Excalibur

 ◇夕暮れの道◇



 ヴロロロロ――……。
 夕暮れ時の山麓の公道を、緩やかな稜線を描いて疾走する一台のタクシー。
 直人の運転は普通に上手く、クラッチに依るノッキングもせず進んでゆく。
「……? ……大気が、鳴動しているな……」
「大気が? 兄さま、大気の声がわかるの?」
「あぁ、何となくな。今日の空は鳴いている」
 ゴロゴロゴロ――……。
 時等しくして、暗雲に覆われた空に雷鳴が轟き始めた。遠間で稲光が瞬く。
「ほんとだぁ。凄いね兄さま。何で判るの?」
「気圧と湿気、風の温度、雲の形など色々な」
「……へぇ~。楓も解るようになるかなぁ?」
「山で暮らせば嫌でも解る様になる。山の天気は変わり易いからな」
「……ふぅん。なら心配ないね。良かったぁ」
 ブロロロロ――……。
 山道をぐんぐん登ってゆくタクシー。私道へと差し掛かる白看板が視えた。
「ここからは俺の私有地だ。このまま進もう」
 ブロロロロ――……。
 ディアナと泊まった邸宅と違い、今回は車で直接乗り付けが可能な別邸だ。
 羆に彼女が襲われた時は肝が冷えた。が、全ては取り越し苦労だった訳だ。



 おぉおぉお――……。
 雷光瞬く山麓の寒空の下、夜道を急ぐタクシー前に豪奢な館が見えてきた。
「ほら、見えてきたろ? アレが俺達の家だ」
「えぇー? ここが全部お兄さまの別荘ぉ?」
「そうだよ楓。俺とお前の為のシェルターだ」
「……シェルター?」
「秘密基地ってとこかな? まぁ一度入れよ」
「ぅん。そだねっ!」
 ザザァァァ――……。
 滑らかな弧を描き、西洋風の居館の前に停車するタクシー。辺りは既に薄暗い。
「さぁ、着いたぞ楓。招待するよ」
「ぅん。何だかわくわくするー♪」
 バタンッ、タタタ――……。
 車のドアを勢いよく締めると、楓は月夜に佇む豪壮な居館に向けて走り出した。

 ◇山奥の別荘◇



 直人が振る舞う鍋料理は概ね好評だった。食後のアフタータイムとなった。
 パチ、パチ――……。
 薪ストーブ前に横並びに腰掛ける二人。楓は懐かしそうに眼を細めている。
「懐かしいなぁ。お兄様と、良くこうしてたよね。こんな風に火を眺めて」
「お前はアレから何も変わってないんだな。俺は随分変わっちまったけど」
「そぅお? そっかなぁ……」
 楓の大きな瞳が、きょろっと直人を仰ぎ見る。その口許に笑みが広がった。
「お兄さま、少し歳をとった? 何だか逞しくなった様な。気のせいかな」
「……いいや。歳をとったよ。俺はもう、あの頃のお前の兄貴とは違うよ」
 パチ、パチン……。
 明々と揺らめく炎。薪が弾ける乾いた音が耳に心地よい。疲れが染み渡る。
「そぉ、そぅかな……? 私はお兄さまが一緒なら何処だって平気だよ?」
「ありがとう、楓。……例えお世辞でも、そう言ってくれると、助かるよ」



 パチ、パチン……。
 弾ける炎に、遠い眼を向ける直人。薪ストーブを囲んだ嘗ての情景が過る。
 夜な夜な、寝付けない時には、こうして将来の夢や希望を語り合っていた。
 あの頃とは随分変わってしまった。直人は、夢や希望をずっと失っていた。
「お前の知ってるお兄ちゃんとは、……大分変ってしまったかもしれない」
「……ぇ? なぁに?」
 事故以来、苦心惨憺の日々が続いた。ストイックに己を律し鍛錬してきた。
 愉楽の感情は遠い過去。乾ききった心に残ったのは怨嗟と憎悪だけだった。
「でも、今は……――」
 少し大人びた容姿の妹が、直ぐ隣に居る――。夢も希望ももう叶えられた。
 ただ、そこに楓が居る。それだけで十分だった。欲しい物はもう何もない。
 ――楓がそこに居る、それだけで満たされる――。願わくは、それが――。
(……ここが俺たちの第二の故郷だよ。なぁ、覚えてるだろ? この場所)
 言いかけた言葉をそっと呑み込む。言葉で伝えなくても、想いで伝わる筈。
(ここは、俺を育ててくれた大切な場所なんだ……。これからは、一緒に)
 事故が起きた凄惨な現場ではあるが、今の直人には、離れられない故郷だ。
 絶望と悲嘆に満ちた場所だが、直人にとっては掛け替えのない大事な家だ。
「でも? ちょっと大人びた? ……雰囲気とかそう変わってないよね?」
「……そうか? そりゃ良かった。お前は呑気でいいな。……羨ましいよ」
 ――ふふっ。
 青白い直人の顔貌に、乾いた笑みが浮かぶ。整った顔立ちに哀愁が漂った。



「御免ねお兄さま。私は、……楓は何も助けてあげられなくって、御免ね」
「……? 楓、何でお前が謝るんだい?」
 ――グ……ッ。
 隣に座る小さな身体を、そっと抱き寄せた。求めていた温もりが染み渡る。
「むしろ謝るのは俺の方だよ。一人で不安だったよな。もう大丈夫だから」
「……でも、お兄さまは一生懸命頑張って来たんでしょ。なのに楓は……」
 申し訳なさそうに兄を見上げるその美貌に、嘗ての幼い楓の表情がダブる。
「何も、……言わなくていい。今夜はもう遅い。続きはまた明日にしよう」
「……ぁ、ぅん。……ゎかった」
 ――ス……。
 立ち上がると、楓をその場に休ませたまま、直人は布団を引っ張り出した。
 ボフン――っ。
 妹専用に取っておいた敷布団を丁寧に並べ、寝室の裸電球をパチンと消す。
「……」
 過去を想起し、妹の好きな敷布も敷いて、二人分を一人で寝る事はあった。
 が――、それが現実になるとは思わなかった。未だに夢を見ている気分だ。

 ◇コンコース◇



 オォオォオ――……。
 魔界への帰還を阻まれた美女ゾーイ。その額に薄っすらと汗が滲んでいる。
「霊力差がありますが、……兵法次第ではどうにか……」
 遥か上空は雲海で淀み良く見えない。が、――大気圏からはどうだろうか。
「そんなに差があンのか? 例えて言うとどんくらいよ」
「例えていえば、……ギガとテラくらいの霊力差が……」
「ギガ? んだそれ。携帯電話のコマーシャルか何かか」
「ジャッカル、そんな冗談がゾーイに通じる訳ないだろ」
「……ケッ、堅物女め。まぁ誰がとは言わねーけどよ?」
 これ見よがしにレディをチラ見するジャッカル。神経質な細眉が反応する。
「ジャッカル。今の言葉、……誰に向けて言ったのだ?」
「レディっ。喧嘩してる場合じゃないわ。標的が動いた」
「……なにっ!?」
 ビュゴォオ――……。
 叩きつけるかの様なダウンバーストが、コンコースに屯する一同を襲った。
「ぅわあッ! ンだよいきなりよおッ!?」
「屈めジャッカルっ! 姿勢を低く保てっ」
「……くっ」
 身を屈めて、叩きつける突風をやり過ごすゾーイ。視線の先では戦闘中だ。
 ガンガンッ、――ギィンッ!
 猛攻を捌いてきたイージス盾が弾かれた。もんどり打って倒れ込むアテナ。
「きゃあっ、盾がっ、……ちょっと攻撃止めてえーっ!」
「っ! ……そぅ? いいわよ……。稽古は小休止ね?」
 ザッ――……。
 アテナに遠慮し、攻撃の手を緩めるコズエ。本気を出してないのは明らか。
「オーディションは合格だけど、まだレッスンが必要ね」
「ふんだっ。直ぐに上達して一躍スターダムだからっ!」
「……期待してるわ。でもその前に。やる事が出来たわ」
 ピピッ――。
 センサー音が鳴った。ボディスーツの乱れを整えると、コズエは踵を返す。
「ぁ、ちょっとぉ。まだ戦闘、終わってないじゃなぁい」
「小休止、って言ったでしょ? 先ず呼吸を整えなさい」
 ザッ、ザッ――。
 紅い戦闘服に身を包んだ女子がコンコース脇に屯する一群へ向かって来る。
「おい、どーすんだ義姉さん、変なのが来ちまったぞッ」
「……止むを得まい。ここは我等も協力するしかないな」
「あの正義の執行者が、私達の忠告なんて聞くかしら?」
 ――ザッ。
 一同の前に立つコズエ。猫の様な眼を煌かせ、不思議そうに小首を傾げる。
「そんなところに集まって、一体、何を話しているの?」
 囁くかの様な、無機質な棒読み――。ジャッカルが二人の女子の前に出た。
「気付いてねェか? この駅周辺に霊気が集ってンだよ」
「……えぇ。気付いてるわよ。だけど、射程範囲外なの」
「……あぁ、そう……。何が射程範囲外なの、だよ……」
 クルリ――。
 肩越しに二人の女子を見やると、ジャッカルは露骨な変顔でアピールする。
「お前さ、相手がどんな連中か大体察しついてンのか?」
「上層からまだ詳細は聞いてないけど、大体解るわよ?」
「へぇ……。お前さ、少し綺麗になったみてェだな……」
 おぉおぉお――……。
 値踏みするかの様にコズエを吟味すると、ジャッカルは話題をすり替えた。
「お前、舞台の方はどうなんだ? 最近売れてンだろ?」
「っ? えぇ……。もしかして、舞台に興味があるの?」



「あぁまぁな……、――痛ッてぇえ!?」
 ギュゥゥゥ――……。
 悲鳴が上がった。背中を一杯に抓られ、海老反り様に仰け反るジャッカル。
 お目付け役からの手厳しい『躾け』を受け、すっかり口数が減ってしまう。
「横暴な男で済まない。私が代わろう。どんな相手だ?」
 ザッ――。
 ジャッカルを奥に引っ込めると、入れ替わりに喧嘩腰のレディが出て来る。
「……。旧世界の神々じゃない? 友好的じゃなさそう」
 はぁと嘆息すると、コズエは鷹揚な挙措で腕を組み、レディを睨みつけた。
「何だ、その投げやりな言い方は。私はこれでも――っ」
「ちょっとレディ、あの彼女と二人だけでいいかしら?」
「ゾーイ? なんだ、ちょっと待て……っ、勝手に――」
 ザッ――。
 アラビアン美女が割って入った。コズエを眼で誘い、奥の方へと移動する。
「……っ」
「~~っ」
 クスクス――っ。
 こちら側を肩越しに窺うゾーイとコズエが、歪な含み笑いを浮かべている。
「く~……っ」
「義姉さん散々だなぁ。まぁそんなに気を落とすなって」
「ぅ、煩いっ。お前に心配される程、堕ちちゃいない!」
 パンっ――。
 ジャッカルの手を振り払うと、哀愁漂う視線を明後日の方に向けるレディ。