病室の扉を静かに閉めると、
白い外来フロアの椅子に、悠真がぽつりと座っていた。
蛍光灯の光が彼の横顔を縁取って、いつもより落ち着いた雰囲気に見えた。
「椿、意識戻ったんだって? よかった。」
安堵したように微笑む悠真。
美羽は小さくうなずいた。
「うん……とりあえずまだ安静だけど。」
“まだ、大丈夫”
その言葉が何度喉元で震えたかわからない。
悠真は立ち上がり、上着を軽く払うように整えた。
「もうすぐ玲央たちも来るはずだよ。
美羽ちゃんは、とりあえず――ほら、タクシー拾っておいたから。これで帰って。」
「……ありがとう。悠真くん、あの…。」
「ん? どうしたの?」
美羽は、恐る恐る口を開いた。
「その……白百合の“秋人くん”って、一体何者なの?
椿くんと知り合いみたいで……なんだか因縁がある感じだった……。
すごく強いし……怖かった。」
悠真は少し目を伏せて、外来のガラスの向こうの夜を見た。
ネオンサインがにじんで、まるで雨が降る前の街のように滲んで見える。
「そっか……美羽ちゃんは初対面だったね。」
悠真はゆっくりと美羽に向き直った。
「“高城 秋人(タカシロ アキト)”。
今は白百合の王と呼ばれてる。
黒薔薇のライバル……いや、今やもっと厄介な存在だね。」
「ライバル……?」
「うん。元々、椿と秋人は――」
悠真は一度言葉を切って、優しく微笑んだ。
「"親友"だったんだよ。」
「……え?」
美羽は思わず息を呑んだ。
信じられなかった。
あの凶暴な秋人と、椿が――?
悠真は続けた。
「これは椿から聞いた話しなんだけどね。中学時代、二人は“白薔薇”っていう小さなチームを組んでた。
すごく強くて、仲が良くて……誰も二人に敵わなかった。」
病院の静けさがやけに重く感じた。
「でも、ある時の抗争でね……秋人は椿を庇って、右目に大きな傷を負った。
それがきっかけで、秋人はチームを抜けた。
ずっと姿を消してたみたいだけど……
これは、玲央に調べてもらったんだけど、
最近“白百合を率いる過激派暴走族"のトップになってたらしいよ。」
話を聞きながら、美羽の胸はぎゅっと締めつけられた。
「そんな……親友だったのに。
どうして、そんな……」
「わからない。
でも、親友だからこそ、裏切られたと思ったのかもしれない。
顔を……一生残る傷をつけられたからね。」
悠真も苦しそうに目を伏せた。
美羽は握っていたハンカチを強く握りしめた。
「でも、莉子は関係ないのに……!
巻き込むなんて……どうして……!」
声が震えた。
胸の奥で、悔しさが膨らむ。
悠真はそっと美羽の肩に触れた。
「大丈夫だよ。
秋人は椿が動けないのをわかってるはずだ。
莉子ちゃんは椿と美羽ちゃんを誘き寄せるたんなる“人質”。
すぐに手を出すことはない。」
「でも……!」
「美羽ちゃん、信じて。
僕たちは、莉子ちゃんを助けるよ。
必ず。」
その言葉は優しかったけど、どこか寂しさを含んでいて――
美羽の胸にじん、となにかが染みこんだ。
*
ーータクシーの中。
タクシーの窓に、街の光が流れていく。
信号の赤が頬をかすめ、ビルの影が心の不安を撫でるようだった。
(莉子……大丈夫だよね。
絶対……助けるから。)
でも、胸の奥のひっかかりは消えなかった。
(でもなんで……まったく関係のない莉子を?
だって秋人くんが狙ってるのは――私、だよね?)
秋人の言葉が脳裏で響く。
――“俺の可愛い可愛いペットがねぇ?”
あれは、一体何を意味していたのだろう?
(“ペット”?
……まさか、白百合の誰かのこと?黒薔薇に内通者でもいるの?
それとも……)
タクシーの街灯が一瞬だけ美羽の瞳に光を落とした。
(そういえば……
秋人くん、莉子のこと、名前で呼んでた……よね?)
(名前を知ってるってことはそもそも関わりがあったーー?)
心臓が、どくん、と跳ねた。
(そんな……ありえないよね?
だって莉子が、あんな危ないチームの……)
でも――
“秋人くんの名字って確か、《高城》だったよね?”
“莉子の名字も……《高城》……”
呼吸が止まった。
「…………っ!」
脳内で、ひとつの最悪の可能性が、形になってしまう。
(もしかして……
莉子と秋人くんって――……“兄妹”?)
体温がすっと引いていく。
背中が冷たくなった。
「そんな……
そんなはず……ない……よね……?そもそも顔もそんな似てなかったし…。莉子は背が低くて、秋人くんは背が高いし…。」
タクシーのガラスに映った自分の顔は、少し青ざめていた。
(だって、莉子は何も言ってなかった。
私に隠す理由なんて――)
でも。
脳裏に、莉子の言葉が蘇る。
――椿くんと悠真くんと、"秘密を共有してる三人”って……なにそれ仲良しかよ!
いいなぁ~!――
(……あれ、どういう意味だったんだろ。)
喉が乾く。
(まさか、あの時から……
莉子、何か知ってた?
黒い手紙のこと……
秋人くんのこと……
“私を脅してる相手”のこと……?)
心がざわざわする。
眠さなんて一瞬で吹き飛んだ。
(違う……違うよ……!
莉子を疑うなんて……最悪だよ私。
莉子は私の親友なのに……)
布団に倒れ込んでも、目を閉じても、
秋人の笑みと、莉子の笑顔が交互に浮かぶ。
(でも……もしも……“もしも”が本当だったら……
じゃあ、莉子は……今どこに?
秋人くんは……兄だったら……莉子に手を出すわけないよね?
いや……悲しませるようなこともしないよね?)
答えが出ない。
出ないまま、夜が深く濃く沈んでいった。
美羽は天井を見つめたまま、
胸の奥に小さな針のような不安を抱え、
ほとんど眠れぬまま――
朝を迎えることになる。
白い外来フロアの椅子に、悠真がぽつりと座っていた。
蛍光灯の光が彼の横顔を縁取って、いつもより落ち着いた雰囲気に見えた。
「椿、意識戻ったんだって? よかった。」
安堵したように微笑む悠真。
美羽は小さくうなずいた。
「うん……とりあえずまだ安静だけど。」
“まだ、大丈夫”
その言葉が何度喉元で震えたかわからない。
悠真は立ち上がり、上着を軽く払うように整えた。
「もうすぐ玲央たちも来るはずだよ。
美羽ちゃんは、とりあえず――ほら、タクシー拾っておいたから。これで帰って。」
「……ありがとう。悠真くん、あの…。」
「ん? どうしたの?」
美羽は、恐る恐る口を開いた。
「その……白百合の“秋人くん”って、一体何者なの?
椿くんと知り合いみたいで……なんだか因縁がある感じだった……。
すごく強いし……怖かった。」
悠真は少し目を伏せて、外来のガラスの向こうの夜を見た。
ネオンサインがにじんで、まるで雨が降る前の街のように滲んで見える。
「そっか……美羽ちゃんは初対面だったね。」
悠真はゆっくりと美羽に向き直った。
「“高城 秋人(タカシロ アキト)”。
今は白百合の王と呼ばれてる。
黒薔薇のライバル……いや、今やもっと厄介な存在だね。」
「ライバル……?」
「うん。元々、椿と秋人は――」
悠真は一度言葉を切って、優しく微笑んだ。
「"親友"だったんだよ。」
「……え?」
美羽は思わず息を呑んだ。
信じられなかった。
あの凶暴な秋人と、椿が――?
悠真は続けた。
「これは椿から聞いた話しなんだけどね。中学時代、二人は“白薔薇”っていう小さなチームを組んでた。
すごく強くて、仲が良くて……誰も二人に敵わなかった。」
病院の静けさがやけに重く感じた。
「でも、ある時の抗争でね……秋人は椿を庇って、右目に大きな傷を負った。
それがきっかけで、秋人はチームを抜けた。
ずっと姿を消してたみたいだけど……
これは、玲央に調べてもらったんだけど、
最近“白百合を率いる過激派暴走族"のトップになってたらしいよ。」
話を聞きながら、美羽の胸はぎゅっと締めつけられた。
「そんな……親友だったのに。
どうして、そんな……」
「わからない。
でも、親友だからこそ、裏切られたと思ったのかもしれない。
顔を……一生残る傷をつけられたからね。」
悠真も苦しそうに目を伏せた。
美羽は握っていたハンカチを強く握りしめた。
「でも、莉子は関係ないのに……!
巻き込むなんて……どうして……!」
声が震えた。
胸の奥で、悔しさが膨らむ。
悠真はそっと美羽の肩に触れた。
「大丈夫だよ。
秋人は椿が動けないのをわかってるはずだ。
莉子ちゃんは椿と美羽ちゃんを誘き寄せるたんなる“人質”。
すぐに手を出すことはない。」
「でも……!」
「美羽ちゃん、信じて。
僕たちは、莉子ちゃんを助けるよ。
必ず。」
その言葉は優しかったけど、どこか寂しさを含んでいて――
美羽の胸にじん、となにかが染みこんだ。
*
ーータクシーの中。
タクシーの窓に、街の光が流れていく。
信号の赤が頬をかすめ、ビルの影が心の不安を撫でるようだった。
(莉子……大丈夫だよね。
絶対……助けるから。)
でも、胸の奥のひっかかりは消えなかった。
(でもなんで……まったく関係のない莉子を?
だって秋人くんが狙ってるのは――私、だよね?)
秋人の言葉が脳裏で響く。
――“俺の可愛い可愛いペットがねぇ?”
あれは、一体何を意味していたのだろう?
(“ペット”?
……まさか、白百合の誰かのこと?黒薔薇に内通者でもいるの?
それとも……)
タクシーの街灯が一瞬だけ美羽の瞳に光を落とした。
(そういえば……
秋人くん、莉子のこと、名前で呼んでた……よね?)
(名前を知ってるってことはそもそも関わりがあったーー?)
心臓が、どくん、と跳ねた。
(そんな……ありえないよね?
だって莉子が、あんな危ないチームの……)
でも――
“秋人くんの名字って確か、《高城》だったよね?”
“莉子の名字も……《高城》……”
呼吸が止まった。
「…………っ!」
脳内で、ひとつの最悪の可能性が、形になってしまう。
(もしかして……
莉子と秋人くんって――……“兄妹”?)
体温がすっと引いていく。
背中が冷たくなった。
「そんな……
そんなはず……ない……よね……?そもそも顔もそんな似てなかったし…。莉子は背が低くて、秋人くんは背が高いし…。」
タクシーのガラスに映った自分の顔は、少し青ざめていた。
(だって、莉子は何も言ってなかった。
私に隠す理由なんて――)
でも。
脳裏に、莉子の言葉が蘇る。
――椿くんと悠真くんと、"秘密を共有してる三人”って……なにそれ仲良しかよ!
いいなぁ~!――
(……あれ、どういう意味だったんだろ。)
喉が乾く。
(まさか、あの時から……
莉子、何か知ってた?
黒い手紙のこと……
秋人くんのこと……
“私を脅してる相手”のこと……?)
心がざわざわする。
眠さなんて一瞬で吹き飛んだ。
(違う……違うよ……!
莉子を疑うなんて……最悪だよ私。
莉子は私の親友なのに……)
布団に倒れ込んでも、目を閉じても、
秋人の笑みと、莉子の笑顔が交互に浮かぶ。
(でも……もしも……“もしも”が本当だったら……
じゃあ、莉子は……今どこに?
秋人くんは……兄だったら……莉子に手を出すわけないよね?
いや……悲しませるようなこともしないよね?)
答えが出ない。
出ないまま、夜が深く濃く沈んでいった。
美羽は天井を見つめたまま、
胸の奥に小さな針のような不安を抱え、
ほとんど眠れぬまま――
朝を迎えることになる。



