先輩は知らなくていい

 大会が終わって学校に戻った。
 選手たちはそれぞれ自分の結果を仲間に報告したり、反省会をしていたりと、いつもの大会後の賑やかさが部室に広がっていた。
 でも、僕だけ、そこに馴染めていない。マネとして片付けや結果の整理をしている間もずっと、頭のなかでは陽斗くんの告白の声が何度も反響していた。
『おれとつきあってください』
 その告白に対する答えは、もうとっくにでている。あとは伝えるだけ。だからって、うまく伝えることができるかどうかは別の話だ。
なんでこうも次々と新しい悩みが生まれるんだろう。緊張で鼓動が勝手にはやくなってしまう。告白してくれたとき、陽斗くんもこういう気持ちだったのかな……。
 部室の奥に視線を向けると、
「やべーよ、陽斗!」
「お前のターン、化け物級だろ!」
 陽斗くんは、大勢に囲まれていた。人気者なのはいつものことだけど、今日の盛り上がり方は桁が違っていた。結果を聞きつけてお祝いにやってきた先生方や生徒たちの対応でいっぱいのはずだ。それなのに時々、あの真っすぐな瞳で僕を探す。目があうと、ふっと笑う。その一瞬だけで、僕は息が詰まってしまう。

彼が返事を待っている。はやく返事をしなくちゃ……。引きのばせば引きのばすほど、陽斗くんの“真剣さ”に傷をつけてしまうから。

 そのうち片付けがひと段落した。僕が翌日のための雑用の確認をしていると。
「先輩、片付け手伝いますね」
 待ちかねたように陽斗くんが隣にやってきた。不自然すぎるほど自然に掃除を始める。
「疲れてるのに……休んでていいんだよ」
 陽斗くんの手からモップを奪おうとしたら、
「いえ、ぜんぜん疲れてないです。——むしろ、その……先輩の近くにいたかったんで」
 陽斗くんはそう言って笑った。
 心の準備はできているつもりだったのに、僕はびっくりしてしまった。
「また、その顔」
 混乱する僕の気持ちなんて知らないみたいに、陽斗くんはまた軽く笑った。
 片付けが終わるころには、部員が続々と帰っていき、最後には僕と陽斗くんだけが部室に残った。
 どうしよう、二人きりだ。 
 陽斗くんは、僕をじっと見つめたまま言った。
「——返事、聞かせてください」
 僕は少し迷ってから、近くにあったイスに座った。陽斗くんも、僕の肩が触れそうな距離に腰を下ろす。
 深呼吸を一度してから、勇気を振りしぼった。
「……今日、陽斗くんの泳ぎを見ててね」
「はい」
「ほんとにすごくて……かっこよかった。ずっと目が離せなかった」
「先輩にそう言われるの、めちゃくちゃうれしいです」
 素直に喜ぶ彼の姿に、胸の奥が熱くなった。だけど同時に、不安も押し寄せてくる。
「陽斗くんが……僕を好きだって言ってくれるたびに、うれしいのに……怖かった」
「怖い?」
「僕なんかが、陽斗くんの隣にいていいのかなって。男どうしで……ちゃんとうまくいくのかなって。陽斗くんをがっかりさせるんじゃないかって。僕は男らしくはないけれど、女子じゃないから……期待されるのが怖いんだ。スイマーだった頃みたいに」
 自分の弱さを晒したその瞬間、陽斗くんは迷いのない声で、「湊」と僕の名を呼んだ。
「男とか女とか、そういうの……ほんとに関係ないです。誰を好きになるかなんて、自分にもわからない。変えられるもんじゃないでしょう?」
変えようとしたって変えられるものじゃない。本当にそうだ。僕はだまってうなずいた。
「おれ、湊を好きになったこと、一度も後悔してないですよ。これから先も、ぜったい後悔しません。後悔させません。誓えます」
 陽斗くんがくれる言葉のひとつひとつが、胸の真ん中にすっと染み込んでいく。
 どうしてこの子は……こんなにも真っすぐなんだろう。怖くなるくらいまっすぐで、正直で。だけど、そのまっすぐさがうれしくて、いつも涙が出そうになる。
「おれ、湊を独り占めしたい。他の誰にもわたしたくない。もっといろんなことを話したいし、いっぱい手つなぎたいし、めちゃくちゃ甘やかしたいし大事にしたい。ダメですか?」
 ずるい……。こんなふうに言われて、誰が気持ちを揺らさずにいられるんだろう。
 僕はうつむき、息を整えて——顔を上げた。
「陽斗くん」
「はい」
「……僕も、好きです」
 陽斗くんの瞳が大きくなった。
「僕でよければ……つきあってください」
 言い終えた瞬間。
「…………ほんとに? ほんとに、先輩が……おれを?」
「うん」
「おれと……恋人に、なる?」
「……うん」
 陽斗くんは弾かれたように僕の手をつかんで、そのまま強く抱きしめてきた。
「やった……! やったぁ……! 先輩……!! 好き……! ちょー好き!!」
「わ、ちょ、陽斗くん……!」
 陽斗くんの腕が震えているのに気づいた。喜びのせいだろうか。それとも怖かった……? 僕の返事が……。
 その震えが自分の肩にも背中にも伝わってきて、僕もそっと、陽斗くんの背中に手をまわした。
 こんなにも自然に、この腕の中へ入っていけるなんてうれしい。
 ちっとも怖くなかった。むしろ、安心した。彼の鼓動が僕の胸の奥にまで入り込んでくる気がして。僕たち、こうしてそばにいていいんだね。
「湊」
「なに……?」
「最初のデート、ちゃんとデートしましょう。この前みたいな自主トレじゃなくて」
「ふふ、そうだね」
「いちゃいちゃもしましょう」
「え、いちゃいちゃ……?」
「だって……おれたち恋人なんで」
 そう言って照れ笑いする陽斗くんの顔が、どうしようもなくかわいい。
「うん、いいよ」
 彼の胸に顔をうずめながら、僕はうなずいた。とても幸せだった。