◇青海裏通り◇

ザッ、ザッ――……。
黒ドレス衣装の長身美女。足先まで覆う黒のロングスカートを履いている。
「お兄さま、あの人……、様子が変……っ」
「人じゃないな、……妖怪か化生の類か?」
眼を凝らす直人。推定二Mを超える細身の長身。容易く異形と認識出来る。
「楓、走って逃げるぞ。お兄ちゃんに続け」
「……ぅ、ぅんっ。わ、……わかった……」
ごくりと生唾を呑む楓を尻目に、直人は反対側の通りへ向けて走り出した。
タタタ――っ。
夕陽に長く伸びた二体の影が裏通りを奔る。後を追走する大きな影が一つ。
「あら、……見失っちゃった」
――タッ……。
西洋風のラグジュアリーレースハットを目深に被った女性が、足を止めた。
「……探しておいで……」
――ヴォン、ヴォォ――ン……。
人影が巨大な異形に変身し、そこから枝分かれに分散して標的を追走する。

おぉおぉお――……。
建築物や舗装の外壁を伝い、複数に枝分かれした黒い影が追いかけて来る。
「お兄さまっ……、アレっ!」
「……チィッ、……化け物め」
ザザァ――……、タッ……。
倍速化の秘奥義、春霞なら逃げきれる。だが、妹は――。足を止める直人。

自動追尾シャドーは恐らく何らかの信号を探査している筈、となると――。
考え得る信号は複数在る――。影自体に反応している可能性もあるが――。
「はぁ、はぁ、……兄さまっ」
「あぁ、……わかっているッ」
ピキィ……ッ。……バシィイ――ッ!!
気を放つ直人の総身から放射状にスパークが迸り、一帯を磁性体と化した。
「兄さま……、何を……っ?」
「……説明は後だ。急ぐぞッ」
タタタ――ッ。
夕陽を避け、追手を撒くかの様にして、路地裏を縦横に疾走する二つの影。
「……あら……?」
おぉおぉお――……。
標的を見失い収束する黒影の群れ。裏通りに佇む長身美女が、ニッと嗤う。
◇青海公園前◇

ザァァ――……。
噴水前で佇む二つの影。気配を窺う直人の後方で楓が乱れた息を整え中だ。
公園前の噴水所。嘗ては賑わっていた界隈も、今となっては過去の一情景。
「変な影が追って来る様子はないな。……取り合えず上手く撒けたか」
「はぁ、はぁ。お兄さま、……アレは何? 何で追いかけて来るの?」
上体を屈め、肩で息をしながら楓が疑問をぶつけてくる。返答に困る直人。
「さぁ、人じゃないのは確かだ。実体があるのか霊的な物かは知らん」
これまで見た事もない異形だ。正直、返答のしようがないのが本音だった。
「幽霊? 兄さま、幽霊信じてるの? リアリストじゃなかったの?」
「俺はリアリストだよ、楓。でも、今のこの世界の有り様を見てみろ」
「ぅっ、……この世界のありさま……?」
少し考え込むと、やがて、楓がはっとした様に顔を上げて直人を見上げる。
「……ゾンビ? ゾンビと幽霊は違うよ? ゾンビは肉体があるもの」
「……ッ。あぁ、そうだな……。ゾンビにはちゃんと肉体があるよな」
「っ! でしょ? だよね?」
「あぁ。お前の言う通りだよ」
ポン――っ。
妹の肩をそっと叩き安心させると、直人は優しく言い聞かせる様に講ずる。
「磁気センサを狂わせた。磁気探知の可能性があったんでな。一応な」
「……磁気、センサ? 何それ」
きょとん顔の楓が、小さく首を傾げる。無垢な瞳を前に苦笑を漏らす直人。

「ぅーん。……楓、聡明なお前になら、多分解るハズなんだがな……」
「ちゃんと説明してくんなきゃ、わかんないよ。何よ兄さまのケチっ」
ブーっ。
唇を尖らせてむくれる妹を前に、直人は腕組みをすると、少し考えこんだ。
「……そうだな……、いいかい楓、地球にはN極とS極があるだろ?」
「ぅ、……ん。ある。それくらいは私にもわかるよ。で、それが何?」
「N極からS極に磁力が流れる。それが磁力線。重力の正体でもある」
「……重量?」
小首を捻る楓を愛でる様に見据えながら、直人は独自の木崎理論を講ずる。

「地球上の万物は電磁気力に倣って支配されている。要は物理法則だ」
「ぶつり、……ほうそく? ぶつりって、えっとぉ、……物のこと?」
「……あぁ、そうだ」
話が長くなりそうだ。無理もない。妹は墜落事故以来、時が止まっている。
不慣れの地に長く留まるのは得策ではない。一旦、ホームに帰還すべきだ。
――御巣鷹山に――。
「あぁ。取り合えず、一旦家に戻ろう。お前にはまだ難しいかもな?」
「ぇえー? ちぇっ。私にだってわかるもん。何よ、兄さまのケチっ」
「……ッ。ちゃんと後で説明してやるから、心配しなくていいよ……」
膨れっ面を浮かべる楓。その姿を薄眼に、直人はふやけた微笑を浮かべる。
◇バス停留所◇

おぉおぉお――……。
停車場にはゾンビの屍が転がっているのみで、車両は勿論、人の姿は無い。
「ぅ~またさっきの変なの寄って来たら嫌だなぁ」
「あの連中、……数自体は少ないんじゃないか?」
青海駅周辺に集っていた霊気から察するに、局地に密集していたとみえる。
中心街から離れた停車場には磁気エネルギー的な何らかの気配は感じない。
「バスが無いと、……楓の足だとかなりかかるな」
憔悴気味にぼやく直人。困窮していた。女子の徒歩だと悠に一日はかかる。
「お兄さまって知り合いの運転手とか居ないの?」
「あぁ。……以前は、……居たんだが、……ん?」
ヴロロロロ――……。
まさに渡りに船――。見覚えのあるタクシーが二人の下へと接近してくる。

ザザァぁ――……。
緩やかな弧を描く様にして停車する黄色の車は、下平の所有物に違いない。
「……下、平……ッ?」
「ぃよぉ。直っちゃん」
ガァ――……。
窓が開き、馴染みある初老のオッサンが顔を覗かせた。下平怨三――無職。
「下平……? お前、大したもんだ。まさか無事だとはな……」
サバイバル術に長けた初老の男ではあるが、相手は人外、それも化生の類だ。
辺鄙な秘境とはいえ、連中から生き延びるとなると相応の実力が必要となる。
「ねぇーお兄さまぁ、この人が私達のこと、助けてくれるの?」
「あぁ、そのハズだよ、楓」
にこっと笑う直人。
「あぁ~、会いたかったぜ直っちゃぁん。何か月ぶりだぁ~?」
訝る直人。何か月――? 最後に下平と別れて、そんなに経ったのだろうか。
セレスの結界内に長い間閉じ込められていた為、時間の感覚が麻痺している。
「あれま~、こりゃまた可愛いお嬢さんお連れやないでっか~」
「手を出すなよ、下平。いくらお前でも、……解ってるよな?」
――パリッ、バチィ――……。
直人の総身をたちまち覆う青白いスパークが、瞠目する下平の眼前で弾ける。
「ひぇっへへ……、そりゃぁもぅお~。骨身に染みてますがな」
初老の男が、黄ばんだ歯を見せ歪に嗤った。うっと身体を仰け反らせる楓。
「ちょ、ちょっとお兄さまぁ。こんな人の車に乗れってのぉ?」
「あぁ。腐れ縁でね、御巣鷹公安堂の怨三って地元じゃ有名だ」
紹介されて忽ち調子づく初老の男。黄ばんだすきっ歯を見せて卑屈に嗤う。
「ひぇーへっへェ。照れる事言わんとってやぁ~直っちゃぁん」
「ぅ、……うぅ……っ」
下卑た声を上げ、顔をくしゃくしゃに嘲笑う初老の男。楓の顔が青ざめる。

「……っ。わ、私、……無理ぃっ。こんな車に乗りたくないっ」
「楓? ちょっと待て、こう見えて信用出来る男なんだが……」
さり気なくフォローする直人。下平はがめついが、義理堅い男なのは確か。
が、――……。
「いぃっ! 嫌なものは嫌っ! お兄さまどっちの味方なの?」
――ブンブンっ。
すっかり怖気づいた楓が、青ざめた顔をしきりに横に振りながら拒否する。
「くッ……、困ったな……。下平、お前が気に喰わない様だぜ」
「ひぇっへっへ……。そうでっかぁ~? そりゃまぁ何とも~」
「ぜったい変な人だよっ! 犯罪か何かしてるんじゃないの?」
わーわー……。
楓の乱心ぶりを睨み眼で窺う初老の男。淀んだ眼に情念の色が宿ってゆく。
「申し訳ないんだが、下平……。俺の言いたい事、解るよな?」
ス――……。
胸ポケットから札束をチラ見せする直人。下平の淀んだ眼が輝きを放った。
「ひぇっへェ~、わかってまんがな直っちゃぁん。ほれ、キー」
「すまない、……下平。今度とびきり上手いカップ麺やるから」
――チャリン。
初老の男から手渡された車のキーを受け取ると、返礼の札束を手渡す直人。

「ほらよ、持ってけよ、この守銭奴」
「ひぇっへっへ。まいど、おおきに」
ポン……、――ササっ。
手渡された札束を、慣れた手捌きで素早く内ポッケに仕舞い込む下平――。
「どうやって生き延びたか知らんが元気でな下平。また会おう」
「へっへ。オイラの土産話は、また今度ゆっくりってぇ事で~」
「あぁ、……脅威はゾンビだけじゃないぞ、気をつけろよ下平」
老婆心ながら下平を気遣う直人。その傍では楓が敵愾心を剥き出している。
「うぅ~。おっさん嫌いっ! 早くぁっち行ってっ。お願いっ」
「ひぇっへっへ……。その脅えっぷり、そそりますやんかぁ~」
――ザッ……。
舌舐めずりすると、男は薄気味悪い笑顔を残し、停車場を遠ざかってゆく。
「ほら、シュッパツだ。行くぞ楓。早く車に乗れよ」
ガチャ、バタン――ッ。
運転席に乗り込むなり、直人はハンドルを掴みながら楓の搭乗を眼で促す。
「ぅ、ぅん。お兄さまってば、運転って出来たの?」
ガチャ、――ドゥっ。
助手席側に颯爽と乗り込んだ楓が、兄を見上げながら不思議そうに尋ねる。
「ん? ……多分、大丈夫だよ。無免許だけどな?」
「えぇ~っ! 何それ~っ!」
「くくッ……、あははははッ」
あーはッはッは――。
笑い声に包まれる車内。驚愕する楓を眺め、直人は愉しそうに肩を揺らす。

ザッ、ザッ――……。
黒ドレス衣装の長身美女。足先まで覆う黒のロングスカートを履いている。
「お兄さま、あの人……、様子が変……っ」
「人じゃないな、……妖怪か化生の類か?」
眼を凝らす直人。推定二Mを超える細身の長身。容易く異形と認識出来る。
「楓、走って逃げるぞ。お兄ちゃんに続け」
「……ぅ、ぅんっ。わ、……わかった……」
ごくりと生唾を呑む楓を尻目に、直人は反対側の通りへ向けて走り出した。
タタタ――っ。
夕陽に長く伸びた二体の影が裏通りを奔る。後を追走する大きな影が一つ。
「あら、……見失っちゃった」
――タッ……。
西洋風のラグジュアリーレースハットを目深に被った女性が、足を止めた。
「……探しておいで……」
――ヴォン、ヴォォ――ン……。
人影が巨大な異形に変身し、そこから枝分かれに分散して標的を追走する。

おぉおぉお――……。
建築物や舗装の外壁を伝い、複数に枝分かれした黒い影が追いかけて来る。
「お兄さまっ……、アレっ!」
「……チィッ、……化け物め」
ザザァ――……、タッ……。
倍速化の秘奥義、春霞なら逃げきれる。だが、妹は――。足を止める直人。

自動追尾シャドーは恐らく何らかの信号を探査している筈、となると――。
考え得る信号は複数在る――。影自体に反応している可能性もあるが――。
「はぁ、はぁ、……兄さまっ」
「あぁ、……わかっているッ」
ピキィ……ッ。……バシィイ――ッ!!
気を放つ直人の総身から放射状にスパークが迸り、一帯を磁性体と化した。
「兄さま……、何を……っ?」
「……説明は後だ。急ぐぞッ」
タタタ――ッ。
夕陽を避け、追手を撒くかの様にして、路地裏を縦横に疾走する二つの影。
「……あら……?」
おぉおぉお――……。
標的を見失い収束する黒影の群れ。裏通りに佇む長身美女が、ニッと嗤う。
◇青海公園前◇

ザァァ――……。
噴水前で佇む二つの影。気配を窺う直人の後方で楓が乱れた息を整え中だ。
公園前の噴水所。嘗ては賑わっていた界隈も、今となっては過去の一情景。
「変な影が追って来る様子はないな。……取り合えず上手く撒けたか」
「はぁ、はぁ。お兄さま、……アレは何? 何で追いかけて来るの?」
上体を屈め、肩で息をしながら楓が疑問をぶつけてくる。返答に困る直人。
「さぁ、人じゃないのは確かだ。実体があるのか霊的な物かは知らん」
これまで見た事もない異形だ。正直、返答のしようがないのが本音だった。
「幽霊? 兄さま、幽霊信じてるの? リアリストじゃなかったの?」
「俺はリアリストだよ、楓。でも、今のこの世界の有り様を見てみろ」
「ぅっ、……この世界のありさま……?」
少し考え込むと、やがて、楓がはっとした様に顔を上げて直人を見上げる。
「……ゾンビ? ゾンビと幽霊は違うよ? ゾンビは肉体があるもの」
「……ッ。あぁ、そうだな……。ゾンビにはちゃんと肉体があるよな」
「っ! でしょ? だよね?」
「あぁ。お前の言う通りだよ」
ポン――っ。
妹の肩をそっと叩き安心させると、直人は優しく言い聞かせる様に講ずる。
「磁気センサを狂わせた。磁気探知の可能性があったんでな。一応な」
「……磁気、センサ? 何それ」
きょとん顔の楓が、小さく首を傾げる。無垢な瞳を前に苦笑を漏らす直人。

「ぅーん。……楓、聡明なお前になら、多分解るハズなんだがな……」
「ちゃんと説明してくんなきゃ、わかんないよ。何よ兄さまのケチっ」
ブーっ。
唇を尖らせてむくれる妹を前に、直人は腕組みをすると、少し考えこんだ。
「……そうだな……、いいかい楓、地球にはN極とS極があるだろ?」
「ぅ、……ん。ある。それくらいは私にもわかるよ。で、それが何?」
「N極からS極に磁力が流れる。それが磁力線。重力の正体でもある」
「……重量?」
小首を捻る楓を愛でる様に見据えながら、直人は独自の木崎理論を講ずる。

「地球上の万物は電磁気力に倣って支配されている。要は物理法則だ」
「ぶつり、……ほうそく? ぶつりって、えっとぉ、……物のこと?」
「……あぁ、そうだ」
話が長くなりそうだ。無理もない。妹は墜落事故以来、時が止まっている。
不慣れの地に長く留まるのは得策ではない。一旦、ホームに帰還すべきだ。
――御巣鷹山に――。
「あぁ。取り合えず、一旦家に戻ろう。お前にはまだ難しいかもな?」
「ぇえー? ちぇっ。私にだってわかるもん。何よ、兄さまのケチっ」
「……ッ。ちゃんと後で説明してやるから、心配しなくていいよ……」
膨れっ面を浮かべる楓。その姿を薄眼に、直人はふやけた微笑を浮かべる。
◇バス停留所◇

おぉおぉお――……。
停車場にはゾンビの屍が転がっているのみで、車両は勿論、人の姿は無い。
「ぅ~またさっきの変なの寄って来たら嫌だなぁ」
「あの連中、……数自体は少ないんじゃないか?」
青海駅周辺に集っていた霊気から察するに、局地に密集していたとみえる。
中心街から離れた停車場には磁気エネルギー的な何らかの気配は感じない。
「バスが無いと、……楓の足だとかなりかかるな」
憔悴気味にぼやく直人。困窮していた。女子の徒歩だと悠に一日はかかる。
「お兄さまって知り合いの運転手とか居ないの?」
「あぁ。……以前は、……居たんだが、……ん?」
ヴロロロロ――……。
まさに渡りに船――。見覚えのあるタクシーが二人の下へと接近してくる。

ザザァぁ――……。
緩やかな弧を描く様にして停車する黄色の車は、下平の所有物に違いない。
「……下、平……ッ?」
「ぃよぉ。直っちゃん」
ガァ――……。
窓が開き、馴染みある初老のオッサンが顔を覗かせた。下平怨三――無職。
「下平……? お前、大したもんだ。まさか無事だとはな……」
サバイバル術に長けた初老の男ではあるが、相手は人外、それも化生の類だ。
辺鄙な秘境とはいえ、連中から生き延びるとなると相応の実力が必要となる。
「ねぇーお兄さまぁ、この人が私達のこと、助けてくれるの?」
「あぁ、そのハズだよ、楓」
にこっと笑う直人。
「あぁ~、会いたかったぜ直っちゃぁん。何か月ぶりだぁ~?」
訝る直人。何か月――? 最後に下平と別れて、そんなに経ったのだろうか。
セレスの結界内に長い間閉じ込められていた為、時間の感覚が麻痺している。
「あれま~、こりゃまた可愛いお嬢さんお連れやないでっか~」
「手を出すなよ、下平。いくらお前でも、……解ってるよな?」
――パリッ、バチィ――……。
直人の総身をたちまち覆う青白いスパークが、瞠目する下平の眼前で弾ける。
「ひぇっへへ……、そりゃぁもぅお~。骨身に染みてますがな」
初老の男が、黄ばんだ歯を見せ歪に嗤った。うっと身体を仰け反らせる楓。
「ちょ、ちょっとお兄さまぁ。こんな人の車に乗れってのぉ?」
「あぁ。腐れ縁でね、御巣鷹公安堂の怨三って地元じゃ有名だ」
紹介されて忽ち調子づく初老の男。黄ばんだすきっ歯を見せて卑屈に嗤う。
「ひぇーへっへェ。照れる事言わんとってやぁ~直っちゃぁん」
「ぅ、……うぅ……っ」
下卑た声を上げ、顔をくしゃくしゃに嘲笑う初老の男。楓の顔が青ざめる。

「……っ。わ、私、……無理ぃっ。こんな車に乗りたくないっ」
「楓? ちょっと待て、こう見えて信用出来る男なんだが……」
さり気なくフォローする直人。下平はがめついが、義理堅い男なのは確か。
が、――……。
「いぃっ! 嫌なものは嫌っ! お兄さまどっちの味方なの?」
――ブンブンっ。
すっかり怖気づいた楓が、青ざめた顔をしきりに横に振りながら拒否する。
「くッ……、困ったな……。下平、お前が気に喰わない様だぜ」
「ひぇっへっへ……。そうでっかぁ~? そりゃまぁ何とも~」
「ぜったい変な人だよっ! 犯罪か何かしてるんじゃないの?」
わーわー……。
楓の乱心ぶりを睨み眼で窺う初老の男。淀んだ眼に情念の色が宿ってゆく。
「申し訳ないんだが、下平……。俺の言いたい事、解るよな?」
ス――……。
胸ポケットから札束をチラ見せする直人。下平の淀んだ眼が輝きを放った。
「ひぇっへェ~、わかってまんがな直っちゃぁん。ほれ、キー」
「すまない、……下平。今度とびきり上手いカップ麺やるから」
――チャリン。
初老の男から手渡された車のキーを受け取ると、返礼の札束を手渡す直人。

「ほらよ、持ってけよ、この守銭奴」
「ひぇっへっへ。まいど、おおきに」
ポン……、――ササっ。
手渡された札束を、慣れた手捌きで素早く内ポッケに仕舞い込む下平――。
「どうやって生き延びたか知らんが元気でな下平。また会おう」
「へっへ。オイラの土産話は、また今度ゆっくりってぇ事で~」
「あぁ、……脅威はゾンビだけじゃないぞ、気をつけろよ下平」
老婆心ながら下平を気遣う直人。その傍では楓が敵愾心を剥き出している。
「うぅ~。おっさん嫌いっ! 早くぁっち行ってっ。お願いっ」
「ひぇっへっへ……。その脅えっぷり、そそりますやんかぁ~」
――ザッ……。
舌舐めずりすると、男は薄気味悪い笑顔を残し、停車場を遠ざかってゆく。
「ほら、シュッパツだ。行くぞ楓。早く車に乗れよ」
ガチャ、バタン――ッ。
運転席に乗り込むなり、直人はハンドルを掴みながら楓の搭乗を眼で促す。
「ぅ、ぅん。お兄さまってば、運転って出来たの?」
ガチャ、――ドゥっ。
助手席側に颯爽と乗り込んだ楓が、兄を見上げながら不思議そうに尋ねる。
「ん? ……多分、大丈夫だよ。無免許だけどな?」
「えぇ~っ! 何それ~っ!」
「くくッ……、あははははッ」
あーはッはッは――。
笑い声に包まれる車内。驚愕する楓を眺め、直人は愉しそうに肩を揺らす。


