
◇地下闘技場◇
ドォオォオ――……。
地下エレベータ十階。東京ドーム程の広さのスペースが熱気で揺れていた。
賭けに興ずる観衆の熱狂的な歓声や罵声、嗚咽、溜め息で満たされている。
「ほらそこを退いて!」
「道を開けて下さいッ」
ワァァア――……ッ。
湧き起こる喝采の中を昏倒した筋肉質のファイターが担架で運ばれてゆく。
眼潰し金的、何でもありのノールール。試合は賭博の対象にもされている。
試合中継はネット内各プラットフォームでライブ配信され、収益源になる。
◇選手控え室◇
手狭な特設ルームで二人の男がテーブルを挟みパイプ椅子に腰掛けている。
「ケッ。……勝ち抜きゃいいんだよな……」
「……そぅっす。兄貴が勝ち続けりゃ……」
ヴン――……。
テーブル台に置かれた三Ⅾホログラム液晶が点灯、リングが浮かび上がる。
「兄貴がこの猛獣の檻で無事に勝ち抜きゃ」
ヴゥゥ――……。
画面がリング上から会場奥に設営された貴賓席までクローズアップされた。
そこには屈強なガードマンの監視下に置かれた幼いセレスが腰掛けている。
「優勝賞品は晴れて兄貴のモノでさぁ……」
ひゃっひゃっと下品な笑い声を上げるスタッフのプロミス。産業スパイだ。
「……そうかい……」
一目見てピンと来た。この小男は冥府の王ハデスが送り込んだ回し者だと。
ハデス王は、セレスの過去に極秘裏に入り込んだ直人を認識し始めている。
――慎重にならざるを得ない――。
「要するに、……俺が優勝すりゃ、あの女をモノに出来るんだな?」
セレスに賞品の自覚はあるのだろうか。何も知らされてない可能性が高い。
ハデスの裁量で無断で決まった即興だろう。あの男の狙いは恐らく直人だ。
「へッ、その通りでさぁ。青い雷の兄貴ィ。いや、ブルーサンダー」
「……?」
手揉みして愛想嗤うプロミスを睨みつける直人。明らかな違和感を感じた。
初対面であるハズの自分の特徴を、何故、この小間使いが知っている――?

「ブルーサンダー兄貴。このリングで……、夢、掴みましょうやッ」
――ニカッッ。
老獪な眼が煌く。ここぞとばかりに白い歯を光らせる初老の男、プロミス。
「夢も何だって叶いまさぁ。スターダムにのし上がるンすよぅッ!」
「……その前に、お前のその小汚いロン毛残さず毟り取ってやるよ」
「……ッ!?」
一瞬怯んだ挙措を見せるも、プロミスは直ぐに持ち前の狡猾さを醸し出す。
舐める様な目線を直人に据えたまま、吟味するかの様に舌なめずりをした。
「へへッ。……へぇっへっへ……。その心意気でさぁ兄貴ィ……?」
「……一つ忠告だ。プロミスつたっけ? お前、ボロを出し過ぎだ」
直人の事をブルーサンダー呼ばわりしたのも意図的なミスの様な気がする。
慎重に揺さぶり、相手の出方を確かめつつ、標的を丸裸にする算段だろう。
恐らくセレスの深層意識下でハデスと情報をシェアしている可能性が高い。
「……そぅスかぁ? へへッ。そりゃぁどうも。気ぃつけまさ……」
「……」
無言で頷き返す直人。ねぶる様な男の声音にも、毅然たる態度を崩さない。
ゆすり集る連中の揺さぶりや茶化しの常套手段は、経験上粗方解っていた。
ヴーーーー……ッ!!
控え室の呼び出しブザーが鳴った。トーナメント初戦。直人の初陣となる。
連絡は取ってはないが、会場内の何処かでディアナが観戦しているハズだ。
非合法な地下闇賭博でもあり、所持金全額を自分に賭ける様に言ってある。

「……」
もう一人、監視している男がこの世界の何処かにいる。冥府の王ハデスだ。
「行くぞ、プロミス。そろそろ俺の番だ。直ぐに決めてやるよ……」
「運命共同体って奴でさぁ。ぁっしの命運も兄貴の腕一つってね?」
「あぁ……。お前が今のポジションで満足なんならそれもいいがな」
「……? へ、……へへ……」
敢えて、プロミスを試す様な物言いをした。小男にとっても分岐点となる。
ハデスの部下の立場で満足ならそれ迄の小物という事。干渉する気はない。
が、――プロミスを予め懐柔しておく事は自分にとって不利には働くまい。

「さぁ新たな選手の紹介だッ! 青コーナー、ブルーサンダーッ!」
オォオォオ――……。
満場の観衆から喝采が湧き上がった。観衆とはいえ地下格闘場のビップだ。
成り金始め薬の売人やマフィア、アングラネットを有すフィクサーも跋扈。
オッズに応じた賭けが成立する。賭け額は無制限。ほぼ一瞬で破産も可能。
「みんな、賭けの準備はオーケイかッ!?」
ワァァアア――……。
レフェリー兼、支配人ジェスのマイクパフォーマンスがギャラリーを煽る。
「赤コーナー、前回グランドチャンピオン、ゴメスの入場だぁッ!」
「うぉおぉおおおンッ!!」
ガシャアン――ッ!
開いた猛獣用の檻から、筋肉質の男が雄叫びを発し猛然と走り込んでくる。
オォオォオ――……。
場内がどよめいた。沸き立っていた歓声が一転ブーイングと溜息に変わる。
「賭けが成立しねェじゃねえかッ! 何やッてんだ実行委員会はッ」
「ゴメスに決まってンだろ! もやしみてェな奴に誰が張るんだ!」
「オッズ比見てみろやゴラァ。ディープインパクトより酷ェぞッ!」
オォオォオ――……。
物品が宙を飛び交い、地鳴りの様な地団駄で割れんばかりのブーイングだ。
ゴメスはかなりの人気格闘家とみえ、フーリガン衆が横断幕を掲げている。
「やってまえやゴメスゥゥッ! お前ェに全財産いったるわあッ!」
「会場内みんなゴメスじゃッ。期待裏切ったら解っとンじゃろなッ」
「ゴメスゥッ! お前ェ俺等ぁ破産させたらゴメンじゃ済まんぞッ」
オォオォオ――……。
盛り上がりとは裏腹に治安は最悪だ。薄暗がりでは性犯罪も勃発している。
「ひぃいっ! な、何すんですかぁあっ!?」
「黙ってズボン脱いどきゃええじゃろがいッ」
ゴゴゴゴゴ――……。
酒に酔い潰れたハゲた中年男が、受験勉強に熱心な苦学生を恫喝している。
「ぎゃぁあッ! 俺の財布誰かスっただろッ」
「誰だぁこんな所に腐ったマクド置いた奴ゥ」
「臓器が狙いなンだろっ? このド畜生がッ」
オォオォオ――……。
賭け試合そっちのけで、各々のトラブルに追われ奔走している観衆の面々。
「……」
コーナーに凭れ客席を見渡す直人。貴賓席の前にディアナの姿を見つけた。
直人の優勝を待つ迄もなく、隙あらばセレスを強奪する様に申し送り済だ。
何処かにあの男、ハデスも居るハズ。最終的な目標はハデスの撃破となる。

オォオォオ――……。
リング上に立つ二人。直人の目線は貴賓席のセレスとディアナ間を彷徨う。
「……」
両者の間に絆に似た何モノかを感じる。ジュンの前に成すべき事が増えた。
一度請け負ったからには目的を達成しなければ気が済まない。損な性分だ。
「さぁ試合開始のゴングを鳴らしてくれッ! レディ・ガッ!!」
――カーンッ!
レフェリーの檄と共に打ち鳴らされる開始音。ゴメスに初めて眼を向ける。
「うぉぉおおおッ!!」
「……」
ザッ――……、ザザァッ。
雄々しく吠える一方で、意外と慎重派だ。ゴメスはやや距離を取っている。
「これはゴメスッ、どうした事かッ? 様子を窺っているぞッ!」
オォオォオ――……。
レフェリーの煽りにも乗らず、意外にも軽率な突撃を控えるチャンピオン。
「我等がチャンピオン、どうしたッ、調子でも悪いのかぁッ!?」
「金返せやゴルァアッ! 負けたらただじゃ済まねェぞおッ!!」
「ゴメスゥゥッ! ごめんで済んだら警察いらへんのやでェッ?」
「う、……ぐぅ……ッ」
半ば暴徒と化した聴衆のブーイングや野次に、懸命に耐えるチャンピオン。
熟練のゴメスには直人の力量が解っていた。迂闊に攻撃を仕掛けられない。
――何度やっても勝てない――。圧倒的な力量差が両者間に存在していた。
「へぇ。……意外と賢いんだな、あんた……」
「……く、来るなッ。オイラに近寄るなッ!」
ザぁッ――……ドンッ。
後ろへ下がるゴメスの背中が、無情にもコーナーポストに堰き止められる。
「化け物がッ! オイラに近づくなぁあッ!」
「化け物? へぇ、……そいつぁ心外だ……」
スゥ、――ドンッ。
追い詰めた相手に無造作に詰め寄る直人。その左踵がマットに沈み込んだ。

「ちょ、ちょっと待てッ、オイラは雇われてッ!」
「木崎流奥義……、――魔宴(サバト)蹴り――」
キュン、――バキャァアッ!!
破砕音が場内に響き渡る。防御した両腕ごとゴメスの身体が捻じ曲がった。


