窓枠のそばに寄る元・旦那様の清冬様は、長いキセルを手にしたまま、入室した私に切れ長の瞳を寄こした。
「おう」とか「よう」もなく、もちろん「久しぶり」も「元気だったか」もない第一声は、歪んだ表情で吐き捨てられる。
嫌悪感丸出しの顔を久々に見た。あまりにも恐ろしい形相のため、すぐに顔を逸らす。そうはいってもお客様であることには変わらないので、体の震えが見つからないように、自然に見えるように頭を下げる。
「女将と花魁の手引きがなきゃ、お前を見つけるのは無理だった」
「え?」
手引き? 見つける?
今しがた聞こえた言葉が本当かと、たった今下げた顔を、つい上げてしまう。
「こんな薄暗い所に隠れやがって。随分と探したぞ」
「探す……。私を、ですか?」
「他に誰がいる」
むしろ「私以外の人を探していた」と言われた方が、まだ理解できた。なぜなら私は、清冬様本人に家を追い出されたから。そんな人の口から、まさか「探していた」と言われるなんて。
嬉しい気持ちは湧かなかった。むしろ「子供たちに何かあったのか」と心配した。あとは、能力のこと。
もしかして清冬様は、もう一度私の力を奪いに来たのではないだろうか。地道に私の血を奪うほど、能力を欲しがったお人だ。そんな人があっさりと能力を取り返されたから、はらわたが煮えくり返っているのかもしれない。さっき見たお顔だって、相当に怒っていたし。
再び能力を奪いに来たか、もしくは、復讐をしに来たか。
そんな想像をして背中に冷や汗が流れた瞬間。清冬様は、眉根に寄せた皺を深める。
「おい、この俺が『探していた』というのに反応なしか。なんとか言ったらどうだ」
「……えっ、と」
恐怖ばかりが先行して何も考えられない。歯切れの悪い返事をするとそれが癪に触ったのか、清冬様はカンッと大きな音を立てる。キセルの灰を、灰入れに落としたのだ。随分と慣れた手つきで。
お屋敷にいた時、清冬様のお部屋を何度か掃除させてもらった。その時キセルは見当たらなかったし、灰の匂いもしなかった。つまりお屋敷では吸われる習慣がないのだろう。つまりこういう場所でのみ、嗜まれるのだ。それにも関わらずキセルの扱いに長けているということは、それだけ通い慣れているということ。
清冬様も、男の方だ。きっと私の婚姻が成立した後でも、変わらず通っていたのだろう。ずっと屋敷でお待ちしていた、私のことなど頭に浮かばなかったのだ。私を妻ではなく、能力を奪う対象として見ていたから。
そこまで考えると、一周回って少し頭が冷えた。私が喋らない限り、清冬様の口も動かなさそうだ。となれば、この場を早く治めたければ、私から口火を切るしかない。
「し、失礼なこととは承知の上で、申し上げます。清冬様は、その……復讐のために私を探したのですか?」
「復讐? 俺がそんな女々しい男だと思うか。見くびるな」
「……も、申し訳ありません」
一文字一文字、言葉に重みがある。威圧感がすごい。全身で、私を嫌っていると分かる。清冬様の雰囲気や空気の鋭さが、私の全身を攻撃していると錯覚するほどに。
気まずさから視線を合わせず畳を見つめていると、清冬様が先に口を開く。
「お前に伝えたいことがあって、ずっと探していたんだ」
「伝えたいこと?」
コトンとキセルを置き、体ごと私へ向き直る清冬様。「近くに」と言われたので、私も座ったまま近づく。お互い正座をして見つめ合った。離縁して以来、久しぶりの距離感だった。
特に夫婦らしいことをした覚えは一度もない。だけど清冬様の目が、懐古するような柔らかいものへ変わる。
「俺がいない間、随分と親父を助けてくれたらしいな。お前が屋敷からいなくあった後、ツツジから聞いた。感謝する」
「いえ……」
本当に僅かだけど、清冬様は体を傾け、その目を伏せた。まさか私にお辞儀をしているの? 驚愕な光景に、開いた口が塞がらない。目をしばたたかせて固まっていると、清冬様が僅かに口角を上げた。
「お前のおかげで、親父は晩年を穏やかに過ごせたと聞く。眠った顔は安らかだったのだろう?」
「……はい。とてもきれいなお顔でした」
「ふっ、そうか」
「!」
その時、清冬様は初めて笑った。そのキレイな笑みを見た瞬間、「この人はこんな顔をして笑うのか」と思った。今まで怒った顔はたくさん見たが、笑った顔は一度だって見たことなかった。キレイな、だけどどこか儚い笑みだ。目じりまでふにゃりと下がるところは、お父さん譲りか。今は亡き干扇様の面影がチラリと見えた。
「その顔は、俺を睨んでいるのか?」
「いえ……。すみません、見入っていただけです」
「見入る、か」
また僅かに口角が上がった光景を見て、私は「しまった」と思った。誤解を生む言い方をしてしまったと思ったからだ。……でも私が好意を寄せていると誤解したところで、清冬様は何も感じないだろう。
しかし冷や汗がすぐ乾いた私を、なぜか清冬様は興味深そうに眺める。同時に着物が擦れる音が聞こえ、あの強面が私の目の前に現れた。いつ動いたか全く分からないほどの俊足に、つい「ひっ!」と悲鳴を上げてしまう。
「な、なんですか……?」
「いや、随分と顔を厚く塗られたものだと思ってな」
ふっ、と嫌味っぽく笑う顔を見ると、少しだけ恐怖心が薄れて冷静になる。今のが褒め言葉ではなく嫌味や皮肉の類ということは、さすがの私でも分かった。
「これくらい厚く塗らないと、私は商品にならないので。見るに堪えかねるのであれば、お帰り頂いた方が……。それか他の者に代わります。私は退席いたしますので……」
「商品にならない? なら、ここの遣り手(やりて)ばあの目は節穴だ。
花に花を添えても無意味だろ。魅力が半減するだけだ」
「え……?」
今、もしかして褒められたのだろうか? いや、まさか。油断させておいて、いざと言う時に何かするのでは?
色んなことを考えていると「何を顔を青く赤くしている」と清冬様。落ち着きがない、と叱責する代わりに深いため息をついた。同時に、ガサリと音が鳴る。それは清冬様の後ろから。
「ここからが本題だ。まずは、コレを受け取れ」
コレ――と言われて出されたのは、白いバラの花の束。今まで赤いバラは見たことあったけど、白なんて初めて見た。きっと希少の物だろう。高級のはずだ。こんな代物、どこで手に入れたんだろう。さすが日登家というべきか、人脈と資金は潤っている。
「あの……このお花は?」
「お前にだ」
「わ、私に?」
なぜ? と喉まで出かかった言葉を、寸でのところで飲み込む。この花束を受け取ると、何か良くないことが起きるのではないあろうか?と本能が軽傷を鳴らしている。嫌な予感がしてならない。どうにも罠に思えるのだ。
警戒してなかなか花束を受け取らない私を見て、清冬様は機嫌を損ねたらしい。「いらないなら捨てておけ」と、花束をバサリと投げ捨てた。床にぶつかった瞬間、花びらが何枚か千切れてしまう。あぁ、これほど綺麗な花が、かわいそうに……。
「あ、ありがたく頂戴いたします」
これ以上、目の前で花が傷めつけられるのは見て居られない。観念してそっと拾い上げると、まるで花束が喜んだようにわずかに揺れた。例え清冬様からの頂き物といえど、これほど綺麗な花を見ると癒される。
「そんな顔もするんだな」
「え?」
「……いや」
フイと顔を逸らしたかと思えば、再びキセルを口に咥えた。肝心なことは何も言わないままなので、こちらから質問を試みる。
「あの、どうして花束を? 私には受け取る資格がないと思うのですが……」
「……だ」
「え?」
ただでさえキセルを咥えたまま話すから聞き取りずらいのに、私とは正反対の方を向いて話すものだから、更に聞き取りずらい。聞き逃してはいけないと思い「もう一度」と催促する。すると再びキッと、鋭い視線を寄こされる。
「分からないのか鈍い奴め。男が花束を贈ると言ったら、求婚を申し込んでいるに決まっているだろう」
「……え」
えぇ?
「も、申し訳ありません……。よく聞こえなかったのですが」
「二度も言わん」
ピシャリと言い切られてしまい、仕方なく口を閉じる。と同時に、さっき言われたことを思い出した。
聞き間違いでなければ、清冬様は「求婚を申し込んでいる」と言った。私に?
「あの、清冬様。どこか体調が悪いのですか?」
「は?」
「だって清冬様がこんな事を言われるなんて……。ご病気以外、考えられません。すぐにツツジさんに迎えに来てもらいましょう。専属のお医者さまに診てもらうべきです」
「――」
その瞬間、パシッと私の腕が握られる。間髪入れずに引き寄せられ、私の体はなすすべなく傾いた。そのまま胡坐をかいた清冬様の足の上に、あっけなく倒れてしまう。
「な、にを……」
「ツツジは呼ぶな、絶対だ」
「ど、どうして呼んではいけないのですか? 調子が悪いのならお屋敷で休まれないと」
早口で喋る私を、顔を歪めて見下ろす清冬様。今度こそキセルをやめて、代わりに懐から扇子を取り出した。何をするかと思えば私の顔の前へ持ってきて、まるで「黙れ」と言わんばかりにバサリと扇を広げる。
「俺がここにいることは、ツツジには内緒だ。アイツを撒くのに、どれほど苦労したと思っているんだ」
「どうして内緒なんか……」
「お前は知られてもいいのか?」
言いながら、着物の切れ目から覗く私の足を、清冬様が閉じた扇子でなぞっていく。ゆっくり、じわじわと、まるで私を追い詰めるように。私は失礼にあたらないよう、そっと扇の先端を指で止めた。
「私は商品ではなく、医者として遊郭におります。ですので、こういうことはおやめください」
「今のお前は遊女の恰好をし、更には俺が買っている。どうしようが俺の自由だろう? それに――」
清冬様は、私の両脇へ手を入れ、簡単に体を持ち上げる。そのまま自分の足の上に座らせた。再び「ひ」と悲鳴をあげた私と、変わらぬ強面の清冬様。私たちは、かつてない至近距離で見つめ合う。
「医者をしてるというなら好都合。さっき『俺の調子が悪くないか』と心配しただろう? だから、お前が診察しろ。あと、終わっても起こすな。ここでしばらく休ませてもらう」
「へ?」
「頼んだぞ」
窓枠に体を預け、目を瞑る清冬様。まさか、この状況で放置されるなんて。
「風邪ひきますよ、清冬様」
「スー……」
しかも完全に寝入っている。私に何かされるかも、とは思わないのだろうか。警戒心なく、ものの数秒で寝てしまうなんて……。
仕方ないので、私が着ていた打掛(うちかけ)を、清冬様の体にかける。その時、つい長いこと顔を見つめてしまった。だって清冬様があまりにも綺麗な顔をしてるから、まるで西洋人形みたいな顔だから。
本当に生きているのか不安になったのかもしれない。さっきも思ったけど、清冬様は干扇様に似ているから。干扇様が亡くなる時も、このように穏やかな顔をしていた。
「清冬様……」
彼の心臓に耳を近づける。するとトクントクンと力強い拍動が聞こえた。ホッと安堵した後、その他に以上はないか、起こさないように丁寧に診察する。そうしてどこの異常もないことを確認した。
今気づいたけど、少し疲れた顔をされている。きっと疲労や睡眠不足が原因だろう。それなら、今ここで休んでもらうことは理にかなっている。
「……私は、今の内にお暇しよう」
小さな声で呟いた後、危なくないようキセルを片付ける。そうして抜き足差し足で、襖まで移動し取っ手に手を掛ける。
その時、清冬様に乱暴に引き寄せられた時に、床へ落としてしまった花束の存在に気づいた。同時に思い出す、清冬様のお言葉。
――男が花束を贈ると言ったら、求婚を申し込んでいるということだ
「今さら、何を……」
もう一度、私に求婚する理由はなんだろう。真意が不透明すぎるが故に、不気味だ。
まさかもう一度、私の能力を奪おうと思っている?
でも清冬様は、私の能力を奪うために血を採っていた。その方法が私本人にバレている以上、清冬様は同じ手は使えない。つまり私から、能力を奪うことはできない。
「……受け取らない方がいいだろうけど、花に罪はない。か」
満開の花を見て、捨て置くことは出来ない。私が受け取らなければ、きっとこの花はごみとして扱われるだろう。これほど綺麗に咲いたにも関わらず、捨てられるのだ。
清冬様との離縁があって、「捨てられる痛み」というのは嫌というほどよく分かっている。だから仕方ない。花に罪はないのだから。
「今回だけですからね」
花束を拾い上げ、今度こそ部屋を出る。すると今回の逢引きに手を貸したとみられる花魁姉さんと、バッタリ出くわした。
「まぁまぁ、こんなにステキな花を貰っちゃって。あんたも隅におけないねぇ」
「姉さん、こんな事はこれっきりにしてくださいよ。私は医者なのですから」
恨み言を言うと、姉さんは「仕方ないじゃないか」と、紅のついた色のいい唇をキュッと引っ張った。
「未春という女に会いたいと、あぁ何日も通われちゃぁねぇ。あまりにも熱心だったから、素通りするのも心苦しくて」
「え……?」
何日も、熱心に?
あの清冬様が、本当に?
「それに顔が大層イイだろ? 断り続けるなんて無理な話さね」
「……もう。結局、絆されただけじゃないですか」
「ふふ、そう怒るな。堪忍しておくれ、未春」
本当はここで働くと決めた時。未春という名前ではなく、別の名前で生きて行こうと思っていた。
だけど……
――今日からお前の名は未春だ
干扇様から頂いた名前を簡単に捨てることは出来ず、かといって春ノ助に戻ることも出来ず。現在も私は「未春」として生きている。
「そいで、お客さんは?」
「寝たので、部屋に置いてきました」
「まったく鬼のような子だね、お前は」
ふふ、と綺麗な笑みを向けた花魁姉さんは、禿と一緒にいなくなった。私は姉さんの後ろ姿を恨みがましく見つめた後、花瓶を探すため、屋敷中をしばらくさまよった。



