セピアの先導で地上出入口までをスムーズに進む一行。寝静まる頃合いであることが幸いし、以前のような見物人が出ずに済んだ。
 太ももの筋肉疲労を感じながら延々と階段を登る。息を切らす合間に「夢でもここ通ったか?」と潜めた声で蘇芳が訊ねると、くぅは都度首肯で答えた。
 その果てにあったキーパッド電子ロックをセピアが淡々と解除する。ゼエゼエを調えながらそれを遠巻きに眺めていると「この先は左にすぐ曲がるの」とくぅが囁くように言った。
 夜間のため、外気はキンと冷えている。ブルルとした身震いが身体の下から上へ抜ける。

「行くぞ。時間がなくなると調査に支障が出るだろう?」
「はあーいっ」

 くぅは気力で返事をし、蘇芳の手をグイグイと引く。そして堂々とセピアを追い越し無理矢理左を行った。

「くぅ、そっちは厩舎だ。ラクダしかいない」
「せっかくなのでラクダさんも見たいなって思って。ダメ、ですか?」

 くぅのシュンとした素振りと上目遣いがセピアの弱味らしい。ややあってから「私を追い越すのだけはダメだ」と渋々の声色で、蘇芳を掴んでいたくぅの手を取った。

「ラクダさんたち、寒くないんですか?」
「少なくとも凍え死ぬことはない。マイナス気温も耐えられる強くて逞しい動物だ」
「へぇ、スゴいんですねぇラクダさん!」
「うん。あの体毛は暑さにも寒さにも強い特殊な構造なんだ。本来は夜行性だから今が活動時間なんだが、皆大人しい子たちばかりだな」

 そんな話をしながらラクダを前に立ち止まる。加えてセピアのラクダ蘊蓄(うんちく)が始まったため、蘇芳はセピアの意識を外れ肩口の夜さまへ小さく問う。

「なぁ、気配辿れてる?」
「読みどおりじゃ。外に出た途端気配が濃くなりおった」
「マジか。したらこの辺なわけ?」
「いや、ラクダより向こうの方が微量じゃが濃い。できれば厩舎を抜けたいが」

 なぜかラクダ談議に花が咲いていたセピアとくぅに「ちょっとあっちの砂見てくるな」と断りを入れる。するとたちまち「共に行こう」とセピアが歩みを再開した。両耳の円盤型ピアスがシャーンシャーンと鳴れば、ラクダの鼻息が大きくいくつか重なった。
 厩舎の先の旧い城壁は、背の高い楕円形に口を開けていた。それはまるで煉瓦で造った橋の下の光景に似ている。ドラヴと拳を交えた際に抜けた城壁の形と等しく、その場で振り返ると遠く城門まで一直線に見える。ラグエルのこのかつての城はシンメトリーになっているのではと蘇芳は考えた。

「さぁ思う存分採取してくれ」

 塔壁の見張り兵に自身らの存在を報せ矢を収めさせたセピアは、くるりと蘇芳を振り返り両腕を広げた。塔壁の鏃がトラウマになりつつある蘇芳は、しかし尚も気が気でない。
 見上げた先の空気は澄み冴え、深い濃藍の空色はいびつな形の雲を薄く流している。肉眼でかすかに冬の大三角が見えた。北半球であることがわかるもそれ以上がわかり得るはずもなく、苦々しく辺りへ視線を戻す。
 この場にあるのは城壁、砦の高い壁、そして空と砂地である。『ドア』らしきものは見当たらない。肩口の夜さまへ小さく指示を仰ぎ、セピアの後方を行けと命受ける。

「セピア、もうちっと先歩いてもいい?」
「何だ、警戒してるのか? 砂はどこでも変わらないぞ?」
「ふ、踏み均されてっから取りにくくてよ。この辺出入り口だしさ」

 気配を探っているためピリピリとし始めた夜さまの神経に障らぬよう、慎重に砂地を行く。くぅも、蘇芳の動向を把握しながらセピアと手を繋ぎそれに続く。

「――そこ」

 旧城跡の壁伝いにしばし歩いていると、蘇芳の左頬に食い込むようにして無理矢理フードから夜さまが顔を覗かせた。低く告げられ反射的に蘇芳の脚がピタリと止まる。

「は? どこ」
「よう見えん。しかしヌシの歩幅十数歩先で何かが揺らめいとる」
「いや、何もねぇけど」
「違う、儂は夜目が効くよってヌシよりかは数倍見えとる」
「だからぁ。暗くてよく見えねーとかじゃなくてマジで何もなくねぇ?」
「そうではない。術か何かで隠されとるような見えなさなのじゃっ」

 ボソボソの夜さまはポンと顔を引っ込め、蘇芳の左肩からズルズルと砂地へ降り立った。寒さをものともしていないらしく、そのまま暗がりに紛れ『揺らめく何か』へ駆け出す。砂地には夜さまの四つ脚の跡が印されてゆき、なんでもないときならば愛らしい足跡だと和んでしまうであろう。

「ちょ、夜さま。危ねぇからっ」

 蘇芳が駆け出せば、その異変にセピアとくぅも気が付く。「どうした」と訊ねつつセピアが蘇芳を追おうとすると、「行きましょ」とくぅも繋いだ手をそのままに駆け出した。

「おい、蘇芳っ。そっちは例の天井穴だぞ!」

 砂地を駆けるのはひと苦労で、脚を取られるため負荷がかかる。思うような速さが出ず、しかしお陰で『天井穴』の単語をいくらか冷静に聞き取ることができた。

「……そっか」

 セピアの言う天井穴はかつてサニーが掘った穴であり、それは今なお湧き続けている源の根幹である。それを外敵から隠すため特殊なホログラム処理を施し、外から見つからぬよう穴を隠している説明を受けていた。
 数歩前を軽々と走っていた夜さまが、ふとボォンとぼやけて消える。

「ホログラムで隠れてっから『ドア』見えねぇのか!」

 目星をつけ立ち止まり、くるりとセピアとくぅを振り返る。つられてセピアも速度を落とし、するとくぅはゆるりとセピアから手を離した。

「すぅちゃん、やっぱり」
「くぅの夢のとおり、アタリだろうな」

 引き止めの声掛けをする間もなく、くぅは蘇芳の隣に並び立つ。

「夜さまどうなってるの?」
「ここの映像技術で見えにくくなってるだけ。『ドア』と一緒にな」
「てことは、在るんだね? 『そこ』に」

 二人の会話は不明瞭だが、セピアはじわりと感じていたものが気のせいではないと確信する。瞼を伏せ、下唇を甘噛み、しかし頭を振って一掃する。

「セピアさま、あの。あたしたち――」
「行ってしまう、のか」

 生ぬるい風が、ヒュゴオとセピアの首筋を触る。それは不可思議に渦を巻き、どの方向から吹いているのかわかり得ない。

「ど、どうして」
「わかるんだ、昔から。大小問わず心に決意を秘めたまなざしだとかそういうのが。『なんとなく』だがな」

 生ぬるい風は、セピアの両耳の円盤をシャラシャラと鳴らす。

「始めから『ここ』に来るのが目的だったか?」
「こんな状況で今更何言っても信じてもらえねぇと思うし、結果的にセピアを騙したみたいになったのはマジで申し訳ねぇって思ってる。でも――」

 それは、と口を開いたくぅを遮り、蘇芳が半歩分前へ出た。

「――でも俺たちも確証あったわけじゃなくて、間違ってたらまた大人しくアンタに従おうってハラだった」

 敵意ではない蘇芳のまなざしがセピアを向いている。

「俺たちは、たまたまあのホログラムの中に出た……らしいモンに用がある。でもずっと、『あれ』がこの城のどこにあんのかわかんなくて、ズルズル手間取ってて。けどもうあとは外探すしかなくなってたから、言い方ワリーけどアンタを鍵開けと案内役にした」

 聴こえるはずのない愛おしい声が、円盤のシャラシャラに紛れて何かを囁いている。それにクスと笑み、セピアは「確かに」と目を伏せた。

「今更細かいことを訊ねたところで、互いの何かが劇的に変わるわけでもないな」
「え?」
「お前たちの言う『あれ』とは、例の『茶色い木製の一枚板』のことだな?」
「……うん」
「なるほど。よくわかった」

 栗皮色の癖毛が生ぬるい風に散らされ、吹き上がる。
 風を追うように鼻先を上向けたセピアがもう一度蘇芳とくぅへ顔を戻したとき、確かに女性とわかる優しい微笑をしていた。

「くぅ。こんな私を深く慕ってくれて、どうもありがとう」

 言葉の雰囲気から別離を覚り、くぅは蘇芳の右手を強く掴む。

「短い間だったが、かつて産んでやれなかった娘と過ごせたようで、心から幸せだった」
「そんな……セピアさま」
「そして蘇芳」

 反射的にびくりと身を震わす。「な、なんだよ」と身構える姿はまるで人間に怯える小動物に似ているのだな、とセピアは今更愛おしく思った。

「お前は、私の心を二度も救ってくれたのだ」
「『二度』?」

 身に覚えのない蘇芳は甘く首を傾ぐ。セピアは首肯だけを向けそれ以上は何も言わなかった。

「さぁ行け、旅の者よ。我ら夫妻がお前たちの門出を見届けよう!」

 まるでその一言を合図にしたように、生ぬるい風が再度その場に強く吹き荒ぶ。細かな砂を巻き上げ、強引にフードを取り払いにくる。
 蘇芳とくぅが目を細めたり視界確保のため手をかざしていると、後ろから「『ドア』を潜るぞ!」と夜さまの声が聴こえた。なかば強引にくぅの手を引き、ホログラムの中へと駆け出した。

「どうか幸せを歩んでね、セピアさま!」

 小さな砂嵐を起こした生ぬるい風は、そのくぅの言葉をセピアへと届けふわりと落ち着く。いくつかのまばたきのあとで焦点が合うと、蘇芳とくぅは砂上からすっかり姿を消していた。
 訪れる静寂。それまでのことが夢幻かのような心地。深く深く吸って吐いてをすると、まるでひとしきり泣いたあとのような疲労感と爽快感が残っていた。

「助太刀をしてくれたのだな、ビスタ。私たちだけでなく、彼らにも」

 その風は、高く濃藍色の夜空へと吹き上がる。再度セピアも、空を仰ぐ。

「大丈夫だ。もう孤独などとは思わない。きっとずっと、今よりも上手くやってみせるさ」

 おもむろに右腕を高く掲げた。逝ってしまった風には触れられそうにない。

「――ありがとう」

 今一度凛とした彼女には、ラグエルの黄金色がよく似合っていた。

       ◆

 ドアノブはひんやりとしている。回し押し開けると中からひやりとした風が足元を抜けてゆく。
 夜さま、くぅ、そして蘇芳と『ドア』の中へと踏み進む。

 近未来の砂地の砦国に出でし扉が、バタンと無機質に閉じられた。


   ◆   ◆   ◆