昇った陽が西に落ちかけた頃。蘇芳は収監室前の兵士ひとりに呼ばれ、一時的に収監室を出ることになった。
 兵士の後に続きいくつか下層階を行く道中で見えた景色には、蘇芳も純粋に驚いた。たしかに天井はあるものの、まるで本当の空の下に在る街並みと大差ない光景が広がっていたのである。
 赤砂色の石畳、黄金色の外壁、収監室と似たような長暖簾は個々でまちまちの色をしている。蝋の(あかり)は電灯よりも明るく、陽の下と変わらない光量があった。
 道の端には細い用水路が通っている。そこには透明な天板がされており、しかし誰一人として踏むことはない。水を讃えている証拠だと蘇芳は考えた。
 ちらほらと見える人々は皆、褐色や黒色の肌をしている。そして遠巻きに兵士と蘇芳を眺めており、通り抜けるまでは目のやり場に困ることとなった。

「セピアさま、連れてまいりました」

 ひとどおりを抜けた先の袋小路で、軽装のセピアが腕組みをし立っていた。寄りかかっていた壁から背を離し、兵士と蘇芳を迎えるように向き直る。

「世話をかけた。あとはいいから、元の持ち場へ戻れ」
「は。失礼いたします」

 蘇芳を一瞥した兵士は来た道を颯爽と戻っていった。甲冑のガチャガチャが聞こえなくなる前にセピアが口を開く。

「急に呼びつけてすまない」
「俺はいいんだけど、セピアこそそれ大丈夫かよ?」
「お前や皆のお陰で大した怪我はしてないからな。それに、存外やわには出来てない。心配無用」

 蘇芳の懸念は、セピアの身体に巻かれた包帯であった。見えているだけでも右肩や左腕、左頰に布が当ててあり、いずれも見ていて痛々しい。

「それより、実はあまり時間がないんだ。用が済んだらこのまま戻らなくてはいけない。それでもわずかな合間にお前に見せておきたい場所があってな」

 言いながら、セピアはどこからともなく小さな鍵を取り出した。それを、セピアがそれまで寄りかかっていた壁にある小さな鍵穴へ差し込み、キュキュと回す。ほどなくして、ものすごく小さなチャキンの音がした。まるで仔猫が鳴いたかのようなそれに「ていうかここはアナログなんだ?」と蘇芳はひっそり笑ってしまった。
 鍵を衣服のどこかへしまったセピアは、今度はその壁を上半身を使いグググと押し始めた。踏ん張りを効かせながら徐々に押していくと、大股の六歩目で壁がカチリと何かに嵌り、中央から内向きの観音開きに壁が開いた。
 壁はどうやらものすごく高さのある重厚な扉であったらしい。よく見ると全体に(つた)や草花を模した豪勢な彫り物の装飾が施されている。

「ひとまずここだ」

 壁の内側に一歩踏み入ると、そこには全面黄金色の小部屋が在った。
 奥に長いこの小部屋は両脇が壁面収納になっている。小さな観音開きの扉が縦横に連なり、いずれもきちんと閉じている。

「すげぇ金ピカ……」
「ここはラグエルの墓地なんだ」
「え、墓地っ?」
「昔はきちんと空の下に在ったんだが、いまじゃ灼熱だろう? それだと先祖も気の毒だから、と先々代の(おさ)がここに移したんだ」

 再び上半身を使い、セピアは重厚な扉を片面ずつ閉めた。ゴゴゴゴ、ズンッと鳴った音はシンとした黄金色の墓地に深く響いた。

「もしかして、あの扉ひとつひとつが墓?」
「そうだ。怖がることはない、ラグエルは火葬だから木乃伊(ミイラ)はいないぞ」
「べ、別にそーゆーの怖がったりしねーし」

 セピアは静かな足取りで先を進んでいく。その度に耳飾りの円盤がシャーン、シャーンと響き鳴るため、おのずと邪魔にならぬよう蘇芳も足音静かに着いていく。

「この墓地はシェルターの役割もある。近隣で戦が起こればラグエルの民は皆ここに隠れるように取り決めてあるんだ」
「へぇ、だからアナログな鍵であんな分厚い扉なのな。つーか、そういう大事なこと俺に簡単に言っちゃっていいのかよ?」
「なにを今更。だって仮にドラヴが自国の大将だったとして、それをあんなにボッコボコにした者をこれ以上どうして疑える?」
 顔の半分で振り返るセピアは優しいまなざしをしていた。蘇芳は「まぁ、言えてるな」と後頭部をカシカシ掻く。
「いろいろと疑って悪かったな、本当に」
「いや、潔白だってわかってもらえりゃもうなんでもいいよ。あ、じゃあ尋問もなし?」
「当たり前だろ」

 行き着いた扉の前で立ち止まるセピア。それは大人の身長よりわずかに低く、身を屈めて通るような造りである。

「この先はラグエルの要人数人しか入れないことになっている歴史文献の保管庫だ」
「そんなとこに、なんで俺を?」
「お前、考古学研究をしているんだろ? だから詫びと、礼の(しるし)として、ラグエルの歴史を見ていくといい。きっと研究の役に立つ」

 別の鍵を使い、片手で扉が開けられる。予想どおり身を屈め中へ入ると、そこは墓地の外と同じ赤砂色の石畳と黄金色の外壁のこれまた小部屋が在った。
 わずか二〇畳にも充たない程度のこの部屋の壁三面には本棚がずらりと並んでおり、びっしりと書物が収められている。わずかに空いた本棚の隙間には小さな写真、風景画、設計図などが額に収められ貼られている。

「まずは彼に会わせておきたい」

 室内に一歩入り振り返ったその上部――小さな扉の真上には、一枚の肖像が掛けられていた。それはひときわ大きく豪勢な装飾の額縁で飾られており、蘇芳はびくりと肩を跳ねさせた。

「あっ?!」
「彼がラグエルの先代長兼軍頭首、ビスタ。私の亡き伴侶だ」

 セピアと同じよく陽に焼けた肌と深い赤銅(しゃくどう)色の瞳。青年らしい爽やかさの中に、頼りになりそうな貫禄と余裕のある雰囲気。目尻に滲む優しさや慈愛のまなざしは『頭首』に足る人材であることがよくわかる。

「これ……いや『このひと』、マジ? 写真?」
「肖像画だ。近年の写真はまったく無い、すっかり機材が劣化して使えなくなってしまったんだ。代わりに大昔のように絵師が記録として日々風景や人物を描いているから、問題ないがな」

 蘇芳が口をあんぐりと開け驚いているのは、肖像のビスタの顔面が蘇芳と酷似していたがためであった。
 三白眼気味の目や眉のかたち、頬の肉付き、髪の生え方などまでまるで生き写したようである。違うといえば、先のビスタが持つ『貫禄』や『余裕』が蘇芳にはないことくらいなものだ。
 そして「これはもしや『ドア』のせいかもしれない」と不意に思い至る。先の撫子の時代で夜さまが話していた『転生』の実例はこういうことなのかもしれない。蘇芳はそうひとまず納得しておくことにした。

「やはり、お前から見ても似ているか」
「似てるっつーか爆似っつーか……いや、俺に似てるったら旦那に失礼じゃね? 大丈夫?」
「はは、ビスタは気にしないだろうさ」

 扉を閉めたのちに柔い笑みで肖像を見上ぐセピアは、すっかり性別不明などではなかった。まるで初恋に浮足立つ少女のような、はたまた遠距離恋愛中の彼と待ち合わせているときの彼女のような、淡い雰囲気を滲ませている。

「昨日、私の部下がお前へ矢を射ったとき、砂上に転がったお前のローブを脱がせて本当に驚いた。矢を射った本人なんか『ビスタさまを手にかけてしまった』などと言って卒倒してしまったんだぞ」
「そ、そんなん言われても」
「いまだから言えるが、私は初め、お前たちをきちんと牢に入れようと言ったんだ。お前のことを『巧妙にビスタに成りすました間者だ』と言い張る者も数人いたし、実は私もちょっとだけそうだと思っていた」
「おいおい……」
「ふふ。だがそれではどうにも忍びないと、軍の皆や政の重役の多くに散々言われてしまった。まるでビスタ本人を牢に入れるようで嫌だとな。だが野放しにしておけないのはわかるだろう? だからあの旧い客室を収監室にして、お前たちを置くことにしたんだ。くぅが酷く泣いているのも見ていて痛々しかったしな」

 そうだったのか、とようやく長暖簾や見張り兵に合点がいった。
 まさか自分の容姿が役に立つ日がくるなど思ってもみなかった。片や、たかだかその容姿だけで処分方法を軽減したラグエルの民にはさすがに呆れの気持ちを抱いてしまう。
 疑うべきなのに疑いきれず、しかし信用するなどもってのほか。戸惑いや困惑の中で最適解を見出だせず、ラグエルの民の皆々は昨日を過ごしていたに違いない。ゆえに先の民らの視線であったわけだと辻褄が合う。

「結果的にお前を牢に入れておかなくてよかった。厳重な牢に入っていたらさっきのように簡単には出られない。そうなると、私たちはお前に助けられることなく自陣の砂の上で死んでいただろう」

 肖像に鼻先を向けたセピアは、その場で両膝をつき立て膝の格好になった。胸の前で掌を合わせ握り、まるで祈るように瞼を伏せる。

「私は相も変わらず弱いままだよ、ビスタ」

 亡人へ祈りと懺悔を捧げているのであろうと覚る。静かで穏やかな独白を聞きながら、蘇芳もセピアの格好を真似る。

「今朝の戦闘で、私は復讐に(たぎ)っていた。この戦争がどうとか平和のためとか、そうじゃない。もっと個人的な怨みの心でチャオツ頭首に剣を向け、そしてあっという間に追い込まれてしまった」
「…………」
「怨みに心を喰われるなど頭首失格だ。ドラヴが麻縄を引きちぎった時点で、私は罰を受ける運命だったのだと思う。あっさりと隙を突かれ、部下たちも含めて全滅させられてもおかしくない状況を招いてしまったのだから、私にはやはり、ビスタの代わりは務まらないよ」

 愛するひとの前でのみ弱音を言えるのだろうか、と蘇芳は閉じていた瞼を上げる。

「けど、マジで私怨に喰われきってたら、この砦に戻ってくる前にアイツをさっさと殺ってたと思う。でもセピアは、アイツらを生きたまま連れてきた。それって、責任者としての顔をちゃんと持ってたからじゃねぇの?」

 俯けていた顔を上げ開眼する。蘇芳の真摯なまなざしにフッと頬が緩む。

「ほんと、お前と話をしていると、ビスタと共にずっと頭を悩ませてきたことの糸口が掴めそうな気がするよ。ビスタが存命だったあの頃の続きが叶っているというか、ひとつずつ明晰になるというか」

 蘇芳は「んなことねーと、思うけど」と視線を俯け後頭部に手をやった。

「考えをひとつ、この後の議会で提議しようと思っているんだ。私一人では自信が出ないが、決心が揺るがないようビスタに聞いてもらいたくて、ここにな」

 笑みのセピアの唇はかすかに震えている。それは緊張や興奮が希望に織り混ざっているためか。

「チャオツはじめ、近隣国と共存関係を築けないかと考え始めている」
「共存?」
「例えばラグエルの宝である水と、チャオツの宝である鋼鉄を交換する。そういう『昔ながら』の貿易条約をきちんと改めて、決めて、守り合う。決まりを保持し、共有し、話合いまた結び……そうやって互いに手を取り合って生きてく道を選びたいと思うんだ。これはビスタと――先代(おさ)とずっと考えていたことだ。どうやれば実現できるんだと模索していたが、こういう案ならいまの戦争状態よりはかなり良くなるかと思わないか?」

 墓地の黄金色にも負けぬほどの輝かしいまなざしで熱弁をみせるセピア。その表情や態度から蘇芳はハッと気が付いた。

 セピアは良くも悪くも、蘇芳にビスタを重ね見ている瞬間が多々ある。
 いくら本人がウリフタツを認めたとはいえ、ビスタと自身はまったく違う人間である。政に関するノウハウはおろか国の命運を左右する意見など求められたとて責任は持てない。

「おっ、俺はこの国のことも政治のことも、ぶっちゃけ全っ然わかんねぇよ? けどまぁ現頭首(セピア)がいいと思ったことは、きっと変なことじゃねーって思うよ。ちゃんと議会で発言して、みんなに賛成してもらって、どんどん良くしていけばいいんじゃねぇのかなって、思う。『俺は』だけど」

 自身のものさしながらも、思ったことを精一杯告げようと努める。ビスタの代わりなど到底誰にも務まるわけがない。しかし意思を引き継ぐことは誰にでも出来る。武器や力業(ちからわざ)ではない方法をとろうとするセピアの背を、純粋に激励してやりたいと思えた。

「これは素人意見だし、外部の人間の言うことだけどさ。しつこくても、何度も幹部連中とかチャオツのやつらとも話し合えば、きっとどっかでお互いが歩み寄るチャンス、ちゃんと巡ってくると思う」
「歩み寄る、チャンス」
「チャオツのあの大将とだってそりゃ腹立つことめちゃめちゃあるかもしんねぇけど、しっかり納得いくまで話し合ってわかり合うことが、いまのどっちの国にも必要なことなんじゃねぇかな」

 ラグエルの人々は、きっと道筋が不明瞭になっていただけなのだ。全員が、チャオツはじめ敵軍と判断する者らから根こそぎもぎ取ろうとは考えていない。争いの終息や安寧を得ようともがいていた結果、武力や抗争に発展してしまったのであろう。それはきっと、チャオツも同じなのだ。
 キョトンとしていたセピアはやがて頬を緩め、小刻みに首肯を重ねつつ「そうだな」と呟いた。

「いまの私は、ラグエルのすべての民、そしてお前とビスタに生かされてここに在る。みずからの判断だけでは、私自身もこの国の皆をも護れなかったに違いない」

 肖像へ改めて顔を向けるセピア。笑みは先程と変わらず純朴で、どこかすっきりとしている。

「そうまでして私が生き(ながら)えているのは、きっとなにか役割があるからだろう。それがわかるまで、たとえ道を間違えたとてしっかり生きなければならないよな」
「『一度踏み外しても、キミには軌道修正を手伝ってくれるひとがいるじゃないですか』……」
「お、いいこと言うな」
「あ、いや。これも別に俺の考えたことじゃねーっつーか」
「ありがとう」

 小声になってしまった打ち消しはその耳に届かなかったらしく、懺悔を終えたセピアはすぐに謝辞を被せてきた。

「私も、ビスタやお前のように、強く優しくありたいと思う」

 わずかに頬を染め、そっと顔を背ける。誰にも見えぬ角度を保ったセピアは、そのよく陽に焼けた頬にひっそりとひと筋だけ涙を伝わせた。