
◇テラスカフェ◇
ざわ、ざわ――……。
夜半のテラスカフェは相変わらず和やかな会話や街の雑踏で賑わっている。
「……」
シュボッ――……。
火打石の様に指を擦っての手製ライターで着火。即席葉巻を一服する直人。
広葉樹林の一角にコチアナ・ルスティカが群生しているのを確認していた。
「……スゥ……」
混じり気ない天然葉の燻煙が、負傷した両腕の火傷の炎症を癒してくれる。
無添加のコチニンは抗炎症作用に優れ、不安をも緩和する天然の漢方薬だ。
「……」
喧騒から離れた樹林に身体を預け、月夜を見上げながら気の乱れを整える。
ざわ、ざわ――……。
カフェの賑々しさから解放された静かな景観の中で、近似記憶を想起する。
「……」
街外れで初めてディアナと会ったのは、ジュンの奇襲を断念した夜だった。
まるで自分を監視するかの様に彼女は現れ、やがて直人の別邸に定着した。
「……?」
何故――? 喉元まで出掛かった答えを、認める事が出来ない自分がいる。

「……あの男の、……為……?」
天界の住人達も、人類同様、反目し合い、時には庇い合う事もあるだろう。
コチニンで集中力の冴えた直人が、その結論に達するのは自然な事だった。
「ジュンの為、……て事は……」
瞠目する直人。ディアナの正体が一瞬視えた気がした。恐らく熾天使――。
神々しい迄の霊力。まるで穢れを知らない天真爛漫さ。悪魔と対成すモノ。
――全ての特徴が一致する。一度見せた謎の変身も、その事実を裏付ける。
「……チッ」
彼女の違和感の正体が、解って来た。地底人だとばかり思っていたが――。
低温かつ高重力の地表でも活動量が落ちない訳が、熾天使なら辻褄が合う。
「……」
何れにせよ自分の標的には違いない。人類に仇名す者は総てが敵――、だ。
――が、……。
「……くッ」
苦悶に歯噛みする直人。自分に向けられたディアナの笑顔が瞼を離れない。
信頼に満ちたあの無垢な眼差しを、裏切る事は今の直人には不可能だった。

ざわ、ざわ――……。
騒々しいテラスカフェへと戻って来た。相変わらずディアナは放心状態だ。
「……まだ、衣類の再生に、時間がかかりそうか?」
「ぁーまだもぅちょっとだけ待ってぇー。……ん?」
ガバァ――。
直人の表情を見るや否や、ディアナは椅子から立ち上がり顔を覗き込んだ。
「な、何だ? 人の顔をジロジロと見るんじゃない」
「ぁれぇ? 暗いな~と思ってぇー。何かあった?」

「……別に……」
心配そうな顔をするディアナの問いに、やんわりかぶりを振って否定する。
彼女は、恐らくジュンを護る為に行動している。自分を監視する為に――。
「……そっちは随分元気になった様で、良かったな」
声のトーンが、自然と落ち込んだ。が、ディアナに悟られる訳にいかない。
自分は使命を託された。人類に仇名す輩と戦う宿命を、妹の楓に託された。
何れディアナとも、その正体とも闘わなければならない。ただそれだけだ。
「お前が居ないと多分俺はハデスを倒せないからな」
「……どったの直人っち。なんで落ち込んでんの?」
ス――……。
直人の額に手を添えたディアナが熱を測る素振りをする。その手が温かい。
「? 熱はないよ。俺は滅多に風邪を引かないんだ」
「ふーん。そーなんだ。じゃ何で落ち込んでんの?」
ピクッ――。
滅多に感情を出さない直人だが、ディアナのしつこさには苛立ちを催した。
「お前が知ってどうにかなるか? 関係ないだろ?」
「……は? なんで怒ってんの? 訳わかんないっ」
オォオォオ――……。
前のめりに顔を近づけると、ディアナは怒りも顕わに青い眼をつり上げる。
「あの露出狂の女と痴話喧嘩っぽいな。関わるなよ」
「やよね~。暖かくなった途端、変質者増えて嫌ね」
「男の方もあの身なりだ。二人とも痴れ者だろうよ」
ざわ、ざわ――……。
テラスカフェで勃発した喧嘩に、他の客が視て見ぬフリを決め込んでいる。
何しろ片割れの女の方は、先程迄バイブを咥えてラリっていた前科持ちだ。
――関わりたい訳がない――。

オォオォオ――……。
テラスの一角で、外野の悪口雑言をも意に介さぬ小競り合いが続いていた。
「……なんで怒ってんのかって聞いてんでしょっ?」
「怒ってはないッ。そんな些事で俺は怒らないッ!」
「……っ!」
ガッ――。
直人の襟首が強い力で引っ掴まれる。ドスを利かせた関西弁が口を衝いた。
「助けて貰といて、そりゃないんちゃいますかっ?」
「……何で関西弁なんだよ。お前さ、頭大丈夫か?」
「ぁんたが怒らせたんや。とっとと訳話さんかいっ」
――ガクンガクンッ。
襟首を引っ掴まれ、執拗に身体を揺さぶられる直人。怒りが沸点を超えた。
「もういいッ! そっとしておいてくれないかッ!」
「……ぁっ!?」
パンっ――。
あんぐりと大口を開くディアナの手を振り解くと、直人は睨み眼を向ける。
「お前が俺の事をどう思おうが、正直どうでもいい」
元々誰も信用などしていない。この世で信じられるのは物理法則と己のみ。
「……はぁ?」
呆然と立ち尽くすディアナを睨み据えたまま、直人は冷静に声を絞り出す。
「あのジュンて男と再会したいなら、俺に協力しろ」
「……へ? な、何でそこでジュンが出て来んの?」
呆気にとられる表情のディアナから眼を離し、直人は力強い口調で断じた。

「俺が力を貸してやる。……他に選択肢はないだろ」
「ん、んんー……。ぁたしは別にどっちでもぉ……」
あやふやな返事をするディアナ。気のせいか、些か怒っている様に見える。
「……解った。ハデス撃破まで、お前を護ってやる」
再会したいのなら、好きにすればいい。その後で、纏めて倒すだけの事だ。
ディアナがジュンを護りたい気持ちも理解は出来る。今は泳がせれば良い。
「……そうだ。それでいい。大した事ではない……」
まるで自分に言い聞かせるかの様にして、半ば虚ろな眼で独り言ちる直人。
愛情を求めている訳ではない。そんな幻想は、楓と共に過去に置いてきた。
我は修羅――。人類を護る為ならどんな手段をも厭わない羅刹天の化身だ。


