Excalibur

 ◇体育倉庫前◇



 おぉおぉお――……。
 薄暗い箇所ではあるが、目下、新手のゾンビの群衆はここには居ない様だ。
 大多数のゾンビが校舎前に密集し、先程の戦闘で粗方掃討されたとみえる。
 ――ザッ。
 体育倉庫裏手の前で立ち止まると、青い髪の少女は踵を返して振り返った。



「よしよし、良く付いてきたね。偉い偉いっ♪」
「……?」
 ヴゥ――……ン……。
 戦闘衣装でもあるディアナの学生服が、見慣れたカミュの普段着に変わる。
「もぅ気付いてるかもしんないけどさぁ……?」
「……」
 ぱさ――っ。
 薄笑いを浮かべ青髪のウィッグを外すカミュ。艶めく金髪が顕わになった。



「じゃぁーんっ! カミュちゃんでしたぁっ♪」
 ニコ――っ。
 愛嬌たっぷりに白い歯を見せ、カミュはポンっ。とウィッグを再装着する。
「きゃははっ。どぉ? びっくりしたっしょ♪」
「……知ってたけど? つかお前、酷いよな?」
 特に動じる事もなく淡々と応えるジュン。その正体には既に気付いていた。
「酷いってなんで? ぁたし何も酷い事……っ」
 ガッ、――ドンっ。
 細い両の手首を掴むと、ジュンは倉庫の壁際にカミュの背中を叩きつけた。
「きゃっ! ちょ、……急に何、……ん……っ」
 ――ばさぁっ。
 見開かれたカミュの視界が、影に覆われる。唇に温もりが押し付けられた。



「…………んん……っ」
「……」
 おぉおぉお――……。
 束の間の静謐が辺りを包み込んだ。重なったシルエットが、二つに離れる。
「……っ……」
 ――スゥ……。
 羞恥に頬を染めるカミュを眼に、ジュンは拘束していた手首をそっと外す。



「……色々とお前も頑張っていたんだな。気が付かなくて済まなかった」
 首都高のドローン事件。あれ以降、新たな襲撃がなかった理由も今は解る。
 恐らく首謀者であろう直人を牽制して、陰から護ってくれていたのだろう。
 お茶らけてはいるが、生来カミュは生真面目で一途な少女だと知っている。
「……ぅん。……でもぉ、伝わって良かったぁ~。ぁたしの気持ち……」
 頬を赤らめるカミュ。間近で見ると、改めて整った美貌の持ち主だと解る。
「……あぁ、だな……。お前なりに俺を護ってくれていたんだよな……」
 オォオォオ――……。
 見つめ合うのは不慣れだった。むず痒さに耐えきれず直ぐに視線を逸らす。
「今後は何かあったら、今のキスの感触を思い出せ。……分かったか?」
「……ぅ、……ぅん……。……ゎ、ゎかった……。……ぁりがとぅ……」
 俯くカミュの姿が愛らしい。今の彼女に何時もの傲慢さは微塵も窺えない。
 心境の変化でもあったのだろうか――。淑女の様な貞淑さすら感じられる。
「……ッ」
 オォオォオ――……。
 人道に反する刹那的な快楽はいずれ自分自身に還り、身を滅ぼしかねない。
 セレスの結界内で何が起きたのかは不明だが、天道への導きは大切だろう。

 ◇校舎中庭前◇



 オォオォオ――……。
 桜の大木の幹に背を預けた妹に、半ば覆い被さる様に質問を繰り返す直人。
 傍若無人な一行と距離を隔てたかったのは楓も同じと解って安堵していた。
 打ち合わせが終われば直ぐにも群れから離脱し、二人で行動するつもりだ。
「で、……その血に塗れた誰かさんの記憶ってのは、誰のか分かるか?」
「ぅ、ぅん。……私の意思とは無関係に、……大きな鎌が出てきて……」
 ゴゴゴゴゴ――……。
 言い渋る楓の気持ちが痛いほど解る。自分も似た症状に悩んだ事があった。
 復讐に囚われていた過去の己は、今の楓と似た状態だったのかもしれない。



「……そのイメージ、お前コントロール出来るか? 出来ないなら……」
 力づくでも――。その言葉を、そっと呑み込んだ。楓自身の力を信じたい。
「ぅぅん。私、やってみる。頑張ってみるね。ぁりがと、お兄さま……」
「お前は時間を失ったんだ。いいか楓。リカバリーには根気がいるぞ?」
 精神の充溢に必要な体験を、経験を、楓は何者かに奪われていた事になる。
 魂の成長に糧は必要不可欠だが、再出発は何時からでも遅過ぎる事はない。
「ぅ、ぅんっ。でもお兄さま、またこうして会えて、本当に嬉しい……」
「あぁ、俺もだよ、……楓。こうしてまた会えるなんて、……ぅッ……」
 グワン――……。
 謎の眩暈が直人を襲った。フラクタル――。不思議な幾何学模様が視える。



 傾ぐ視界――。立っていた地面が歪み、倒れてしまいそうな錯覚に陥った。
「……っ? お兄、さま……っ?」
「……何でも、ない。少し眩暈がしただけだ。……俺は大丈夫だよ、楓」 
 ググ――ッ。
 足に膂力を篭める直人。凭れた所を、不覚にも楓に支えられる形となった。
「でもお兄さま、お顔色が……っ」
「だから、……心配ないって……」
 妹を安心させようと無理に笑顔を作る。その表情が痛々しく映ったろうか。
「でも、……御無理してる様でっ」
「……ありがとうな、かえで……」
 その移ろい易い表情、気遣い、声、容貌、――楓のすべてが愛おしい――。
 夢の中に居るかの様な心地よさに包まれながら、楓の中で静かに眼を瞑る。
(……いいのだろうか。……こんな……幸福者で……)
 ――ポンっ。
 小さな肩に優しく手を添えると、直人は片方の腕でそっと妹を抱きしめた。

 ◇学園土俵際◇



 おぉおぉお――……。
 鬱々とした負のオーラが漂う土俵際で、管を巻く中年の太鼓ッ腹と眼鏡男。
「気に喰わんのぉ。あのジュンって男。冬ソナ気取りでも居るんかぁ?」
「そんな事ォ言うもんじゃないッスよ、御大。助けて貰ったんですから」
「むぅ。それもそうじゃが、じゃけんど、あの澄まし顔が気に喰わんわ」
 情念を内包する血走った双眸が、褐色肌の好男子ヘラクレスへと注がれる。
「ジュン、……という男は、昔からああだぞ? 誰にも興味を示さない」
「ほぅ。誰にも、……かいや。そりゃぁ上等じゃあ、……のぅ安田ぁ?」
「へ、へぃぃ……。御大がそう仰るんならあ、……仰せの通りッしょ!」
 気のいいヨイショに調子づく太鼓ッ腹。持ち前の不遜な血眼がギョロつく。
「ほほぉッ。安田もそぅ思うかあ? そうよのう。お前もじゃろがあ?」
「……拙者? 別にそうは思わんが、……下洗殿、そなた、私怨でも?」
「オオアリじゃあ。一介の学生の分際で、担任であるこのワシにやなぁ」
 おぉおぉお――……。
 肩を引っ掴まれた際の屈辱を思い起こせば、怒髪天を衝いて余りある程だ。
 欲望の捌け口を邪魔立てされたに留まらず、セクシーを横取りされた――。



「……おぉお、……思い出すだに腹立たしいとはこの事じゃぁあぁ……」
 ビキッ、ビキキ――ッ……。
 怒りに打ち震える下洗の両のこめかみが、浮き出た血管でビキついてゆく。
「お、……御大ィ……」
 中年太鼓ッ腹ハゲの総身が醸し出す怒涛の気迫に圧倒され、怖気づく安田。
「そなたッ、……それ程までに、……あの男を……?」
「当然じゃあッ! お前もやられた口じゃろがいッ!」
 ドォン――ッ。
 太鼓ッ腹を豪快に打ち鳴らすと、ハゲが血走った血眼を体育倉庫に向ける。
「ひゃッはぁ~♪ え~ぇ所にこんなモンがぁあ~♪」
 ガラァン――……。
 転がっていたゾンビの屍から金属バットを奪うと、飄げた仕草で肩に担ぐ。
「楽しい狩りのお時間じゃあ~。のう安田ぁあ~ッ♪」
「……ぅ、……ぅう、……お、……御大ぃぃ~……ッ」
 気迫の漲る中年男に相槌を強要され、ガクガクと両膝を震わせる安田――。
 正直、生きた心地がしない。かといって担任に反旗を翻す度胸も無かった。



 オォオォオ――……。
 ド派手な爆発が脳裏を過る。ジュンに牙を剥くとなると、かなりの恐怖だ。
 このまま流れに任せれば、結末は視えているのに如何ともし難い戦慄――。
「どうすんスか……、褐色肌の、……ぁ、兄貴……?」
 藁にも縋る一心で救いの手を求める安田ではあったが、現実は無情だった。
「む、……確かに。奴は拙者の好敵手でもある――ッ」
 チャキ――。
 鞘鳴りを立て、半ば同調する様にしてヘラクレスも体育倉庫に眼を向ける。
「げははッ、流石はワシの右腕じゃぁ、話が早いわッ」
「これが終わった暁には、相撲の続きと洒落込もうぞ」
「ひっ、ひぃぃ~……、か、……神さまぁぁ~……っ」
 ザッ、ザッ――……。
 肩を並べる男達の背後で、神にも縋る一心で両手を揉みしだく安田だった。