傷を舐めてもおいしくない

 *


 土曜日の早朝にも関わらず、私は学校に来ていた。

 「ごめんね、お待たせしました」
 昇降口前で集まっている生徒たちに駆け寄り、声をかける。

 「男乕先生、今日はよろしくお願いします」

 生徒会長の中津明人(なかつあきと)が丁寧に頭を下げ、彼に倣って他の生徒会メンバーも頭を下げる。

 「よろしくお願いします。じゃあ行こうか」

 私は、彼らを連れて学校の駐車場へと移動する。
 せっかくの休日である土曜日に、生徒会の彼らは当たり前のように制服を着用している。本校では生徒会を筆頭に、地域への貢献や社会活動の一環として年に三回ほどの頻度でボランティア活動を推奨しており、今日が新年度に入って初めてのボランティア活動の日だった。
 今回のボランティア活動は、本校の学校生徒が頻繁に利用する最寄り駅で行われる。内容は、バス停ロータリー付近にある花壇の植え替えだ。これは生徒会が毎年行っている活動らしく、彼らは用意周到に軍手やスコップを持参していた。

 「改めて、今日はよろしくお願いします」

 全員が車に乗り込んだことを確認し、エンジンを入れた直後、もう一度中津君から号令がかかった。礼儀正しい彼らを見て、さすが生徒会だなと感心を覚えながら、私はルームミラー越しに微笑んで挨拶を返す。
 ボランティア活動に参加する生徒会のメンバーの引率をお願いされたのは、つい昨日のことだった。生徒会には教員二人の指導者がついており、彼らが練った計画や構えた運営方針を指導したり、相談に乗ったりしている。ボランティア活動の引率ももちろん生徒会指導を担った教員で行っていくはずだったのだが、その教員の一人である葛西先生から『代わりに行ってもらえないだろうか』と要望を受けた。事情を聞くと、陸上部の顧問も担っている葛西先生は、他校との練習会が明日に控えており生徒会にまで手が回らなくなったという。ボランティア活動は陸上部の練習会より前に日程として組み込まれていたが、てっきり来週だと把握違いをしていたようで、代わりに引率できる教員を探すも前日では予定に空きがない教員ばかりで、最後の頼みの綱として養護教諭の私のところまで話が回ってきたのだ。

 「男乕先生、予定大丈夫でしたか?昨日、葛西先生に時間の確認したところすっかり忘れていたみたいで、俺がもっと前に確認しておけばよかったです」
 「大丈夫です。ちょうど午前中は空いていたので」

 クラスも受け持って、陸上部の顧問もやって、おまけに生徒会指導もやっている葛西先生に比べれば私はまだ時間に余裕があるほうなのかもしれない。櫻間さんの死から一時の混乱状態もあり、把握ミスが起こってしまったのだろう。私でフォローできることなら喜んで引き受けたい。

 「ところで、今日のボランティア活動に小野寺君も参加するって聞いているかしら」
 「はい、聞いてます」

 図書本破損で今週から自宅待機となっている小野寺君も、ボランティア活動に参加することを言付かった。彼は、電車通学なので駅で私たちが来るのを待機している。

 「正直、怖いですよ。なんで一緒にやらないといけないんですか」

 二年生の女子生徒がため息交じりに本音を吐露する。
 小野寺君と学年が被っていない後輩からすれば、彼の噂だけが善悪の判断基準になる。噂を鵜呑みにし、彼の輪郭を形づけ、あたかもそれが彼の本来の姿だと言うように本性と化す。彼の素行の悪さが招いた結果だが、最初に植え付けられた固定概念はなかなか拭えない。

 「俺たちはやることをやるだけで、小野寺君もやることをやるために参加するんだ。そんなに警戒したって疲れるだけ」

 恐怖を覚える後輩に向けて、中津君は淡泊に言い放った。彼は意外にも人に対してドライなのかもしれない。

 「ボランティア活動は彼が進んでやりたいって言ったみたいです。だから大丈夫だと思いますが、もし迷惑をかけることになったらすぐに連れて帰りますので安心してください」
 「はーい」

 彼女の心を宥めるも、納得はしていないのか唇を尖らせ間延びした声で返ってきた。
 五分ほど車を走らせ、最寄り駅に到着する。
 今日の天気は快晴。朝から日ざしが照りつけ、歩いているだけでも薄らと汗が額に滲んでくるような天候の中、小野寺君は日陰ではないところで待っていた。彼は私たちの存在に気づくと、軽く会釈して挨拶をする。
 不安げな表情で恐る恐る近寄る生徒会のメンバーがほとんどの中で、中津君だけは怖いもの知らずに颯爽と小野寺君に近寄る。

 「おはよう。はい、軍手」
 「おう、サンキュ」

 中津君の目には小野寺君が悪いようには映っていないのか、手ぶらの彼に堂々と話しかけると、新しいほうの軍手を手渡す。
 頼もしい生徒会長だなとまた感心を抱いていると、中津君が私を見遣る。準備が整ったようだ。

 「じゃあ早速行きましょうか」

 葛西先生に事前に言われていたマニュアル通り、まずは窓口にいた駅務員に声をかけ、簡単な挨拶を交わすと、すぐに場所を案内され簡単な説明を受ける。

 「今年もまたこちらの花壇の花を植え替えていただきたいです」

 駅前のバス停ロータリーでは一列に花壇が設置されており、そこには枯れ果ててしまった花が放置されたままになっていた。植え替える花はまた別のところにあるようで、「二人くらい苗を持って来るのを手伝ってほしい」とお願いされる。真っ先に動いたのは意外にも小野寺君だった。その背中を中津君も追う。一応小野寺君の監督者でもあるため私も彼らに付いて行こうとしたが、中津君が首を横に振る。二人で大丈夫だと。ここは中津君の頼もしさに甘えることにした。

 「残りの人たちで枯れた花を取り除こう」

 残りの生徒は花壇に沿う形で横一列に並び、枯れた花を根っこから引っこ抜いていく。

 「意外にも積極的だよね。本当に反省してるんだ」

 生徒たちの耳打ちが、風に流されて私の耳にも入る。
 誰が?と訊かずとも、小野寺君のことを言っているのだとわかる。手元を動かしながら会話に耳を傾ける。

 「お前って、案外単純だな。別に周りの目があるから積極的なフリしてるだけ。今さら反省するくらいなら、そもそも学校の公共物を数冊に渡って破ったりしないだろ」
 「確かにー」

 染みついた固定概念はなかなか拭えない。人の目は厳しい。
 やがて、苗を取りに行った小野寺君と中津君が戻ってくる。

 「苗は一旦ここに置いて、まずは花壇を綺麗にしましょう」

 私の指示にも小野寺君は文句一つ言わずに行う。シャツが汚れることも構わず深く屈み、中津君が貸してくれた軍手を使い、枯れた花や雑草を抜き取っていく。
 一通り綺麗になったことを確認し、次は植える作業に取り掛かろうとみんなが立ちあがる。一足先に立ち上がって新しい苗の元へ行った中津君に近寄ると、彼は花の苗を見下ろしたまま腕を組んで考え込んでいた。

 「どうしたの?」
 「いや、どういう風に植えようかなって。適当じゃ見栄え悪くなるだろうし」

 苗を見渡すと、用意された花には統一性がなかった。店の苗を全種類同じ数だけ購入したんだなという背景が浮かんでくる。
 中津君は私に助けを求めるように視線を向ける。残念だが、頼った人物はあてにはならない。

 「ごめんなさい、私もこういった色彩センスはないのです」
 「俺もないです」
 「同じく」

 私につづいて生徒たちも首を振る。生徒会は全滅だった。
 こうなったらもう適当に植えるしかない。

 「同色系でなるべく固めた方が見栄えはいい」

 突然、小野寺君が口を開いた。みんなの視線が集まり、彼はバツが悪くなったのか「悪い、出しゃばった」とすかさず口を閉じた。中津君が「続けて」と言うと、彼は「あくまでも俺の意見だから」という前置きをして話しはじめる。

 「たとえば……ざっと見て暖色系が多いから四列分くらい使って奥から植えて、寒色系の花は手前の二列で植えるとか。白の花は補色を調和してくれるから暖色と寒色の間を埋めるように紛れさせるといいかも。あとは、高さも花によって違うから、高い花は奥に植えて、低い花は手前に植えたら奥行きがでる」

 つらつらと並べて饒舌に話す小野寺君の新たな一面に一同驚く。彼は決まりが悪そうに頭を乱暴に掻いた。

 「中学の時、園芸委員だったんだ」
 驚きは加速する。
 「今の学校には花壇ないから」

 ぼんやりと呟くと、彼は苗を手に取り「俺は向こうから植えていくから」と言い放ち、日当たり良好の左端から植えはじめることを自ら志願した。

 「じゃあ、俺も中津と一緒に左端から植えるから、二年の二人は右端から、井上と先生は真ん中からお願いします」

 中津君の的確な指示に、生徒会はすばやく苗を手に取り、指示された位置から植えはじめる。生徒会メンバーの俊敏な行動は見ていて気持ちがよかった。中津君が彼らを信頼し、彼らも中津君を信頼している証拠だ。

 「中津君は頼りがいがあるね」

 副会長の井上さんに話しかけると、まっすぐな目で首肯する。

 「指示も的確で、人の話も最後まで聞いてくれるし、記録に間違いがあっても終わるまで一緒に残ってくれるんです。あんな誠実な男子見たことないです。精神年齢五十代だと思います」
 「それは肝座りきっているわね」
 「五十代は言い過ぎましたね」

 冗談を言い合いながら、次々に苗を植えていく。
 小野寺君に厳しい目を向けていた二年生組を窺うと、彼らも素直に小野寺君の意見を受け入れ、暖色系で統一させていた。
 小野寺君が持っている知識と、中津君の迅速な指示のおかげで、花の植え替えは予定よりも早く終わった。
 花を植えるだけで一気に世界が色づき、当たり前だが彩度も増し、一気にロータリーが華やいだ。花の偉大さを知る。
 駅務員さんには、「今までで一番見栄えがいい」と称賛の声も貰った。気持ちよくボランティア活動を終了するために、中津君の提案で後片付けもしっかり行って帰ることになった。

 「中津君の的確な指示のおかげで無事ボランティア活動を終えられました。ありがとうございます」

 最初に抜き取った雑草や花がらを中津君と協力してゴミ袋に入れながら、学校生徒代表としての彼のそつのない言動に酔いしれながらお礼を言う。

 「小野寺がいたから早く終わったんです」
 「それもそうだけど、中津君が彼を邪険に扱わなかったから活動に問題が生じることなく進んだと思うの」

 中津君は最後の雑草の山を袋に入れ、花壇の周りに散った土をほうきで掃いている小野寺君を見据える。

 「先生はどう思いますか」
 「どうって?」
 「中学の時、学校の花を大切にしていた人が学校の本を破ると思いますか?」

 袋の口を締める手が反動的に止まった。

 「小野寺にとって、花と本はそんなに大切度が違ったんでしょうか」

 中津君も違和感を抱き、静かに思考を巡らせていた。やはり、誠実で優秀な人は常に考えている。

 「俺、前に小野寺におすすめの参考書教えてほしいって言われたんです。園芸科の大学に進みたいから勉強頑張りたいんだって。そんな奴が今問題を起こしますか?」
 違和感が募っていく。
 「図書委員長に聞きました。破られた図書本の中に、花について書かれた本もあったって。将来花を育てたいって思っている人が、何のために破るんだろうって思うんです」
 「それ、本当なの?」
 「知らないです。わからないです。何が嘘か、何が本当か。俺には判断できません。でも、小野寺が花を好きだってことは知ってる。それは嘘じゃないと俺は信じます」

 中津君は、パンパンになった袋を手にとり、言われた場所まで持って行ってしまった。
 その後、すべての片付けが終わり、バス停ロータリーは見違えるほど華やかになった。

 「じゃあ、小野寺君はここで解散ね。お疲れさま。生徒会のみんなは一度学校に戻って記録をつけるのですよね?」
 「はい」
 「わかりました、車を動かしてくるからちょっとここで待っていて」

 私は小走りで駐車場の方へ車を取りに行く。
 生徒会メンバーを乗せた車が動き出してからも、小野寺君はその場から離れることなくじっと私たちを見つめていた。彼の姿が見えなくなるまで、彼は私たちを最後まで見送った。