巻き起こる強風の中、クロードの持つ黒い本から、黒い短杖が出てくる。
クロードは短杖を本から抜き出すと、宙に魔法陣を描きだした。
このわたしでさえ知らない魔法陣だ。
クロードが半壊した室内を眺めつつ述懐する。
「姫の復活を予知した私が五百年ぶりに帰国すると、この城は前と変わらぬ様相で建っていました。調べると、あの難を逃れた弟のジルベールが立て直したらしい。せっかくアルジェントの町を綺麗さっぱり吹き飛ばしてやったっていうのに」
「あんたがアルジェントの町を!? どうやって!!」
「こうやってですよ!! 出でよ、双頭竜ティアマート!!」
魔法陣を描き終えると同時に、クロードが右手に持った短杖を上空に向けた。
崩れて大きく開いた天井の瓦礫の先――遥か上空にクロードの描いた魔法陣が転写される。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
皆が目を驚愕の表情で見守る中、雲と魔法陣を割って現れたのは、全長五十メートルはありそうな巨大な双頭竜だった。
銀色の鱗が陽に照らされて光る。
わたしたちに見られていることに気づいているようで、双頭竜はその巨大な翼を悠然と羽ばたかせながら、上空からこちらをねめつけた。
火焔のエネルギーを溜めているのか、二頭の口の端からチロチロと炎が覗く。
これだけ離れていてもそのエネルギーの大きさが分かる。あの火焔こそ、アルジェントの町を消し去り、クレーターを作った攻撃だ。
さすがのわたしも息を飲む。
「ここはあんたの故郷でしょう!? あんたの血縁だって住んでいるのよ!? それなのにここを攻撃するっていうの!?」
「出来損ないの弟の作った出来損ないの町ですよ。くだらない。こんなもの滅ぼした方がいいんです。ではエリン姫、さようなら」
クロードは短杖を振り下ろすとフっと消えた。
大きく開いた双頭竜の口の中に、巨大な火焔の塊が見える。
絶望的な状況を前にし、わたしは浮遊大陸の直下にあった湖を思い出した。
かつてあそこには、数万人単位の人が住むアルジェントの町があった。
だが、この攻撃でそのことごとくが吹き飛び、クレーターと化した。一瞬で何万もの命が失われた。
あんなものがここに直撃する? 無理無理無理無理、あんなの回避できない!!
「残念ながら助けられるのはエリンだけだ。悪いね」
「アル!?」
不意にわたしの背後からアルの声が聞こえ……次の瞬間、わたしはイーシュファルト王国の中庭に立っていた――。
◇◆◇◆◇
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!
「わわっ!」
立っていられないほど地面が激しく揺れて、わたしはその場で転がった。
わたしもよその国に外遊に行ったときに地震というものを体験したことはあったけど、ここは浮遊大陸よ? 地面と切り離されているのよ? 地震なんか起きるわけないじゃない!
隣に立つイケメン姿のアルに慌てて問いかけた。
「何!? 何が起こっているの!? フランシア城はどうなったの??」
「フランシア城は間一髪無事だった。エリンがここに転移したことが分かったティアマートは、急遽照準を浮遊大陸に変えたんだ。アイツらにはこの浮遊大陸が見えるからね」
アルがわたしの隣で空を見ながら平然と答える。
わたしに見える範囲の空には全く変化が起きていないが、アルの視界には何かが写っているのだろう。
ドゴォォォォォォォォオォン! ドゴォォッォォォォォォォォォオンン!!
激しい音と地響きがなおも続く。
「大丈夫なの? ここは」
「おいおい、ボクを誰だと思っているのさ。悪魔王だよ? 本体で存在している今、ティアマートごときにここの防御壁を破ることは不可能だ。安心していい。それよりも術者の身体の方が心配になっちゃうね。いかに悪魔の書とはいえ深度十二の召喚魔法だ。エリンと違って彼は身体を強化していないから、そんなに耐えられるはずがないんだけどな」
「なに? 悪魔の書ですって? それってばクロードの持っていたあの魔導書のことよね? 何なのあれ」
何か事態の変化でもあったのか、じーっと空を見ていたアルが肩をすくめるとわたしの方に振り返った。
先ほどまでは結構厳しめの顔をしていたが、今、その顔はいつもの笑顔だ。裏で何かを考えているときに浮かべるタイプのだけど。
「音がやんだね。双頭竜が消える気配がする。術者が気を失ったかな? あれだけバカスカ火焔弾を撃てばね。よし、これなら再度の攻撃まで少し間が空きそうだ。とりあえず中に入ろう。話はそれからだ」
アルはきびすを返すと、スタスタと宮殿の中に入っていった。
説明をできるのはアルだけだ。
わたしは黙ってアルの後について宮殿に入った。
◇◆◇◆◇
「悪魔の書とは文字通り悪魔の力を秘めた魔導書のことで、大別すると二つに分けられる。すなわち、オリジナルか偽書かだ」
アルに連れてこられたのは、イーシュファルト王国の最奥部にある宝物庫だった。
本物の蒼天のグリモワールは、ここの文書類に混じって本棚にさりげなく置いてある。
わたしは宝物庫備えつけの、休憩用ソファに腰をかけた。
「オリジナルと偽書?」
「そう。オリジナルは悪魔が棲んでいる——というより悪魔そのものだから、悪魔を冠した字名がついている。『雷迅』、『灼熱』、色々さ。ちなみにボクは悪魔の頂点であり、天に並ぶ者とてない最強の存在だから『蒼天』だ」
「最強なの?」
「最強さ」
「じゃ、偽書っていうのは?」
「コピー本。写本だね。悪魔の力を秘めてはいるが、悪魔そのものが入っているわけではないから、強力ではあるが不完全で不安定だ。当然、色々弊害が出てくる」
「例えば?」
「悪魔の書はそこにあるというだけで、周囲に隠の気を撒き散らす。人の欲望を増幅し、暴力や攻撃衝動を掻き立て、犯罪を誘発させる」
「そういえば今代の領主になってから周辺地域との争いが絶えないって言ってた。その頃にクロードが悪魔の書を持って帰国したってこと?」
「そういうこと。そして当然、所有者には甚大な被害をもたらす」
「被害……」
「悪魔の書は呪いの書だ。強大な力を得る代わりに尋常じゃないレベルの呪いに身体を蝕まれ、生命を吸い取られる。オリジナルだと悪魔が悪影響を全て遮断してくれるが、写本だとそうはいかない」
「でも彼、生きているわよ?」
「不死化して難を逃れていたんだろう。だが見た感じそれも限界だし、魔法を使う度にとんでもない苦痛が彼の身体を苛んでいるはずだ」
「……どうすればクロードを救える?」
「生命、という意味ならもう無理だ。彼の背後に冥府の支配者ターナトゥースが見えた。仮にクロードがエリンを殺せたとしても、せいぜい数日の命だ。ターナトゥースの大鎌は狙いを絶対に外さない。直近の死は確定している」
「そう……。じゃ、もう一つ。今のわたしに彼を倒す手立てはある? 苦痛から解放してあげる方法はある?」
「一つだけ。それは……」
「それは?」
わたしとアルの声がハモった。
うん、分かっている。それしか方法はないって。そしてそれがどういう結論をもたらすかってことも……分かっている。
そう。わたしはわたしの意思で、それを選択するのだ。
ソファから立ち上がったわたしは部屋の隅に行くと、古びた木製本棚から一冊の本を抜き出した。
その真っ白な表紙の中央に、複雑な形の紋様が金の箔押しで刻まれている。
手にしただけで背筋がゾッとするほど禍々しく、恐ろしい力を秘めた呪いの本だ。
「エリンがボクと契約すること」
「わたしがアルと契約すること」
本物の『蒼天のグリモワール』を手にしたわたしは、これから自分に押し寄せるはずの残酷な運命を思い、ガックリと首をうなだれたのであった。
クロードは短杖を本から抜き出すと、宙に魔法陣を描きだした。
このわたしでさえ知らない魔法陣だ。
クロードが半壊した室内を眺めつつ述懐する。
「姫の復活を予知した私が五百年ぶりに帰国すると、この城は前と変わらぬ様相で建っていました。調べると、あの難を逃れた弟のジルベールが立て直したらしい。せっかくアルジェントの町を綺麗さっぱり吹き飛ばしてやったっていうのに」
「あんたがアルジェントの町を!? どうやって!!」
「こうやってですよ!! 出でよ、双頭竜ティアマート!!」
魔法陣を描き終えると同時に、クロードが右手に持った短杖を上空に向けた。
崩れて大きく開いた天井の瓦礫の先――遥か上空にクロードの描いた魔法陣が転写される。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
皆が目を驚愕の表情で見守る中、雲と魔法陣を割って現れたのは、全長五十メートルはありそうな巨大な双頭竜だった。
銀色の鱗が陽に照らされて光る。
わたしたちに見られていることに気づいているようで、双頭竜はその巨大な翼を悠然と羽ばたかせながら、上空からこちらをねめつけた。
火焔のエネルギーを溜めているのか、二頭の口の端からチロチロと炎が覗く。
これだけ離れていてもそのエネルギーの大きさが分かる。あの火焔こそ、アルジェントの町を消し去り、クレーターを作った攻撃だ。
さすがのわたしも息を飲む。
「ここはあんたの故郷でしょう!? あんたの血縁だって住んでいるのよ!? それなのにここを攻撃するっていうの!?」
「出来損ないの弟の作った出来損ないの町ですよ。くだらない。こんなもの滅ぼした方がいいんです。ではエリン姫、さようなら」
クロードは短杖を振り下ろすとフっと消えた。
大きく開いた双頭竜の口の中に、巨大な火焔の塊が見える。
絶望的な状況を前にし、わたしは浮遊大陸の直下にあった湖を思い出した。
かつてあそこには、数万人単位の人が住むアルジェントの町があった。
だが、この攻撃でそのことごとくが吹き飛び、クレーターと化した。一瞬で何万もの命が失われた。
あんなものがここに直撃する? 無理無理無理無理、あんなの回避できない!!
「残念ながら助けられるのはエリンだけだ。悪いね」
「アル!?」
不意にわたしの背後からアルの声が聞こえ……次の瞬間、わたしはイーシュファルト王国の中庭に立っていた――。
◇◆◇◆◇
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!
「わわっ!」
立っていられないほど地面が激しく揺れて、わたしはその場で転がった。
わたしもよその国に外遊に行ったときに地震というものを体験したことはあったけど、ここは浮遊大陸よ? 地面と切り離されているのよ? 地震なんか起きるわけないじゃない!
隣に立つイケメン姿のアルに慌てて問いかけた。
「何!? 何が起こっているの!? フランシア城はどうなったの??」
「フランシア城は間一髪無事だった。エリンがここに転移したことが分かったティアマートは、急遽照準を浮遊大陸に変えたんだ。アイツらにはこの浮遊大陸が見えるからね」
アルがわたしの隣で空を見ながら平然と答える。
わたしに見える範囲の空には全く変化が起きていないが、アルの視界には何かが写っているのだろう。
ドゴォォォォォォォォオォン! ドゴォォッォォォォォォォォォオンン!!
激しい音と地響きがなおも続く。
「大丈夫なの? ここは」
「おいおい、ボクを誰だと思っているのさ。悪魔王だよ? 本体で存在している今、ティアマートごときにここの防御壁を破ることは不可能だ。安心していい。それよりも術者の身体の方が心配になっちゃうね。いかに悪魔の書とはいえ深度十二の召喚魔法だ。エリンと違って彼は身体を強化していないから、そんなに耐えられるはずがないんだけどな」
「なに? 悪魔の書ですって? それってばクロードの持っていたあの魔導書のことよね? 何なのあれ」
何か事態の変化でもあったのか、じーっと空を見ていたアルが肩をすくめるとわたしの方に振り返った。
先ほどまでは結構厳しめの顔をしていたが、今、その顔はいつもの笑顔だ。裏で何かを考えているときに浮かべるタイプのだけど。
「音がやんだね。双頭竜が消える気配がする。術者が気を失ったかな? あれだけバカスカ火焔弾を撃てばね。よし、これなら再度の攻撃まで少し間が空きそうだ。とりあえず中に入ろう。話はそれからだ」
アルはきびすを返すと、スタスタと宮殿の中に入っていった。
説明をできるのはアルだけだ。
わたしは黙ってアルの後について宮殿に入った。
◇◆◇◆◇
「悪魔の書とは文字通り悪魔の力を秘めた魔導書のことで、大別すると二つに分けられる。すなわち、オリジナルか偽書かだ」
アルに連れてこられたのは、イーシュファルト王国の最奥部にある宝物庫だった。
本物の蒼天のグリモワールは、ここの文書類に混じって本棚にさりげなく置いてある。
わたしは宝物庫備えつけの、休憩用ソファに腰をかけた。
「オリジナルと偽書?」
「そう。オリジナルは悪魔が棲んでいる——というより悪魔そのものだから、悪魔を冠した字名がついている。『雷迅』、『灼熱』、色々さ。ちなみにボクは悪魔の頂点であり、天に並ぶ者とてない最強の存在だから『蒼天』だ」
「最強なの?」
「最強さ」
「じゃ、偽書っていうのは?」
「コピー本。写本だね。悪魔の力を秘めてはいるが、悪魔そのものが入っているわけではないから、強力ではあるが不完全で不安定だ。当然、色々弊害が出てくる」
「例えば?」
「悪魔の書はそこにあるというだけで、周囲に隠の気を撒き散らす。人の欲望を増幅し、暴力や攻撃衝動を掻き立て、犯罪を誘発させる」
「そういえば今代の領主になってから周辺地域との争いが絶えないって言ってた。その頃にクロードが悪魔の書を持って帰国したってこと?」
「そういうこと。そして当然、所有者には甚大な被害をもたらす」
「被害……」
「悪魔の書は呪いの書だ。強大な力を得る代わりに尋常じゃないレベルの呪いに身体を蝕まれ、生命を吸い取られる。オリジナルだと悪魔が悪影響を全て遮断してくれるが、写本だとそうはいかない」
「でも彼、生きているわよ?」
「不死化して難を逃れていたんだろう。だが見た感じそれも限界だし、魔法を使う度にとんでもない苦痛が彼の身体を苛んでいるはずだ」
「……どうすればクロードを救える?」
「生命、という意味ならもう無理だ。彼の背後に冥府の支配者ターナトゥースが見えた。仮にクロードがエリンを殺せたとしても、せいぜい数日の命だ。ターナトゥースの大鎌は狙いを絶対に外さない。直近の死は確定している」
「そう……。じゃ、もう一つ。今のわたしに彼を倒す手立てはある? 苦痛から解放してあげる方法はある?」
「一つだけ。それは……」
「それは?」
わたしとアルの声がハモった。
うん、分かっている。それしか方法はないって。そしてそれがどういう結論をもたらすかってことも……分かっている。
そう。わたしはわたしの意思で、それを選択するのだ。
ソファから立ち上がったわたしは部屋の隅に行くと、古びた木製本棚から一冊の本を抜き出した。
その真っ白な表紙の中央に、複雑な形の紋様が金の箔押しで刻まれている。
手にしただけで背筋がゾッとするほど禍々しく、恐ろしい力を秘めた呪いの本だ。
「エリンがボクと契約すること」
「わたしがアルと契約すること」
本物の『蒼天のグリモワール』を手にしたわたしは、これから自分に押し寄せるはずの残酷な運命を思い、ガックリと首をうなだれたのであった。

