危険すぎる恋に、落ちてしまいました。1

四月の風は、どこか甘い匂いがした。

それはきっと、すれ違う女の子たちのシャンプーの匂いと、新しい制服の布の匂いと、桜の花びらが混ざり合ったせいだ。

新しい制服の襟を直しながら、雨宮 美羽(あまみや みはね)は目の前にそびえ立つ巨大な校舎を見上げた。
ガラス張りの校舎は朝日を受けてきらきらと輝き、まるで映画のワンシーンみたいだった。

「わぁ……都会の学校って、ほんとにドラマみたい……」


ぽつりと呟いた声は、春風にさらわれていく。
田舎育ちの美羽にとって、このキラキラした世界はまるで異国のように見えた。
父の転勤で突然決まった転校。
慣れ親しんだ友達とも、のんびりした風景とも、全部お別れしてやってきた“都会”。

掲げられた校章は、銀色の薔薇。
この学園の名前は——黒薔薇学園高等部。

名前からして強そうだな、と正直思った。
でもまさかその名前が“そのままの意味”だったなんて、このときの美羽はまだ知るよしもなかった。





ーーー入学式、ざわめく講堂。

「新入生代表、生徒会長・北条 椿(ほうじょう つばき)。」

マイクの音が響いた瞬間、
会場が**キャーーーー!**という黄色い声に包まれた。

「きゃー! 椿くーん!」
「こっち向いてー!」
「やば、実物のほうが100倍かっこいいんだけど!」
「さすが、イケメン生徒会長!!」
「やだ!暴走族でもかっこいいーっ!!」

美羽は耳をふさぎたくなった。
壇上に立つ男子生徒——確かに、見た目は完璧。
黒髪のふんわりストレートヘア、制服は少し着崩し気味。
その横顔は彫刻みたいに整っていて、光を浴びるたびに世界が静止したように見える。

……でも。

「え、ちょっと待って。生徒会長が暴走族って、どういう仕組み?」

思わず口に出た言葉に、隣の席の女子がクスッと笑った。

「ふふっ、あなた面白いね。」
声の主は明るい紺色の髪の背の低い女の子だった。
ぱっちりした目に笑顔。都会の女の子って感じ。

「私、高城 莉子(たかしろ りこ)。あなたは?」
「えっ、あ、雨宮 美羽です。今日からこの学校に……」
「知ってる知ってる! だってここら辺では見たことない顔だもん!この学園、エスカレーター式だからね~」

テンポが速すぎて、ついていけない。
でもその明るさが、少しだけ心を軽くした。

「ねぇ美羽、今の見た? あの人たち、全員“黒薔薇”のメンバーなの!」
「黒薔薇?」
「そう! この学園を取り仕切ってる暴走族チーム! しかも、生徒会までやってるの!」
「えぇ……そんなハイブリッドいる?」

莉子は両手で頬を押さえながら、うっとりした顔をする。
「でも顔面偏差値も国宝級なんだよ〜! SNSでもファンクラブあるし!」
「……へぇ。まぁ、かっこいいんだろうけど……」
「興味ない感じ?」
「うん。どっちかって言うと、騒がれてるうるさい人苦手かも。」

莉子はぽかんとしたあと、笑い出した。
「あははっ、やっぱり美羽は面白いね!」
「そうかな……?」
「うん! じゃあ今日から友達決定ね!」

初めてできた都会の友達に、美羽は少しだけ笑った。




ーーー日常、穏やかな日々。

春がゆっくりと夏の匂いを運び始めた頃、
美羽は学園生活にもだいぶ慣れてきた。

授業中に当てられても答えられるようになったし、
お昼休みには莉子とお弁当を食べて、
放課後には笑いながら帰る毎日。

ただ——
ひとつだけ、少し困っていることがあった。

「ねぇ、雨宮さんって今度の日曜、暇だったりする?」
「え? あー、ごめん。その日はちょっと……」

男子に話しかけられることが増えていた。
それだけならまだしも、美羽が廊下を歩けばヒソヒソ声が聞こえる。

「え、あの子可愛くね?」
「ほらあの子だよ、」
「あの笑い方、天使じゃね?」

なんて、どう反応すればいいか分からない。
田舎では“普通”だったのに、都会だと“目立つ”らしい。

「また断ったの? 美羽ちゃ~ん、もったいな〜い!」
莉子が呆れ顔で言う。
「今の子、バスケ部キャプテンだよ? かっこよかったじゃん!」
「うーん……優しいけど、なんか違うんだよね。」
「えー、贅沢!」

美羽は、少し照れながら笑った。
「私ね、弱い男って興味ないの。」

「……なにそれ! 強さってどういう意味?!」
莉子がぐいっと顔を寄せる。
「もしかして、美羽……喧嘩とか強い系?」

「ち、ちがう! そういう意味じゃなくて!」
慌てて手を振る。
「ほら、精神的な強さというか! 根性とか、そういうの!」
「ふ〜ん……ほんとぉ?」
「ほんとだよぉ〜。」

(……ふぅ、危なかった)
心の中でため息をつく。
本当のことなんて言えない。
“空手三段”なんて言ったら、絶対引かれる。
この雨宮美羽の"安泰な学園スローライフ"が
かかってるんだから!




ーーー春の夕方、都会の風。

その日の夕方。
ベッドに寝転がって、スマホをいじる。
画面の明かりがまぶしくて、ブルーライトカット眼鏡をかけ直す。

(なーんか……アイス、食べたいかも!)

時計は18時過ぎ。
「時間的には、まだ間に合うよね?」
そう呟いて、美羽は部屋を出た。

外の空気は少し冷たいけど、心地いい。
制服から私服に着替えた美羽は、春色のパーカーにデニムスカート。

「溶ける前に帰らなきゃ〜♪」

鼻歌まじりにコンビニでチョコミントアイスを買い、足早に歩く。

春の夕方は、どうしてこんなにも透明なんだろう。
空は薄い群青色に溶けかけていて、遠くのビルの窓がオレンジ色に反射している。
近くの公園のブランコが、誰も乗っていないのにかすかに揺れていた。





そのとき——。

「やめてっ! 誰か、助けて!!」

か細い声が、夜風に混じって聞こえた。

美羽は足を止めた。
少し先、公園の暗がりで数人の男たちが女の子を囲んでいる。
中学生くらいの子だ。制服も違う。
泣きながら、必死に助けを求めている。

(……関わらない方がいい)
そう思うのに、足が勝手に前へ出る。

「ねぇ、離してあげなよ?」
声が出た。思っていたよりもはっきりと。

「……は? 誰だてめぇ?」
「何見てんだ?」
「通りすがりの高校生ですけど?」

不良たちの目が、美羽に向く。
その中のひとりがニヤッと笑った。
「あ? よく見たら、君も結構可愛いじゃん~。」
「…は?」

ぞわりと背筋が冷たくなる。
女の子から、彼らの視線が美羽へと完全に移った。

(あーもぉ……面倒くさい展開になった)

「ねぇ君、俺らと遊ばない?」
「いや、アイスが溶けるから無理。」
「は? アイス?」

美羽はチョコミントアイスを手の中でくるくる回した。
「そう、これ。溶ける前に食べたかったんだけど、ね!!——」

ベチャッ。

アイスが、不良の顔面に命中した。

「なっ!? なにすんだテメェッ——」

その瞬間、美羽の身体が自然に動いた。
一歩、踏み込み掌底。肘打ち。回し蹴りを繰り出す。

動きは静かで、でも正確だった。
数秒後、地面に転がっているのは彼らの方だった。

「……っよし、終わり!」
髪を整えて、息を整える。

泣いていた女の子が震えながら顔を上げた。
「お、お姉さん?……すご……」
「ふふ、大丈夫? もう怖くないからね。」
「う、うん……! ありがとう……!」

美羽は微笑んで、その子の頭を軽く撫でた。
「泣かないで。ほら、帰ろっか。家まで送ってってあげる!」

手を引いて歩き出す。
夜風がふたりの髪をそっと撫でた。

——溶けたアイスの棒が、街灯の下でキラリと光る。