●篠ノ井家(大きな日本家屋)正門・朝
門の両脇には結界の札が貼られている。
使用人服を着た糸が静かにお札を貼り替えている。
糸の背後に黒い霧がゆらめく。
糸、貼り終えた札から手を離し、振り返る。
糸「……え?」
霧の中から妖怪が出現。
糸「妖怪……!」
怯えて一歩後ずさる。
そこへ金髪の青年型式神・弘月が現れ刀で妖怪を倒す。
妖怪は塵となって消える。
弘月、納刀しながら糸に振り返る。
弘月「ふう……怪我はないか、糸様」
糸、胸を押さえながら小さく息を整える。
糸「だ、大丈夫です……ありがとうございます、弘月さん」
背後から軽い足音。
弓華(妹)が歩み寄ってくる。
弓華(皮肉な笑みを浮かべて)「姉さん、またお札貼り?そんな雑用ばっかりしてて、虚しくない?」
糸、困ったように笑いながら俯く。
糸「……私にはこれくらいのことしか出来ないから」
弓華、肩をすくめる。
「同じ家に生まれても、天と地ね」
弓華、踵を返す。
弘月は申し訳なさそうに糸を一瞥した後に、弓華に駆け寄る。隣に並んだところでスゥッと姿を消す。
ザァと風が吹き、残された糸の髪を揺らす。
糸(息が出来ない……)
胸を押さえる。
■糸モノローグ■
『昔から、私はこの家で居場所がない』
『篠ノ井家は代々式神使いの名家。万物に宿る精霊を式神として召喚、使役し、妖怪から街を護るのが務め――』
『けれど私には、霊力がまったくない。だから式神を喚ぶことが出来ない』
『そんな私に、誰も期待なんてしない』
●篠ノ井家・大広間・昼
親族が机を囲んで集まっている。
机にはたくさんの料理。
糸は使用人に混じって給仕。(髪は下の方でお団子にしている)料理を運んでいる。
床の間の前で弓華が二体の式神、弘月と弧雪(白髪の女性型式神)を披露する。
親族A「さすが弓華……若くして二体の式神を従えるとは!」
親族B「これで篠ノ井家も安泰だな」
床の間近くの襖が開き、糸の父が入ってくる。
皆の視線が糸の父に集まる。
糸の父「皆、よく集まってくれた。代々、我ら篠ノ井の血は式を繋ぎ、妖怪を鎮めることにその命を費やしてきた。この地の平安は我ら一族が守りの礎として在るからこそ。この血を持って生まれた誇りと責を、胸に刻んでほしい。そして次代を担う若き者たちは、より一層の修練を重ね、さらなる高みを目指すように」
糸は父の話を下座の襖の近く、使用人達と並んで聞いている。
糸の父「そして今日は特別な客人に来てもらった。さあ、どうぞ中へ」
下座の襖が開く。
皆がざわめく。
現れたのは桜色の長髪を一つに結んだ男性型式神(桜緋)
目つきは鋭く近寄りがたい雰囲気。衣装:黒の着流しと羽織。羽織には桜の模様が描かれている
親族C「ま、まさか……野良式神……!」
親族D「桜緋が何故ここに!?」
糸も目を丸くしている。
糸(桜緋さん……)
■糸モノローグ■
『元はここと同じ式神使いの名家、桜庭家の方の式神。でも一年前に主を喪ってからは誰にも属していない』
桜緋、周囲の反応を気にすることなく床の間、糸の父の隣に移動する。
■糸モノローグ■
『本来式神は主が亡くなれば霊力の供給が絶たれ数日で消滅する。でも何故か桜緋さんは消えなかった。主を持たない式神--その特異性から彼のことを野良式神と呼ぶ人もいる』
糸の父「偶然、近くで見かけてな。声をかけたところ、ここまで足を運んでくれた。皆も知っての通り――桜緋殿は、かつて桜庭家に仕えていた最高位の式神だ。主を喪した今もなお存在を保つ、その異質さはまさに唯一無二。本来、式神は喚び出した人間の霊力によって形を保つもの。だが、契りを繋ぎ直せば、他者の式神であっても主となることができる。強い式神であればあるほど、膨大な霊力を必要とするがな。さて……この場にいる誰か、桜緋殿を使役出来る自信のある者はいるか?」
糸の父が手を挙げて周囲を促す。
周囲、どよめく。
弓華、手を挙げる。
弓華「私がやります!」
弓華、桜緋の近くに寄る。(向かい合う状態)彼女の式神二人は少し離れた場所で見守っている。
弓華が片手を差し出し、桜緋はそこに手を重ねる。
弓華、目を瞑り桜緋に霊力を流す。
二人の手元が淡く光る。
糸はその光景を固唾を呑んで見守っている。
弓華、額に汗、苦しそうな表情
弓華「だ、駄目、抑えきれない!」
弓華の手がバチッと弾かれる。
弓華「ひゃあ!」尻餅をつく。
弘月「弓華様!」
式神二人が弓華に駆け寄る。
周囲からは残念そうな声。
親族達「次は俺にやらせてくれ!」「私も!」「僕もやりたい!」
幾人もの親族が挑戦するが、誰も成功しない。
糸の父、焦りの顔。
糸の父「ほ、他! 他に我こそはという者は--」
桜緋「もういい」
少し苛立っている声で、桜緋が初めて喋る。
桜緋「時間の無駄だ。俺はここで失礼する」
大広間から出ていこうとする桜緋を、糸の父が止めようとする。
糸の父「ま、待ってくれ桜緋殿! せっかくの機会だ、どうかもう少しだけ--」
桜緋「戯れに付き合うほど暇ではない」
桜緋、足を止めることなくスタスタと下座の襖へ向かう。
糸の父「ならせめて娘の弓華にもう一度チャンスを……」
桜緋「くどい!!」
足を止め糸の父の方に振り返りながら。
周囲、桜緋の声にびくっとなる。
桜緋、周囲を見回しながら、不機嫌な顔で。
桜緋「実力揃いだと言われ来てみれば、どいつもこいつも、あの方の足元にも及ばねぇ格下ばかり」
弓華、桜緋の発言にムッとする。
糸、ハラハラとした表情。
桜緋「俺には時間がない。一年保っただけでも奇跡だってのに、いつ消えるか分からない。消える前に、主を手にかけたあいつを見つけなければ。これ以上邪魔をするなら--」
桜緋、突然胸を押さえ苦しみだし、膝をつく。
周囲、ざわつく。
桜緋の身体が僅かに透けている。
糸(消えかけてる……!)
桜緋、よろよろと立ち上がる。
桜緋「……失礼する」
よろよろとした足取りで下座の襖から退室。
糸、桜緋を見送った後、畳に落ちているかんざしを発見。拾う。
糸(これは……)
■回想■
街でたまたま見かけた桜緋と、彼の主である朝陽。朝陽が彼に楽しそうに話しかけている。
朝陽の髪には、糸が拾った物と同じかんざしが挿さっている。
■回想終わり■
●篠ノ井家・正門前
糸、切迫した表情でキョロキョロと桜緋の姿を探すが見つからず。
糸(届けないと……!)
走りだす。
●近くの公園
遊具で遊ぶ一人の子供。楽しそうな声。
糸、公園近くの歩道で足を止める。息を切らし、膝に手を置いている。
糸(桜緋さん、一体どこに……)
子供「キャー!!」
糸、驚き公園の方を見る。
一匹の妖怪。子供が今にも襲われそう。
糸、子供の前に飛び出し抱きかかえる。
妖怪の爪が糸の腕と頬をかすめ、血が滲む。
糸「いっ……」(痛みで顔を少し歪ませる)
妖怪、低く唸り声をあげながら二人に飛びかかろうとしたそのとき、妖怪の背後に桜の花びらが現れる。
花びらの正体は桜緋。人の姿(少し透けている)になり、太刀で妖怪を倒す。
妖怪、黒い塵となって消える。
桜緋、納刀した太刀を煙のように消しながら歩み寄る。
桜緋「怪我は?」
糸、腕を押さえながら子供を見る。
糸「大丈夫です。この子も、無事です」
子供、糸の後ろに隠れている。桜緋を警戒している様子。
桜緋、しゃがみ目線を子供に落とす。
桜緋「怖かったな。だが、まずはこの姉ちゃんに礼を言いな」
子供、おそるおそる糸を見る。
子供「……ありがとう、お姉ちゃん」
糸、少し驚いて微笑む。
糸「ううん、よかった。怪我がなくて」
子供、今度は桜緋を見上げる。少し震えながらも、小さな声で。
子供「……あの、幽霊のお兄ちゃんも、ありがとう」
桜緋、小さく笑んで頷く。
桜緋「行きな。もう大丈夫だ」
子供「うん……!」
公園から駆け出していく子供。振り返り、糸達に手を振る。
糸、手を振り返し見送る。
桜緋「--幽霊ねぇ……」
自身の透けた手を見つめながら、ハッと渇いた笑みを零す。
桜緋「中々言い得て妙だよな。なぁ?」
糸、皮肉げな笑みを向ける桜緋に対し、どう反応すればいいのか分からず困惑顔。
桜緋「……悪い、困らせたな」
桜緋、糸の負傷した腕に手を近付ける。淡い光が走り、傷が消える。
桜緋の身体が更に薄くなる。
糸、驚いた表情。
糸「い、いけません! ただでさえ霊力が少ないのに! このままじゃ--」
桜緋「いいんだ、どのみち直に消える。なら、少しでも善行をして消えたい」
桜緋、糸の頬の傷に手をかざす。淡い光が走り、傷が消えていく。
糸の肌が元に戻るのを確認したあとも、桜緋はそのまま目を離さない。訝しげに目を細めている。
糸「あ、あの……?」(困惑顔)
桜緋「……なぁあんた、ちょっとそこで話さないか?」
ベンチを指差す。
二人、ベンチに座る。
桜緋「そういやあんた、あの家の使用人だよな? こんなところで何してんだ?」
※糸が使用人服を着ていたため、勘違いしている。
糸、訂正はせず。
糸「あの、これ……」
かんざしを差し出す。
糸「朝陽さんのですよね?」
桜緋、驚いた顔をして懐を探る。
桜緋「……っ、まさか落としていたとは。助かった、ありがとう」
お礼を言いながら受け取る。
糸(……なんでだろう)
桜緋を不思議そうな顔で見る。
桜緋「どうした?」
糸「い、いえ。先程とは雰囲気が違うなと思いまして……」
糸(今はあまり怖いと感じない)
桜緋「ああ……さっきは悪かった。少し苛立ってたんだ」
糸(もっと冷たい方だと思ってたけど、違うのかな……?)
桜緋、懐かしむようにかんざしを見つめる。
桜緋「……未練がましいだろ?」
糸、首を振る。
糸「いえ。想いを忘れないのは、強い人の証だと思います」
桜緋、少し驚いたように目を開き、その後細める。
桜緋「……強い、か。主もそう言ってたな。“誰かを想う気持ちが、一番の力になる”って。俺にとっては、あの人がそうだった。……結局、守れなかったが」
桜緋、静かに目を伏せる。
糸、そっと微笑みながら。
糸「……朝陽さんは、きっと桜緋さんを責めてなんかいません。優しい方ですから」
桜緋「知ってるのか?」
糸「ええ。式神使いの家系なら、誰でも知っています。私、ずっと憧れてたんです。あの人みたいに、誰かを守れる人になりたくて」
桜緋、しばし黙って糸を見つめる。
糸、少し俯いて言葉を続ける。
糸「でも、私には霊力がないから。どう頑張っても、式神使いにはなれません」
糸(色々な方法を試しても、霊力が宿ることはなかった……。私ももう十七になるし、そろそろ諦めるべきかもしれない)
糸「成人したら家を出て、一般の職に就く予定です。家族にもそうしろと言われましたし、何より私自身、家にいるのが辛いので」
桜緋「……なれるとしたら、どうする?」
糸「え?」
桜緋、かんざしをいじりながら。
桜緋「たとえば、自分の中に眠っている力があるのだとしたら」
糸、苦笑いして首を横に振る。
糸「そんな都合の良い話が--」
桜緋「さっきあんたの怪我を治すときに、微かに霊力の気配を感じ取った。身体の奥に溜まっている。ただ、それを出力するための糸が切れてるから、今のままだと使えない」
糸「そんなことが分かるんですか?」
桜緋「まぁな」(少し得意げ)
「それで他者の霊力で、途切れた糸同士を繋げれば、使えるようになる。--もし良ければ、俺がやろう」
糸「でも、そんなことをしたら桜緋さんが……」
桜緋「ああ、霊力が尽きて消える。だが、ここで何もせずとも消滅する運命は変わらない。さっきも言ったが、どうせ消えるなら少しでも人の役に立ってから消えたい」
桜緋、片手を糸に差し出す。
糸、差し出された手を見つめ、ためらいの色を浮かべる。
糸「……本当に、いいんですか?」
桜緋「俺の意思だ。後悔はしない」
糸、唇を噛みしめながらも、その手をそっと取る。
桜緋の手のひらから淡い光が溢れ、糸の胸元へと流れ込む。
空気が震え、糸の髪がふわりと舞う。
糸「……あ!」
桜緋「感じるか? 今あんたの中の霊力が、少しずつ流れ始めている」
糸、目を見開き、胸に手を当てる。
糸(あたたかい……)
桜緋、静かに微笑む。
糸、少し涙ぐみながら。
糸「……ありがとうございます。--ああっ桜緋さん! どんどん身体が薄く……!」
糸、もう片方の手も添え、桜緋の手を両手で包む。
桜緋、苦笑する。
桜緋「時間だな。最後にあんたみたいな人間の役に立てて良かった……」
桜緋、かんざしを糸に差し出す。
桜緋「これ、良かったらもらってくれ」
糸「え? で、でも……」
桜緋「俺が消えたら、ここに野ざらしになっちまうから、だから、受け取ってほしい」
糸、かんざしを受け取る。そして再び両手で、今度は先程よりも力強く桜緋の手を握る。
糸「桜緋さんの代わりに私が敵を討ちます! 朝陽さんみたいな立派は式神使いになって……!」
桜緋「ハハ、大きく出たじゃないか。いいぞ、その意気だ」
桜緋、寂しげに目を細め。
桜緋「じゃあな」
突然、まばゆい光。
糸&桜緋「!?」
糸「な、何!?」
桜緋(なんだこの霊力量!? 身体の中に流れ込んで--)
ハッとしたように表情を変える。
桜緋(これは、まさか……!)
桜緋、糸の手を力強く握る。
糸「うっ……!」
光が次第に収まっていく。
糸の身体がふらりと傾き、そのまま意識を失う。
桜緋がすぐに抱きとめた。
先ほどまで消えかけていた桜緋の身体は、はっきりとした輪郭を取り戻していた。
桜緋「ああ……っ!」
くっきりと見える自身の手を確認し歓喜の声。
視線を糸に落とす。
桜緋「ようやく見つけた……あの人と同格の……!」
糸を強く抱きしめる。
門の両脇には結界の札が貼られている。
使用人服を着た糸が静かにお札を貼り替えている。
糸の背後に黒い霧がゆらめく。
糸、貼り終えた札から手を離し、振り返る。
糸「……え?」
霧の中から妖怪が出現。
糸「妖怪……!」
怯えて一歩後ずさる。
そこへ金髪の青年型式神・弘月が現れ刀で妖怪を倒す。
妖怪は塵となって消える。
弘月、納刀しながら糸に振り返る。
弘月「ふう……怪我はないか、糸様」
糸、胸を押さえながら小さく息を整える。
糸「だ、大丈夫です……ありがとうございます、弘月さん」
背後から軽い足音。
弓華(妹)が歩み寄ってくる。
弓華(皮肉な笑みを浮かべて)「姉さん、またお札貼り?そんな雑用ばっかりしてて、虚しくない?」
糸、困ったように笑いながら俯く。
糸「……私にはこれくらいのことしか出来ないから」
弓華、肩をすくめる。
「同じ家に生まれても、天と地ね」
弓華、踵を返す。
弘月は申し訳なさそうに糸を一瞥した後に、弓華に駆け寄る。隣に並んだところでスゥッと姿を消す。
ザァと風が吹き、残された糸の髪を揺らす。
糸(息が出来ない……)
胸を押さえる。
■糸モノローグ■
『昔から、私はこの家で居場所がない』
『篠ノ井家は代々式神使いの名家。万物に宿る精霊を式神として召喚、使役し、妖怪から街を護るのが務め――』
『けれど私には、霊力がまったくない。だから式神を喚ぶことが出来ない』
『そんな私に、誰も期待なんてしない』
●篠ノ井家・大広間・昼
親族が机を囲んで集まっている。
机にはたくさんの料理。
糸は使用人に混じって給仕。(髪は下の方でお団子にしている)料理を運んでいる。
床の間の前で弓華が二体の式神、弘月と弧雪(白髪の女性型式神)を披露する。
親族A「さすが弓華……若くして二体の式神を従えるとは!」
親族B「これで篠ノ井家も安泰だな」
床の間近くの襖が開き、糸の父が入ってくる。
皆の視線が糸の父に集まる。
糸の父「皆、よく集まってくれた。代々、我ら篠ノ井の血は式を繋ぎ、妖怪を鎮めることにその命を費やしてきた。この地の平安は我ら一族が守りの礎として在るからこそ。この血を持って生まれた誇りと責を、胸に刻んでほしい。そして次代を担う若き者たちは、より一層の修練を重ね、さらなる高みを目指すように」
糸は父の話を下座の襖の近く、使用人達と並んで聞いている。
糸の父「そして今日は特別な客人に来てもらった。さあ、どうぞ中へ」
下座の襖が開く。
皆がざわめく。
現れたのは桜色の長髪を一つに結んだ男性型式神(桜緋)
目つきは鋭く近寄りがたい雰囲気。衣装:黒の着流しと羽織。羽織には桜の模様が描かれている
親族C「ま、まさか……野良式神……!」
親族D「桜緋が何故ここに!?」
糸も目を丸くしている。
糸(桜緋さん……)
■糸モノローグ■
『元はここと同じ式神使いの名家、桜庭家の方の式神。でも一年前に主を喪ってからは誰にも属していない』
桜緋、周囲の反応を気にすることなく床の間、糸の父の隣に移動する。
■糸モノローグ■
『本来式神は主が亡くなれば霊力の供給が絶たれ数日で消滅する。でも何故か桜緋さんは消えなかった。主を持たない式神--その特異性から彼のことを野良式神と呼ぶ人もいる』
糸の父「偶然、近くで見かけてな。声をかけたところ、ここまで足を運んでくれた。皆も知っての通り――桜緋殿は、かつて桜庭家に仕えていた最高位の式神だ。主を喪した今もなお存在を保つ、その異質さはまさに唯一無二。本来、式神は喚び出した人間の霊力によって形を保つもの。だが、契りを繋ぎ直せば、他者の式神であっても主となることができる。強い式神であればあるほど、膨大な霊力を必要とするがな。さて……この場にいる誰か、桜緋殿を使役出来る自信のある者はいるか?」
糸の父が手を挙げて周囲を促す。
周囲、どよめく。
弓華、手を挙げる。
弓華「私がやります!」
弓華、桜緋の近くに寄る。(向かい合う状態)彼女の式神二人は少し離れた場所で見守っている。
弓華が片手を差し出し、桜緋はそこに手を重ねる。
弓華、目を瞑り桜緋に霊力を流す。
二人の手元が淡く光る。
糸はその光景を固唾を呑んで見守っている。
弓華、額に汗、苦しそうな表情
弓華「だ、駄目、抑えきれない!」
弓華の手がバチッと弾かれる。
弓華「ひゃあ!」尻餅をつく。
弘月「弓華様!」
式神二人が弓華に駆け寄る。
周囲からは残念そうな声。
親族達「次は俺にやらせてくれ!」「私も!」「僕もやりたい!」
幾人もの親族が挑戦するが、誰も成功しない。
糸の父、焦りの顔。
糸の父「ほ、他! 他に我こそはという者は--」
桜緋「もういい」
少し苛立っている声で、桜緋が初めて喋る。
桜緋「時間の無駄だ。俺はここで失礼する」
大広間から出ていこうとする桜緋を、糸の父が止めようとする。
糸の父「ま、待ってくれ桜緋殿! せっかくの機会だ、どうかもう少しだけ--」
桜緋「戯れに付き合うほど暇ではない」
桜緋、足を止めることなくスタスタと下座の襖へ向かう。
糸の父「ならせめて娘の弓華にもう一度チャンスを……」
桜緋「くどい!!」
足を止め糸の父の方に振り返りながら。
周囲、桜緋の声にびくっとなる。
桜緋、周囲を見回しながら、不機嫌な顔で。
桜緋「実力揃いだと言われ来てみれば、どいつもこいつも、あの方の足元にも及ばねぇ格下ばかり」
弓華、桜緋の発言にムッとする。
糸、ハラハラとした表情。
桜緋「俺には時間がない。一年保っただけでも奇跡だってのに、いつ消えるか分からない。消える前に、主を手にかけたあいつを見つけなければ。これ以上邪魔をするなら--」
桜緋、突然胸を押さえ苦しみだし、膝をつく。
周囲、ざわつく。
桜緋の身体が僅かに透けている。
糸(消えかけてる……!)
桜緋、よろよろと立ち上がる。
桜緋「……失礼する」
よろよろとした足取りで下座の襖から退室。
糸、桜緋を見送った後、畳に落ちているかんざしを発見。拾う。
糸(これは……)
■回想■
街でたまたま見かけた桜緋と、彼の主である朝陽。朝陽が彼に楽しそうに話しかけている。
朝陽の髪には、糸が拾った物と同じかんざしが挿さっている。
■回想終わり■
●篠ノ井家・正門前
糸、切迫した表情でキョロキョロと桜緋の姿を探すが見つからず。
糸(届けないと……!)
走りだす。
●近くの公園
遊具で遊ぶ一人の子供。楽しそうな声。
糸、公園近くの歩道で足を止める。息を切らし、膝に手を置いている。
糸(桜緋さん、一体どこに……)
子供「キャー!!」
糸、驚き公園の方を見る。
一匹の妖怪。子供が今にも襲われそう。
糸、子供の前に飛び出し抱きかかえる。
妖怪の爪が糸の腕と頬をかすめ、血が滲む。
糸「いっ……」(痛みで顔を少し歪ませる)
妖怪、低く唸り声をあげながら二人に飛びかかろうとしたそのとき、妖怪の背後に桜の花びらが現れる。
花びらの正体は桜緋。人の姿(少し透けている)になり、太刀で妖怪を倒す。
妖怪、黒い塵となって消える。
桜緋、納刀した太刀を煙のように消しながら歩み寄る。
桜緋「怪我は?」
糸、腕を押さえながら子供を見る。
糸「大丈夫です。この子も、無事です」
子供、糸の後ろに隠れている。桜緋を警戒している様子。
桜緋、しゃがみ目線を子供に落とす。
桜緋「怖かったな。だが、まずはこの姉ちゃんに礼を言いな」
子供、おそるおそる糸を見る。
子供「……ありがとう、お姉ちゃん」
糸、少し驚いて微笑む。
糸「ううん、よかった。怪我がなくて」
子供、今度は桜緋を見上げる。少し震えながらも、小さな声で。
子供「……あの、幽霊のお兄ちゃんも、ありがとう」
桜緋、小さく笑んで頷く。
桜緋「行きな。もう大丈夫だ」
子供「うん……!」
公園から駆け出していく子供。振り返り、糸達に手を振る。
糸、手を振り返し見送る。
桜緋「--幽霊ねぇ……」
自身の透けた手を見つめながら、ハッと渇いた笑みを零す。
桜緋「中々言い得て妙だよな。なぁ?」
糸、皮肉げな笑みを向ける桜緋に対し、どう反応すればいいのか分からず困惑顔。
桜緋「……悪い、困らせたな」
桜緋、糸の負傷した腕に手を近付ける。淡い光が走り、傷が消える。
桜緋の身体が更に薄くなる。
糸、驚いた表情。
糸「い、いけません! ただでさえ霊力が少ないのに! このままじゃ--」
桜緋「いいんだ、どのみち直に消える。なら、少しでも善行をして消えたい」
桜緋、糸の頬の傷に手をかざす。淡い光が走り、傷が消えていく。
糸の肌が元に戻るのを確認したあとも、桜緋はそのまま目を離さない。訝しげに目を細めている。
糸「あ、あの……?」(困惑顔)
桜緋「……なぁあんた、ちょっとそこで話さないか?」
ベンチを指差す。
二人、ベンチに座る。
桜緋「そういやあんた、あの家の使用人だよな? こんなところで何してんだ?」
※糸が使用人服を着ていたため、勘違いしている。
糸、訂正はせず。
糸「あの、これ……」
かんざしを差し出す。
糸「朝陽さんのですよね?」
桜緋、驚いた顔をして懐を探る。
桜緋「……っ、まさか落としていたとは。助かった、ありがとう」
お礼を言いながら受け取る。
糸(……なんでだろう)
桜緋を不思議そうな顔で見る。
桜緋「どうした?」
糸「い、いえ。先程とは雰囲気が違うなと思いまして……」
糸(今はあまり怖いと感じない)
桜緋「ああ……さっきは悪かった。少し苛立ってたんだ」
糸(もっと冷たい方だと思ってたけど、違うのかな……?)
桜緋、懐かしむようにかんざしを見つめる。
桜緋「……未練がましいだろ?」
糸、首を振る。
糸「いえ。想いを忘れないのは、強い人の証だと思います」
桜緋、少し驚いたように目を開き、その後細める。
桜緋「……強い、か。主もそう言ってたな。“誰かを想う気持ちが、一番の力になる”って。俺にとっては、あの人がそうだった。……結局、守れなかったが」
桜緋、静かに目を伏せる。
糸、そっと微笑みながら。
糸「……朝陽さんは、きっと桜緋さんを責めてなんかいません。優しい方ですから」
桜緋「知ってるのか?」
糸「ええ。式神使いの家系なら、誰でも知っています。私、ずっと憧れてたんです。あの人みたいに、誰かを守れる人になりたくて」
桜緋、しばし黙って糸を見つめる。
糸、少し俯いて言葉を続ける。
糸「でも、私には霊力がないから。どう頑張っても、式神使いにはなれません」
糸(色々な方法を試しても、霊力が宿ることはなかった……。私ももう十七になるし、そろそろ諦めるべきかもしれない)
糸「成人したら家を出て、一般の職に就く予定です。家族にもそうしろと言われましたし、何より私自身、家にいるのが辛いので」
桜緋「……なれるとしたら、どうする?」
糸「え?」
桜緋、かんざしをいじりながら。
桜緋「たとえば、自分の中に眠っている力があるのだとしたら」
糸、苦笑いして首を横に振る。
糸「そんな都合の良い話が--」
桜緋「さっきあんたの怪我を治すときに、微かに霊力の気配を感じ取った。身体の奥に溜まっている。ただ、それを出力するための糸が切れてるから、今のままだと使えない」
糸「そんなことが分かるんですか?」
桜緋「まぁな」(少し得意げ)
「それで他者の霊力で、途切れた糸同士を繋げれば、使えるようになる。--もし良ければ、俺がやろう」
糸「でも、そんなことをしたら桜緋さんが……」
桜緋「ああ、霊力が尽きて消える。だが、ここで何もせずとも消滅する運命は変わらない。さっきも言ったが、どうせ消えるなら少しでも人の役に立ってから消えたい」
桜緋、片手を糸に差し出す。
糸、差し出された手を見つめ、ためらいの色を浮かべる。
糸「……本当に、いいんですか?」
桜緋「俺の意思だ。後悔はしない」
糸、唇を噛みしめながらも、その手をそっと取る。
桜緋の手のひらから淡い光が溢れ、糸の胸元へと流れ込む。
空気が震え、糸の髪がふわりと舞う。
糸「……あ!」
桜緋「感じるか? 今あんたの中の霊力が、少しずつ流れ始めている」
糸、目を見開き、胸に手を当てる。
糸(あたたかい……)
桜緋、静かに微笑む。
糸、少し涙ぐみながら。
糸「……ありがとうございます。--ああっ桜緋さん! どんどん身体が薄く……!」
糸、もう片方の手も添え、桜緋の手を両手で包む。
桜緋、苦笑する。
桜緋「時間だな。最後にあんたみたいな人間の役に立てて良かった……」
桜緋、かんざしを糸に差し出す。
桜緋「これ、良かったらもらってくれ」
糸「え? で、でも……」
桜緋「俺が消えたら、ここに野ざらしになっちまうから、だから、受け取ってほしい」
糸、かんざしを受け取る。そして再び両手で、今度は先程よりも力強く桜緋の手を握る。
糸「桜緋さんの代わりに私が敵を討ちます! 朝陽さんみたいな立派は式神使いになって……!」
桜緋「ハハ、大きく出たじゃないか。いいぞ、その意気だ」
桜緋、寂しげに目を細め。
桜緋「じゃあな」
突然、まばゆい光。
糸&桜緋「!?」
糸「な、何!?」
桜緋(なんだこの霊力量!? 身体の中に流れ込んで--)
ハッとしたように表情を変える。
桜緋(これは、まさか……!)
桜緋、糸の手を力強く握る。
糸「うっ……!」
光が次第に収まっていく。
糸の身体がふらりと傾き、そのまま意識を失う。
桜緋がすぐに抱きとめた。
先ほどまで消えかけていた桜緋の身体は、はっきりとした輪郭を取り戻していた。
桜緋「ああ……っ!」
くっきりと見える自身の手を確認し歓喜の声。
視線を糸に落とす。
桜緋「ようやく見つけた……あの人と同格の……!」
糸を強く抱きしめる。

