蒼天のグリモワール 〜最強のプリンセス・エリン〜

 フランシア城の中庭に降りたわたしを、奇妙な違和感が襲った。
 何だろう。何か薄い膜にでも包まれているような気がする。それがわたしに圧迫感を感じさせている。

 念のため体内の魔力の流れを確認したが問題は感じられない。魔法回路は正常に動いている。もはやさっきまでのわたしじゃない。それに今は、(そば)にアルがいる。

 さっきからじーっと城を眺めつつ何ごとかを考え込んでいたらしき銀髪イケメン姿のアルが、ポツリとつぶやいた。

「中に入ってみよう」
「は? なんで?」

 アルのいきなりの提案に思わず慌てる。
 だって、今まさに死にそうな目に合ったっていうのに、ここは撤退(てったい)あるのみでしょ!?
 だが、アルはわたしの方に振り返ると、平然と続けた。

「なんでって、言わずとも分かるだろ? ここで何かが起こっているって」
「そりゃそうだけど。でも敵は、わたしの魔力を強制遮断(きょうせいしゃだん)できるほど強大なのよ?」
「それだよ。ボク自ら鍛え上げたエリンに勝てる人間など本来この地上にいるわけがないんだ。にも関わらずエリンの魔法が阻害(そがい)された。そんなことができる存在がいるとしたら、それは悪魔の書の……」
「……悪魔の書?」

 だが、憶測で結論を出すべきではないとでも思ったか、アルは肩をすくめただけで話を進めた。

「何にせよ、確認は必要だ。ボクの勘が正しければ、ここの人たちが苦しんでいるまさにその原因がここにあるはずだ。……それともキミは放っておくつもりかい? ここの人たちは元々イーシュファルトの民だったっていうのに?」

 ――分かっている。
 彼らを救えるのはわたしだけだ。そして、彼らが国の存在をすっかり忘れてしまっていたとしても、彼らは厳然(げんぜん)としてイーシュファルトの民だ。
 ならばわたしは王家の人間として、彼らを守る義務がある。

 ピィィィィィィィィィィィィィ!!

 ちょうどそこで、場内に警笛音(けいてきおん)が響いた。
 侵入が気づかれたらしい。

「しゃーない。アルの補助もあることだし、やってみるか!」

 ところがアルは、イケメンモードなくせに、わたしの決死の覚悟を屁とも思っていないようなのほほんとした顔で言った。

「あれ? ボク、補助するだなんて言った?」
「はぁ!? だって、魔法障壁張ってくれたのアルでしょ?」
「いやいや、あれはせき止められていたエリンの魔法が正常に発動しただけだよ。ボクは直接降りかかる呪いや妨害の類をシャットアウトする簡易魔法陣をエリンの肩に刻んだだけ。思念体のボクにできるのはせいぜいそんなもんさ。ここまで本体と離れると、さしものボクも何もできないよ」
「えぇぇぇ!? 散々人を(あお)っておいてそれ!? いくらなんでも無責任すぎない?」

 ハハっと他人事(ひとごと)みたいに笑ったアルは、わたしに向かってピンク色の短杖(ワンド)を優しく差し出した。
 わたしの愛用の杖だ。

「大サービス。エリンの杖を持ってきてあげたよ。五百年間、ボクがちゃーんと保存してきたんだ。これで頑張りな」

 言うだけ言って、アルはフっと消えた。
 その無責任さに歯噛(はが)みするも、当たり散らしている暇もない。 
 急速に追手が接近してくる気配を感じたわたしは、短杖で素早く宙に魔法陣を描いた。

「コルプス コンフィルマツィオ(身体強化)!」

 攻撃力や防御力、速度や回復力等、様々な効果を付与する光がわたしを包み込んだ。
 力が沸いてくる。

 やっぱり杖があるのとないのとでは瞬発力や収束率が段違いよね。

 そこへ、ガッシャガッシャ音を立てて、銀色の鎧兜を着た兵士たちが駆けつけてきた。
 その数、十。
 兵士の一人がわたしに向かって大剣を抜きつつ警告を発した。

「そこの少女! 両手を広げて地面に伏せろ! さもなくば斬り捨てるぞ!」
「ごめんなさい、お断りするわ。またね」

 わたしは兵士に向かってニコっと微笑むと、次の瞬間、百メートル九秒の速さでその場から離脱し、城の壁に取りついた。
 そのままイモリか何かのように垂直に駆け上がると、上層にあるテラスから中へ飛び込んだのであった。

 ◇◆◇◆◇

 ぶちゅるる、ぶちゅるるるぅ。
「……何よこれ。気持ち悪っ」

 侵入した部屋では、壁が生き物の内壁のように(うごめ)いていた。
 太さ二十センチはありそうな赤い肉の管が、血液でも運んでいるかのように壁や通路のあちこちで蠕動(ぜんどう)している。
 しかも、管が傷ついているのか、あちこちから血だか体液だか、なんだか分からない液体がしたたり落ちている。

 ちょっと繊細(せんさい)な人であれば、その場で吐いてしまいそうな気持ち悪さだ。
 念のため触ってみようと思って伸ばしたわたしの手が、見事に空振りする。

「実体がない……。透けて本来の壁も見える。とすると、肉壁は次元を少しずらして存在しているんだわ。そしてこの嫌な波動。おそらくこいつから何らかの洗脳波が出ていることは間違いない。解除できるかしら」

 短杖で宙に小さく魔法陣を描く。

「プルガティオ(浄化)!」

 肉壁に向かって呪文を唱えてみるも、案の定、魔法陣は杖先から離れた途端に霧散した。
 試しに肉壁に直接杖先を当ててみると、発動はするものの、あっという間に侵食されて、魔法陣が消える。

「肉壁の浄化は無理ね。さぁてどうしたものか」

 とそこで、妙な音が近寄ってきた。

 ガッシャガッシャガッシャガッシャ。
 ぺったぺったぺった。
「ゲっ! ゲゲッ!!」
「いたぞ! 動くな!!」

 振り向いた先にいたのは、何ともおかしな兵士三人組だった。
 いや、駆けつけた三人のうち二人は普通の兵士だった。だがもう一人。これがおかしかった。

 身体は緑色で鱗がビッシリ生え、一応上半身下半身共に銀色の鎧を着こんではいるものの、足先は入らないのか、ヒレつきの足がしっかり出ている。
 そして特徴的な魚の頭。濁った目。どう見ても魔物だ。人間じゃない。

泥妖(サムヒギン)が何でこんなところに!?」

 城の兵士たちに魔物が混じっているなんて!
 緊張感たっぷりで剣を向けてくる兵士たちから距離をとりつつ尋ねてみた。

「えっと……そこのソイツ……いいの?」
「ん? ジョシュがどうかしたか?」
「ジョシュ!? 名前があるの?」
「当たり前だ。俺たちの同僚を何だと思ってるんだ」
「ゲゲっ」

 どうやって会話が成立しているのか分からないが、名前まであるってことは普段から一緒にいるってことだ。魔物と?

「え、だってソイツ、魔物じゃない。ほら、魚頭だから兜もかぶれてないし」
「こいつは頭が大きいんだ。人を容姿で差別するのは良くないぞ!」
「いや、差別って言うか……。え? だって完全に魚顔だよね?」
「ゲっ! ゲゲっ!!」
「酷いやつだな、お前! ジョシュはそりゃモテるタイプじゃないが、男の価値は見た目じゃないぞ! 中身だ! 中身で判断してやれよ!」
「ゲゲゲっ!!」
「いやいや、中身ったって、そもそも魔物なんだけど……」
「もういい! 手を上げて床にうつ伏せになれ! 大人しくすれば痛くはしないぞ!」
「ゲゲゲゲっ!」

 駄目だ。兵士たちは完全にこの状態が普通だと思っているようだ。
 認識阻害を解いてやりたいけど、今のわたしに肉壁結界を破るのはまず不可能だろう。アルみたいに直接刻めば効果を発するかしら。
 わたしは短杖でササっと宙に魔法陣を描いた。
 兵士たちの目の色が変わり、剣を振り上げる。

「貴様! 抵抗するか!!」
「エクサイティシュ(覚醒)!」

 わたしは迷わず踏み込むと、振り下ろされた大剣をギリギリの位置で避けつつ、二人の人間兵士の肩を短杖で優しく叩いた。
 当たった瞬間、転写された魔法陣が兵士の肩で光を放つ。
 途端に、二人の兵士が絶叫した。

「な、なんだこれはぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
「うわぁぁぁぁぁあ!! 魔物がいる!!」
「ゲ……ゲゲゲっ?」

 やはり直接身体に刻んだのが功を奏したようで、魔法が正常に発動している。
 兵士たちにも、ようやく床や壁を覆う肉壁が見えたらしい。
 ついでに同僚の正体にも気づけたようで、仲間から剣を向けられた泥妖が慌てまくっている。

「ゲ……ゲゲゲゲ。ゲっ!!」

 逃走をはかった泥妖が、勢いよくテラスから飛び出した。
 マズい! 魔法で身体強化したわたしと違って、こんな高さから落下したら大怪我する!!

 なぜか魔物の心配をしつつ手すりに捕まって下を見ると、泥妖は足を引きずりつつ中庭を走って逃げて行くところだった。
 木をクッションにしたようで、打撲(だぼく)はしたものの命は助かったようだ。
 ホっと胸を撫でおろす。

 どこに巣があるんだか知らないけど、そこまで辿りつけるかしら。
 振り返って、わたしはビクっとした。

「え? なに??」

 そこでは、先ほどの人間の兵士二名が片膝をつき、わたしに向かって騎士の礼をしていたのだった。