ステージのカーテンが静かに閉じた。
拍手の音が遠くで響いている。
けれど美羽の耳には、その音がまるで届かなかった。

(私が…椿くんのこと、好き……?)

悠真の言葉が、頭の中でずっと回っている。
心臓の奥を、見えない糸で引っ張られているようだった。

そのとき。
悠真が、そっと美羽の左手の甲に、自分の右手を重ねた。

「美羽ちゃん、顔赤いよ?」

びくん、と身体が反応した。
指先が震える。
彼の掌があたたかくて、逃げられない。

「……悠真くん……?」

悠真は笑っていた。
でもその笑顔は、少しだけ寂しそうだった。

「はは、やっぱりそうなんだね。」

「え……?」

「うん、なんとなくわかってた。
でも僕は、それでも美羽ちゃんが好きだよ?」

声が優しかった。
あまりにも優しすぎて、美羽の胸が締め付けられた。

「なんで……?悠真くん、なんで私なの?」

少し泣きそうな声で問いかけると、悠真は目を細めた。

「うーん……なんでって言われると、たくさんあるけどね。
美羽ちゃんってさ、なんやかんやで守ってあげたくなる女の子だから……かな。」

("守ってあげたくなる女の子――")

その言葉に、心がチクリと痛んだ。
あの中学の時、憧れていた言葉。
けれど今の自分は、それを積み重ね“演じている”だけ。

「(……私、本当はそんな女の子じゃないのに)」

心の中でつぶやいた。
笑顔の裏で、息が詰まりそうだった。

「美羽ちゃん?」

心配そうにのぞきこむ悠真。
でも、その優しさが今は苦しかった。

立ち上がると、足元がふらついた。

「ごめん、悠真くん……!」

それだけ言って、美羽は走り出した。

「え!? 美羽ちゃん!?」

悠真の声が背中を追いかけてきた。
でも振り返ることはできなかった。




(なんで逃げてるんだろ……)

涙がにじむ。
文化祭の喧騒も、笑い声も、遠くに霞んでいく。
足首の痛みなんて、もうどうでもよかった。

(私っ、椿くんのこと考えると……なんでか苦しい……)

ひと気のない廊下を走っていると、角を曲がったところで誰かとぶつかった。

「……っ!」

倒れそうになったところを、がっしりとした腕が支える。

「おい、どこ見て歩いてんだ。」

その声。

顔を上げると、そこにいたのは――北条椿。

「つ、椿くん……」

息を乱したままの美羽を見て、椿の表情が険しくなった。

「どうした。顔、真っ青じゃねぇか。
……悠真と一緒じゃなかったのか?」

美羽は息をのんだ。
胸がいっぱいで、うまく言葉が出てこない。

「わ、私っ……!」

「……あいつ、何かしたのか?」

鋭い声に、心臓が跳ねた。

「ち、違うっ! 悠真くんは何も……!」

「じゃあ、なんでそんな泣きそうな顔してんだよ。」

「ちがうの、ほんとに……!」

必死で首を振った瞬間、足首にピリッと痛みが走った。

「っ……!」

「おい、お前、まだ足が……!」

椿の声が一段低くなる。

「大丈夫、ちょっとだけだから……」

そう言って笑おうとしたけれど、視界が少し滲んだ。

椿はため息をついた。

「……しょうがねぇな。」

「え?」

その次の瞬間、ふわりと体が浮いた。

「ちょっ……な、何して――!?」

「うるせぇ。暴れんな、落とすぞ。」

耳の奥が真っ赤になった。
胸の鼓動が、彼の腕の中で跳ねる。

(え……お姫様抱っこ……!? ちょ、近いっ、顔近いっ!!)

「しっかり掴まってろ。足、もっと痛くなるぞ。」

その声は低くて、優しかった。
頬が熱い。
まるで世界の色が全部、椿の瞳に吸い込まれていくみたいだった。

廊下の窓から射し込む夕日が、二人の影を長く伸ばす。
赤く染まる光の中で、美羽はただ、胸の奥の音に耳を澄ませた。

(……この気持ち、もう気づかないふりできない)

そして椿もまた、腕の中の少女の震える肩を見つめながら、
心のどこかが、静かに揺れた。