すると清冬様は「これは聞いた話だが」と、胡坐をかいて正面から私を見た。
「未春という名は親父がつけたそうだな。元の名は、春ノ助だったとか」
「! そうですが、なにか……」
「どうして男の名を使った?」
その質問をした時、わずかに清冬様の目が鋭くなった気がした。見透かされているのだろうか……。分からない。とりあえずなんて差しさわりない答えを告げる。
「たまたまですよ。私は孤児で何も知らないので、春ノ助という名前が男名ということも、つけた後に知ったのです」
「その巾着も男物だな。それも、買うまで分からなかったのか?」
「!」
男物だと悟られないために素早く奪ったというのに。清冬様は、きっちり見ていたらしい。抜け目のない洞察力に、感嘆の息がもれた。
「……これは私の家にあった物です」
「ウソだな」
「え」
どこをどうしてウソだとバレるのか。この状況を抜け出せない悔しさから、強く唇を噛む。
すると同時に、昔の記憶が脳裏に蘇った。
街を行きかう人の中を潜り抜け、一人の男へ近寄り、卑しく手を伸ばす自分の姿を――
「おい、未春」
「っ!」
ぐいっと手を引かれ、清冬様に抱きしめられる。引き締まった体が、着物越しに伝わってきた。この人に比べれば、私の体のなんと小さいことか。全てを見透かされていても、おかしくない気がした。
「は、離してください……っ」
「お前を買って正解だったな」
「わ、私に何する気ですか。楼主を呼びますよ……っ?」
だけど清冬様は脅しにも怯まず、私を離さなかった。まさか、このまま……?
今後のことを考えると恐ろしくて構えていると、清冬様から「寝ろ」と一言告げられる。
へ……、寝る?
「手が震えている。顔色も悪い。寝ないと倒れるぞ」
「でも仕事が、」
「言ったろ。お前の時間は俺が買っている。その俺が寝ろと言ってるんだ。それに――どうせこの場からは逃げられないのだから、さっさと夢の中にでも逃げたらどうだ?」
「……っ」
この体格差だ。全力で清冬様に抗っても、無駄骨だろう。言われた通り、諦めて脱力して体を休める。とっくにキセルを手放していた清冬様は、「いい子だ」と言って、私の背中をリズム良く叩く。その際、体にある物を掛けられた。布団ではない。これは――
「お前の打掛だ。返してやる、受け取れ」
「……ありがとうございます」
振り返ると、確かに私の打掛が掛かっている。
そういえば昨日、清冬様に渡してそれきりだった。
「これを返すために、わざわざ遊郭へ?」
「ばかいえ。言ったろ、求婚するために来ているのだと」
「……でも」
「いいから。今は寝ろ」
二人で体を合わせていると、だんだんと温かくなってくる。すると順当に睡魔も訪れてしまい、頭がぼんやりとし始めた。そう言えば働きづめだった。日登気へ治癒の糸を伸ばしたままということは、ずっと力を使っているということだ。
手のひらを見ると、僅かに白くなっている。能力を使いすぎている証拠だ。このままでは、本当に倒れてしまうかもしれない。
清冬様に従って、大人しく瞼を閉じることにした。だけど寝る前に、少しだけ話をする。
もう清冬様が、ここに来ることがないように話をつけなければ。
「清冬様、私に執着するのはおやめください」
「理由を聞こう」
「今は能力が使えますが、もしや私は、いつか能力が使えなくなる時が来るかもしれません。その時、高貴な身分をもたない私は、日登家にとってお荷物な存在です。一族の恥さらしになりますよ」
「深い関係になる前に、俺とは離れておきたいということか? 存外、寂しがり屋なんだな」
「そういうわけではなくて」と呟いた私の脳裏には、睡魔と、そして昔の光景。
――うわあああ、春ノ助ぇぇ!!
あの日の絶叫を思い出し、唇をキュッと噛む。もう何も見ないように、見えないように瞳は強く閉じた。そうして、今まで秘密にしていたことを告げる。
「私と関わるのは、清冬様のためになりません。
なぜなら私は、人殺しですから」



