満月が顔を出し、室内に光が差し込む。静かな白光は、鏡台の前に座る千晴の姿を映し出出した。
白い着物、長い黒髪。薄い唇と、青みがかった美しい紫の右目。
対して、深い黒に染まる左目が、落胆の色で鏡を見つめている。
(当日を迎えれば色が変わるかも、なんて思ったけど、そんなわけあるはずないか……)
千晴の右目は鬼目色と呼ばれる特異体質だ。鬼目色を宿す者は「鬼目」と呼ばれ、十八歳を迎えると、異界に住む鬼人に仕えるのが習わしである。
鬼人とは、鬼の血を引く異界の住人である。
この世と異界、人と鬼人の関係が始まったのは、時代が平安と呼ばれた頃だ。人々は異界から現れる魔物の恐怖に支配されていた。その窮地を救ったのが鬼人たちだった。鬼人は魔物を退治する代わりに、人の知識や文化を欲しがった。人々は喜んでこれらを捧げ、鬼人に魔物退治を依頼した。鬼人はこの世と異界を隔て、異界に鬼人の国を造り魔物退治を続けている。そうしてこの世の平和は現代まで守られてきた。
鬼目の始まりは人と鬼人の間に生まれた子どもだった。世代を跨ぐにつれ鬼人の血は薄れていったが、時折鬼目色を持つ女子が生まれるようになり、鬼目はこの世と異界を繋ぐ者、鬼人に捧げられる存在となっていった。それは生贄のような存在ではなく、鬼目は鬼人に仕え役目を果たす存在だ。鬼目が異界へ渡ること、これを鬼道入りと呼び、千晴は今日の晩に鬼道入りする運命にあった。
「千晴」
襖の向こうから、父親の声が名前を呼んだ。千晴は鏡台を離れ、襖を開く。
着物と袴の、黒い礼装に身を包んだ両親の姿があった。
「そろそろ時間だ」
父が言った。
「はい」
返事をし、千晴は両親と共に廊下を進んだ。
「千晴。お前は立派だ。立派な鬼目だ。誇りを持って鬼人様にお仕えしなさい」
立ち止まり父が優しく言うと、隣で母も頷いた。
「いってらっしゃい。お母さんはいつも千晴を想っているからね」
涙を堪えているのがわかり、千晴の目にも思わず涙がこみ上げる。
「ありがとう、お父さん、お母さん。私」
「なあにが立派な鬼目なものか」
感傷を引き裂いたのは祖母だった。いつものように気難しい顔でやって来て、千晴を睨む。
「片眼だけの鬼目なんて、他所の家でも生まれたことがないんだ。鬼道入りだってうまくいくかわからない。これで鬼人様に拒まれるようなことがあったら、あんたは鬼咲家の大恥晒しだよ」
「母さん! こんな日にまでやめてくれ!」
父が怒鳴った。
祖母は鼻を鳴らし眼光をさらに尖らせる。
「フン。先代当主の遺言で仕方なく鬼目として育ててやったんだ。本来は半端者のくせに、文句を言われる筋合いはないね」
最後にひと睨みし、千晴から顔を背けると、祖母は別の娘を見つけて声を明るくさせた。
「まぁあ! 桜子! なんてきれいなんだい!」
祖母が目を輝かせた相手は、千晴と同い年の従妹、桜子だった。長い黒髪をひとつに結い、純白な着物に身を包み、顔にはうっすらと化粧がのっている。そして、両の目は見事な紫に染まっていた。
桜子の後ろには両親――千晴にとっての伯父と伯母、そして数人の親戚が続いている。祖母は足早にその中へ駆けて行った。
「立派だよぉ桜子。ああ、なんてきれいな瞳の色だい。これぞ鬼目の瞳だよ」
「先に生まれた子がアレですものねぇ。半端な鬼目などどうして生まれたのかしら」
ちらりと視線を走らせ伯母が笑う。母が肩を震わせたことに、千晴の胸が締め付けられる。
「桜子ぉ。あんたなら必ず素晴らしい鬼人様にお仕えすることができるよぉ」
「ありがとうございます、おばあ様。私、立派に務めますね」
祖母は満足そうに頷いて、着物に不備はないか、体は冷えていないかと世話を焼く。
「……すまない、千晴」
千晴の父は拳を握る。母は悲しい顔で俯いている。最後の夜に、二人を悲しませた事実が悲しい。千晴は涙を飲み込んで、笑顔で言った。
「大丈夫よ。私、立派に鬼人様に仕えてきます」
両親のためにも鬼道入りを果たす。千晴は深く心に刻みつけた。
白い着物、長い黒髪。薄い唇と、青みがかった美しい紫の右目。
対して、深い黒に染まる左目が、落胆の色で鏡を見つめている。
(当日を迎えれば色が変わるかも、なんて思ったけど、そんなわけあるはずないか……)
千晴の右目は鬼目色と呼ばれる特異体質だ。鬼目色を宿す者は「鬼目」と呼ばれ、十八歳を迎えると、異界に住む鬼人に仕えるのが習わしである。
鬼人とは、鬼の血を引く異界の住人である。
この世と異界、人と鬼人の関係が始まったのは、時代が平安と呼ばれた頃だ。人々は異界から現れる魔物の恐怖に支配されていた。その窮地を救ったのが鬼人たちだった。鬼人は魔物を退治する代わりに、人の知識や文化を欲しがった。人々は喜んでこれらを捧げ、鬼人に魔物退治を依頼した。鬼人はこの世と異界を隔て、異界に鬼人の国を造り魔物退治を続けている。そうしてこの世の平和は現代まで守られてきた。
鬼目の始まりは人と鬼人の間に生まれた子どもだった。世代を跨ぐにつれ鬼人の血は薄れていったが、時折鬼目色を持つ女子が生まれるようになり、鬼目はこの世と異界を繋ぐ者、鬼人に捧げられる存在となっていった。それは生贄のような存在ではなく、鬼目は鬼人に仕え役目を果たす存在だ。鬼目が異界へ渡ること、これを鬼道入りと呼び、千晴は今日の晩に鬼道入りする運命にあった。
「千晴」
襖の向こうから、父親の声が名前を呼んだ。千晴は鏡台を離れ、襖を開く。
着物と袴の、黒い礼装に身を包んだ両親の姿があった。
「そろそろ時間だ」
父が言った。
「はい」
返事をし、千晴は両親と共に廊下を進んだ。
「千晴。お前は立派だ。立派な鬼目だ。誇りを持って鬼人様にお仕えしなさい」
立ち止まり父が優しく言うと、隣で母も頷いた。
「いってらっしゃい。お母さんはいつも千晴を想っているからね」
涙を堪えているのがわかり、千晴の目にも思わず涙がこみ上げる。
「ありがとう、お父さん、お母さん。私」
「なあにが立派な鬼目なものか」
感傷を引き裂いたのは祖母だった。いつものように気難しい顔でやって来て、千晴を睨む。
「片眼だけの鬼目なんて、他所の家でも生まれたことがないんだ。鬼道入りだってうまくいくかわからない。これで鬼人様に拒まれるようなことがあったら、あんたは鬼咲家の大恥晒しだよ」
「母さん! こんな日にまでやめてくれ!」
父が怒鳴った。
祖母は鼻を鳴らし眼光をさらに尖らせる。
「フン。先代当主の遺言で仕方なく鬼目として育ててやったんだ。本来は半端者のくせに、文句を言われる筋合いはないね」
最後にひと睨みし、千晴から顔を背けると、祖母は別の娘を見つけて声を明るくさせた。
「まぁあ! 桜子! なんてきれいなんだい!」
祖母が目を輝かせた相手は、千晴と同い年の従妹、桜子だった。長い黒髪をひとつに結い、純白な着物に身を包み、顔にはうっすらと化粧がのっている。そして、両の目は見事な紫に染まっていた。
桜子の後ろには両親――千晴にとっての伯父と伯母、そして数人の親戚が続いている。祖母は足早にその中へ駆けて行った。
「立派だよぉ桜子。ああ、なんてきれいな瞳の色だい。これぞ鬼目の瞳だよ」
「先に生まれた子がアレですものねぇ。半端な鬼目などどうして生まれたのかしら」
ちらりと視線を走らせ伯母が笑う。母が肩を震わせたことに、千晴の胸が締め付けられる。
「桜子ぉ。あんたなら必ず素晴らしい鬼人様にお仕えすることができるよぉ」
「ありがとうございます、おばあ様。私、立派に務めますね」
祖母は満足そうに頷いて、着物に不備はないか、体は冷えていないかと世話を焼く。
「……すまない、千晴」
千晴の父は拳を握る。母は悲しい顔で俯いている。最後の夜に、二人を悲しませた事実が悲しい。千晴は涙を飲み込んで、笑顔で言った。
「大丈夫よ。私、立派に鬼人様に仕えてきます」
両親のためにも鬼道入りを果たす。千晴は深く心に刻みつけた。
