傷を舐めてもおいしくない

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 予定通り、日曜日に保護者説明会が行われた。
 学校側は保護者の怒りや不安を真摯に受け止め、あらゆる質問にも誠心誠意答えたという。
 今後の対策として、職員での見回りや点検を強化すること、トイレや更衣室などでの盗撮の危険性が高いと判断した場所には監視カメラを複数設置し、定期的に内容を確認することを提示し、未然防止に努めると約束した。重ねて、被害者生徒とカウンセリングを行い、希望があれば三者面談も実施することで献身的に心のケアを行っていくことも伝えられた。
 約二時間後、保護者説明会は終了した。

 翌日、市のホームページには本校の生徒による盗撮行為についての謝罪文が載り、ネット記事で明るみになった。
 学校側は加害者生徒の処分はいまだ検討中とし、正式な処分が下っても公表は控えるとした。
 学校は時に連帯責任という軍隊のような厳しい規律を押し付けてくる場所であるが故、陸上部は三か月の部活動停止を余儀なくされた。当然、二週間後に控えているインターハイの出場も見送りとなってしまい、泣き寝入りするしかない陸上部員の気持ちは計り知れない。インターハイの結果によっては大学の推薦枠をもらえるはずだった陸上部員もいたそう。やるせない。

 「おはようございます」
 車を下りた瞬間、出勤前の葛西先生と鉢合わせる。
 「葛西先生、体のほうは大丈夫ですか?」
 葛西先生は三日間、体調不良で休んでいた。
 久しぶりに見た葛西先生の目元は隈で若干黒ずんでいて、明らかに万全ではない顔色をしていた。
 「こんな大変な時に三日も休んでしまってすみません」
 「体調不良なら仕方ないですから。謝られたりしないでください」
 気落ちした様子で葛西先生は頭を下げた。
 無理もない。インターハイに向けて副顧問なりにできることを全力でやった結果が、出場停止だとは当時の葛西先生も考えはしなかっただろう。
 「男乕先生、私は私なりに彼らの指導をしてきたつもりです。未経験ですから、せめて彼らの足を引っ張ることのないよう裏方としてできる限りのことはやろうと努めてきました」
 葛西先生が私の腰部分に視線を固定しながら早口で捲し立てる。
 「私は、彼らのために頑張ってきたつもりでした。でも、生徒と接することは思っていた以上に難しいです」
 理不尽に奪われてしまった人がいる。葛西先生自身もその中の一人だと思っている。
 「彼らにも、櫻間さんにも、私の言葉は届いていなかった。生徒はどうして私たち大人を裏切るのでしょうか」
 自信消失したその言葉は力無く地面に落ちる。
 「葛西先生の心中を察しても葛西先生自身にしかわからない痛みはあるかと思うので、私が簡単に慰めの言葉を口にすることはできません。ただ、その弱気な発言はここだけにしまっておいてください。私でよければいつでも話を聞くので」
 私たちが今考えなければいけないのは、この件で傷ついてしまった生徒たちのことで、この処分を下した学校側な立場にいる私たちが傷ついた顔をするのは許されない。嘆いていても生徒は救えない。これ以上、生徒に失望されたくはない。
 私は、葛西先生の肩に手を置き、子供をあやすように優しく数回叩いた。
 それ以上は何も言わず、葛西先生を置いて校舎へと向かった。

 被害者生徒の保護者が正式に被害届を出したという一報を耳にしたのは十時を過ぎたあたりだった。弁護士は、加害者生徒の不起訴に向けて動いていくようだ。
 私たち教員は、ただただ彼らの反省と更生の意思があることを信じて待つしかできない。
 毎日悶々とした気持ちで業務をこなしていると、盗撮の件で騒がしくなってから少しご無沙汰だった佐倉さんが顔を出した。普段と変わらない様子で自習をしている佐倉さんと同じ空間で、私もキーボードをカタカタと打ち鳴らす。カウンセリングの結果を校長先生に提出しなければならないので、しっかりと記録を整理する必要があった。
 気づくと、佐倉さんが教材をまとめて鞄にしまっていた。時計を確認すると、四限目があと五分で終わろうとしている。
 「先生、帰ります」
 「もうそんな時間でしたか」
 佐倉さんが立ち上がる流れで私も立ち上がり、扉に向かう彼女の背中を見送る。
 すると、不自然に佐倉さんが足を止めた。訝しげる間もなく、彼女はその場に倒れ込んだ。
 「佐倉さん!」
 慌てて駆け寄ると、佐倉さんは顔面蒼白でぐったりしていた。
 額に手を当てる。熱はない。今度は手先を触る。冬のかじかんだ手くらいには冷たかった。おそらく貧血だろう。
 「すみません、佐倉さん。上のボタンを外します」
 意識がない佐倉さんの上ボタンを開け、できるだけ呼吸をしやすいように緩める。体を持ち上げベッドに寝かせると、足下にクッションを敷いた。
 すぐに担任の先生に報告を入れ、保護者にも連絡を入れてもらうが仕事中で気づいていないのか電話には出ないようだった。佐倉さんの家は母子家庭だと小野寺君が以前教えてくれた。頼れる保護者は母親だけだ。とりあえず留守電を残してもらい、佐倉さんが目覚めるまで様子を見ることにした。

 佐倉さんは昼休憩に入っても寝息を立てていた。よほど眠れていなかったのだろうか、大きい隈をこしらえている。彼女が倒れるまで気づかなかったなんて不甲斐ない。
 今、学校は盗撮騒動で窮地に立たされている。ネット記事に取り上げられたことで、学校の近辺にマスコミや記者のような風貌の怪しい人がうろついているという情報が共有されたばかりでもあった。通常授業のカリキュラムで進んではいるものの、今の学校の空気感は肌触りが悪い。そういった環境の変化にも体が馴染めずにいたのかもしれない。
 大きな布団の中で小さく丸まる佐倉さんを見守りながらカーテンを閉めた。

 昼休憩中、数人の生徒が保健室に現れたが、多少の話し声では佐倉さんが起きてくる様子はなく午後の授業がはじまる。
 私はまたパソコンに向かう。
 やることは山のようにあった。時間も足りない。なのに。考えることをやめられない。
 あれから幾度となく調べた。逮捕、起訴、罰則、退学。それらの言葉はそれぞれに重みがあり、これが法に触れてしまった者の代償なのかと今さらながら犯罪の重さを知っていく。
 被害者生徒のことを思うと、彼らの行動はやはり許されるものではない。しっかり反省して、更生してほしいと思う。そのためにはいかなる罰も受けるべきだとも。でも同時に、許されてほしいと願ってしまう。そう思ってしまうのは、私が普通ではないからだろうか。

 ────『辞めるなら今なんじゃないですか?』

 依田さんに言われた言葉が頭から消えない。
 子供が無邪気にベタベタと貼りつけたシールみたいに、脳裏に貼りついてなかなか剥がれないでいる。
 私もまた、佐倉さんと同じで眠れない夜が続いている。


 捜査開始から一週間が経っていた。
 自宅待機で今もなお捜査に応じている加害者生徒四人の近況と状態を知るため、私は教頭先生とそれぞれの担任と三人で自宅に訪問することになった。
 そこで教頭先生は、彼ら一人一人に「どうして盗撮しようと思ったの?」という同じ質問を投げかけた。
 「二年生になってから記録が伸び悩んでいて終始イライラしていました。推薦で入学した後輩の勢いにも焦りを感じ、さらに記録は悪くなっていってむしゃくしゃしていた時、どうにかこのストレスを発散させたくて」と矢野。
 「なんでもいいからストレスを発散させたかった。息抜きがほしかった」と松川。
 「顧問でありコーチの的場先生は、好記録を出した生徒ばかりに付きっきりで自分たちのことなど二の次だった。二軍の自分たちには陸上経験がまったくない葛西先生ばかりがタイムキーパーとして付き、付け焼き刃で覚えたような基礎知識をアドバイスされ、尽力しているような顔で立つ葛西先生にも苛立っていた」と広瀬。
 「意外とバレなくて、女子更衣室に入るスリルを止められなかった」と谷口。
 それぞれが、あの時の心情を包み隠すことなく吐露する。
 警察での取り調べで同じことを何度も話したのか、教頭先生の質問に彼らはスルスルと答えていく。

 最後に生徒の体調や精神状態を訊ね、この場を立ち去ろうと腰を上げた時、矢野君が「先生」と呼び止めた。
 「俺たちは、多分誰かから報復を食らったんだと思います」
 「……報復?」
 「警察の人から何度も聞かれました。ビデオカメラは本当に去年の冬頃から紛失していたのか、誰かが隠し持っていたんじゃないか、口裏を合わせて誰かを陥れようとしているのではないか。あとはこんなことも言われました。他にも盗撮に関与していた生徒がいるのではないかと」
 そういえば、動画の共有で妙な食い違いが生まれていた。
 「俺たちに動画が送られてきたのは五月十五日で、その動画の内容は五月十日に撮影されたものでした。俺たちは、去年の冬からあのビデオカメラを触っていないし、あの動画だけは少し画角が違ったそうです。だから、警察は他にも盗撮に関与していた人がいたのではないかと疑ったんだと思います。でも、俺たちにはその人物に心当たりがない」
 それに、と矢野君はつづける。
 「証拠が残っていた俺と広瀬のトーク履歴も過去のやり取りが残っていなかった。多分、第三者が俺たちのスマホを勝手に使って、それぞれ個人に動画を送ったあとに履歴ごと消したんだと思うんです。松下と谷口のスマホにトーク履歴が残っていなかったのは、動画が送られてきたあとに第三者が俺と広瀬に動画を送ったからだと思います」
 一般的に広く使われているメッセージアプリには、消したいメッセージだけを指定して消すことが可能だ。ただ、【メッセージを削除しました】という履歴が残ってしまう。
 矢野君の仮説で話を進めるとするならば、第三者はメッセージを削除したという履歴を残さないために、トーク履歴ごと一括で消した。その筋は通るだろう。なら、その第三者は誰?

 ────『もしかして、この日は陸上部の彼らじゃなく櫻間真織がカメラを置いていたりして』

 また依田さんの声が頭の中で響いた。
 そんなはずない。私は強くかぶりを振る。
 謎は深まり、闇は濃くなったまま、私たちは矢野君の自宅を後にした。

 車に乗り込むと、教頭先生が渋い息を洩らす。
 「今の子たちは頭がいいですね。スマートフォンや人の心理をうまく使って動いている。だからこそ複雑化もしている。私の古い頭ではもう理解が追いつきません」
 寄り添うことを放棄したとも取れる発言をため息交じりに吐く。情けない笑みを貼り付けたまま、教頭先生は疲れ切ったように目を伏せた。


 あれから定期的に行っている被害者生徒へのカウンセリングでも、盗撮の大事化に心配する声がちらほらと上がっていた。
 クラスメイトを逮捕してほしくない。退学なんてそこまで重い処罰は望んでいない。他の陸上部員が不憫に思えてしょうがない。今のピリピリした空気がストレスに感じる。学校が悪く見られ、今後の大学受験に影響するのではないかと不安だ。中には、自分の保護者が被害届を出していることを知らない生徒もいた。
 そういった被害者生徒の声もあり、弁護士の見立てでは、このまま進めば被害者生徒の保護者との間で示談が成立し、被害届を取り下げられ、加害者生徒は審判不開始での不起訴処分になるだろうということだった。────だが、そうそう都合よくは進まない。

 ある教室では、一人の生徒が落としたペンが話題になっていた。そのペンは少し特殊で、ノック部分を一回押すと声を録音できる、いわいる録音機能がついたペンだったのだ。
 床に落ちているペンを厚意で拾った生徒は、何気なくノック部分を押した。それが録音開始のボタンだとは知らず、起動の赤ランプが小さく点灯したのだ。それに気づいた生徒は、数回ノック部分を押した。点灯したり消えたりする赤ランプに、生徒は騒ぎはじめた。
 そのペンの持ち主は、中津明人。本校の現生徒会長だった。
 彼自身も私物であることをすぐに認め、さらに普段から盗聴していたことも認めた。
 そして、彼は最後の引き出しを豪快に開けた。
 「アイツらに盗撮動画を送ったのは俺です。クラスマッチの日に盗撮したのも俺です。陸上部を壊滅させるために、アイツらの悪行が公になればいいと思ってやりました」