●桜庭家・庭 夜
月明かり。風。庭の桜の木が揺れ、花びらを散らす。
糸の手には数枚の写真。

糸、二階の窓にいる桜緋を見上げて固まっている。
糸「桜緋……さん……?」

桜緋、糸に気付き、ハッとしたように目を見開く。
風になびく髪が揺れる。
窓枠に手をかけ、そのままひらりと庭へ降り立つ。
ゆっくりと糸へ近付く。

糸「桜緋さん……これ……」
糸、写真を差し出す。

桜緋、写真を手に取る。
桜緋「……悪い。急に強い風が吹いたもんだから」
桜緋、受け取った写真に目を落とす。

糸「桜緋さん……どうして、あそこに……?」

桜緋、静かに視線を上げる。
桜緋「……あの部屋は、朝陽様の部屋だ」
少し迷うように答える。

糸、はっと目を見開く。

桜緋「久しぶりに帰ってきたから、ついな」
寂しそうな表情。

糸、胸が締めつけられたように表情を曇らせる。

桜緋、桜を見上げながら静かに語り出す。
桜緋「俺は──ここから生まれたんだ」

糸「……え?」

桜緋「俺は元々、この桜に宿っていた精霊だった」

夜空の桜が静かに揺れる。

桜緋「そんな俺に、朝陽様が人の身と名を与えてくれた」

糸、息を呑む。
桜緋の声は穏やかで、どこか懐かしさを含んでいた。

■回想■
●桜庭家・庭 昼
小さな朝陽(10歳)が、桜の木の前で祈るように両手を合わせている。
その後ろでは、使用人と家族が見守っている。

淡い光が舞い、収束し、人の形(少年姿の桜緋)となる。

当主「すごいわ朝陽!」
使用人「10歳で式神を……本当に召喚なさるとは!」

桜緋、自分の身体を確かめている。
朝陽に抱きつかれる。

朝陽「私のところに来てくれてありがとう! お前のこと、最強の式神にしてやるからな!」

桜緋、戸惑いながらも微笑む。

●桜緋召喚から少し経った頃
膝を抱えて泣いている桜緋。
朝陽「どうした、また何か辛いことがあったのか? そういうときは一人で溜め込まないで、私に言えっていつも言ってるだろ?」
笑顔を向けながら桜緋の頭をワシャワシャと撫でる。
桜緋、くすぐったそうに肩を揺らす。

●更に少し経った頃
朝陽「誰かを想う気持ちが、一番の力になるんだ。その気持ちが強いほど、式神も人間も、どこまでも強くなれる」

桜緋、そっと朝陽を見る。
桜緋「……俺にとっては、主が大切な人です」

朝陽、ふんわりと微笑む。
朝陽「嬉しいことを言ってくれる。これからも一緒に強くなろうな」

桜緋、照れたようにうつむき、しかしどこか誇らしげに「はい」と頷く。


●5年経過 住宅街の道路
朝陽15歳。桜緋の背は朝陽よりも高くなっているが、顔立ちはまだ幼さが残っている。
桜緋が自分よりはるかに大きい妖怪を一人で倒した直後。
式神使いA「まさか一人で倒してしまうとは……」
式神使いB「あれが桜庭の式神、なんて強さだ……」

桜緋、誇らしげに朝陽の方へ振り向く。
桜緋「主! 如何でしたか今の!」
朝陽「よくやった! さすが私の式神だ!」
桜緋、満面の笑みを浮かべる。

●10年経過 桜庭家・縁側
朝陽20歳。桜緋の見た目は現在と変わらない。
二人は縁側に座り、満月と満開の桜を見ている。

朝陽「私、もっと強くなって、お前のこと、誰にも負けない式神にするから」
桜緋、朝陽を真っ直ぐに見つめ話を聞いている。
朝陽「だから、これからもずっとそばにいてくれ」
微笑む。

桜緋「--はいっ!」
眩しいほどの笑顔。
その表情は、朝陽に対する揺るぎない信頼そのものだった。

●山道 夜 雨
雷鳴。激しい雨。
血を流して地面に倒れている朝陽。
彼女を抱える桜緋。

桜緋「主……主!」

二人の前には人に化けた妖怪。深手を負っている。
妖怪「ああ、やはり負の霊力は実に美味い」
桜緋「お前……!」

妖怪「フフフ……また会おう、最高位の式神よ」
消える。
桜緋「待てっ!!」
■回想終了■


●桜庭家・庭 夜
桜緋、苦しげに息を吐きながら語り出す。
桜緋「……絶望、憎しみ、怒り。妖怪は負の感情に染まった霊力を糧に強くなる。人間も、式神も、強ければ強いだけ放つ霊力も大きくなる。」
握りしめた拳が震える。

桜緋「だから朝陽様は狙われたんだろう。絶望した俺から、負の霊力を奪うために」
写真をそっと見下ろす。
写真の中の自分と朝陽が笑っている。

桜緋「……あんたには関係のない話だな。悪い、急に」

糸「……そんなこと、ないです」
真剣な顔で桜緋を真っ直ぐ見つめる。

桜緋、少し驚いたように目を瞬く。
桜緋「……なんだよ、そんな顔して。ほら、もう戻りな。夜風は身体に障る」

糸、首を横に振る。
糸「出来ません。今にも泣きそうな貴方を、放ってはおけません」

桜緋、瞳が揺れる。
桜緋「別に泣きそうになんか……。いいから戻れって」
糸から目を逸らす。

糸「……桜緋さん。泣くの、我慢しなくていいんですよ」

桜緋「俺はそんな弱く--っ!」
声を荒らげた直後、つうと涙が頬を伝う。
ポロポロと、自分の意思に反して流れる涙に困惑。

糸、一歩近付く。
糸「朝陽さんのこと、大切だったんですよね。家族みたいに。その想いを、弱さだなんて思わなくていいんです。大切にしていた証なんですから」

桜緋、糸の穏やかな言葉に感情が爆発する。
口を震わせ、膝をつくと、堰を切ったように話し出した。
桜緋「守れなかった……俺が側にいたのに……。なのになんでか俺だけがずっと残ってて……。怖かった、新しい主も見つからなくて……いつ消えるかも分からなくて。朝陽様を殺した妖怪も……どこにもいなくて、せっかく残り続けたのに、復讐も果たせないまま消えるのが……怖かった……ずっと……」
震えた声で、嗚咽交じりに言葉を零す。

糸はそっと、桜緋の隣にしゃがみ背中をさする。
桜緋は静かに糸の肩へ身を預けるように泣き続けた。


●桜庭家・離れ(糸の部屋) 朝
起床し、身支度を整えた糸は、朝陽のかんざしを手に取る。

糸(朝陽さんのように、桜緋さんを支えられる式神使いになりたい。あの人の心の傷が、少しでも癒えるように--)
決意を込めて、かんざしを挿す。

部屋を出る。タイミング良く隣室から桜緋が姿を見せた。

桜緋「おはようさん」
糸「おはようございます」

桜緋、ふと糸の髪に目を留める。
桜緋「--良く似合ってるな、それ」
指先で自分の頭部を差し、糸のかんざしを示す。

糸「あ…….ありがとうございます……」
思わず頬が赤く染まる。

桜緋「飯は母屋で、ご当主様も一緒だ。それじゃあ行くか、主」
糸「はい--……え?」

糸、初めて主と呼ばれたことに気付き、足を止める。

桜緋「どうした?」
桜緋、振り返り尋ねる。

糸「い、いえ」

桜緋、フッと笑い前を向き、歩き出す。

糸は胸の奥がじんわりあたたかくなるのを感じながら、嬉しそうに微笑み、桜緋の後を駆けていく。