ちはるのおにめ

 体を揺すられ、千晴は目を開ける。
(……朝? 朝ご飯の準備と……おばあ様から頼まれていた布団を干さないと……)
 ぼんやり考えながら布団をつかむ。
(あれ……? 布団、変えたんだっけ……?)
 普段と違う手触り。部屋の匂いも違う。違和感に寝返りをうつと、ぼおっとした影が自分を見下ろしていた。
千晴は声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。
 影の正体は同じ年頃の女の子だった。小豆色の髪をひとつに結び、髪より深い色の着物に割烹着を重ね、栗色の瞳を大きくさせている。
「ごめんなさい、驚かせましたね」
 女の子も驚いた様子だが、すぐに笑顔になった。
「千晴さん、ですよね? 私はこのお屋敷に仕える、雲雀(ひばり)といいます。ごめんなさい。月花様から様子を見て来るよう言われたものですから」
 よく通る声だ。反対に寝起きの千晴はしどろもどろになる。
「あの、えっと、い、今何時ですか?」
「ええっと、八時半ですね」
 雲雀が壁時計を見上げる。千晴は青ざめた。
「もっ申し訳ありませんっ! こんな時間まで寝てしまうなんてっ」
「そんな気にしないでください。よければお風呂はいかがですか? 昨晩はそのまま眠ってしまったと聞いているので、ぜひ」
「え、えっと、はい」
 言われるまま、千晴は一階の風呂場に案内された。

「タオルはこちらを使ってください。後で着替えもお持ちします。ではごゆっくり」
 質問を挟む余地もなく、雲雀は脱衣所の戸を閉めた。返事をした手前、入らないわけにはいかない。千晴は着物を脱いだ。
 風呂は広く清潔だった。暖かく、ヒノキの香りがする。湯ぶねに浸ると、両の頬がぽっと温まった。
(まさか寝坊してしまうなんて……気が緩みすぎだわ……)
 その上慌てふためいた自分が恥ずかしい。千晴は上る湯気を追いながら、昨日のことを振り返った。
(異界へ渡り、月花さんと出会った。私は月花さんの鬼目として役目を果たさなければならない)
 自分は邪気と邪気の痕跡を見ることができる。その力を使い、月花に傷を負わせた犯人を見つけるのが役目。
(月花さんは犯人とされる人は捕まっていると言っていた。でも本当の犯人は別にいる。どうしてそんなことが起きたんだろう?)
 それに――犯人の服装が同じ夜叉隊の物だった――という発言が引っかかる。
(それって、仲間に刺されたということだもの……)
 邪気の性質など知らない。感情を伴うものであるのかなどわからない。けれど、月花の邪気に寂しさを覚えたのはそのためだろうか。鬼毒の傷は痛みを再現する。一人で傷の痛みに耐える月花を思うと胸が切なくなった。
(ゆったりしている場合じゃないわ)
 両手で湯をすくって顔に浴びせる。眠気を吹き飛ばして風呂から上がった。

 雲雀の言った通り、脱衣所には着替え一式が用意されていた。上下に分かれた衣服は共に淡い水色。胸の前で襟を合わせ、腰から巻くスカートと一緒に腰紐で留める。そうするしか着ようのない仕組みだが、これが異界の服装なのかとドキドキする。
「千晴さん、上がりました?」
 ちょうど外から雲雀が声を掛けた。千晴はそろそろと戸を開ける。
「あら。大きさぴったりみたいですね」
「はい。着方はこれで合ってますか?」
「ええ、大丈夫ですよ。よかった。背丈は私と同じくらいだと伺っていたので。まだ髪が濡れていますね。あ、そっか。彼の世には風布がありませんもんね」
「かぜぬの?」
「これです、これ」
 雲雀が指差したのは、棚の上に置かれた白い袋だった。口は太い紐で縛ってある。雲雀が紐を少しだけ解くと、中からそよ風が吹き出した。
「これは……」
「これが風布です。風を捕まえておくための道具ですね。さあ、ここに座ってください」
 ちょうど風を受ける場所に椅子があり、千晴はそこに着席する。雲雀は千晴の後ろに回って千晴の髪を風の中で梳いた。
「じ、自分でやります」
「いえいえ。せっかくですからお気になさらず」
 雲雀は譲る気がないようだ。落ち着かない千晴は風布を見上げた。程よく吹く風が不思議でたまらない。
「風を捕まえておくなんて、向こうでは考えられないです」
「彼の世ではどのように髪を乾かすんですか?」
「えっと、ドライヤーという電気で動く機械があって、それで乾かします」
「へ~。彼の世は機械が発達していると聞きますから、きっといろいろ便利な物が多いのでしょうねぇ」
「そう、なんでしょうか。昨日は疾風に乗りましたし、不思議なことが多くて」
「不思議? ああ。きっと術のことですね。疾風も術のひとつですし、風布も術を応用して作られた道具なんですよ」
「鬼人はみんな術が使えるんですよね? 向こうではそう習いました」
「そうですねぇ。基本術式は子どもの頃に習いますけど、それ以上は鍛錬が必要なので人によりますね。私も必要なものだけ習得しています」
「必要なものですか?」
「はい。特に火や水は炊事に使いますからね」
 異界の文化はこの世が土台となっている、とは聞いたものの、中身は大きく違うようだ。
「それにしてもきれいな黒髪ですねぇ。私、初めてこんな間近で見ましたよ」
 雲雀は櫛を手に取ると、千晴の黒髪に丁寧に通した。
「黒髪の鬼人は珍しいんですよ。月花様の白髪と同じくらい」
「白髪も?」
「ええ。特に月花様はセッキですから」
「セッキ?」
「雪の鬼と書いて雪鬼です。鬼人は冬に生まれることが少ないんです。特に雪の降る日に生まれることは本当に珍しくて、だから特別に雪鬼と呼ばれるんです」
「月花さんは雪の日に生まれたんですね」
「はい。鬼人の髪や瞳の色は、生まれる季節や天候の影響を受けると言われています。月花様のあの白髪は雪の影響ではないでしょうか」
 なるほどと千晴は頷いた。月花の髪は儚く美しく、冷たい冬の雪を連想させる。
「さあ、できましたよ」
 満足げに言って、雲雀は風布の紐を閉じた。千晴の背中にさらさらとした髪が流れる。
「ありがとうございます」
「いいえ。では朝食へご案内しますね」
 急に空腹を感じ千晴はお腹に手を当てた。
 風呂場から玄関の方へ歩き、すぐの部屋に案内される。障子を開ける前に雲雀は中へ声を掛けた。
「失礼いたします。千晴さんをお連れいたしました」
 中に誰がいるのかを想像し、千晴は背筋を伸ばした。
 雲雀が障子を開ける。

 茶の間に月花がいた。紺色の着物と袴姿で、広い座卓を前に座っている。
 目が合い、千晴はすぐに頭を下げた。
「おはようございます」
「眠れたか?」
「はい。お風呂までいただいてしまって、申し訳ありません」
「気にしなくていい」
 雲雀に促され、月花の斜め向かいに腰を下ろす。雲雀は奥の台所へと姿を消した。
「月花さん、お体は?」
「何ともない」
「そうですか。朝食は、もう召し上がられたんですか?」
「いや、これからだ」
「も、申し訳ありません。私が遅かったせいですか?」
「いや。俺もさっき起きたところだから構わない」
(さっき……月花さんも昨夜は遅かったものね……)
 左肩の傷は大丈夫なのだろうか。千晴は月花に目を凝らした。
「……何だ」
「あっ、いえ。お体が気になって」
「問題ないと言っただろう。それとも、見えるのか?」
「いえ、何も」
 千晴が首を振ると、月花は軽く息を吐いて黙ってしまった。機嫌を損ねたのだろうかと千晴は不安になる。
(……きっと月花さんは話すのがあまり好きではないんだわ。気をつけないと……)
 千晴も下を向き、そして沈黙を保った。
「はーい。お待たせしました」
 雲雀がお盆を抱えて戻って来た。机の上に朝食を並べていく。白米、豆腐の味噌汁、焼き魚に卵焼き、芋の煮物、漬物……。
「食べ物は彼の世とあまり変わらないと聞いていますので、大丈夫だと思いますが」
「はい。とてもおいしそうです」
 食材がいいのだろうか、どれも艶やかに見える。
 月花が手を合わせる。千晴も手を合わせ、いただきますと口にしてから箸を取った。
(誰かが作ってくれたご飯を食べるなんて久しぶり……)
 祖母は家の食事も千晴に作らせた。鬼目修行と称して使用人と同等に働かせ、コキ使った。外食も許されず、千晴が母親の食事を口にしたのは一年以上前のことだ。
 目の前には温かな料理。味噌汁、ご飯と順番に口に入れ、千晴は目を輝かせた。
「おいしい……!」
「お口に合いました?」
「はい。本当においしいです」
「よかったです。遠慮なく召し上がってくださいね」
 雲雀が笑顔を返す。千晴はひとつひとつをじっくりと味わった。
「よかったですね、月花様。千晴さんみたいな可愛い鬼目が来てくださって」
 雲雀の発言に、千晴は慌てて味噌汁を飲み込む。
「か、可愛いだなんて」
「あら、本当のことですよ? ねえ、月花様?」
 月花は静かに料理を口に運ぶ。返事はなかったが、雲雀は気にする様子もなく喋り続けた。
「鬼目さんが来るのも五年ぶりですからね~。それが月花様のもとへ来るなんて、今朝話を聞いただけでも驚きだったのに、千晴さんの姿を見た時にはさらに驚きましたよ~。わあ、本当に鬼目さんだーって」
 雲雀はよく喋る性質らしい。賑やかで、賑やかすぎないかと心配になるくらいだ。千晴は月花の様子を窺ったが、雲雀を疎む様子は見受けられない。
「こちらではいつ鬼目がやって来るかはわかりませんもの。だからこそ、鬼人と鬼目の関係って運命的だと思いませんか?」
 うっとりとして雲雀が言う。その運命を、月花が「面倒」と言ったことなど想像もしていないだろう。千晴は何とも言えず曖昧に笑った。
「だって鬼目はたった一人しかいないんですよ? そんな人と出会うんですから」
「あ、いえ、あの。今回は私ともう一人鬼目が鬼道入りしたんです。私の従妹で桜子という子なんですけど」
「ええっ、そうなんですか? わあ。二人同時になんて珍しいですねぇ~」
 雲雀は目を大きく開いて、同意を求めるように月花を見た。
 月花は無言で、ちらりと千晴に目をやる。
「従妹さんはどなたにお仕えしたんでしょう?」
 聞いたのは雲雀だった。
「それは、まだ私も知らなくて。こちらへは別々にたどり着いたので……。でも優秀な子ですから、きっと無事お仕えすることができていると思います」
「そうなんですねぇ。鬼目は鬼目同士で交流があると聞きますから、会えるといいですね。と言うか、きっと会えますよ!」
 親切心から言ってくれているのだろう。けれど、半端者と罵られた日々を思えば、桜子との再会は素直に喜べないと思った。千晴はまた曖昧に笑うしかできなかった。
 食事を終え、千晴は片付けを申し出たが、やはり雲雀に優しく止められる。

「席を外してくれるか?」
 お茶を出す雲雀に月花が言った。
「はい。かしこまりました」
 雲雀は笑顔で応じ、すぐに部屋を出て行った。その気配が廊下の向こうへ消えるのを待ち、月花は千晴に聞いた。
「確認したいことがある。相手が服を着ていても、邪気を確認することは可能か?」
「はい。できると思います」
「それなら問題ないか。今日はこれから夜叉社へ行こうと思う。社には同じ部隊の隊士が集まっている。見てくれるか?」
「はい、もちろんです」
「それと、邪気が見えるということは俺以外秘密にしておくように。周囲に気取られたくない。例え聞かれても答えるな」
「承知しました」
「俺が傷の治療のためにあの部屋を使っていること、任務後ここに戻っていることも誰にも話すな」
 夏澄も知らなかったことだ。月花は秘密主義なのだなと思う。
「わかりました。あの、私からもお聞きしたいことがあるのですが」
「何だ?」
「二年前のことを……。月花さんを刺した犯人は捕まっていると聞きましたが、なぜその方が犯人とされたのですか?」
 犯人を捜すためにも事件のことは知っておきたいと、千晴は尋ねた。
「……毒のついた小刀を持っていたからだ」
「では、自分が犯人だと認めたんですか?」
「いや。あいつは死んだ」
「えっ……」
「あの日、俺たちは霧の中で魔物と戦っていた」
 遠くを見つめ月花は語った。
「影霞の霧は濃く、隊は散り散りになり、誰がどこにいるのかわからない状況だった。俺は魔物の気配に気を取られていた。その隙をつき、あいつは俺を刺した。異変に気づいた他の隊士があいつを止めようとしたが揉み合いになり、あいつは誤って鬼毒の小刀で自分を傷つけた」
「では、その方も邪気に?」
「……邪気に吞み込まれ制御不能となった隊士は、鬼人は、命を差し出すしか止める方法はない。俺たちはその時に備え準備している。差し出す側も、受け取る側も、両方な」
 両者に命のやり取りがある。千晴はすぐに言葉が出なかった。重い沈黙が流れた後、月花の方から口を開く。
「というのが、目撃者の証言から出た結論だ。刺された後の状況は俺も見ていない」
「月花さんは、その、邪気に呑み込まれることなく?」
「そうでなきゃここにいないだろう」
「……その方に、月花さんの邪気は?」
「わからない。葬式にも間に合わなかったからな」
 左肩に触れ、月花が目を伏せる。
「仲間だった、大切な」
 千晴は安易に質問した自分を責めた。
「だがあいつが仲間を傷つけるとは思えない。理由も道理も思い浮かばない。何より、俺が背後を取られた時に感じた気配が違う」
「犯人が他にいることを誰かに話したりは」
「していない。鬼毒は禁忌の代物だ。隊士が使ったとなれば大問題になる。俺の言葉は戯言のようにあしらわれ、事件は早々に切り上げられた」
「犯人に邪気が残っていることも、誰にも?」
「ああ。昨晩見せた石があっただろう。あれを見つけたのは半年ほど前だ。それで確信を得た所があるからな。あの日何が起きたのか……。あいつのためにも、真実を正さなければならない」
 千晴は強決意を改める。
 月花のために、役目を全うしなければ。