Excalibur

 ◇対流圏上空◇



 シュゥゥゥ――……。
 猫型異形の腹部に空いた風穴が、修復されていく。
「……その傷……?」
「にゃへ? しょんなもん効くワケないにゃろっ!」
 ぺっ――。
 猫型異形が吐いた唾が、コズエのボディスーツを汚染させる。
「にゃはエーテル体にゃよっ! モノじゃにゃいっ」
「……あぁ、そう……」
 キュィィィ――……。
 何らかの駆動音に恐れを成したか、危機を察した猫型異形が暴れ出した。
「もう離せにゃっ! しつこい言うとるにゃよっ!」
 ドタンバタンっ――。
 猫型異形が、手足をじたばたさせてもがく。
「離したら、真っ逆さまにならない?」
「にゃらにゃいっ! にゃは空くらい飛べるにゃっ」
「ふーん。……飛べるんだ」
 ネコ好きなコズエにとって、動物をこれ以上虐待のは流石に気が引けた。
 処罰は、この異形が悪者であるとの確証を得てからでも遅くはなかろう。
「ま、可愛いし、……今回は逃がしたげる」
「にゃにゃっ? 助かりましゅにゃよっ!」
 ぱっ――。 
 対流圏の遥か上空の宙に投げ出される猫型異形。その姿が浮き上がった。
「……今度暴れたら容赦なく掻き消すから。わかった?」
「……にゃへ、にゃへっ」
 ぱたぱた――っ。
 猫型異形が耳をパタパタさせて息をきらしながら何処かへと飛んでゆく。
「……不器用なネコね……」
 おぉおぉお――……。
 その後ろ姿を見送った紅いネコ眼が、高高度から直下の地上を一望した。
「……ジュン?」
 ウィィ――……。
 深紅のサーチアイが見覚えある黒服の男の姿を地上の校舎前に補足する。

 ◇直人の別荘◇



 ドさっ――。
 ふかふかの布団が、二人分、横並びに敷かれる。
「不思議な気分だ……。またこうして寝られるなんて……」
「不思議? 大袈裟だね兄様ってば。つい最近までっ……」
 そう言いかけて、楓はふと口を噤んだ。
「最近だと思ってたら、もぅこんなに時間が経ったんだね」
「……俺もお前も大人になったって事だよ、楓……」
「何も覚えてないのに、身体だけ成長してもなぁ~」
 ぁはは、と屈託なく笑うと、直人は楓を愛でる様に眺めた。
「じゃあ、電気、消すぞ。もう、歯も磨いたよな?」
「えぇ、ぅん。大丈夫」
 パチ――っ。
 裸電球を消すと、気分が落ち着き、心に平穏が戻って来る。
 窓から差し込む柔らかな月明かりが、寝室を優しく照らしている。
「お兄さま……?」
「……ん? どうした?」
 寝付けないのだろうか。仰向けに横たわったまま、楓が語り掛けて来る。
「……楓が居ない間、ずぅっと一人で過ごしていたの?」
「……あぁ。それがどうかしたか……?」
「寂しくなかった? その、一人で心細くなかったのかなぁ、って」
「……」
 リィ――ン……。リィ――……ン。
 少しばかりの沈黙があった。鈴虫の様な鳴き声が寝室に鳴り渡っている。
「毎晩、眼を瞑るとあの光景が見えるんだ。腹が立って眠れなかった」
「……墜落事故のこと?」
「俺達は何も悪い事をしてない、ただ平穏に生きたかっただけなのに」
 ギギ、――……。
 奥歯を噛みしめる、キリキリと痛ましい軋轢音が響き渡る。
「罪なき人々の平和や希望を犠牲に成り立つまやかしの支配体系など」
 ギギギ、ギギ――……。
「兄……さま……?」
 痛ましい悲壮な歯軋りが寝室に断続的に鳴り渡ってゆく。
「許せるはずがない……。奴らの非道は決して許せるものじゃあない」
「……はい。……楓もそう思います」
「……すまない、無理に同意させてしまったか……?」
「いぇ、楓も兄様と同じ気持ちです。……許せません」
 おぉおぉお――……。
 寝室に鳴っていた歯軋りの音が、……止まった。
「ごめんな、楓。夜遅くに、こんな話……」
「いいえ、恐らく皆も兄様と同じ気持ちだと思います。怒ってるハズ」
「……メディアや三Sで洗脳されてしまって、怒ってないと思うがな」
 嘆息して応じる直人。権力者の欺瞞や嘘に毒された愚民は隷従の一途だ。
「……三S? ねぇ、兄さま……」
「ん? 何だい、楓……」 
「兄様の言う連中は、何故人々を争わせ、支配しようとするのです?」
「……ケッ、世界を自分達の理想の楽園に変えちまいたいんだろーさ」
 至極当然の事を当たり前に説明する直人。これは資本主義世界の本質だ。
「権力を持った一部の大人たちが、理想の世界を作ろうとしてるの?」
「人間界だけじゃなくて、どんな生態系でも、大抵そうなるんだよな」
 野生動物の世界も一緒。猿山等は典型だ。人類史が雄弁に物語っている。
「生命の本質なのかもな。生命自体がエゴなんだ。だから戦争になる」
「楓と兄様が墜落事故に巻き込まれた事とも、関係があるんだよね?」
 虚空に向けて語り掛ける二人。お互いに横並びで表情などはわからない。
「当然だ。俺達は連中の奸計に偶然か必然か知らないが巻き込まれた」
「けっきょく、……運が悪かった、って事なんだよね?」
 小難しい話題に、なんとか食らいつこうとする楓の理解を、修正する兄。
「運じゃない。必然だ。すべては霊性の研鑽に必要だから起きたんだ」
「……起きるべくして、起きた出来事、って事なの? それも悲しい」
「悲観的に捉えるから駄目なんだ。自分の成長の糧として捉えないと」
「……頭が、痛くなってきたよ。兄さま。……もう寝ちゃっていい?」
 楓の声がだんだん、か細くなってきた。色々あり過ぎて疲れたのだろう。
「……考えたって仕方ない事だってあるよな? ……お休み、楓……」
「すぅー……、すぅー…………」
「……」
 バサァ――ッ。
 規則正しい寝息が聞こえてくる。寝静まった後で、直人は身を起こした。
「……」
 深夜の見回りをすべきだ。何時、また例の怪異が襲って来るか解らない。
 セキュリティ対策を怠っている訳ではないが、念には念を入れるべきだ。

 ◇学園校舎前◇



 おぉおぉお――……。
 セレスの様相が変わって来た。先程から妙にそわそわして落ち着かない。
「どうしたんだセレス、何か気になる事でもあるのか?」
「え、えぇ……。何だか懐かしい気配がすぐ近くに……」
 青髪の少女が、闊達な笑みを浮かべる。
「ふぅーん。何処? まずそこへ行ってみるべきっしょ」
「そう、そうね。ジュンさん、気配は駅の近くの様です」
「行ってみるか。青海駅へ。手掛かりが掴めるかもな?」



 ダダッ――。
 一目散に駅目掛けて走る一行。校舎前に残された眼鏡の男が大声で叫ぶ。
「馬鹿野郎ぉおーーっ! ボク達を置いて勝手に行くなぁあっ!」
 おぉおぉお――……。
 何処からともなく殺到するゾンビの群れに、たちまち囲まれてしまった。

 ◇コンコース◇



 ザッ、ザッ――……。
 ゆっくりと歩いて来る長身美女を警戒し、アテナが細身の銃身を構える。
「……っ」
 何の変哲もない女性。が、左右に揺れながらの歩行は人間離れしている。
「私達の仲間じゃない事だけは確かね……っ」
 ぐぐ――ッ。
 トリガーにかかった指に膂力が籠ってゆく。

 おぉおぉお――……。
 エスターに接近しながら、慣れ慣れしく呼び掛けるマルス。
「おい、そこのお前ッ! 名は何という? 名乗れッ!」
「……っ」



 向こうはどうやら自分の事を知っている様な塩梅だ。が、こちらは初見。
 それに仲間のチップスから素性を明かさぬよう何度も忠告を受けている。
 近づくものは須らく敵に思え――。繰り返してそういい聞かされて来た。
「……貴方は、何者なの?」
 ヒュォォ――……。
 最低限の臨戦態勢を保ちながら、エスターは慎重に相手に問いを投げる。
 回答次第では、相手を即座にミンチにする準備は出来ている。
「俺か? 俺はマルス、月の住人だ」
「……マルス……」
 堂々と振る舞う男の断固たる声の響きには、なんとなく馴染みがあった。
「貴方は、……何者? 私の事を、何か知っているの?」
「何寝ぼけた事を言ってやがる、お前は月の住人だぞ!」
「……私が、……っ!?」
 ――記憶がない以上、何も思い出せない。逡巡する刹那の間――。
「何をしてるエスター、群がる連中を叩き伏せなさいっ!」
「ハイドラ様っ?」
 長身美女の言い放った一声を浴びて、エスターの眼の色が赤に変わった。
「……ハイドラ? 旧支配者かッ?」
 フッ――。
 マルスの視界から掻き消えると、青髪の少女がその後方へと姿を現した。
「ぬぅッ、そこかあッ!」
「……っ」
 ヴン、――ボッ。
 放った乾坤一擲のバックハンドブローが空を裂き、少女の幻影を飛ばす。
「――ストライク・ファイア」
 チッ――、ゴゥオッ!!
 断熱圧縮により高温と化した局所の大気がブローの空気摩擦で着火――。
「……マルスっ!?」
「うぉおおおッ!?」
 ゴォォオオオ――ッ!!
 瞠目するアテナの視線の先で、マルスの身体が炎の渦中に呑み込まれる。