ちはるのおにめ

 夜叉社へ向かうため、千晴と月花は屋敷を出た。
「昨晩は何でここへ来た?」
 門の前で月花が尋ねた。
「疾風です。夏澄君が乗せてくれました」
「そうか」
 昨夜の夏澄と同様、月花が胸の前で印を結ぶ。現れたのは立派な疾風馬だった。月花は颯爽と跨り、千晴を自分の後ろへ引っ張り上げる。
「俺につかまってろ。慣れない奴は振り落とすかもしれない」
 夏澄と同じことを言うのだなと思いながら、千晴は月花の腰に腕を回した。
 疾風が走り出す。千晴は身構えたが、大きく振られることはなかった。昨夜の走りとは大違いだ。
(昨日は夏澄君が急いでいたせい……? それとも月花さんだから?)
 少なくとも振り落とされる心配が一切ない。
 疾風は穏やかに駆けて行く。
 大地には青い草と花が咲き、丘の上を蝶が舞う。空の下で風が遊び。立ち並ぶ桜を優しく揺らす。昨晩は見えなかった景色はのどかで美しく、太陽の暖かさが心地いい。
「平気か?」
 不意に月花が尋ねた。
「はい。何だか自分が風になったみたいです」
 フッと、息の抜ける音がした。千晴は目を丸くする。
(月花さん、笑った……?)
 顔が見えないので確かめようがないが、千晴は、そうだといいなと思った。
 やがて夜叉社が見えてくる。周囲の景色と同じ、昨晩はわからなかった社の正体は、岩壁と楼閣が融合する城塞だった。巨大な壁の下に鉄製の門と、その門の両側に立つ道士が二人を待ち構えている。
 疾風は門の少し手前で止まった。先に月花が降り、千晴も手を借りて地面に着地する。
「月花殿、そちらは」
 近づいた途端に門番が言った。
「鬼目だ」
 答えながら、月花は懐から木札を取り出す。門番も同じように木札を取り出して二つを合わせた。札同士は型にはまるように、ぴたりと重なった。門番は頷いて木札を月花に返す。
 そうして再度千晴に視線を向ける。
「俺が連れているのに問題あるか?」
 低い声で月花が言った。緊張が走り、門番二人が姿勢を正す。
「鬼目は通すなとでも言われているのか?」
「いえ。問題ありません。どうぞお通りください」
 鉄の門が開く。月花は鋭い目つきのまま通り、門番たちは緊張のまま二人を見送った。
「ありがとうございます、月花さん」
「何がだ」
「私が通れるように言ってくださって。昨晩もそうでしたから」
「お前が通れないと意味がない」
 月花はぶっきらぼうだった。けれど千晴は嬉しかった。
 昇降機の並ぶ一階に入る。青柳装束の道士、群青色の小士たち。誰もがやはり千晴を見て振り返り囁き合う。
 その空気が千晴にこれまで受けた嘲笑を思い出させた。

――あれが鬼目? 片眼だけなのに……。本当に鬼目なのか?

――本物の鬼目かどうかなんてわからない。いったい誰が鬼目だと認めるのかしら?
 桜子を思い出し、腹の辺りが重くなる。

(自分で認めるわ。それに)

 千晴は先を行く月花の背中を見上げた。
 月花との出会いが鬼目である証なのだ。
(月花さんが信じてくれるのなら私も胸を張らなきゃ)
 恐れるな。千晴は顔を上げた。

 昨日とは違う昇降機で移動し、昨日よりも低い場所で降りた。岩壁の廊下を抜けると、階下を臨む露台に出た。露台の下は外ではなく室内で、机や棚が並んでおり、道士と黒装束の隊士が集まっている。
「隊士には昼の番と夜の番がある。ここにいるのは昼の番の奴らだ」
 部屋を見下ろしながら月花が言った。ざっと数えて十名ほどだ。
「もとの隊士は何人いらっしゃるんですか?」
「隊士は全部で六十六人だ。それを三つの部隊に分けている。つまりひと部隊に二十二人。そして『奴』は同じ部隊の可能性が高い。それらしいのはいそうか?」
 千晴は一人一人に目を凝らした。
「あ……」
 一人の隊士、その肩に邪気が見えた。
「いたか?」
「あの手前にいる方に見えます。でも、月花さんの邪気ではないみたいです」
 千晴の言う隊士に、月花も目を細める。
「……本当によく見えるんだな」
「あの方は大丈夫なのでしょうか?」
 夕真の前例がある。千晴は不安になった。
「問題ないだろう。体が緊張や疲労を感じると、防衛反応として邪気が顔を出すことがある。あれはそういう程度だ」
 千晴はもう一度隊士を見つめた。
(確かに、昨晩の月花さんや夕真さんを思えば柔らかだわ)
 邪気には性質や種類があるのだろう。月花の邪気が雪に似ているように。
(犯人が同じ部隊にいるのなら、二十二人の中の誰か。ここにいなければ残り半分の中にいることになる。見逃さないようにしないと)
千晴はさらに目を集中させた。

「おお、月花」

 声をかけられ、二人は後ろに振り返った。
 男が歩いて来る。背が高く、亜麻色の髪を結んで胸に流している。瞳の色は蒲公英に似ていた。恰好は隊士の黒装束だが、上から羽織を重ねている。年齢は月花より少し上だろう。ハツラツとした表情で近づいて来る。
 男の後ろには女性がいた。その姿を見て千晴はハッと息を飲んだ。
 青みがかった紫の両目。編み込まれた黒髪。藤色の着物に白い帯と床に届く白いスカート。
(鬼目だわ……!)
「おっ。もしやこの子が?」
 千晴を見て男が言う。月花は「ああ」と返した。
「そうか。いやぁ、昨晩はお前の話でもちきりだったぞ? 月花が鬼目を連れて帰って来たと、みな大騒ぎだった」
 にこやかに言い、男は千晴に向き直る。
「名前を聞いてもいいかい?」
「鬼咲千晴と申します。初めまして」
「千晴さんか。俺は雛岸(ひなぎし)蒼円(そうえん)。一番隊の副隊長を務めている。よろしくな」
 俺の部隊の副隊長だと、月花が付け加える。
「そして」と、蒼円が背後の女性に振り返る。
「初めまして。蒼円様に仕えます、鬼目の清良(きよら)と申します」
 鬼目色の瞳に笑みが灯る。声にも姿勢にも、表情にまで気品が満ち溢れている。千晴は圧倒されそうになった。
「それで今日はどうしたんだ? 非番の時間に顔を出すなんて珍しいじゃないか」
 蒼円が尋ねた。
「こいつに社を案内しようと思ってな」
 月花が言うと、蒼円はハハっと声を上げた。
「こいつは驚いた。ちゃんと面倒見ているじゃないか。いやぁ、どうなるものかと思ったが、そうかそうか。よかったよかった!」
 笑いながら蒼円は月花の背中を無遠慮に叩き始める。月花が怒らないのかと千晴は驚いたが、月花は怒ることもなく、気まずそうに視線を逸らすだけだった。
「蒼円様、お手柔らかに。また月花様に口をきいてもらえなくなりますよ?」
 清良が穏やかに諫める。
「ハハハッ。それもそうだな。しかしちょうどよかった。月花。昨晩のことで確認したいことがあるんだ」
「確認?」
「ああ。ここでは何だから、俺の部屋で話がしたい」
「……わかった」
 だが――と、月花が千晴を見る。
「それでしたら、千晴さんは私が預かりましょうか」
 清良が申し出た。
「社の中に一人では心細いでしょう。戻られるまで私の部屋にどうですか?」
「それがいい。清良に任せておけば安心だろう」
 蒼円も頷いた。
 月花が清良を見る。清良はにこりと笑みを返した。
「……そうだな。すまないが」
「はい。お任せください」
 二人の雰囲気に、千晴は少しだけ顎を引く。誰かの目を真っ直ぐに見て会話する月花を初めて見た気がする。親しいのだろうかと考える千晴に、月花は身を屈めて顔を近づけた。
「余計なことは話すな。大人しくしていろよ」
 すぐ側で聞こえる声にドキリとしながらも、千晴は頷いた。犯人捜しは一時中断。言葉そのまま、大人しく待つのが仕事になる。
「決まりだな。では月花」
「ああ」
 月花と蒼円は廊下の奥へ姿を消した。
「私の部屋へ案内します。どうぞ」
 清良に導かれ、千晴も来た道を戻る。

 鬼目が二人連なって歩く姿に鬼人たちが注目する。千晴は月花と歩く以上に緊張した。清良の立ち振る舞いは全てが洗練されていて、後ろを歩く自分は子どものように感じる。胸を張って、と意気込んだ気持ちが萎縮してしまう。
「昨晩鬼道入りされたのでしょう?」
 昇降機に乗ると清良が尋ねた。
「はい、そうです」
「じゃあ、まだ緊張して当然よね」
「そうですね。不思議なことばかりで」
「鬼人の術のこと? 私も初めは驚いたわ」
 思い出した様子で、清良は少し砕けた笑い方をした。
「清良さんはいつ鬼道入りされたんですか?」
「五年前よ。千晴さんの前の世代、ということになるのかしら」
 昇降機が停まる。
 着いたのは、昨晩も来た、部屋の対面に階段がある階だった。廊下を進み、途中の階段を下る。そこにはまたいくつかの部屋が並んでおり、清良はそのうちの一室の鍵を開けた。
「さあ入って」
 中は六畳間ほどの部屋だった。床には淡い紅色の絨毯、脚の長いテーブルと椅子、いくつかの棚がある。書物や書類の置かれた様子から仕事部屋の雰囲気だ。窓は障子ではなくガラスが使われ、灰色のカーテンが左右に括りつけられている。異界にも西洋文化は伝わっているので特段おかしいことではないが、和の装飾を想像していた千晴は少しだけ驚く。
 清良は隣室へ続く襖を開けた。こちらにも椅子とテーブルがあるが、食事や来客のための物らしかった。部屋の隅には小さな台所が設置してある。
「どうぞ、座って」
「あ、ありがとうございます」
「お茶を用意するわね。少し待っていて」
「いえ、そんな、お構いなく」
「遠慮しないで。ちょうど昨日、美味しいお菓子を頂いたところなの。月餅はお好きかしら?」
「えっと、食べたことがないので……」
 祖母が友人からお菓子を貰うことは何度もあったが、それらが千晴の口に入ることは一度もなかった。月餅も、存在は知っていても味は知らない。
「そう。こちらでは『花菓子』と呼ばれているんだけど、月餅によく似ていてね」
 小花柄の湯呑にはお茶が、対になった皿の上には丸い小麦色のお菓子が乗っている。それらを千晴の前に並べ、清良も席に着いた。
「どうぞ、召し上がって」
「ありがとうございます」
 千晴は花菓子を持ち上げた。意外にもずっしりとした重さがある。表面には万華鏡を思わせる模様が入っていて細部の焼き目まで美しい。
「いただきます」
 ぱくりと頬張る。
 さっくりとした生地にはちみつの香りが鼻に抜けた。甘い餡の中に歯ごたえのある実が入っている。
「美味しいです! 中に入っているのは、木の実ですか?」
「ええ、胡桃が入っているの。ここでは胡桃を生で食べることはほとんどなくて、こうしてお菓子によく使われているのよ」
「そうなんですね。こんなに美味しいお菓子、初めてです」
 洒落た菓子などほとんど食べたことがない。千晴は子どものように心を躍らせた。
 そんな千晴をじっと清良が見つめる。
「す、すみません。はしゃいでしまって」
 千晴は軽く赤面した。
「いえ、違うのよ。あの月花様に鬼目が仕えるなんて、驚いてしまって」
「蒼円様も同じようにおっしゃっていましたが……」
「ええ。あまり人を近づけない方だから、みんな驚いているわ。月花様とお話しはできている?」
「そう、ですね。寡黙な方なので、たくさんはできないですが」
「警戒心の強い方だから初めは仕方ないと思うわ。冷たく感じるかもしれないけれど、怒っているわけではないと思うわよ」
「……清良さんは、月花さんのことをよくご存じなんですか?」
 先ほどの雰囲気といい、知っているらしい口ぶりが気になって千晴は尋ねた。
「そうね。月花様は蒼円様の義理の弟だから」
「義理の?」
「ええ。血の繋がりはないのだけど、お二人は同じ家で育ったの。蒼円様にとっては本当の弟のような存在だから、何かと気にかけていらっしゃるわ。それで私も自然と関わることが多いのよ」
 蒼円の距離が近いのはそのためか。千晴は深く納得した。
「千晴さん、自分の役目は理解したかしら?」
 不意の質問に、花菓子が喉に詰まりかける。
「鬼目として、あなたの役目は?」
「えっ……と、それは……」
 邪気が見えることは誰にも秘密。月花の言いつけだ。千晴は花菓子を持ったまま固まってしまう。
「……もしかして、まだわからない?」
「え、と……」
 月花の言いつけは守らなければならない。けれど、答えなければ清良に役目が理解できない不出来な鬼目と呆れられるかもしれない。そんなことを心配する自分が情けなくなり、耐えきれなくなって千晴は視線を下に向けた。
「大丈夫よ。役目の理解は人によるもの。私も理解するのに数日かかったわ」
 予想外の返事だった。千晴は顔を上げる。
「そ、そうなんですか?」
「ええ。私が役目に気づいたのは、異界へ来て三日目だった」
「清良さんは、どんなお役目を?」
「私の役目は祓い師。邪気を祓うことよ」
「邪気を? 清良さん邪気が見えるんですかっ?」
「さすがにそんなことはできないわ」
 突拍子のないことをと、清良が笑う。
「けれど感じ取ることはできる。祓いが必要かどうか見極める程度にはね」
「そ、そうなんですか……。じゃあ、蒼円様の邪気を祓われているんですね?」
「初めは蒼円様だけだったのだけど、今は祓い場の祓い師としても務めているの」
「他の隊士の方の邪気も祓っているということですか?」
「そうよ。兼任ということになるわね」
「そういう場合もあるんですね。鬼目は主の鬼人にのみ仕えるものだと思っていました」
「自分で言うのもおかしいけれど、邪気祓いは特殊な能力なのよ。夜叉隊にとって必要不可欠なものだから、人員はいくらあってもいいでしょうからね。そうだわ。千晴さん、昨晩は月花様が任務から戻られるまで社にいたのよね?」
「はい」
「任務の後、月花様はどちらで過ごしたか知っている?」
「えっ、昨晩はご自宅に」
 言いかけてハッとする。
(いけない。これも誰にも話すなと言われていたんだ)
「ご自宅に?」
 今度は清良が身を乗り出して聞き返す。
「あ、いえ、私がご自宅に案内されて、その後は眠ってしまったので月花さんは見ていません。朝起き時には、家の中にいらっしゃったんですけど」
「そう……」
 清良は残念な顔で姿勢を戻した。千晴はお茶を飲んで間を取り繕う。
「せめて祓い場に顔を出してくださるだけでもいいのに、いったいどこで過ごしているのかしら……」
「……どうして月花さんは祓い場を使われないんでしょうか?」
「それは……、二年前に悲しいことがあってね」
「隊士の方が亡くなったという……?」
「まあ、月花様から聞いたの?」
「はい。少しだけですが……」
「そうなの。昨日の今日で話したなんて、きっと千晴さんを信頼してのことでしょうね。すごいわ」
「いえ……。でも、その事件がきっかけで月花さんは祓い場を使わなくなったんですか?」
「ええ。あの事件で月花様が襲われたことは聞いているかしら?」
「はい。亡くなった隊士の方が、月花さんを、と」
「その通りよ。本当に、痛ましい事件だったわ。あれ以来月花様は夜叉隊に不信感をお持ちなのよ。無理もないわよね。信頼していた仲間に突然襲われたんだから」
「月花様を襲ったという方は、どんな方だったんですか……?」
 清良はお茶を飲み、一息置いてから話し始めた。