蒼天のグリモワール 〜最強のプリンセス・エリン〜

 翌朝早く、わたしは歩きで浮遊大陸の中央広場まで行くことにした。
 昨日と変わらず白のネグリジェに裸足(はだし)だが、クローゼットを埋め尽くすほどあったわたしの衣類はことごとく(ちり)になってしまっていたのだから着替えのしようがない。我慢するとしよう。

 途中、いくつも人間大の巨岩を見たが、今のわたしではどうにもならない。
 湧き上がる複雑な感情を抑えつつ公園の真ん中辺りまで行くと、そこにはわたしの想像どおり、高さ十メートル近くもある黒大理石製のモニュメントが建っていた。

 思ったとおり、これは無事だったわね。
 魔力回路は切れているようだけど。

 このモニュメントは、浮遊大陸と直下のアルジェントの町とを繋ぐ巨大転送ポートだ。
 百人単位の人間や荷物を一気に転送することができる。
 もちろん、イーシュファルト王国の各領地と繋げることもできるのだが、物資の運搬という面から、アルジェントとの行き来に使われることが一番多い。

 本来ここには専用の操作員が常駐して移動の管理しているのだが、さすがに今は無人だ。
 だが、わたしたち王家の人間は、何か国難が発生したときに動かせるように、操作に関しての研修を受けている。
 元が大理石だからさほど摩耗もしていないし、緊急起動用のコードを打ち込めば、少ないながらも人員や荷物の転送ができるはずだ。

「えっと、確かこれで……こう」
 ウォンウォンウォンウォン……。
「やった! 動いた!」

 自前の魔力を流し込みつつ操作盤をいじると、すぐモニュメントが音を立てて振動し始めた。
 今まで真っ黒だった大理石の表面に文字が浮かぶ。
 続けて操作盤をいじる。

「行き先選択っと……。あれ? アルジェントの町がない。すぐ真下なのに。バグったかな……」

 アルジェントの表示が消え、選択できなくなっている。これでは跳べない。

「バグってないよ。ないんだ」

 すぐ真後ろにアルが現れた。
 今朝は白猫形態だ。
 猫のくせに、器用にも両手を頭の後ろで組んでいる。

「……何の用?」
「まぁそう嫌ってくれるなよ、エリン。ここにはボクとキミしかいないんだからさ。寂しいじゃないか。ここは一つ、仲良くやろうぜ?」

 白猫が二足歩行しながらニッシッシと笑う。
 わたしはため息を一つつくと、再び操作盤に向かった。
 アルが近寄ってきて、操作盤を覗きこむ。

「あぁあぁ、だからさっき言ったじゃないか。やっても無駄だよ」
「……あんた、何言ってるの?」
「だから、行き先がないんだって。受け手側の転送ポートが存在しないからその機械で跳べないんだよ。……ま、見てもらった方が早いだろう。いいよ、ボクが連れてってあげる」

 アルがその白い手をわたしに腕に押しつけた。
 肉球のムニっとした感触とともに、一瞬小さな魔法陣が浮かび上がる。

「あんた今、何をした?」

 次の瞬間、アルからの答えを待つ間もなく、わたしは浮遊大陸の直下に移動したのであった。

 ◇◆◇◆◇

 ザバババババババババババババババ!!!!
「ガボボボボボボッボボボボ!!」

 転送先は水中だった。
 膨大な水の中にいきなり放り込まれたわたしは、慌てて水面を目指した。
 幸いにしてわたしは泳げる。
 溺れることなく無事浮上したわたしは、水面から顔を出すと周囲を見回した。
 すぐそばで水に落ちることなくふよふよと宙に浮いているアルを発見したわたしは、カっとなって叫んだ。

「あんた何のつもりよ! わたしに何かうらみでもあるの!」

 水でびしょ濡れ状態のわたしを見て、白猫アルが心外だとばかりに肩をすくめる。

「いやいや、エリンが望んだんじゃないか、下に行きたいって。だから運んでやったのに」
「はぁ? あんた何言ってんの? わたしが行きたかったのはアルジェントの町よ! 場所、分かってるでしょ! 浮遊大陸の真下よ!」

 怒り狂いながら上を指差したわたしは、そこで愕然(がくぜん)とした。
 わたしの視界の先――遥か直上に、浮遊大陸が厳然(げんぜん)と存在している。

「浮遊大陸が……真上に……ある!?」
「だから言ったろ? ここがアルジェントの町があった場所さ。見てのとおり、今は何もない」
「なんで! なにがあったの!?」
「レオンハルトの一派がここで大規模殲滅魔法(だいきぼせんめつまほう)を使ったんだ。ほら、儀式用とはいえボクの写本だからね。そのくらいは余裕でできる。そのせいでこの場所にクレーターができちゃったんだ。その後は、五百年の間に水が溜まって湖になりましたって寸法さ」
「ここにあったアルジェントの町は?」
「そんなもの一瞬で蒸発したさ、住民もろともね」
「なんてことを……」

 あまりのことに、わたしは絶句した。
 何も考えられない。力が抜けたわたしは、再び水の中に落ちて行った……。

 ◇◆◇◆◇

「お嬢ちゃん! お嬢ちゃん!! しっかりするんじゃ、お嬢ちゃん!!」
「さ、火に当たりんさい、お嬢さん! 寒いだろ? アタシらが分かるかい?」

 次に気づいたとき、わたしは漁船の上にいた。
 すぐ近く、甲板の上で火が勢いよく焚かれている。
 魔法の火だから船を燃やすことはない、安全な火だ。

 (よわい)七十を余裕で超えていそうな白髪のお爺さんが、毛布にグルグル巻きにされたわたしを後ろから支えて火に当てている。
 すぐ隣には同年齢くらいの、これまた白髪のお婆さんがいて、マグカップを差し出してくれた。
 毛布からそっと手を出したわたしは、震える手でマグを受け取った。

「あたた……かい……」
「おぉ、意識はあるようだ! 良かった!」
「熱いからね、お嬢さん、ゆっくり飲むんだよ。慌てなくていいからね」

 マグの中身はスープだった。胃が温まる。同時に意識が急速に覚醒(かくせい)してくる。

「それにしてもビックリしたよ。ワシら、漁でたまたまこの辺りを通りがかったんだが、そうじゃなきゃ水死さね。何だってこんなとこにいなさった。ボートでも沈んだかい?」
「あんた、あんまり根掘り葉掘り聞くもんじゃないよ、人には色々事情ってものがあるんだから。……お嬢さん、何があったか知らないけど、生きていれば色々あるもんさ。でもいつか全ては過去になるんだ。生きていたもん勝ちだよ」
「ありがとうございます、お爺さん、お婆さん」
「いいってことよ」

 元気を取り戻したわたしを前に、お爺さんお婆さんが微笑む。
 お爺さんが船を岸に向けると、静かに発進させた。
 今日の漁を台無しにしてしまった。

「で、どこから来たんだい? としあえず岸まで行くから送ってあげるよ?」
「あぁ、上です。上から来ました」
「上? 上って?」

 操船をお爺さんにまかせ、わたしのお世話をしてくれていたお婆さんが首をかしげる。

「え? だから、上ですよ、浮遊大陸」
「浮遊大陸? なんだいそりゃ。んー、何も見えないけど。飛竜にでも落とされたかい?」

 お婆さんが上を見るも何も見つけられないようで、再度わたしを見る。
 見えていない。遥か上空に見える浮遊大陸が、この人たちにはまったく見えていない。
 深夜ならまだしも、昼の太陽に照らされて、あんなにハッキリと見えているというのに。

「なんでも……ないです」
「そう。溺れて記憶が混濁(こんだく)しちゃったかね。もうちょっとで岸に着くからね。それまで火に当たりながらゆっくり休むんだよ」

お婆さんの気づかいに感謝しながら、わたしは目をつぶった。