それでも、この世界で、光を


風の音さえ、遠い場所。


乾いた地面に足を下ろした瞬間、世界が止まったような感覚に陥る。


ノアレ──思い出せない自分の故郷。


リアは一歩ずつ、かつて暮らしていた町の廃墟へと足を踏み入れていった。

瓦礫と化した建物の影、
ねじれた鉄骨、
黒く焦げた街灯。

目に映るものすべてが、過去の断片を突きつけてくるのに、
リアの記憶は沈黙を貫いていた。


──ここで私は……生きていた?


胸の奥がひどく冷たくなった。

知らなかった。
思い出せないことが、こんなにも痛いものだと。


「……静か……何も、ない……」

そう呟いた自分の声すら、町に吸い込まれていく。

立ち尽くすリアの後ろから足音がする。
振り返ると、セリオがゆっくりと歩いてきて、相変わらず淡々とした口調で言う。


「ルクシミウムは全てを飲み込んだんだ。今のノアレは、ただ風が吹くだけ」


リアは黙ってうなずいた。
ただ、ここに立っているだけで精一杯だった。




しばらく無言で町を歩いた。
噴水や水路、風車は影となり、ひしゃげた鉄骨が空を仰ぐ。

セリオは何も言わず、静かにリアを先導する。

やがて、ひときわ崩れた建物の前で足が止まった。

「この家の瓦礫の中で、君は瀕死の状態で見つかったそうだ」

セリオの言葉を聞いても、リアは返事をしなかった。
いや、できなかった。

それが、かつて自分が暮らしていた家だったのか、
たまたまそこにいたのかさえわからない。

それでも、たしかに喉の奥が熱くなるような気がした。

ふと、瓦礫の下で咲く白い花に目をとめた。



──アネモネ



その花に込められた花言葉を思い出す。

名前のないぬくもりが、たしかに心を照らしてくれた。


「君は、ここで、自分の過去と向き合い、選びに来た」


セリオの声が背後から響く。
リアは小さく頷くと、指先でそっと花びらを撫でた。

「……来なさい。地下へ通じる道は、ここからだ」

セリオが指差したのは、崩れた民家の地下にぽっかり開いた暗い入り口だった。
覗き込むと、そこはまるで、時の止まった空間のような不気味さがあった。

「ここに、何が……?」

「研究所だよ。……本当はもう一つ入り口があったんだ。今は、この裏口しか残っていない」

セリオは足を踏み入れた。
リアも後を追う。

階段は長く、冷たい空気が徐々に肌を刺していく。

そして、一番下に降りた時、リアは息を呑んだ。


目の前に現れた扉には、取っ手も、鍵穴もなかった。
壁にしか見えない重そうな扉は、一ミリの隙間もなく、立ちはだかっている。

セリオは、ごくりと唾を飲み込むと、
「……開けられるのは、君だけだ」と言った。

そして、静かにリアの方を振り返る。

「君の存在が、この扉を開く鍵になっている。君の体には、“ここに帰る”ための刻印が残っているはずだ」

リアは思わず胸に手を当てる。
そこには、淡く光を宿す何かがあった。

「……私が?」

セリオは軽くうなずいた。

「サンティスは、君がここへ戻ってきたとき、扉が開くよう設計した。君以外、この世界の誰にも、開けることはできない」

リアは静かに、扉の前に立つ。
胸のあたりが、ひとつ強く脈打つ。
指先が、無意識に扉へと伸びていく。

ほんの少し、触れた、その瞬間。

扉全体が、ほのかに青白い光を帯びた。
リアの胸の奥でも、微かに温かい感覚があった。


やがて、無音のまま、扉はゆっくりと左右に開いていく。

目の前に現れたのは、薄暗い研究所の廊下だった。
だがリアの耳には、どこかで聞いたような声が、そっと響いた気がした。



──私は……君の命を繋いだ──



記憶なのか、幻なのか。


リアはその場で立ち尽くす。
目には映らずとも、心が揺れた。

後ろでセリオが、微笑みを湛えて言う。

「おかえり、リア。シェルハイム研究所へ。ここには、彼の研究のすべてが詰まっている。君の過去も、そして、君の選択の答えも」


リアは、一歩、扉の中へと足を踏み入れた。

自分の中の何かが、真実を求めるように。