そうだ、と思い立ち、セピアは声色明るく保管庫の奥へと数歩進む。
「ラグエルが旅人に救われた例は二度目になったからな。お前にももしかしたら縁があるのかもしれない。是非彼の顔も見ていってくれ」
掌で指し示されたのは、壁にひっそりと掛けられてあった額入りの古い写真であった。色褪せの仕方が印刷のそれであるためすぐに絵ではないとわかる。顔を寄せ注視すれば、どうやらを初めの水源を掘ったときに撮られたものであることがわかる。
中央には石造りの円形井戸。その横に小学校高学年くらいの年頃の男児がニッと白い歯を見せ、得意気に笑んでいる。そして彼と中心に周りに大人たちがぞろぞろと肩を寄せ合い、やはり皆一様にニッと笑っていた。
各々が泥や砂で汚れていたり、日焼けが濃く刻まれていたり。水源を掘ったときの功績なのだろうと蘇芳は頬を緩めた。
「それが最初の泉だ。そしてこの中央の少年が、ラグエルに水脈を見つけてくれた人物。名は『サニー』」
「サニー?」
「いまなお、ラグエルの皆が讃えている方だ。子どもでも知っているんだぞ」
「へぇ」
誇らしげなセピアを横目に、蘇芳は再び写真を見つめる。『誰かのために』と子どもながらに旅をしていたのであろうか。小さな身体で、独りきりで――そう考えたがしかしハッと気が付く。
違う。『サニー』は夜さまの『捜し者』だ。
何らかの事故で『ドア』を潜り、たまたま出た先でこの水源を掘り、そこに夜さまの魔力を置いていった人物こそが『サニー』であると言う。
夜さまに早く伝えなくては――蘇芳は気が逸った。
「あああのさセピア。ほほ他にその『サニー』についての資料、残ってたりしねぇ? どどどんだけちっさいことでもいいんだけどっ」
「それならこの辺りとか。あぁ、この資料にも載っていたかな」
セピアの慣れた手つきでA4大の冊子が数冊引き抜かれ、間もなく蘇芳の手に渡る。短い礼のあとで捲りゆけば、そこには小さな英文字の羅列がびっしりと詰まっていた。なんで言葉は通じてんのに文字は翻訳されてねぇんだよっ――『ツッコミ』としてそう吐き出したい気持ちを抑え、くらりとした眉間を小突く。
「ほら蘇芳、ここ見てみろ。『サニーは星読みや地質学に詳しく、掘削技術は大人顔負けであった。サニー曰く、ふんだんな知識は幼い頃に読み耽っていた書物から得たもので、知らず知らずに内容の多くを暗唱できていたという。こうしてサニーは知識や技術を駆使し、ラグエル国民と共に生命の泉を掘り当て、その整備に貢献したのである』」
「なんか、やたらと優秀なのな」
「そうなんだ。だからサニーを学びの姿勢の模範として敬う者もいるぞ。あとここだ、『サニーは作業中もそうでないときも、始終笑顔を見せていた。機転が利き、人好きのする前向きな明るさを持ち、自然に人々を引導する頼もしさがあった。サニーは当時のラグエル国内に於いて、まるで慈愛の心を持った太陽のようであった』」
図らずもセピアが読み上げてくれたお陰で『サニー』の人となりを大まかに知るに至る。
そしてどうやら、たとえ事故で試作機の向こうへ飛ばされども文字どおり元気に過ごしていたことがありありとわかる。この情報があれば、相当不安に思っていた夜さまを安心させることが多少なりとも出来るかもしれない。
「サンキュ、セピア。よくわかった」
「他の資料は見なくてもいいのか?」
「貸し出してくれる……なんてことは――」
「それは出来ない」
ピシャリとした断り文句に「デスヨネ」と苦笑の蘇芳。
「もし資料を改めたいときはお前の部屋の前につけてある見張り兵に相談しろ。私に取り次いでもらうといいよ」
はたしてそんな時間があるのだろうか、と蘇芳は首肯の向こうで疑問に思っていた。
身を屈め保管庫から出る。黄金色の墓地を進み、壁に擬態した扉を手分けして開け出て再び鍵をした。
「この壁に蔦模様が彫られているのにも意味があるんだ」
墓地シェルターの外壁に触れながらセピアが語る。
「このラグエルでは、水があるお陰で樹木や草花がそれなりに育つ。代わりに鉄はカスしか採れないがな。そういった樹木を加工し、石と併せ、道具にしている。弓矢を主だった武器として用いているのもそのためだ」
「もしかして、鏃に塗ってる麻酔みてぇな毒もここで育った草ってこと?」
「あぁ。近隣国の火や鉄に優るとしたら、私たちにはもう毒くらいしかなかったんだ」
言われた途端、じわりじわりと二箇所の傷口が痺れるように痛んだ。錯覚かもしれない、しかし射られた折に受けた傷が話内容に反応しているようで、蘇芳はなんとも言えぬ苦い顔をした。
「帰りついでに先程の最初の泉も見ていかないか」
「へ? そんな近ぇの?」
「もうそこだ、数十歩くらいで見える」
来た道を戻ること三〇歩。左側の壁面を見やるとそこには円形の広間が在った。先の墓地と保管庫を合わせた広さの更に数十倍もあり、連れられ来た折に気が付かなかった自身には甚だ疑問である。
「す、すげぇ……。広いし、それにめちゃめちゃ声響く」
「ここはラグエルの命である神聖な水場であることから、催事場や礼拝堂も兼ねている。朝と夕刻の二度だけ管理者がここを開放して、皆が祈りを捧げられるようにしているんだ」
「だからこっち来たとき、扉開いてることに気付かなかったんかな?」
「あのときお前他所見していただろう。遠巻きに子どもたちに物珍しげに見られていたじゃないか」
「それに気ィ取られてたか……って、アンタそんときちゃっかり見てたのかよ!」
「ふははっ、おおかたお前がビスタに似ていたからと、他所者だから珍しかったんだろう。許してやってくれ」
五〇メートルの長さはありそうな壁、八メートル近く上方へ伸びている天井。
美しさと清潔感が共存したこの空間は、乳白色の滑らかな石ブロックで囲われている。
壁面のところどころには金装飾が施されてあり、そのうちのいくつかを指差したセピアが「数年前に私が作った」と得意気に笑んだ。
「ラグエルでは神の偶像を崇拝しない代わりに、この井戸を『生命』と呼び、祈りを向けている」
円形広間の中心は源泉であり、それは井戸のように深く掘られてあった。壁材と同じ乳白色の滑らかな石ブロックとわずかな木材で囲いが組まれている。
そこから放射状に八本の水路が延びている。延びた水路にはガラスのような硬化プラスチックのような無色透明の板が渡してあり、これは外の水路にも適用されていたことを振り返った。
「あの天井の向こうが砂地の地面だ」
溜め池の真上に空いている小さな穴をセピアが指し示す。そこから見える狭い空は、夕焼けのオレンジ色になっている。
「もちろん蓋がしてあるから砂が入ってくることはないし、この天井穴がわからないようホログラム処理してあるから、外から見たら穴などわからなくなっている。……意味わかるか?」
「わかるよさすがに。俺のことどんだけバカだと思ってんだよ。とどのつまり、あの穴はサニーが掘ったときのまんまで、この地下の入口みたいに虚像処理で砂地の表面からは見えねぇって話だろ?」
「そうだ。そしていまもなおこの穴から水が湧き続けている。神秘が続く限り生命を途絶えさせることは出来ないし、繋いでゆかなくてはならない」
セピアはその場に膝立ちになり、源泉へ祈りを向け始めた。邪魔をしてはいけないと蘇芳は静かにそこを離れ、辺りをくるりと見渡していく。
陰になっている箇所、物と物の隙間、出入口の内側。上の方から下の方まで、そして思いもよらぬ角度で『置いてある』かもしれない予測を立てる。
「無さそうだな」
「なにをそんなにキョロキョロしてるんだ。そんなに珍しいか?」
離れた位置から問われた声は室内によく響き、尚のことガラス細工の小鳥の囀りのようだと感じた。
「あー……実は俺たち、茶色い木製の一枚板を探しててさ。こんくらいの」
大きく両腕を縦横に広げ『ドア』の大きさを示す。
「一枚板? 縦か? 横か?」
「縦になってる。立て掛けてある感じじゃなくて自立してる。あ、でも万が一見つけても絶対に触ったらダメなんだよ、えと……むっちゃ崩れやすいから。歴史的に重要な価値があって、小せえ文字とか暗号が刻んであんの。いまんとこそれ解読できるの俺たちくらいだしさ」
勢い任せに出た虚言には自身の内側で羞恥が巻き起こり、思わず頬がぽっぽした。片や歩み寄ってきたセピアは顎に手をやったまま「見たことがないな」と眉間のシワを寄せている。
「このラグエルでは聞いたことがないが、その事実を知らなければ偶然見つけた誰かが既に触っていてもおかしくない。となると、お前たちの研究に支障をきたしてしまうな」
「う、うん」
「丁度戻らなければならない頃だな。わかった、このあとすぐの会合でそのことを共有させてもらおう。見つけ次第誰も手を触れず、直ちに蘇芳を呼ぶことにしよう」
「も、もしあるなら、入口に掛けてあるあーいう長い布でも被せといてくれよ。その方が触っちゃうリスク下がるだろ?」
「わかった。ではその案を採用する。ついでに『触れるな』とでもその布に記載しておくか」
セピアはいたずらに笑み、蘇芳を引き連れ水源の礼拝堂を出た。出てすぐのところには、収監室前に立っているもう一人の兵士がおり、いつの間にか蘇芳を待っていた。
セピアと短く挨拶を交わし別れ、兵士に着いて収監室へと戻る。道中で彼にも同じことを訊ねたものの、「覚えがない」と薄い返事が返ってきた。
「起きてたのか」
収監室へ戻ると、夜さまが蘇芳の寝台中央に腰を据えていた。蘇芳へ向けているまなざしは不安気に揺れている。
「もしや尋問を受けとったのか?」
「んーん。セピアに呼ばれてあの水源のとこに案内されてきた。夜さまが魔力取り戻したとこ」
「そうじゃったか」
「道すがら結構きょろきょろしてきたけど、やっぱ『ドア』見つかんなくてさ。セピアに『見かけても触るな』ってラグエル中にアナウンスしてくれって言っといた」
その方がいいだろ? と笑むも、夜さまは浮かない顔で相槌を返してきた。夢視が良くなかったのであろうかと案じつつ「いい話もあんだよ」と努めて明るく声をかける。
「あの泉を掘ったヤツの名前わかったぞ」
「ま、まことかっ」
「うん、セピアが教えてくれたし資料わんさか見せてくれた。まぁその資料っつーのが英語? かなんかで、全然翻訳されてねーの。言葉は通じんのにな」
「それは……なぜじゃったかの。未だ思い出せんが、それより意外じゃ。ヌシは大層理解深まるほどに英文が読めたとは」
「悪かったな微塵も読めなくてっ。セピアが音読してくれたからわかったんだよっ」
ようやくフッと薄く笑んだ夜さまは「そうであったか」と瞼を伏せた。
「ソイツの名前、伝えといた方がいい?」
ようやく表情が緩んだが、しかし再び陰が落ちる。
名を伝えた後の反応を見たい反面、夜さまにとって良くないことが起こってしまわないかと、蘇芳は夜さまの反応を見てじわりと恐れを抱いた。
自身の真名は最後に思い出す事柄であれど、はたして『捜し者』の名はどうなのであろうか。もしも道なかばで捜し者の名を聞き、それがためこの渡航に良からぬ影響を与えてしまっては取り返しがつかない。例えば『代償にした記憶』が戻らないままになるだとか、『捜し者』との再会が叶わぬままになるだとか。想像の域を超えはしないが幾通りもの『最悪』は在る。
「は、『狭間』で伝えるわ。そそ、それかこの時代の『ドア』見つけてか――」
「いや、いま聞いておこう」
ピタリと視線を合わせた夜さまの目力に、迷いは込められていなかった。心なしか色の深くなったアメジスト様の双眸には確固たる意思が秘められている。
「ヤツの真名を知ったところで、儂に悪影響が及ぶわけではない。もとより『ドア』は『個』の契約じゃて、他者の情報に触れたとて何もありゃせんじゃろ」
「そ、そんなもんか?」
「して、名はなんといった?」
忘れたままであれば強く求め、しかし与えられると苛まれる――それが『記憶』。『記憶』が自在である『ドア』は厄介であり、故にとても罪深い。引き継いだとはいえ開発しきった夜さまがその身で責を負い、償いの旅路を行くその覚悟がいかほどであったのかを改めて実感する。
蘇芳の掌はじんわりと汗ばんでいる。それを太腿で拭い、ひとつ深く吐き出してから小さく告げる。
「『サニー』」
「……サニー」
「この国の英雄みたいになって、語り継がれるような偉人になってた」
シンと静まる室内。張りつめゆく緊張感に息を潜め合う。
「わからぬな、思い出せん」
「そ、そっか。つかマジで何ともねぇ?」
「あぁ、特別変わったことはない」
ひとまずの安堵に胸を撫で下ろす。しかし、大切なひとの名を聞いても思い出せないなど、傍から見える悲みは深まる一方である。
「ひとまず、これは次の世への手掛かりとなるじゃろうて、この話題はしまいじゃ。それより『ドア』を見つけねばならん。無関係な者らの安否にかかわるよって」
「だな。くぅが起きるまでに見つけられればいいんだけど」
高い位置にあるフィックス窓の向こうの夕焼けは、ゆっくりと濃藍色を被っていた。
「ラグエルが旅人に救われた例は二度目になったからな。お前にももしかしたら縁があるのかもしれない。是非彼の顔も見ていってくれ」
掌で指し示されたのは、壁にひっそりと掛けられてあった額入りの古い写真であった。色褪せの仕方が印刷のそれであるためすぐに絵ではないとわかる。顔を寄せ注視すれば、どうやらを初めの水源を掘ったときに撮られたものであることがわかる。
中央には石造りの円形井戸。その横に小学校高学年くらいの年頃の男児がニッと白い歯を見せ、得意気に笑んでいる。そして彼と中心に周りに大人たちがぞろぞろと肩を寄せ合い、やはり皆一様にニッと笑っていた。
各々が泥や砂で汚れていたり、日焼けが濃く刻まれていたり。水源を掘ったときの功績なのだろうと蘇芳は頬を緩めた。
「それが最初の泉だ。そしてこの中央の少年が、ラグエルに水脈を見つけてくれた人物。名は『サニー』」
「サニー?」
「いまなお、ラグエルの皆が讃えている方だ。子どもでも知っているんだぞ」
「へぇ」
誇らしげなセピアを横目に、蘇芳は再び写真を見つめる。『誰かのために』と子どもながらに旅をしていたのであろうか。小さな身体で、独りきりで――そう考えたがしかしハッと気が付く。
違う。『サニー』は夜さまの『捜し者』だ。
何らかの事故で『ドア』を潜り、たまたま出た先でこの水源を掘り、そこに夜さまの魔力を置いていった人物こそが『サニー』であると言う。
夜さまに早く伝えなくては――蘇芳は気が逸った。
「あああのさセピア。ほほ他にその『サニー』についての資料、残ってたりしねぇ? どどどんだけちっさいことでもいいんだけどっ」
「それならこの辺りとか。あぁ、この資料にも載っていたかな」
セピアの慣れた手つきでA4大の冊子が数冊引き抜かれ、間もなく蘇芳の手に渡る。短い礼のあとで捲りゆけば、そこには小さな英文字の羅列がびっしりと詰まっていた。なんで言葉は通じてんのに文字は翻訳されてねぇんだよっ――『ツッコミ』としてそう吐き出したい気持ちを抑え、くらりとした眉間を小突く。
「ほら蘇芳、ここ見てみろ。『サニーは星読みや地質学に詳しく、掘削技術は大人顔負けであった。サニー曰く、ふんだんな知識は幼い頃に読み耽っていた書物から得たもので、知らず知らずに内容の多くを暗唱できていたという。こうしてサニーは知識や技術を駆使し、ラグエル国民と共に生命の泉を掘り当て、その整備に貢献したのである』」
「なんか、やたらと優秀なのな」
「そうなんだ。だからサニーを学びの姿勢の模範として敬う者もいるぞ。あとここだ、『サニーは作業中もそうでないときも、始終笑顔を見せていた。機転が利き、人好きのする前向きな明るさを持ち、自然に人々を引導する頼もしさがあった。サニーは当時のラグエル国内に於いて、まるで慈愛の心を持った太陽のようであった』」
図らずもセピアが読み上げてくれたお陰で『サニー』の人となりを大まかに知るに至る。
そしてどうやら、たとえ事故で試作機の向こうへ飛ばされども文字どおり元気に過ごしていたことがありありとわかる。この情報があれば、相当不安に思っていた夜さまを安心させることが多少なりとも出来るかもしれない。
「サンキュ、セピア。よくわかった」
「他の資料は見なくてもいいのか?」
「貸し出してくれる……なんてことは――」
「それは出来ない」
ピシャリとした断り文句に「デスヨネ」と苦笑の蘇芳。
「もし資料を改めたいときはお前の部屋の前につけてある見張り兵に相談しろ。私に取り次いでもらうといいよ」
はたしてそんな時間があるのだろうか、と蘇芳は首肯の向こうで疑問に思っていた。
身を屈め保管庫から出る。黄金色の墓地を進み、壁に擬態した扉を手分けして開け出て再び鍵をした。
「この壁に蔦模様が彫られているのにも意味があるんだ」
墓地シェルターの外壁に触れながらセピアが語る。
「このラグエルでは、水があるお陰で樹木や草花がそれなりに育つ。代わりに鉄はカスしか採れないがな。そういった樹木を加工し、石と併せ、道具にしている。弓矢を主だった武器として用いているのもそのためだ」
「もしかして、鏃に塗ってる麻酔みてぇな毒もここで育った草ってこと?」
「あぁ。近隣国の火や鉄に優るとしたら、私たちにはもう毒くらいしかなかったんだ」
言われた途端、じわりじわりと二箇所の傷口が痺れるように痛んだ。錯覚かもしれない、しかし射られた折に受けた傷が話内容に反応しているようで、蘇芳はなんとも言えぬ苦い顔をした。
「帰りついでに先程の最初の泉も見ていかないか」
「へ? そんな近ぇの?」
「もうそこだ、数十歩くらいで見える」
来た道を戻ること三〇歩。左側の壁面を見やるとそこには円形の広間が在った。先の墓地と保管庫を合わせた広さの更に数十倍もあり、連れられ来た折に気が付かなかった自身には甚だ疑問である。
「す、すげぇ……。広いし、それにめちゃめちゃ声響く」
「ここはラグエルの命である神聖な水場であることから、催事場や礼拝堂も兼ねている。朝と夕刻の二度だけ管理者がここを開放して、皆が祈りを捧げられるようにしているんだ」
「だからこっち来たとき、扉開いてることに気付かなかったんかな?」
「あのときお前他所見していただろう。遠巻きに子どもたちに物珍しげに見られていたじゃないか」
「それに気ィ取られてたか……って、アンタそんときちゃっかり見てたのかよ!」
「ふははっ、おおかたお前がビスタに似ていたからと、他所者だから珍しかったんだろう。許してやってくれ」
五〇メートルの長さはありそうな壁、八メートル近く上方へ伸びている天井。
美しさと清潔感が共存したこの空間は、乳白色の滑らかな石ブロックで囲われている。
壁面のところどころには金装飾が施されてあり、そのうちのいくつかを指差したセピアが「数年前に私が作った」と得意気に笑んだ。
「ラグエルでは神の偶像を崇拝しない代わりに、この井戸を『生命』と呼び、祈りを向けている」
円形広間の中心は源泉であり、それは井戸のように深く掘られてあった。壁材と同じ乳白色の滑らかな石ブロックとわずかな木材で囲いが組まれている。
そこから放射状に八本の水路が延びている。延びた水路にはガラスのような硬化プラスチックのような無色透明の板が渡してあり、これは外の水路にも適用されていたことを振り返った。
「あの天井の向こうが砂地の地面だ」
溜め池の真上に空いている小さな穴をセピアが指し示す。そこから見える狭い空は、夕焼けのオレンジ色になっている。
「もちろん蓋がしてあるから砂が入ってくることはないし、この天井穴がわからないようホログラム処理してあるから、外から見たら穴などわからなくなっている。……意味わかるか?」
「わかるよさすがに。俺のことどんだけバカだと思ってんだよ。とどのつまり、あの穴はサニーが掘ったときのまんまで、この地下の入口みたいに虚像処理で砂地の表面からは見えねぇって話だろ?」
「そうだ。そしていまもなおこの穴から水が湧き続けている。神秘が続く限り生命を途絶えさせることは出来ないし、繋いでゆかなくてはならない」
セピアはその場に膝立ちになり、源泉へ祈りを向け始めた。邪魔をしてはいけないと蘇芳は静かにそこを離れ、辺りをくるりと見渡していく。
陰になっている箇所、物と物の隙間、出入口の内側。上の方から下の方まで、そして思いもよらぬ角度で『置いてある』かもしれない予測を立てる。
「無さそうだな」
「なにをそんなにキョロキョロしてるんだ。そんなに珍しいか?」
離れた位置から問われた声は室内によく響き、尚のことガラス細工の小鳥の囀りのようだと感じた。
「あー……実は俺たち、茶色い木製の一枚板を探しててさ。こんくらいの」
大きく両腕を縦横に広げ『ドア』の大きさを示す。
「一枚板? 縦か? 横か?」
「縦になってる。立て掛けてある感じじゃなくて自立してる。あ、でも万が一見つけても絶対に触ったらダメなんだよ、えと……むっちゃ崩れやすいから。歴史的に重要な価値があって、小せえ文字とか暗号が刻んであんの。いまんとこそれ解読できるの俺たちくらいだしさ」
勢い任せに出た虚言には自身の内側で羞恥が巻き起こり、思わず頬がぽっぽした。片や歩み寄ってきたセピアは顎に手をやったまま「見たことがないな」と眉間のシワを寄せている。
「このラグエルでは聞いたことがないが、その事実を知らなければ偶然見つけた誰かが既に触っていてもおかしくない。となると、お前たちの研究に支障をきたしてしまうな」
「う、うん」
「丁度戻らなければならない頃だな。わかった、このあとすぐの会合でそのことを共有させてもらおう。見つけ次第誰も手を触れず、直ちに蘇芳を呼ぶことにしよう」
「も、もしあるなら、入口に掛けてあるあーいう長い布でも被せといてくれよ。その方が触っちゃうリスク下がるだろ?」
「わかった。ではその案を採用する。ついでに『触れるな』とでもその布に記載しておくか」
セピアはいたずらに笑み、蘇芳を引き連れ水源の礼拝堂を出た。出てすぐのところには、収監室前に立っているもう一人の兵士がおり、いつの間にか蘇芳を待っていた。
セピアと短く挨拶を交わし別れ、兵士に着いて収監室へと戻る。道中で彼にも同じことを訊ねたものの、「覚えがない」と薄い返事が返ってきた。
「起きてたのか」
収監室へ戻ると、夜さまが蘇芳の寝台中央に腰を据えていた。蘇芳へ向けているまなざしは不安気に揺れている。
「もしや尋問を受けとったのか?」
「んーん。セピアに呼ばれてあの水源のとこに案内されてきた。夜さまが魔力取り戻したとこ」
「そうじゃったか」
「道すがら結構きょろきょろしてきたけど、やっぱ『ドア』見つかんなくてさ。セピアに『見かけても触るな』ってラグエル中にアナウンスしてくれって言っといた」
その方がいいだろ? と笑むも、夜さまは浮かない顔で相槌を返してきた。夢視が良くなかったのであろうかと案じつつ「いい話もあんだよ」と努めて明るく声をかける。
「あの泉を掘ったヤツの名前わかったぞ」
「ま、まことかっ」
「うん、セピアが教えてくれたし資料わんさか見せてくれた。まぁその資料っつーのが英語? かなんかで、全然翻訳されてねーの。言葉は通じんのにな」
「それは……なぜじゃったかの。未だ思い出せんが、それより意外じゃ。ヌシは大層理解深まるほどに英文が読めたとは」
「悪かったな微塵も読めなくてっ。セピアが音読してくれたからわかったんだよっ」
ようやくフッと薄く笑んだ夜さまは「そうであったか」と瞼を伏せた。
「ソイツの名前、伝えといた方がいい?」
ようやく表情が緩んだが、しかし再び陰が落ちる。
名を伝えた後の反応を見たい反面、夜さまにとって良くないことが起こってしまわないかと、蘇芳は夜さまの反応を見てじわりと恐れを抱いた。
自身の真名は最後に思い出す事柄であれど、はたして『捜し者』の名はどうなのであろうか。もしも道なかばで捜し者の名を聞き、それがためこの渡航に良からぬ影響を与えてしまっては取り返しがつかない。例えば『代償にした記憶』が戻らないままになるだとか、『捜し者』との再会が叶わぬままになるだとか。想像の域を超えはしないが幾通りもの『最悪』は在る。
「は、『狭間』で伝えるわ。そそ、それかこの時代の『ドア』見つけてか――」
「いや、いま聞いておこう」
ピタリと視線を合わせた夜さまの目力に、迷いは込められていなかった。心なしか色の深くなったアメジスト様の双眸には確固たる意思が秘められている。
「ヤツの真名を知ったところで、儂に悪影響が及ぶわけではない。もとより『ドア』は『個』の契約じゃて、他者の情報に触れたとて何もありゃせんじゃろ」
「そ、そんなもんか?」
「して、名はなんといった?」
忘れたままであれば強く求め、しかし与えられると苛まれる――それが『記憶』。『記憶』が自在である『ドア』は厄介であり、故にとても罪深い。引き継いだとはいえ開発しきった夜さまがその身で責を負い、償いの旅路を行くその覚悟がいかほどであったのかを改めて実感する。
蘇芳の掌はじんわりと汗ばんでいる。それを太腿で拭い、ひとつ深く吐き出してから小さく告げる。
「『サニー』」
「……サニー」
「この国の英雄みたいになって、語り継がれるような偉人になってた」
シンと静まる室内。張りつめゆく緊張感に息を潜め合う。
「わからぬな、思い出せん」
「そ、そっか。つかマジで何ともねぇ?」
「あぁ、特別変わったことはない」
ひとまずの安堵に胸を撫で下ろす。しかし、大切なひとの名を聞いても思い出せないなど、傍から見える悲みは深まる一方である。
「ひとまず、これは次の世への手掛かりとなるじゃろうて、この話題はしまいじゃ。それより『ドア』を見つけねばならん。無関係な者らの安否にかかわるよって」
「だな。くぅが起きるまでに見つけられればいいんだけど」
高い位置にあるフィックス窓の向こうの夕焼けは、ゆっくりと濃藍色を被っていた。
