公園の夕焼けは、まるで血のように真っ赤だった。

 その赤い世界の中で、椿が“黒薔薇の王”としての本性を露わにしていく。

 拳を振るうたび、肉がぶつかる鈍い音。
 身体をひねるたびに、風が唸り声を上げる。

 まったく隙がない。
 無駄が一つもない。
 すべてが、“強者”の動きだった。

 美羽はただ呆然と、目を奪われていた。

(すごい……)

 椿が蹴り上げた足が、しなるように回転し、
 白百合の一人を容赦なく地面に叩きつけた。

「ぐっ……!」

 息を呑む。
 その横顔は、普段の椿とは別人のように鋭く、冷たかった。

 白百合の不良たちが次々と倒れていき、
 残りが半分ほどになったところだった。

 ――その時。

 場違いなほど軽い、気だるげな声が空気を裂いた。

「はいはい。君たち、お遊びはそこまでにしようね?」

 美羽は振り向き、言葉を失った。

 そこに立っていたのは――
 昼でも夜でもない曖昧な光に似た、不気味な男。

 白百合の制服を着崩し、
 右目には銀の縁取りのついた白い眼帯。
 首元から喉仏にかけて、黒い“竜”のタトゥーが浮かんでいる。

 その存在だけが、空気を変えた。
 草木さえ息を潜めるような、異様な静寂。

(……誰、この人……
 空気が、まるで違う……)

 椿が息を整えながら、その男を睨む。

「秋、人………?」

 驚きと警戒と、過去の影が混ざった声。

 男――秋人は、にやっと笑った。

「やあ、椿くん。久しぶりだねぇ?
 俺の顔、忘れちゃったのかなぁ?」

 その笑みは、ひどく美しくて、ひどく冷たい。

 周囲の白百合たちは即座に戦いをやめ、
「す、すいません、秋人さん!!」と頭を下げた。

 秋人はゆっくりと近づきながら、ふと、表情を変えた。

 ――氷のように冷たい、殺意の表情。

 次の瞬間。

「ねぇ。俺、言ったよね?」

 倒れている白百合の一人を、容赦なく蹴り上げる。

「ぐはっ……!」

 そのまま、気絶している相手を何度も何度も蹴りつける。

 美羽は青ざめた。

「ひっ……!」

 込み上げる吐き気に、手で口を押さえる。

「椿を黙らせて連れてこいって。
 なんで俺が言ったこと、できてないの?
 言うこと聞けないお前なんて、犬以下だよ?」

 秋人は無邪気に笑いながら、もう一度蹴る。

「あーあ。返事もできないなんてさぁ。
 そうか、虫けら以下かぁ?」

 その場にいる全員が凍りついた。

(なに、この人……。
 狂ってる……!
 とんでもない奴じゃない!!)

 椿が一歩前へ出る。

「……もういいだろ、秋人。
 俺になんの用だ?」

 秋人はひょいと肩をすくめ、美羽のいる方向へ視線を動かした。

「んー?
 俺の可愛い可愛い“ペット”がね?
 椿に最近、“大切に守ってる女”ができたって言うからさぁ?」

「っ……!」

 美羽の心臓が跳ねた。

(え、大切に……?)

 秋人はくすりと笑う。

「それ聞いてね、どうしても会いたくなったんだよ。
 ああでも、もういいや。」

 ゆっくりと、美羽の方に歩いてくる。

「後ろに隠れてる椿の“大事な天使ちゃん”?
 俺からの“ラブレター”、たくさん受け取ってくれたかなぁ?」

「――っ!」

 美羽の背筋に冷たいものが走る。

「ラ……ラブレターってまさか……
 あの黒い手紙って……?」

 椿も同時に叫んだ。

「秋人!!そいつは関係ねぇ!!」

 けれど秋人は、楽しそうに笑うだけ。

「へぇ?えらく必死だねぇ?
 でも、雨宮 美羽ちゃんだっけ?……ちょっと強いんでしょ?
 君の“秘密”、俺、知ってるよ?」

 美羽の背筋が凍りつく。

(な、なんで名前……?
 空手をやってたこと……誰にも言ってないのに……)

 秋人は楽しそうに舌を出した。

「君がどんなふうに苦しむのか……
 楽しみだなぁ。」

 ――限界だった。

「ちょっと!!
 あんた、頭おかしいんじゃないの!?
 一発殴らせなさいよ!!」

 美羽が叫んだ。

 椿が即座に怒鳴る。

「美羽!!刺激するなっ!」

「でも!!私、許せない!!」

 秋人はうんざりしたように首を傾けた。

「なんだか熱苦しいねぇ……。
 ちょっと冷めちゃった。」

 ひらりと手を振る。

「おまえら、"莉子"を連れて帰るよ?」

「なっ……!!
 待ちなさいよ!!」

 美羽は飛び出そうとするが、
 背後から腕を掴まれ、羽交い締めにされた。

「きゃぁっ!!」

 首を締め上げられ、苦しくて声が出ない。

「美羽っ!!」

 椿の焦る声が響いた。

 その隙を――秋人が逃さない。

「っ!」

 華麗な動きで跳び上がり、
 椿の側頭部に回し蹴りを叩き込んだ。

 椿の身体が大きく揺れ、地面へと崩れ落ちる。

「……くっ……!」

 膝をつき、地面に手をつく椿。

「椿くんっ!!」

 美羽の悲鳴が掠れる。

 秋人は愉快そうに笑う。

「なんだよ椿くん。
 もうへばっちゃったのぉ?
 女の子の前だよぉ?カッコつけなよ。」

「……っ……!」

 椿の血が、ぽたり、と土に落ちた。

 視界が滲む中、美羽は震える声で叫んだ。

「椿くんっ!!莉子っ!!
 ちょっと!離しなさいよ!!」

 しかし、白百合の不良に思いっきり腕を振り払われ、美羽は地面に尻餅をついた。

 痛みも、砂の冷たさも感じない。

 ただ――
 莉子が連れ去られていく後ろ姿だけが、
 遠ざかっていく。

 秋人と白百合の不良たちは、あっという間に闇へと消えた。

(どうしよう……
 まったく歯が立たなかった……
 莉子を……助けなきゃ……!)

 美羽は朦朧としながら倒れている椿へ駆け寄った。

「椿くん!?
 椿くんっ!! しっかりして!!」

 膝枕をして、震える手でハンカチを押し当てる。
 椿の血が、じわりと染みていく。

「お願い……椿くん…返事してっ…!!」

 スマホを震える指で操作し、
 救急車を呼び、悠真にも連絡を入れた。

 夕暮れの公園に響く救急車のサイレンが、
 美羽の胸を締めつけた。

 視界がゆっくりと涙で滲んでいく。