昇降口の出来事の余韻がまだ胸の内側で揺れている。
夕焼け色の階段を、椿と並んで歩く。

歩幅が違うから、気を抜くと肩が触れそうになる。
そのたびに美羽の心臓は、さっきよりもずっと早く跳ねた。

(黒い手紙のこと……どうしよう……
椿くん、相変わらず強引だけど……
なんか、今日は少し……優しかった……)

そんなことを考えていると――

「歩くの遅ぇ。」

「う、うるさい!足首まだ治りきってないの!」

「知ってる。だからゆっくり歩いてるだろ。」

「……っ!」

何気ないその一言に、顔が熱くなる。

(なんなの……そのさりげない優しさ……


答えのない疑問が、胸の奥で膨らんでいく。









生徒会室の扉を開けると、
いつもの、でもどこか騒がしい空気がふわりと流れ出した。

パチパチッ、とキーボードの音。
ぶら下げたダンベルが上下する音。
ソファーに沈み込む息の音。
柑橘系の芳香剤の香り。

黒薔薇の巣は今日も賑やかだった。

玲央が視線を上げ、ぼそっと言う。

「遅かったが、ようやく揃ったな。」

遼はソファーに寝転び、にやりと目を細めた。

「おりょ〜? なんか二人怪しくなーい?」

「なっ……!」

美羽が思わず声を上げると、
椿は無視して堂々と生徒会長席へ歩いていった。

碧は腕立て伏せをしながら、息も乱れずに言う。

「会長が雨宮さんと一緒にくるなんて、めずらしいですね?」

悠真はくるんと椅子を回し、美羽を見つけた瞬間、手を振った。

「美羽ちゃん、ちょっと遅いよー?
最近付き合いも悪いし、僕心配したんだけど?」

「そ、そうかな? あはは……ごめんね?」

笑って誤魔化すしかなかった。

椿はそんな美羽を一瞥しただけで、
机の中央に黒い封筒を数枚、静かに置いた。

「早速だが、話がある。この手紙を見てくれ。」

室内がすっと静まった。

黒い封筒は、まるで夜の底の色みたいに不気味で、
中身を知っている美羽は思わず背筋を震わせた。

玲央が手紙を手に取り、目を細める。

遼がひょいっと覗き込み、
碧は筋トレをやめて姿勢を正す。

悠真は笑っているのに、その目だけが笑っていなかった。

「なにこれ、脅迫状?」

椿は腕を組むと、

「美羽の下駄箱に入っていた。このバカが隠してた。」

こつん。

美羽の頭に軽いチョップが落ちた。

「いったぁっ!?
ちょ、ちょっと! 言うつもりだったよ!?
言う前に見つかっただけで――」

「こんなに集めるまで隠す方が悪い。
なんですぐに言わなかったんだ。」

ギロリと睨まれ、美羽は肩をすくめる。

碧が真剣な表情で口を開いた。

「会長の言う通りですよ?
こういった類はエスカレートしやすいと聞きます。
放っておくなんてもってのほかですよ。」

遼は黒封筒をひらひらさせながら、

「てかさ、真っ黒って不気味だよねぇ~。
ホラー映画のプロップみたい。」

玲央は眼鏡の位置を直しながら、淡々と告げた。

「この内容からして、
雨宮美羽の情報を握っている者がいるようだな。」

美羽はぶんぶん首を振る。

「ち、違うよ!
そんな過去のこと、別にたいしたことじゃ――」

「たいしたことあるよ?」
と、悠真が横から顔を出した。

「だって、その情報を逆手に利用しようとしてる奴がいるんだよ?
とりあえずさ、美羽ちゃん。
僕としばらく一緒に行動しようか? 危ないし。」

にこっと笑う悠真。
でもその笑顔の裏に硬い怒りを感じて、ドキリとした。

すると椿が低い声で言う。

「そうだな。
しばらく皆で交代しながら、美羽と共に行動して様子を見る。」

悠真がすかさず、

「えぇ〜、僕だけで十分なのにぃ〜」

と不貞腐れる。

「ダメに決まってんだろ。」と椿。

空気がまたひりつく。

美羽は慌てて割って入った。

「ちょ、ちょっと待って!
みんな、なんか簡単に言ってるけど……
犯人もわからないし、みんなまで危険になるかもしれないんだよ!?
そこまで迷惑かけられないよ!」

椿は静かに、しかし鋭く言い放つ。

「隠してたお前よりは危険じゃない。
迷惑だ? 黒薔薇をなめんな。」

「なっ……隠してたって……!
言おうとしてたんだよ!?
でも逆にエスカレートしたらどつしようって思って……」

玲央は淡々と告げた。

「安心しろ。
手紙の持ち主の特定など、数日もあればわかる。」

「えぇ!? 犯人わかるの!?」

悠真がウインクする。

「玲央はこう見えて天才ハッカーだからね。
防犯カメラとかチェックしたらすぐわかるよ。」

(えぇ……
もはやどっちが危ない人たちかわかんないよ……)

と美羽は心の中で突っ込んだ。

碧は、なぜかスクワットをしながら頷く。

「大丈夫ですよっ、玲央くんはっ、優秀なのでっ!」

遼はソファーから手を振る。

「つか、一日中女の子と一緒とか俺は大歓迎だけどねぇ〜?」

悠真がにっこり笑い、
美羽の肩にそっと触れた。

「ね、大丈夫だよ美羽ちゃん。
僕たちがいるんだから!」

椿も視線を上げずに言った。

「お前は黒薔薇のメンバーだ。
大人しく守られてろ。」

美羽の胸がじんと熱くなった。

こんなに心配してくれて、
こんなに本気で守ろうとしてくれる人たちがいて――

目頭がちょっとだけ熱くなった。

「……うん。
ありがとう、みんな。」

ふわっと笑うと、
悠真も遼も碧も、そして椿さえも――
どこか嬉しそうに表情をほころばせた。

(……私、ひとりじゃないんだ。)

夕焼けの光が生徒会室に差し込み、
机の上の黒い封筒を金色に染めていた。

緊張も不安も――
この温かい空気の中で、少しずつほどけていくようだった。