外に出たことで、蘇芳はラグエルの建造物をまじまじと観察することができた。
黄金色の壁は予想どおり円形に構えられた城壁であった。一定間隔で壁塔まで備わっており、蘇芳はどうやらそのどこかから射られたらしいとわかった。
城壁の内部の中心には小さな二階建ての城が建ててあるものの、見事に風化し崩れそうな不安感が見てとれる。先程までドラヴと拳を交えていたのは内郭部分であったと理解した。
外に出るまでは無我夢中で気が付かなかったが、改めて城の中を見返すとこれまた予想どおりの風化具合であり、加えて厩舎のように風が通る造りとなっていた。正門から城内へ入ると裏門が数百メートル先に見えるのである。
「もしかしてこの城、ハリボテ?」
「名残りと言え、名残りと」
収監室付きの兵士の一人が渋い表情で言う。
「いまはラクダの厩舎としてきちんと使っているし、陽光や温度に影響がないものを置いているからハリボテとは違う」
「実際に四〇年前までは建物として使用していたが、我々が熱砂に生きるには地下に潜るしかなかったからな。それに、地下への入口を隠すにはどうにもこの古い建物も必要なのだ」
もう一人が補足に入ったところで、丁度とある鋼鉄製の扉の前に立った。物々しい雰囲気のそれは重厚で頑丈そうである。ノブはなく、代わりにキーパッドが備わっていた。ここにきてようやく近代的なものに巡り会えたと蘇芳は目を瞠り、小躍りしたい気持ちをどうにか抑えて固唾をのむ。
兵士がキーパッドのボタンを手慣れた様子でいくつか押すと、鋼鉄製の扉はじわりと姿を薄くしてゆき、ほどなくしてその場からすっかり消えてしまった。ホログラムかなにかであったらしいことはわかったものの、あまり深く探りすぎても却って再び怪しまれるかもしれないと自重し、口を噤んでいた。
そこからしばし階段を下り、三〇段になろうかという頃にようやく階層が広がった。左右に分かれており、そのうちの左側を進む。
「もしかして、ここの国民みんな地下に住んでんスか?」
「そうだ。外は大気破壊の影響で年々暑くなり、暮らしていけなくなったからな。ラグエルは約三〇年前から地下へ住居を移している」
へぇ、と相槌を返しながら周囲を流し見程度に観察していく。壁の高い位置に点々と並ぶロウソクには燈が点してあり、その点は収監室と変わらない。
前をゆく兵士が立ち止まったのは、いまやすっかり見慣れた鬱金染めの長暖簾の前。蘇芳らが閉じ込められていた収監室は地下一階であったとわかった。
「着いたぞ。あとはセピアさまがお越しになるまで大人しく寝台に寝転がっていることだな」
「ウス。あの、お二人とも」
長暖簾の前に立ち、付き添っていた二人を前に姿勢を正し、蘇芳は浅くなりとも頭を下げた。
「急に飛び出してきた俺に付き合ってくれて、マジでありがとうございました。正直スゲー混乱させたと思う」
時間にして数秒間ではあるものの、なにかを言われるまでは頭を上げないと決めていた。じっとそうしているので、二人の兵士は顔を気まずそうに見合わせる。
「別に、お前から礼を言われる謂れはない」
「そうだ。オレたちはセピアさまをお護りしただけであって、わざわざお前の言うことに付き従ったわけではないからな」
「なっ」
なんだよ冷てぇな、と顔を上げると、しかし二人の兵士はそれぞれへにゃんと表情を歪めていた。しばし眺めたのちに彼らを照れさせてしまったことを認識し、こっそり噴き出し、冷たいと評したことを取り止めた。
長暖簾を潜れば、兵士のうち一人がその場を離れていくのを背に聞いた。軍会議に交代で出るのであろう、セピアに命じられたことを忠実に守るよき臣下であることが蘇芳にも伝わる。
「すぅ、怪我はない……どうしたその頬は?」
それまでくぅの隣で丸くなっていた夜さまが、寝台を音もなく飛び降り蘇芳の脚もとに駆け寄ってきた。やはり小声を貫いているため蘇芳も声量を合わせる。
「大丈夫大丈夫、全っ然大したことねぇから。腹も肩も夜さまが治してくれたからなんとかなったしよ」
「ただちに治す。ここに横たわるのじゃ」
「だ、だから平気だって。あとでまたセンセーくんだよ、だから残しとかねーと。な?」
「まったく……まこと突発的というか衝動的というか。その性格はいつの頃も変わらんようじゃな」
「ほー? 夜さまはいつの俺を知ってんの?」
「易々と言えぬわ、たわけ者」
フイッとそっぽを向き、夜さまはくぅの寝台へと戻っていく。
「で? 何があったんじゃ」
「なんだよ、すげー気になってんじゃん」
「当然じゃ、先に気がついたのは儂じゃぞ。きちんと聞く権利がある」
ツンツンとしている夜さまに可笑しさが窺えるのは、いくつかの感情を取り戻したがゆえに稚さが戻ったからであろうか。「わかった、わかった」と寝台に腰を下ろし、蘇芳は夜さまと向き合う。
「そこの二人に案内してもらってとりあえず外出たんだよ。やたら階段駆け上がったから疲れたけど、つーかこの部屋も地下だったんだなーって俺もちゃんと把握したわ」
「ふむ。それにしても、ローブもなしに外へ飛び出しよってからに。よく平気じゃったな」
「朝陽昇りきる前ならまだ大丈夫だってセピアも他の人たちも言ってし、ギリセーフだろ。別になんともなってねーしな」
ピースサインで意地悪く笑む蘇芳を、夜さまは追加の文句を言いたそうに睨みつける。
「さっき夜さまと聞いた声、敵軍の反撃だったんだ」
ピースサインを下ろし、前傾姿勢になる。
「大人しく捕まってたはずの敵軍のやつらが、ここが相手陣地なのもお構いなしで暴れ始めててさ。セピアだけじゃなくて、みんな疲れててどこから殺られてもおかしくなかったんだよ」
「陽が昇ることも懸念しておったやもしれんしの」
「あー、確かにそうかもな。で、セピアが真っ先に敵の大将に殺られそうになってたとこに俺たち丁度間に合ってさ。物陰に隠れて、そこから見張りのひとりになんかその辺に落ちてた壁のカケラぶん投げてもらったんだよ」
「どこへ向けて」
「もちろん大将だよ。ちょっと気が引ければよかったんだけど、あのひとマジでファインプレイでさっ。大将の眉間にドンピシャで命中させちまったわけ。マジで凄かったから」
大興奮の蘇芳はその後間もなくセピアの前へと駆け出しドラヴと拳を交えた、というところに繋がる。
聞き終えた夜さまは「そうであったか」と納得したものの、やれやれと首を振りながら怪訝な表情を崩さずにいた。フハアとひとつ溜め息をつき「しかし……」と口を開けば、息継ぎもわからない速さで捲したて始める。
「ヌシはまこと運が良かったようじゃな。そもそも兵の投擲手腕が著しかったにすぎん。ヌシはおこぼれを頂戴したまで。よもや血気盛んで百戦錬磨もくだらない敵軍大将に、数年前までケンカに明け暮れていただけの若造が、楽に勝てるとでも思うたか? なにを根拠に勝算を見出したと言うんじゃ。万一ここで殺されでもしてみい、儂もくぅもこの時代に取り残されてしまうのじゃぞ。そりゃ先の時代では『会遇』やヌシ自身の想いのために交戦したが、此度は完全にヌシのお人好しの結果じゃ。今後はみずから戦禍に呑まれに征くなどあってはならんことじゃぞ、わかっとるのか」
「わ、わかったって、わかりました。突発的に危ねぇマネしてゴメ――」
「ただし」
割り入った蘇芳を再度弾く夜さま。
「そんなお人好しのヌシじゃから、いつだって皆がヌシを頼りにするのじゃろうて」
視線を合わせ、ひと呼吸置き、薄い笑みを向けられる。瞬間、脳裏に恩師の言葉が生々しく再生された。
――キミが仕掛けたことじゃない。ただ友達を助けたんだ。キミは勇気あることをしたなぁって、先生は思いました。
「…………」
今更、両手の第二関節辺りがジンジンと熱くなっていると認識した。夜さまの魔法で治されたとはいえ、肩や脇腹に未だじわりと痛みがある気がする。
自身の本能に従い進んだことには、いつだってあとから自信を失くしてきた。蘇芳が独りで起こした事件とされてしまった虚言も、周りからひとが離れていく喪失感も、周囲の多くから向けられていた懐疑心も、あのとき一気に味わわされた。そのためすべてが嫌になり、自身の純真なる親切心に足掻くため、二年弱の間は粗暴を笠に着ている。
しかし意思とは関係なく、蘇芳は誰かに手を延べてしまう。今回だってそうである。本質はなかなか変えられない。
それを、知らぬ土地の知らぬ者らから認められたという光、歓び、ぬくもり。どれだけ粗暴を着たとて傍に居てくれたあのときの恩師の存在と同様に、蘇芳の胸の内も充たされ癒えるようであった。
「すぅ?」
「……あ、ゴメン。ちょっと、なんかびっくりして」
下瞼を上向け、夜さまに背を向ける。スンと鼻を啜るとどこかで恩師が「ほらね」と笑んだように思えた。
「無理をするでない。魔術で治したとはいえ充分ではなかろう。儂も眠るよって、ヌシも休んでおれ」
「ん? 夜さま寝んの? いまから?」
くるりと顔を元に戻す。夜さまはくぅの傍で前にひとつ伸びをした。
「そうしようと思うとる。眠気を我慢しヌシを待っとったゆえ」
「そーですか、スミマセンねマジで」
「冗談はさておき。この旅に於いて睡眠……いや、『夢視』は特別じゃて、眠れるうちに眠っておかねばならんよって」
どう特別なのかと口を薄く開く間に、夜さまがツラツラと解説を始める。
「どう特別なのか、じゃろ? それは『代償にした記憶の回帰』が起こっとるからにほかならん」
「カイキって?」
「元に戻ることよ」
「つーことは、夜さまが夢視ると記憶とか感情が戻ったりするかもっつーこと?」
「儂だけではない、くぅのいまのこの眠気も『記憶回帰』によるものではないかと踏んどる」
「ふーん? そしたらくぅはいま、代償にした記憶の一部が戻りつつある的な感じで寝続けてるわけな?」
「然様」
「そか、マジで睡眠薬じゃなくてよかった。あ、じゃあ急に元の姿に戻ったりとかすんの?」
「わからぬ、前例がないゆえ」
「ま、完成機造ったとは言え、夜さまも手探りだったりまだ記憶が戻ってねーってことかもしんねーもんな」
「すまぬ」
「いや、いいって。つーかそれならたっぷり寝て早ぇとこ記憶取り戻そうぜ。その方が捜索効率上がんだろ」
夜さまは了承の笑みを見せると、細く長いヒゲを揺らし、頭を寝台に沈めて目を閉じた。
「起こしたりしねぇから、ゆっくり寝とけ。いまは『ドア』のことも『サガシモノ』のことも後まわしにしてな」
「うむ……」
くぅに掛けてあるタオルケット様の掛け布を、夜さまにも掛かるよう引き伸ばす。くぅの静かな寝息が、間もなく夜さまの入眠を手伝った。
自身の寝台に腰を下ろし、右脚に肘をつき二人の寝顔を柔く眺める蘇芳。つい「捜索効率が上がる」などと言ったものの、記憶が戻ったことで混乱やショックを受けやしないかと二人を案じた。
それぞれの『捜し者』のために自身を削り、あやふやな世界を『ドア』で渡り、旅をする。それを決めた『真』の二人の心中を、蘇芳は想像ですら補完できそうにないと覚り、二人と同じようにその場に身体を横たえた。
黄金色の壁は予想どおり円形に構えられた城壁であった。一定間隔で壁塔まで備わっており、蘇芳はどうやらそのどこかから射られたらしいとわかった。
城壁の内部の中心には小さな二階建ての城が建ててあるものの、見事に風化し崩れそうな不安感が見てとれる。先程までドラヴと拳を交えていたのは内郭部分であったと理解した。
外に出るまでは無我夢中で気が付かなかったが、改めて城の中を見返すとこれまた予想どおりの風化具合であり、加えて厩舎のように風が通る造りとなっていた。正門から城内へ入ると裏門が数百メートル先に見えるのである。
「もしかしてこの城、ハリボテ?」
「名残りと言え、名残りと」
収監室付きの兵士の一人が渋い表情で言う。
「いまはラクダの厩舎としてきちんと使っているし、陽光や温度に影響がないものを置いているからハリボテとは違う」
「実際に四〇年前までは建物として使用していたが、我々が熱砂に生きるには地下に潜るしかなかったからな。それに、地下への入口を隠すにはどうにもこの古い建物も必要なのだ」
もう一人が補足に入ったところで、丁度とある鋼鉄製の扉の前に立った。物々しい雰囲気のそれは重厚で頑丈そうである。ノブはなく、代わりにキーパッドが備わっていた。ここにきてようやく近代的なものに巡り会えたと蘇芳は目を瞠り、小躍りしたい気持ちをどうにか抑えて固唾をのむ。
兵士がキーパッドのボタンを手慣れた様子でいくつか押すと、鋼鉄製の扉はじわりと姿を薄くしてゆき、ほどなくしてその場からすっかり消えてしまった。ホログラムかなにかであったらしいことはわかったものの、あまり深く探りすぎても却って再び怪しまれるかもしれないと自重し、口を噤んでいた。
そこからしばし階段を下り、三〇段になろうかという頃にようやく階層が広がった。左右に分かれており、そのうちの左側を進む。
「もしかして、ここの国民みんな地下に住んでんスか?」
「そうだ。外は大気破壊の影響で年々暑くなり、暮らしていけなくなったからな。ラグエルは約三〇年前から地下へ住居を移している」
へぇ、と相槌を返しながら周囲を流し見程度に観察していく。壁の高い位置に点々と並ぶロウソクには燈が点してあり、その点は収監室と変わらない。
前をゆく兵士が立ち止まったのは、いまやすっかり見慣れた鬱金染めの長暖簾の前。蘇芳らが閉じ込められていた収監室は地下一階であったとわかった。
「着いたぞ。あとはセピアさまがお越しになるまで大人しく寝台に寝転がっていることだな」
「ウス。あの、お二人とも」
長暖簾の前に立ち、付き添っていた二人を前に姿勢を正し、蘇芳は浅くなりとも頭を下げた。
「急に飛び出してきた俺に付き合ってくれて、マジでありがとうございました。正直スゲー混乱させたと思う」
時間にして数秒間ではあるものの、なにかを言われるまでは頭を上げないと決めていた。じっとそうしているので、二人の兵士は顔を気まずそうに見合わせる。
「別に、お前から礼を言われる謂れはない」
「そうだ。オレたちはセピアさまをお護りしただけであって、わざわざお前の言うことに付き従ったわけではないからな」
「なっ」
なんだよ冷てぇな、と顔を上げると、しかし二人の兵士はそれぞれへにゃんと表情を歪めていた。しばし眺めたのちに彼らを照れさせてしまったことを認識し、こっそり噴き出し、冷たいと評したことを取り止めた。
長暖簾を潜れば、兵士のうち一人がその場を離れていくのを背に聞いた。軍会議に交代で出るのであろう、セピアに命じられたことを忠実に守るよき臣下であることが蘇芳にも伝わる。
「すぅ、怪我はない……どうしたその頬は?」
それまでくぅの隣で丸くなっていた夜さまが、寝台を音もなく飛び降り蘇芳の脚もとに駆け寄ってきた。やはり小声を貫いているため蘇芳も声量を合わせる。
「大丈夫大丈夫、全っ然大したことねぇから。腹も肩も夜さまが治してくれたからなんとかなったしよ」
「ただちに治す。ここに横たわるのじゃ」
「だ、だから平気だって。あとでまたセンセーくんだよ、だから残しとかねーと。な?」
「まったく……まこと突発的というか衝動的というか。その性格はいつの頃も変わらんようじゃな」
「ほー? 夜さまはいつの俺を知ってんの?」
「易々と言えぬわ、たわけ者」
フイッとそっぽを向き、夜さまはくぅの寝台へと戻っていく。
「で? 何があったんじゃ」
「なんだよ、すげー気になってんじゃん」
「当然じゃ、先に気がついたのは儂じゃぞ。きちんと聞く権利がある」
ツンツンとしている夜さまに可笑しさが窺えるのは、いくつかの感情を取り戻したがゆえに稚さが戻ったからであろうか。「わかった、わかった」と寝台に腰を下ろし、蘇芳は夜さまと向き合う。
「そこの二人に案内してもらってとりあえず外出たんだよ。やたら階段駆け上がったから疲れたけど、つーかこの部屋も地下だったんだなーって俺もちゃんと把握したわ」
「ふむ。それにしても、ローブもなしに外へ飛び出しよってからに。よく平気じゃったな」
「朝陽昇りきる前ならまだ大丈夫だってセピアも他の人たちも言ってし、ギリセーフだろ。別になんともなってねーしな」
ピースサインで意地悪く笑む蘇芳を、夜さまは追加の文句を言いたそうに睨みつける。
「さっき夜さまと聞いた声、敵軍の反撃だったんだ」
ピースサインを下ろし、前傾姿勢になる。
「大人しく捕まってたはずの敵軍のやつらが、ここが相手陣地なのもお構いなしで暴れ始めててさ。セピアだけじゃなくて、みんな疲れててどこから殺られてもおかしくなかったんだよ」
「陽が昇ることも懸念しておったやもしれんしの」
「あー、確かにそうかもな。で、セピアが真っ先に敵の大将に殺られそうになってたとこに俺たち丁度間に合ってさ。物陰に隠れて、そこから見張りのひとりになんかその辺に落ちてた壁のカケラぶん投げてもらったんだよ」
「どこへ向けて」
「もちろん大将だよ。ちょっと気が引ければよかったんだけど、あのひとマジでファインプレイでさっ。大将の眉間にドンピシャで命中させちまったわけ。マジで凄かったから」
大興奮の蘇芳はその後間もなくセピアの前へと駆け出しドラヴと拳を交えた、というところに繋がる。
聞き終えた夜さまは「そうであったか」と納得したものの、やれやれと首を振りながら怪訝な表情を崩さずにいた。フハアとひとつ溜め息をつき「しかし……」と口を開けば、息継ぎもわからない速さで捲したて始める。
「ヌシはまこと運が良かったようじゃな。そもそも兵の投擲手腕が著しかったにすぎん。ヌシはおこぼれを頂戴したまで。よもや血気盛んで百戦錬磨もくだらない敵軍大将に、数年前までケンカに明け暮れていただけの若造が、楽に勝てるとでも思うたか? なにを根拠に勝算を見出したと言うんじゃ。万一ここで殺されでもしてみい、儂もくぅもこの時代に取り残されてしまうのじゃぞ。そりゃ先の時代では『会遇』やヌシ自身の想いのために交戦したが、此度は完全にヌシのお人好しの結果じゃ。今後はみずから戦禍に呑まれに征くなどあってはならんことじゃぞ、わかっとるのか」
「わ、わかったって、わかりました。突発的に危ねぇマネしてゴメ――」
「ただし」
割り入った蘇芳を再度弾く夜さま。
「そんなお人好しのヌシじゃから、いつだって皆がヌシを頼りにするのじゃろうて」
視線を合わせ、ひと呼吸置き、薄い笑みを向けられる。瞬間、脳裏に恩師の言葉が生々しく再生された。
――キミが仕掛けたことじゃない。ただ友達を助けたんだ。キミは勇気あることをしたなぁって、先生は思いました。
「…………」
今更、両手の第二関節辺りがジンジンと熱くなっていると認識した。夜さまの魔法で治されたとはいえ、肩や脇腹に未だじわりと痛みがある気がする。
自身の本能に従い進んだことには、いつだってあとから自信を失くしてきた。蘇芳が独りで起こした事件とされてしまった虚言も、周りからひとが離れていく喪失感も、周囲の多くから向けられていた懐疑心も、あのとき一気に味わわされた。そのためすべてが嫌になり、自身の純真なる親切心に足掻くため、二年弱の間は粗暴を笠に着ている。
しかし意思とは関係なく、蘇芳は誰かに手を延べてしまう。今回だってそうである。本質はなかなか変えられない。
それを、知らぬ土地の知らぬ者らから認められたという光、歓び、ぬくもり。どれだけ粗暴を着たとて傍に居てくれたあのときの恩師の存在と同様に、蘇芳の胸の内も充たされ癒えるようであった。
「すぅ?」
「……あ、ゴメン。ちょっと、なんかびっくりして」
下瞼を上向け、夜さまに背を向ける。スンと鼻を啜るとどこかで恩師が「ほらね」と笑んだように思えた。
「無理をするでない。魔術で治したとはいえ充分ではなかろう。儂も眠るよって、ヌシも休んでおれ」
「ん? 夜さま寝んの? いまから?」
くるりと顔を元に戻す。夜さまはくぅの傍で前にひとつ伸びをした。
「そうしようと思うとる。眠気を我慢しヌシを待っとったゆえ」
「そーですか、スミマセンねマジで」
「冗談はさておき。この旅に於いて睡眠……いや、『夢視』は特別じゃて、眠れるうちに眠っておかねばならんよって」
どう特別なのかと口を薄く開く間に、夜さまがツラツラと解説を始める。
「どう特別なのか、じゃろ? それは『代償にした記憶の回帰』が起こっとるからにほかならん」
「カイキって?」
「元に戻ることよ」
「つーことは、夜さまが夢視ると記憶とか感情が戻ったりするかもっつーこと?」
「儂だけではない、くぅのいまのこの眠気も『記憶回帰』によるものではないかと踏んどる」
「ふーん? そしたらくぅはいま、代償にした記憶の一部が戻りつつある的な感じで寝続けてるわけな?」
「然様」
「そか、マジで睡眠薬じゃなくてよかった。あ、じゃあ急に元の姿に戻ったりとかすんの?」
「わからぬ、前例がないゆえ」
「ま、完成機造ったとは言え、夜さまも手探りだったりまだ記憶が戻ってねーってことかもしんねーもんな」
「すまぬ」
「いや、いいって。つーかそれならたっぷり寝て早ぇとこ記憶取り戻そうぜ。その方が捜索効率上がんだろ」
夜さまは了承の笑みを見せると、細く長いヒゲを揺らし、頭を寝台に沈めて目を閉じた。
「起こしたりしねぇから、ゆっくり寝とけ。いまは『ドア』のことも『サガシモノ』のことも後まわしにしてな」
「うむ……」
くぅに掛けてあるタオルケット様の掛け布を、夜さまにも掛かるよう引き伸ばす。くぅの静かな寝息が、間もなく夜さまの入眠を手伝った。
自身の寝台に腰を下ろし、右脚に肘をつき二人の寝顔を柔く眺める蘇芳。つい「捜索効率が上がる」などと言ったものの、記憶が戻ったことで混乱やショックを受けやしないかと二人を案じた。
それぞれの『捜し者』のために自身を削り、あやふやな世界を『ドア』で渡り、旅をする。それを決めた『真』の二人の心中を、蘇芳は想像ですら補完できそうにないと覚り、二人と同じようにその場に身体を横たえた。
