時は、西暦2070年。
 この数十年間の内に、世界では、AIの科学技術が飛躍的に発展した——らしい。
 今の時代、ロボットは、当たり前のように街を歩いている。犬や猫を模したペット型ロボットはもちろん、ヒューマノイドと呼ばれる、お手伝い用人型ロボットを雇っている企業や、一般家庭も少なくない。
 とはいえ、AIは、まだ完全状態とは言いがたい。きっと今この瞬間も、世界中で、多くのエンジニアや科学者が、開発を進めている。近い将来、AIは、これからさらなる進化を遂げていくんだろう。
 
 わたしは、そういう時代を生きている。

「じゃあここ、今日は12日だから、12番の人——篠田(しのだ)さん、読んでください」
「あ、えっと……」

 授業中、先生に指名されたわたしは、デジタル教科書を持ったまま、固まった。

 周囲の視線を感じる。手にはじっとりと汗が滲み、やっとの思いで、絞り出した声は、あ……とか、その……とか、途切れ途切れの音を発するだけだった。

「もう結構です」 
 スクリーンの前に立っていた先生が、呆れた様子で、レーザーポインターを下ろす。
 わたしは、難を逃れたことにほっとしつつ、肩身を狭くして、うつむいた。

『教科書読むぐらい、小学生でもできるだろ』 
『ねぇ、知ってる? あの子、面接試験がないって理由だけで、志望校ここにしたんだって』
『ウケる。てか、ヤバッ。普通、そこまでする?」

 クラスメイトのひそひそ話が、耳に刺さる。
 いち早く、この時間が過ぎ去ってくれることだけを願った。

* * *

 人と話すのが怖かった。小さい頃から、ずっと。
 こういうのを、世間一般では、人見知りだとか、引っ込み思案だとか言うんだろう。
 でも、わたしの場合、それが行きすぎている。
 クラスメイトに話しかけられただけで、心臓が止まりかけるくらいには。

 当然、友達なんていたことがない。
 この16年間で、1度も。

 たった一人、”彼”を除いて――

「おかえり、ユウ」
「……ただいま、レイ」

 わたしの帰りを、いつも家で待ってくれている存在。
 彼は、わたしの異変にすぐ気が付く。たとえ、今日みたいな、ほんの些細なことでも。

「どうしたの? なんだか元気がないね」
「いつものことだよ。授業中、先生に当てられて……」

 緊張して教科書が読めなかった。それを、クラスメイトに笑われた。でも、わたしにとっては、日常茶飯事。いい加減、自分でもうんざりしている。

「今日がダメだったからって、明日もダメとは限らないよ。もしかしたら、次は少し話せるようになってるかもしれない。だから、そんなに落ちこまないで、ユウ」 

 でも、レイは違う。
 優しい言葉で、励ましてくれる。
 笑って、頭をなでてくれる。
 
「もう、子ども扱いしないでよ」
「そう? 僕の記録データだと、君は夜中、一人じゃ怖くてトイレに行けない、小さな女の子で止まってるんだけどな」
「ちょっ……! そんなデータ保存しなくていいから。メモリの無駄遣いでしょ」
「ノープロブレム。僕のメモリは、大容量仕様なんだ。なんたって、最新型の機能を搭載しているからね」

 時々、こんなふうにからかってくるけれど。
 レイがくれる愛情は、本物だと思った。仕事人間のお父さんとは違う。
 ”アンドロイド”だなんて、関係ない。
 レイはわたしの――大切な家族だ。

 * * *

 レイが家に来たのは、ちょうどわたしの6歳の誕生日。

『お前のプレゼントだ、名前はレイと言う。これから身の回りのお世話は、レイにやってもらいなさい』
 
 そう言ったお父さんのとなりには、人間の男の人そっくりに作られたロボット——レイが立っていた。

 お父さんは無口で、昔から何を考えているのかよくわからなかった。レイがわたしの面倒を見るようになってからは、一日中、研究所にこもり、ほとんど家に帰ってこない。

 お母さんに至っては、物心ついた頃には、もういなかった。
 どうして、お母さんがいないのか、一度だけ聞いたことがある。でも、お父さんは何も答えてくれなかった。唯一、残っているのは、若い頃のお母さんが映った写真だけ。これは後から知った話だけれど、お母さんは、わたしを産んですぐ病気で亡くなったらしい。

「こんにちは、僕はアンドロイドのレイ。君とお友達になって、たくさんおしゃべりがしたいんだ。よければ、君のことを教えてくれる?」

 初めましての時は、怖くて逃げてしまった。見た目だけなら、レイは、大人の男の人とさほど変わらなくて。アンドロイドとわかっていながら、人見知りしてしまった。

「ユウ、何か僕にしてほしいことはあるかな?」

 だから、きっとレイも苦労したんだろうなぁと思う。だって、わたし、最初の頃は、レイに何聞かれても、うんともすんとも言わなかったし。

 でも、わたしだって、どうしたらいいか、わからなかったんだよ。
 いきなりこのロボットが、今日からお前のお世話係だ、なんて言われても。

 何日か経ったある日。
 一人で絵本を読んでいたら、レイが一冊のノートを差し出してきた。

『おしゃべりノート』

 表紙にはそう書いてあった。

「言葉を伝える手段は、なにも声だけじゃない。もし何か言いたいことがあったら、ここに書いて欲しい。どんなことでもいいから」

 そう言って笑ったレイの顔は、アンドロイドとは思えないくらい、優しくて、わたしの手は自然とノートに伸びていた。

 ◯月×日 レイ
 ユウへ。
 ぼくはきみに、これからしつもんをします。
 いやじゃなかったら、教えてくれるとうれしいな。

 じゃあ、いくね!
 ユウのすきなたべものは、なんですか?
 おへんじは、いつでもだいじょうぶだよ。

 ユウ
 すきなたべもの……カレー、かな。
 からいのは、たべれないけど。

 レイ
 おへんじありがとう!
 じゃあ、きょうの夜ごはんは、それにしよう。
 料理は、ぼくの特技なんだ。
 とびっきりおいしいカレーを作ってあげるね!

 ◯月××日  レイ
 あしたは、ようちえんがおやすみだね!
 いっしょにお出かけしようか。
 どこかいきたいところはある?
 ぼくがつれていってあげるよ!

 ユウ
 おそとは……あんまり行きたくない。
 人がいっぱいで、こわい、から……。

 レイ
 そっか。
 なら、ぼくとおうちですごそう!

 ユウ
 おうちで……。 あっ、そうだ。
 ロボ太くんのアニメ……あしただから、みたい。

 レイ
 ぼくも気になる! 
 ユウは、ロボ太くんの、どんなところがすき?

 ユウ
 すきなところ……。
 え、えっとね、ロボットなのに、のんびりやさんで、おもしろいところ、かな?
 でも、すごくやさしいんだ。こまってる人がいたら、すぐにたすけてくれるの。

「おしゃべりノート」でのやりとりを通じて、だんだんと恐怖心は解けていった。

 今でもよく覚えてる。
 初めてわたしから話しかけた時の、レイの驚いた顔。
 よく作りこまれたアンドロイドだな、なんて思ったりしたのも。

 △△月×日  ユウ
 ねぇ、レイ。
 おとうさんは、ユウのこと、きらいなのかな……?

 レイ
 どうして、そう思うの?

 ユウ
 だって、いつもおうち帰ってこないし……。
 ユウのこと、無視するんだもん。

 レイ
 そっか……。
 それは、とってもさみしくて、かなしいね。

 でもね、ユウ。
 お父さんは、ユウのこと無視してるんじゃないと思うよ。
 今はちょっと、研究がいそがしいんじゃないかな?
 お父さんだって、きっとユウに会いたいにきまってる。

 だから、いっしょに待とう!
 お父さんが、帰ってくるまで。

 だいじょうぶ。
 ユウにさみしい思いはさせない。
 ぼく、約束するよ!

 わたしのレイに対する認識が変わった瞬間だった。

 レイだけが、わたしを受け入れてくれる。
 たった一人、孤独に寄りそってくれる。
 彼といる間だけは、安心して、心を預けられた気がした。