保健室を飛び出した美羽の足音が廊下に響いて、
やがて静けさの中に消えていった。
その頃、保健室の中では——
北条椿と白石悠真が残っていた。
悠真は窓際のベッドに腰を下ろし、ため息をついた。
「……あーあ。もうちょっと美羽ちゃんと話したかったのになぁ。」
「お前、ほんとに暇人だな。」
椿はカーテン越しに外を見たまま言った。
視線の先には、美羽が走り去っていった廊下。
「美羽……?」
椿がぽつりと名前をつぶやく。
その声は低く、少しだけ興味を含んでいた。
悠真はにやりと笑い、
「え、珍しい。椿が女の名前覚えるなんて。もしかして興味津々?」
「別に。」
即答。
「だめだよ? 美羽ちゃんは僕が見つけたんだから。」
悠真が茶化すように言う。
「……くだらね。」
椿は小さく息を吐くと、話を戻した。
「鈴絡みの女子高生を探してるだけだ。あの青龍と鈴がいた公園の監視カメラの映像、玲央が解析してる。」
「へぇ、もう動いたんだ。」
悠真の表情が一瞬で真剣になる。
「お前を呼んだのは、その件だ。映像確認は生徒会室でやる。」
「仕事早いねぇ、椿は。」
悠真は立ち上がりながら笑う。
「ちなみに、屋上で倒れてた男子二人。あれ、悪さしてたやつらだからね。
もう退学処分だと思うよ。玲央に頼んどいた。」
「そうか。」
椿は淡々と頷く。
その横顔はいつもより少し険しく、
どこか、鈴を守れなかった悔しさが滲んでいた。
悠真はそんな椿を見て、
ふっと口角を上げる。
「さすがだね、王様。冷静で優しい。……でも、顔が怖いよ?」
「黙れ。」
小さな沈黙が、保健室の白い光の中に落ちた。
その頃、美羽は——。
「やばいやばいやばいやばい……!」
廊下を小走りしながら、美羽は頭を抱えていた。
(黒薔薇の人と関わっちゃった! しかも副会長! さらに生徒会長まで!)
心臓がバクバクして止まらない。
(私の平穏ライフが……終わったかも……)
教室に戻って席に座ると、
鏡の小さな手鏡を見つめてため息をついた。
「……あの人たち、なんなの。全員、顔がよすぎて怖い。」
そう呟きながら頬を触ると、まだほんのり冷たかった。
――そして次の日、土曜日。
「美羽ちゃーん! 今日、遊ぼー!」
朝から届いたメッセージの送り主は、北条鈴だった。
美羽はスマホを見ながら思わず笑う。
(ほんと、元気な子だなぁ)
鏡の前で髪を整える。
ふわっとカールした毛先を整え、リップを塗り直す。
「うん、完璧!」
鼻歌まじりにルンルンで支度をしていると、
リビングのソファでは父が新聞を読みながらちらちらと様子を伺っていた。
「……おい、美羽。その格好……まさか、彼氏か!? 彼氏なのかぁっっ……!?」
「パパ、違うよ! ただの友達!」
母がクスクス笑いながら父の耳にささやく。
「一つ年下の女の子らしいわよ?」
「……女の子? あっ、そうなのか! よかったぁぁあ!」
即座に安心して笑顔になる父。
「ったく、パパってば……」
美羽は呆れ顔でバッグを肩にかけた。
「行ってきまーす!」
――都内のカフェにて。
休日のカフェはにぎやかだった。
テラス席では子どもたちの笑い声、
店内にはカップルの会話とコーヒーの香りが混じる。
「美羽ちゃーん!」
手を振る声の主は、鈴。
白のワンピースにリボンのついたカチューシャ。
まるで天使みたいに笑っていた。
「鈴ちゃん、かわい〜!」
「えへへ、ありがとっ。美羽ちゃんもすごく可愛い!」
二人でキャッキャと笑いながら席につく。
「やっと女子高生らしい休日って感じ〜」
美羽は紅茶を飲みながら、思わず言った。
「タピオカとか行く?」
「行く行くー!」
鈴は嬉しそうに頷き、
「その前に服見たい! 一緒に選んで!」と甘えてくる。
「しょうがないなぁ〜。じゃあショッピングモール行こっか!」
「やったぁ!」
手を繋いで外へ出る鈴。
美羽はその無邪気さに、胸の奥がじんわり温かくなる。
(……誰かに頼られるって、悪くないかも)
――その頃、生徒会室(黒薔薇の本拠)。
「……これが監視カメラの映像?」
スクリーンに映るのは、公園の夜景。
街灯の下で数人の男が倒れている。
そして、その前に立つひとりの少女。
成瀬碧が目を丸くした。
「すごい、一撃ですね、この子。僕でも感心するレベルです。」
「でも顔がよく見えないな〜?」
神崎遼が頬杖をついて言う。
「眼鏡かけてるし、なんか知的っぽい。こういうタイプもアリだなぁ〜。」
「バカ言うな。年上かもわからねぇだろ。」
椿が不機嫌そうに言った。
玲央は淡々とキーボードを叩きながら報告する。
「映像はフルHD未満。夜間モードで画質が粗い。これ以上の拡大は不可能。」
「玲央、身元は調べられないのか?」
椿が問う。
玲央は一度モニターから目を離し、
「妹に聞いた方が早いんじゃないか?」と冷静に言った。
「……いや、鈴は絶対教えない。口きいてもらえなくなる。」
椿は眉をひそめ、椅子にもたれた。
「それが一番厄介なんだ。」
悠真が笑いながら言う。
「まぁまぁ、焦らない焦らない。にしても……髪が長くて綺麗そうな子だねぇ。それに強い。
こんな子の困った顔、見てみたいなぁ。」
「悠真くん、それセクハラですよ?」
碧が笑う。
悠真は肩をすくめて悪戯っぽく言った。
「だって気になるでしょ? あの一撃。絶対ただの女の子じゃないよ。」
椿は小さく舌打ちした。
「くだらねぇ。……鈴を助けられなかった俺の代わりに、誰かが助けた。それだけだ。」
玲央がちらりと椿を見る。
彼の拳が、机の下で強く握られていた。
――同じころ──ショッピングモール。
美羽と鈴は、雑貨屋でストラップを見て笑っていた。
「これ可愛い! ペアで買おうよ!」
「いいね、鈴ちゃん。」
鈴の天真爛漫な笑顔を見ていると、
自然と美羽も笑顔になる。
「お姉ちゃんみたいに可愛い人、初めて!」
「も〜、鈴ちゃん、褒めすぎ!」
フードコートでタピオカを買って、
二人で並んで座った。
「おいしいね!」
「うん!」
けれど、美羽はふと、
首筋に冷たい風が走るのを感じた。
(……あれ? なんか、寒気が……)
鈴が心配そうに覗き込む。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「ううん、大丈夫。ちょっと冷えただけ。タピオカ飲みすぎたかな?」
笑ってみせる美羽。
でもその胸の奥に、なぜかざわつくものが残っていた。
——遠くで、何かが動き始めている気がした。
やがて静けさの中に消えていった。
その頃、保健室の中では——
北条椿と白石悠真が残っていた。
悠真は窓際のベッドに腰を下ろし、ため息をついた。
「……あーあ。もうちょっと美羽ちゃんと話したかったのになぁ。」
「お前、ほんとに暇人だな。」
椿はカーテン越しに外を見たまま言った。
視線の先には、美羽が走り去っていった廊下。
「美羽……?」
椿がぽつりと名前をつぶやく。
その声は低く、少しだけ興味を含んでいた。
悠真はにやりと笑い、
「え、珍しい。椿が女の名前覚えるなんて。もしかして興味津々?」
「別に。」
即答。
「だめだよ? 美羽ちゃんは僕が見つけたんだから。」
悠真が茶化すように言う。
「……くだらね。」
椿は小さく息を吐くと、話を戻した。
「鈴絡みの女子高生を探してるだけだ。あの青龍と鈴がいた公園の監視カメラの映像、玲央が解析してる。」
「へぇ、もう動いたんだ。」
悠真の表情が一瞬で真剣になる。
「お前を呼んだのは、その件だ。映像確認は生徒会室でやる。」
「仕事早いねぇ、椿は。」
悠真は立ち上がりながら笑う。
「ちなみに、屋上で倒れてた男子二人。あれ、悪さしてたやつらだからね。
もう退学処分だと思うよ。玲央に頼んどいた。」
「そうか。」
椿は淡々と頷く。
その横顔はいつもより少し険しく、
どこか、鈴を守れなかった悔しさが滲んでいた。
悠真はそんな椿を見て、
ふっと口角を上げる。
「さすがだね、王様。冷静で優しい。……でも、顔が怖いよ?」
「黙れ。」
小さな沈黙が、保健室の白い光の中に落ちた。
その頃、美羽は——。
「やばいやばいやばいやばい……!」
廊下を小走りしながら、美羽は頭を抱えていた。
(黒薔薇の人と関わっちゃった! しかも副会長! さらに生徒会長まで!)
心臓がバクバクして止まらない。
(私の平穏ライフが……終わったかも……)
教室に戻って席に座ると、
鏡の小さな手鏡を見つめてため息をついた。
「……あの人たち、なんなの。全員、顔がよすぎて怖い。」
そう呟きながら頬を触ると、まだほんのり冷たかった。
――そして次の日、土曜日。
「美羽ちゃーん! 今日、遊ぼー!」
朝から届いたメッセージの送り主は、北条鈴だった。
美羽はスマホを見ながら思わず笑う。
(ほんと、元気な子だなぁ)
鏡の前で髪を整える。
ふわっとカールした毛先を整え、リップを塗り直す。
「うん、完璧!」
鼻歌まじりにルンルンで支度をしていると、
リビングのソファでは父が新聞を読みながらちらちらと様子を伺っていた。
「……おい、美羽。その格好……まさか、彼氏か!? 彼氏なのかぁっっ……!?」
「パパ、違うよ! ただの友達!」
母がクスクス笑いながら父の耳にささやく。
「一つ年下の女の子らしいわよ?」
「……女の子? あっ、そうなのか! よかったぁぁあ!」
即座に安心して笑顔になる父。
「ったく、パパってば……」
美羽は呆れ顔でバッグを肩にかけた。
「行ってきまーす!」
――都内のカフェにて。
休日のカフェはにぎやかだった。
テラス席では子どもたちの笑い声、
店内にはカップルの会話とコーヒーの香りが混じる。
「美羽ちゃーん!」
手を振る声の主は、鈴。
白のワンピースにリボンのついたカチューシャ。
まるで天使みたいに笑っていた。
「鈴ちゃん、かわい〜!」
「えへへ、ありがとっ。美羽ちゃんもすごく可愛い!」
二人でキャッキャと笑いながら席につく。
「やっと女子高生らしい休日って感じ〜」
美羽は紅茶を飲みながら、思わず言った。
「タピオカとか行く?」
「行く行くー!」
鈴は嬉しそうに頷き、
「その前に服見たい! 一緒に選んで!」と甘えてくる。
「しょうがないなぁ〜。じゃあショッピングモール行こっか!」
「やったぁ!」
手を繋いで外へ出る鈴。
美羽はその無邪気さに、胸の奥がじんわり温かくなる。
(……誰かに頼られるって、悪くないかも)
――その頃、生徒会室(黒薔薇の本拠)。
「……これが監視カメラの映像?」
スクリーンに映るのは、公園の夜景。
街灯の下で数人の男が倒れている。
そして、その前に立つひとりの少女。
成瀬碧が目を丸くした。
「すごい、一撃ですね、この子。僕でも感心するレベルです。」
「でも顔がよく見えないな〜?」
神崎遼が頬杖をついて言う。
「眼鏡かけてるし、なんか知的っぽい。こういうタイプもアリだなぁ〜。」
「バカ言うな。年上かもわからねぇだろ。」
椿が不機嫌そうに言った。
玲央は淡々とキーボードを叩きながら報告する。
「映像はフルHD未満。夜間モードで画質が粗い。これ以上の拡大は不可能。」
「玲央、身元は調べられないのか?」
椿が問う。
玲央は一度モニターから目を離し、
「妹に聞いた方が早いんじゃないか?」と冷静に言った。
「……いや、鈴は絶対教えない。口きいてもらえなくなる。」
椿は眉をひそめ、椅子にもたれた。
「それが一番厄介なんだ。」
悠真が笑いながら言う。
「まぁまぁ、焦らない焦らない。にしても……髪が長くて綺麗そうな子だねぇ。それに強い。
こんな子の困った顔、見てみたいなぁ。」
「悠真くん、それセクハラですよ?」
碧が笑う。
悠真は肩をすくめて悪戯っぽく言った。
「だって気になるでしょ? あの一撃。絶対ただの女の子じゃないよ。」
椿は小さく舌打ちした。
「くだらねぇ。……鈴を助けられなかった俺の代わりに、誰かが助けた。それだけだ。」
玲央がちらりと椿を見る。
彼の拳が、机の下で強く握られていた。
――同じころ──ショッピングモール。
美羽と鈴は、雑貨屋でストラップを見て笑っていた。
「これ可愛い! ペアで買おうよ!」
「いいね、鈴ちゃん。」
鈴の天真爛漫な笑顔を見ていると、
自然と美羽も笑顔になる。
「お姉ちゃんみたいに可愛い人、初めて!」
「も〜、鈴ちゃん、褒めすぎ!」
フードコートでタピオカを買って、
二人で並んで座った。
「おいしいね!」
「うん!」
けれど、美羽はふと、
首筋に冷たい風が走るのを感じた。
(……あれ? なんか、寒気が……)
鈴が心配そうに覗き込む。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「ううん、大丈夫。ちょっと冷えただけ。タピオカ飲みすぎたかな?」
笑ってみせる美羽。
でもその胸の奥に、なぜかざわつくものが残っていた。
——遠くで、何かが動き始めている気がした。



