戦場にて投降させたのは、ドラヴを含むチャオツ軍の幹部五人と、無抵抗の兵士数人であった。
先遣隊が持ってきていた麻縄で手首をそれぞれきつく縛り、更に二の腕と胴体を纏め縛って拘束。そこから伸ばした麻縄を先遣隊が手綱代わりに持ち、追撃隊がそれぞれの首元に武器を突きつけ、ラグエルまで歩かせている状況である。
五人の幹部は一様にうなだれ、すっかり観念したらしい様子で歩を進めていた。右ふくらはぎを射抜かれ歩行困難であるとみなされたドラヴだけは、負傷のないチャオツ軍のラクダに乗せられ、その手綱をラグエル兵が引いている。
彼らを生きたままラグエルへ連行するには理由があった。ひとつはチャオツ軍への制裁のため、ひとつは武力を抜きにした会合をするためである。戦争締結へ向けた話し合いをしようにも、恐慌なドラヴが戦闘を仕掛けてくるため邪魔になりなかなか叶わなかった昨今。ゆえにこのドラヴ捕縛は状況打破への一歩であった。
「セピアさま、間もなく城門です」
「あ、あぁ」
そんな中、セピアはあれだけ高笑いをしたにもかかわらず、黒々とした気分が晴れずにいた。未だ自身の二面性を持て余し、感情コントロールが追いついていない。
「コイツをあの場ですぐに殺してしまったってよかった。首だけ取って、単身チャオツへ乗り込んだって、私は――」
視線を俯けながらそうブツブツと小さく吐いているので、近くを歩く弓兵の一人に「セピアさま、落ち着いて」と嗜められる。
「傲るなよ、女。誰に拘束されたって、俺たちはしぶとく足掻いてやるからな」
一方で、ドラヴは減らず口を叩くまでに気を取り直していた。俯いているため表情は見えないものの、その口ぶりはなぜかニヤニヤと笑んでいるようなものであり、セピアは「黙れ、口を開くな」と強めた語気で制止を試みる。
「へっ、出来もしねぇ亭主の真似事なんかしたって所詮――」
「黙れと言っているッ」
ピシャリと言ったのはラグエル軍追撃隊長。砂地を歩きながら終始ドラヴの喉元に剣先を高く近づけている。
「セピアさまは我が国を統治する長だ。貴殿同様かそれ以上の働きをなさっている。いくら敵対国であれど、侮蔑的発言は控えていただきたい」
いましがたの開口でその剣先がわずかにドラヴの左首筋の皮膚を突いたため、そこから一筋だけ鮮血が細く短く流れた。さして気にしていないようなドラヴは短く「フン」と嗤う。
ラグエル本拠地の砦門を潜る一行。門の向こうは平坦な砂地が円形に広がっており、見張り兵士が六人待機していた。セピアはじめラグエル兵らがそこでラクダを降り、二人の見張り兵士に手綱を引き渡す。ドラヴは二人がかりで引き降ろされ、なかば強引に立たせられてから改めて剣先を突きつけられた。
「ここからは自力で歩け。牢へ連れて行く」
追撃隊長に代わり、セピアが据えた視線で命じる。しかしドラヴは深く長い溜息をついてからゆるゆるとその太い首を振った。
「やわな拘束具。惰弱な兵士たち。かりそめの頭……ハァー……」
「何度言えばわかる、本当にこの場で首をはねらたいか」
「泣ける、泣けてくるぜまったく。水をガメてのうのうと暮らしてっから、そんなふうにヌルい状態で満足できんだなぁ」
「ドラヴ、きさま……度重なる侮辱発言、もう許さんっ」
「ハッ。野暮ってぇクズどもになんざ、俺たちチャオツがやられるわけねぇだろ!」
クワと不気味に笑んだ途端、ドラヴは腕力で麻縄をブヂブヂブヂィと捻じ切ってしまった。二の腕も手首のものも、まさかと思うほどあっさりと解き切られてしまう。左の二の腕にいたっては怪我をしているのに、とラグエル兵の多くが唖然となった。
それを合図に、四人の幹部も麻縄を各々断ち切った。前腕に嵌めた鉄製籠手に隠してあった仕込み刀で斬り解く者と、ドラヴ同様みずからの力で捩じ切る者に分かれたが、あまりにも呆気なく一様に解かれてしまったことにセピアは特に動揺した。麻縄が千切れゆく様を見ていると、まるで自分自身がそうなってしまったかのように錯覚した。
チャオツ幹部らへ剣先を突きつけていたラグエル兵は、驚き目を丸くしていたもののすぐに意識を切り替え、そのまま咆哮と共に戦闘態勢に入る。
呆気にとられていたのはラグエル兵ばかりではない。チャオツ一般兵らも状況が呑み込めず立ち尽くしており、しかし刃向かわれては困ると数秒早く気を取り直したラグエル兵が、次々に腹這いにさせた。
丸腰のドラヴにもっとも近い追撃隊長は剣を構え直し、俊足を伴い斬りかかる。しかし左前腕の金属籠手で受けられ、反撃の拳を顔面にくらい後方へ飛ばされる。くぐもった声とともに追撃隊長は赤砂の上に転がってしまった。
「はーあ、さすがに疲れたよなァ、だって消耗するような殺り合いだったもんなァ。あー、なんか俺も、やたらと疲れたなァ」
ドラヴの呼吸はヘェヘェと荒いが、表情と発言にはなぜか未だに余裕がある。
「そうだ。せっかくならここの水貰って帰るか、土地ごと。ま、土地も人間もホントはいらねーんだけどよ、何人かの使えそうな女だけ残して、あとはぶっ殺したっていいしなァ! ハハハァッ!」
「き、さまァ……」
歯噛みの追撃隊長の前にセピアが割り入る。ドラヴと睨み合うかたちで再度剣を構える。
「ドラヴ。私が相手のはずだ」
「くだらねぇ、こちとら殺せりゃ誰だって構いやしねンだよ!」
斬りかかるも大振りのセピアの太刀筋からは、すっかり冷静さが消えている。焦燥や恐怖ばかりが滲み見え、ヒュンヒュンと振るたびに多くの隙が生まれる。
「どうした、イッコも当たんねぇぞクソ女ァ!」
「ぐッ、だ、黙れ!」
いよいよ殺られるのはこちらかもしれない――簡単にチラつく陰鬱とした思考に喰われゆくが、それはセピア自身で払拭できるものではない。
周囲も先程の戦線のように混乱しており、それぞれが目の前の相手と対峙することで精一杯である。ゆえにとてもセピアまで目も気もまわっていない。
「ああっ!」
手元に出来た一瞬の隙に、打撃を受けてしまうセピア。剣は簡単に手元から飛ばされ、赤砂の上に尻もちをつかされた。その拍子に甲冑が耳障りにガチャンッと音をたて、剣は数歩先でボスッと砂上に落ちた。
「はは……呆気ねぇ、呆気ねぇ。これだからテメーらは弱ぇし、弱ぇヤツは生きる価値がねぇんだぜ、カスども」
脚を引きずりながらもジリジリとセピアへ詰め寄るドラヴ。不適で黒い笑みをし、砂上に落ちたばかりのセピアの剣を手にする姿に、ラグエル兵らはセピアの名を叫びその身を案じる。
「せっかくなら、テメーの剣にテメーの生き血吸わしてみっか」
手にした剣をブンとひと振りしたドラヴは、交戦中のチャオツ幹部らへ「しっかり足止めしとけよォ?」と大きく告げた。
「セピアさまぁっ!」
「お逃げくださいセピアさまっ!」
ラグエル兵らの悲痛な声は、セピアの耳には遥か遠くからかけられているように聴こえていた。腰が抜けたらしい、身動きがうまく取れない。昇りくる朝陽に目眩がして、上がりつつある気温に気力が奪われていく。
この銀の剣も、ドラヴが持っていたほうがしっくりきているようだ。ビスタの形見ではあるが、私が持つよりも俄然上手く使うのだろう――セピアは客観的に目の前のドラブを見つめながら、諦めの気持ちにぐんぐん染まる。
「もらうぜェ、ラグエル軍頭首二人目の首ィ!」
剣を高く構えるドラヴ。粘着質な笑みをニタリと深くすると、朝陽を背おうかたちでその表情が逆光になった。
あぁ我が愛しい人、ビスタ。どうか非力で愚かな私を赦してくれ。こんな志なかばの状況だが、私もそちらへ行くかもしれない――瞼を伏せ、奥歯を噛み締める。
ドラヴの強く重いひと振りが、まばたきの速度でセピアの首を狙ってきている。いまに皮や筋、そしてあっという間に首の骨をサックリと断たれるだろう。チャオツへ持っていかれた自身の首はどうなるだろう。そんなことまでを考えながら、セピアは覚悟を盾にし目を固く閉じた。
「ぐあぁあッ!」
ドカ、ドサッ。近くで倒れ込む音がした。しかし、セピアには痛みがない。もしや痛みを感じないほど瞬間的に殺られたのだろうか。
「……え」
目が開くということは、首がまだ繋がっているということ。それを確かめるように首に触れながら、自身の目の前にそびえる人影を見上ぐ。
「ダイジョブか、セピア!」
割り入ったその人物の背は、朝陽で逆光となり影になっている。そのせいで、セピアはなぜか在りし日の伴侶をそこに重ね見てしまった。
「ど、どうし、て」
まばたきひとつ。幻影はまだその背に残る。
「たく。意地ばっか張って自分の命落としかけてんじゃねぇよ、バカ」
振り向いた横顔でそう言ったのは、捕虜の怪我人・蘇芳であった。
「な、なぜお前、ここに」
セピアが掠れた声で訊ねるも、蘇芳は応えることはなかった。目の前の赤砂の上に転がるドラヴへ視線を戻し、砂地を踏み込む。
身体中に赤砂を貼りつけゴロゴロと転がっていたドラヴだが、先刻射抜かれたことによる右ふくらはぎのダメージがぶり返したらしい。苦悶に呻き、脂汗を噴き出し、割り入った蘇芳へ向けて力任せの怒号を上げた。
「クッ……んにゃろテメェーっ!」
「諦めな、アンタ。いくらタッパが俺に勝ってたって、腕も脚も怪我した状態で俺と喧嘩すんのはさすがに無理があるって」
言葉で諌めるも、どうやらドラヴの耳には届いていないらしい。左脚を軸にぐらりぐらりと起き上がり、戦闘の意思を見せてきた。すると右ふくらはぎからボダボダと流血し、赤砂が赤黒くなる。
「つっても、大人しく捕まるつもりねーから敵陣に来てもまだ暴れてんのか」
脚を肩幅程度に広げ、腰を落とす。大丈夫、二振りの脇差相手に素手で闘えたんだから――心中でみずからを鼓舞する蘇芳は、生唾を喉に流し、敢えて笑みを貼った。
「ハッ。なんだテメー、どこから湧いた? テメーから、殺ってやろーかァー?!」
血が流れ出たままのふくらはぎを引き摺りながら、しかし駆け足で向かってくるドラヴ。振りかぶる拳は岩石のように大きく見え、蘇芳の左頰を打ち抜かんと一気に距離が縮まっていく。咄嗟に注意喚起を叫んだセピアは蒼白な表情で息を呑んだ。
だが、ドラヴの拳は空を掻いた。
「危ねぇな」
そう小さなひと言を添えた蘇芳は無傷であった。その場にしゃがむことで難なく拳の軌道から外れていた。
殴る対象が姿を消したことに驚いている、一瞬の隙。蘇芳はドラヴの左脇腹へ低い拳を一発叩き込んだ。
そこは胴の防具のわずかな隙間であり、矢で狙い射るにも剣を突き刺すにも難しい箇所である。ドラヴはわずかに顔をしかめたものの、体勢を崩すことはない。逆に蘇芳を掴まえようと腕を拡げ向けてきたため、蘇芳は砂上を右へ二回転しかわした。その流れで、脚払い目的でドラヴの左脛を強く一蹴。しかしそれでも体勢は崩れず。
「チッ、頑丈だな。さすが軍トップなだけあるわ」
ブンブンと向かってくる拳を叩き落としでかわし続ける蘇芳。数手いなしたのち、不意にドラヴの前腕の鉄製籠手が裏拳のごとく蘇芳の右頬を殴り抜けたことで、今度は逆方向へ砂上をゴロゴロと転がった。セピアが案じるように名を叫ぶ。
「はぁ、はぁ、クソッ。なかなか骨あるな、きさま」
「アンタもな。ガチでタフすぎ。……はークソ、ほっぺ久々に痛ぇんだけどマジで」
ザワリとなる満身創痍の周囲にも、蘇芳は動じず。口の中をわずかに切ったが、蘇芳自身は「慣れっこだし」と怯まず立ち上がり、血の混じる唾を吐き出してから改めて身構える。
両前腕、胴体、腰周りにそれぞれ防具を纏っているため、攻撃を繰り出したところで決定打とならない。であれば狙うは一箇所。殴られ転がった拍子にたまたま手にしたラグエル本拠建造物の外壁破片を手中に忍ばせ、蘇芳はドラヴを待ち構える。
獰猛をあらわに哮り向かってくるドラヴは、岩石大の右ストレートを打ち込んできた。クルリと体を捻り避けようとするも、わずかに右肩の筋肉を掠めた。
フッと吐いたひと息で思考をリセット。ドラヴの懐へ身を屈めて潜り込み、下から顎を狙ったいわゆる掌底を突きかました。もちろん、先に忍ばせていた破片を掌の上に置いて下顎を打ったため、常人であれば目を回し倒れてもおかしくはない。
「ぐフ……ッ」
ところが、ドラヴはやはり『頑丈』であった。明確な『入った』感覚を得られなかった蘇芳は、「マズい」と慌てて距離を取る。ドラヴは二秒だけクラリとしていたものの、あっという間に意識を取り戻し、今度は左拳を振りかぶってきた。
それを払い落とそうと蘇芳が踏み込んだとき、ドラヴは振りかぶった左拳と共にフラフラとその場に崩折れた。そして赤砂の上へうつ伏せの格好で倒れ込む。ズウウンと低い音と共に赤砂が巻き上がり、巨体はようやく動かなくなった。
「ハア、ハア……な、なんとかなった……」
それまでに蓄積されていた疲労や矢傷による出血が主だった原因であろう。頑丈にだって絶対に限度がある――深い安堵の溜息と共に蘇芳はそう理解した。
呼吸を止めかねないため、うつ伏せている鼻を横へ向けさせ、しかしその背に容赦なく踏み乗る。人間が一人乗っている状態ではさすがのドラヴも動けぬであろう。
「おい捕虜の小僧、怪我してねぇか!」
建物内から駆け出てきたのは、収監室の見張り兵であった。束ねられている紐状のなにかを、慌てた様子のまま二人がかりで運んでいる。
「だから、捕虜の小僧って言うなっつーの。それより大丈夫かよ、それ? マジで金属?」
「あぁ、上等なの持ってきたからもう大丈夫だ」
二人の見張り兵が持ってきたのは鎖状の金属紐。それで手際よくドラヴの手首と胴体、足首をぐるぐる巻きにし、身動きが取れない状態へと戻した。
遠巻きながら、一連のドラヴ再捕縛劇を見ていたチャオツ軍幹部らは心底から戦意喪失したようで、手にしていた武器をガチャガチャとその場へ落とし、その場にへたり込んだ。ラグエル兵は、チャオツ兵の拘束具を見張り兵の持ってきたものへと交換していく。
「蘇芳」
「おう。思ったより平気そうだな」
様々絡み合い重苦しくなった身体を動かし、蘇芳のもとへ恐る恐る歩み寄るセピア。スッキリとした表情の蘇芳には、先のようにかつての伴侶の姿を重ね見ることができなかった。あれは死を覚悟した刹那に見えた幻想か――困惑に首を捻る。
「蘇芳お前、矢傷は?」
「もう大体治った。軟禁されて、一日以上寝かされてりゃなぁ」
夜さまの魔術のお陰だなどとはさすがに言えやしない。蘇芳がガシガシと自身の赤茶けた前髪を掻く一方で、セピアは「見え透いた嘘を」と眉間を詰める。
矢傷が一日かそこらで治るわけなどない。しかしコイツなら案外本当に治っているのかもしれないと思えてしまう――間もなくセピアはフッと肩の力を抜き、「バカ者め」と呟いて笑んだ。
向かい合ったセピアを改めて眺めると、確かに女性だなと思える身長差が認められた。一七五センチの蘇芳と比べて、セピアは蘇芳の口元ほどの身長である。撫子よりもわずかに高いと過った蘇芳は、つい何秒間だけボヤボヤと想い馳せてしまった。
「お前、なかなか強いんだな。あの動きはお前の国の体術か?」
「いや……別に『術』なんつーもんじゃ。ただの叩き上げの喧嘩ファイトっつーか」
「私が言えたことではないが、大したものだと思った。防具も着けず敵軍大将を前にして、その上怖気づかず向かっていくなど……まぁ、だからこそあんなに軽やかに立ち回れたのだろうが」
「アイツが手負いだったからラッキーだっただけだ。これでもだいぶ体鈍ってるよ。全然打撃決まんなかったし、裏拳食らっちったし」
「それはまた医者をよこすから診てもらえ」
未だ意識の戻らぬドラヴは、鎖のようなもので更にがんじがらめにされ、ラグエル兵がどこからともなく持ってきた台車に乗せられた。台車にはスキー板のようなものが敷いてあり、なかなかスムーズにゴトゴトと運ばれていく。恐らく行き先は牢であろう。
「セピアこそ、大した怪我なくて良かったな」
「私は……ただ腰を抜かしていただけだ。勇敢にかかっていったのは、私以外の兵士たちの方で」
やはり他人事のように言うセピアは、フッと短く溜め息を吐き出し収監室付きを呼び寄せた。
「お前たち、蘇芳を部屋へ戻せ。陽が昇りきればここに居られなくなる」
短い了承の返事のあと、見張り兵の一人が蘇芳を拘束しようかと迷う素振りを見せた。セピアは「必要ないだろう」と語尾を上げ、兵士みずからへ同意を促す。圧力だ、と蘇芳は複雑な気持ちで苦笑した。
「皆の手当のあとで軍会議を行う。お前たちも交代で参加しろ。蘇芳も傷が開いているといけない、あとはきちんと休め」
「セピアこそ、無茶ばっかすんなよ」
セピアは砂上に転がされていたみずからの剣を拾い、腰の鞘に収めながら自軍の兵のもとへと向かっていった。
「お前のお陰で助かった。ありがとう」
横顔で薄く笑んだセピアを、蘇芳は危なっかしいと思っていた。
先遣隊が持ってきていた麻縄で手首をそれぞれきつく縛り、更に二の腕と胴体を纏め縛って拘束。そこから伸ばした麻縄を先遣隊が手綱代わりに持ち、追撃隊がそれぞれの首元に武器を突きつけ、ラグエルまで歩かせている状況である。
五人の幹部は一様にうなだれ、すっかり観念したらしい様子で歩を進めていた。右ふくらはぎを射抜かれ歩行困難であるとみなされたドラヴだけは、負傷のないチャオツ軍のラクダに乗せられ、その手綱をラグエル兵が引いている。
彼らを生きたままラグエルへ連行するには理由があった。ひとつはチャオツ軍への制裁のため、ひとつは武力を抜きにした会合をするためである。戦争締結へ向けた話し合いをしようにも、恐慌なドラヴが戦闘を仕掛けてくるため邪魔になりなかなか叶わなかった昨今。ゆえにこのドラヴ捕縛は状況打破への一歩であった。
「セピアさま、間もなく城門です」
「あ、あぁ」
そんな中、セピアはあれだけ高笑いをしたにもかかわらず、黒々とした気分が晴れずにいた。未だ自身の二面性を持て余し、感情コントロールが追いついていない。
「コイツをあの場ですぐに殺してしまったってよかった。首だけ取って、単身チャオツへ乗り込んだって、私は――」
視線を俯けながらそうブツブツと小さく吐いているので、近くを歩く弓兵の一人に「セピアさま、落ち着いて」と嗜められる。
「傲るなよ、女。誰に拘束されたって、俺たちはしぶとく足掻いてやるからな」
一方で、ドラヴは減らず口を叩くまでに気を取り直していた。俯いているため表情は見えないものの、その口ぶりはなぜかニヤニヤと笑んでいるようなものであり、セピアは「黙れ、口を開くな」と強めた語気で制止を試みる。
「へっ、出来もしねぇ亭主の真似事なんかしたって所詮――」
「黙れと言っているッ」
ピシャリと言ったのはラグエル軍追撃隊長。砂地を歩きながら終始ドラヴの喉元に剣先を高く近づけている。
「セピアさまは我が国を統治する長だ。貴殿同様かそれ以上の働きをなさっている。いくら敵対国であれど、侮蔑的発言は控えていただきたい」
いましがたの開口でその剣先がわずかにドラヴの左首筋の皮膚を突いたため、そこから一筋だけ鮮血が細く短く流れた。さして気にしていないようなドラヴは短く「フン」と嗤う。
ラグエル本拠地の砦門を潜る一行。門の向こうは平坦な砂地が円形に広がっており、見張り兵士が六人待機していた。セピアはじめラグエル兵らがそこでラクダを降り、二人の見張り兵士に手綱を引き渡す。ドラヴは二人がかりで引き降ろされ、なかば強引に立たせられてから改めて剣先を突きつけられた。
「ここからは自力で歩け。牢へ連れて行く」
追撃隊長に代わり、セピアが据えた視線で命じる。しかしドラヴは深く長い溜息をついてからゆるゆるとその太い首を振った。
「やわな拘束具。惰弱な兵士たち。かりそめの頭……ハァー……」
「何度言えばわかる、本当にこの場で首をはねらたいか」
「泣ける、泣けてくるぜまったく。水をガメてのうのうと暮らしてっから、そんなふうにヌルい状態で満足できんだなぁ」
「ドラヴ、きさま……度重なる侮辱発言、もう許さんっ」
「ハッ。野暮ってぇクズどもになんざ、俺たちチャオツがやられるわけねぇだろ!」
クワと不気味に笑んだ途端、ドラヴは腕力で麻縄をブヂブヂブヂィと捻じ切ってしまった。二の腕も手首のものも、まさかと思うほどあっさりと解き切られてしまう。左の二の腕にいたっては怪我をしているのに、とラグエル兵の多くが唖然となった。
それを合図に、四人の幹部も麻縄を各々断ち切った。前腕に嵌めた鉄製籠手に隠してあった仕込み刀で斬り解く者と、ドラヴ同様みずからの力で捩じ切る者に分かれたが、あまりにも呆気なく一様に解かれてしまったことにセピアは特に動揺した。麻縄が千切れゆく様を見ていると、まるで自分自身がそうなってしまったかのように錯覚した。
チャオツ幹部らへ剣先を突きつけていたラグエル兵は、驚き目を丸くしていたもののすぐに意識を切り替え、そのまま咆哮と共に戦闘態勢に入る。
呆気にとられていたのはラグエル兵ばかりではない。チャオツ一般兵らも状況が呑み込めず立ち尽くしており、しかし刃向かわれては困ると数秒早く気を取り直したラグエル兵が、次々に腹這いにさせた。
丸腰のドラヴにもっとも近い追撃隊長は剣を構え直し、俊足を伴い斬りかかる。しかし左前腕の金属籠手で受けられ、反撃の拳を顔面にくらい後方へ飛ばされる。くぐもった声とともに追撃隊長は赤砂の上に転がってしまった。
「はーあ、さすがに疲れたよなァ、だって消耗するような殺り合いだったもんなァ。あー、なんか俺も、やたらと疲れたなァ」
ドラヴの呼吸はヘェヘェと荒いが、表情と発言にはなぜか未だに余裕がある。
「そうだ。せっかくならここの水貰って帰るか、土地ごと。ま、土地も人間もホントはいらねーんだけどよ、何人かの使えそうな女だけ残して、あとはぶっ殺したっていいしなァ! ハハハァッ!」
「き、さまァ……」
歯噛みの追撃隊長の前にセピアが割り入る。ドラヴと睨み合うかたちで再度剣を構える。
「ドラヴ。私が相手のはずだ」
「くだらねぇ、こちとら殺せりゃ誰だって構いやしねンだよ!」
斬りかかるも大振りのセピアの太刀筋からは、すっかり冷静さが消えている。焦燥や恐怖ばかりが滲み見え、ヒュンヒュンと振るたびに多くの隙が生まれる。
「どうした、イッコも当たんねぇぞクソ女ァ!」
「ぐッ、だ、黙れ!」
いよいよ殺られるのはこちらかもしれない――簡単にチラつく陰鬱とした思考に喰われゆくが、それはセピア自身で払拭できるものではない。
周囲も先程の戦線のように混乱しており、それぞれが目の前の相手と対峙することで精一杯である。ゆえにとてもセピアまで目も気もまわっていない。
「ああっ!」
手元に出来た一瞬の隙に、打撃を受けてしまうセピア。剣は簡単に手元から飛ばされ、赤砂の上に尻もちをつかされた。その拍子に甲冑が耳障りにガチャンッと音をたて、剣は数歩先でボスッと砂上に落ちた。
「はは……呆気ねぇ、呆気ねぇ。これだからテメーらは弱ぇし、弱ぇヤツは生きる価値がねぇんだぜ、カスども」
脚を引きずりながらもジリジリとセピアへ詰め寄るドラヴ。不適で黒い笑みをし、砂上に落ちたばかりのセピアの剣を手にする姿に、ラグエル兵らはセピアの名を叫びその身を案じる。
「せっかくなら、テメーの剣にテメーの生き血吸わしてみっか」
手にした剣をブンとひと振りしたドラヴは、交戦中のチャオツ幹部らへ「しっかり足止めしとけよォ?」と大きく告げた。
「セピアさまぁっ!」
「お逃げくださいセピアさまっ!」
ラグエル兵らの悲痛な声は、セピアの耳には遥か遠くからかけられているように聴こえていた。腰が抜けたらしい、身動きがうまく取れない。昇りくる朝陽に目眩がして、上がりつつある気温に気力が奪われていく。
この銀の剣も、ドラヴが持っていたほうがしっくりきているようだ。ビスタの形見ではあるが、私が持つよりも俄然上手く使うのだろう――セピアは客観的に目の前のドラブを見つめながら、諦めの気持ちにぐんぐん染まる。
「もらうぜェ、ラグエル軍頭首二人目の首ィ!」
剣を高く構えるドラヴ。粘着質な笑みをニタリと深くすると、朝陽を背おうかたちでその表情が逆光になった。
あぁ我が愛しい人、ビスタ。どうか非力で愚かな私を赦してくれ。こんな志なかばの状況だが、私もそちらへ行くかもしれない――瞼を伏せ、奥歯を噛み締める。
ドラヴの強く重いひと振りが、まばたきの速度でセピアの首を狙ってきている。いまに皮や筋、そしてあっという間に首の骨をサックリと断たれるだろう。チャオツへ持っていかれた自身の首はどうなるだろう。そんなことまでを考えながら、セピアは覚悟を盾にし目を固く閉じた。
「ぐあぁあッ!」
ドカ、ドサッ。近くで倒れ込む音がした。しかし、セピアには痛みがない。もしや痛みを感じないほど瞬間的に殺られたのだろうか。
「……え」
目が開くということは、首がまだ繋がっているということ。それを確かめるように首に触れながら、自身の目の前にそびえる人影を見上ぐ。
「ダイジョブか、セピア!」
割り入ったその人物の背は、朝陽で逆光となり影になっている。そのせいで、セピアはなぜか在りし日の伴侶をそこに重ね見てしまった。
「ど、どうし、て」
まばたきひとつ。幻影はまだその背に残る。
「たく。意地ばっか張って自分の命落としかけてんじゃねぇよ、バカ」
振り向いた横顔でそう言ったのは、捕虜の怪我人・蘇芳であった。
「な、なぜお前、ここに」
セピアが掠れた声で訊ねるも、蘇芳は応えることはなかった。目の前の赤砂の上に転がるドラヴへ視線を戻し、砂地を踏み込む。
身体中に赤砂を貼りつけゴロゴロと転がっていたドラヴだが、先刻射抜かれたことによる右ふくらはぎのダメージがぶり返したらしい。苦悶に呻き、脂汗を噴き出し、割り入った蘇芳へ向けて力任せの怒号を上げた。
「クッ……んにゃろテメェーっ!」
「諦めな、アンタ。いくらタッパが俺に勝ってたって、腕も脚も怪我した状態で俺と喧嘩すんのはさすがに無理があるって」
言葉で諌めるも、どうやらドラヴの耳には届いていないらしい。左脚を軸にぐらりぐらりと起き上がり、戦闘の意思を見せてきた。すると右ふくらはぎからボダボダと流血し、赤砂が赤黒くなる。
「つっても、大人しく捕まるつもりねーから敵陣に来てもまだ暴れてんのか」
脚を肩幅程度に広げ、腰を落とす。大丈夫、二振りの脇差相手に素手で闘えたんだから――心中でみずからを鼓舞する蘇芳は、生唾を喉に流し、敢えて笑みを貼った。
「ハッ。なんだテメー、どこから湧いた? テメーから、殺ってやろーかァー?!」
血が流れ出たままのふくらはぎを引き摺りながら、しかし駆け足で向かってくるドラヴ。振りかぶる拳は岩石のように大きく見え、蘇芳の左頰を打ち抜かんと一気に距離が縮まっていく。咄嗟に注意喚起を叫んだセピアは蒼白な表情で息を呑んだ。
だが、ドラヴの拳は空を掻いた。
「危ねぇな」
そう小さなひと言を添えた蘇芳は無傷であった。その場にしゃがむことで難なく拳の軌道から外れていた。
殴る対象が姿を消したことに驚いている、一瞬の隙。蘇芳はドラヴの左脇腹へ低い拳を一発叩き込んだ。
そこは胴の防具のわずかな隙間であり、矢で狙い射るにも剣を突き刺すにも難しい箇所である。ドラヴはわずかに顔をしかめたものの、体勢を崩すことはない。逆に蘇芳を掴まえようと腕を拡げ向けてきたため、蘇芳は砂上を右へ二回転しかわした。その流れで、脚払い目的でドラヴの左脛を強く一蹴。しかしそれでも体勢は崩れず。
「チッ、頑丈だな。さすが軍トップなだけあるわ」
ブンブンと向かってくる拳を叩き落としでかわし続ける蘇芳。数手いなしたのち、不意にドラヴの前腕の鉄製籠手が裏拳のごとく蘇芳の右頬を殴り抜けたことで、今度は逆方向へ砂上をゴロゴロと転がった。セピアが案じるように名を叫ぶ。
「はぁ、はぁ、クソッ。なかなか骨あるな、きさま」
「アンタもな。ガチでタフすぎ。……はークソ、ほっぺ久々に痛ぇんだけどマジで」
ザワリとなる満身創痍の周囲にも、蘇芳は動じず。口の中をわずかに切ったが、蘇芳自身は「慣れっこだし」と怯まず立ち上がり、血の混じる唾を吐き出してから改めて身構える。
両前腕、胴体、腰周りにそれぞれ防具を纏っているため、攻撃を繰り出したところで決定打とならない。であれば狙うは一箇所。殴られ転がった拍子にたまたま手にしたラグエル本拠建造物の外壁破片を手中に忍ばせ、蘇芳はドラヴを待ち構える。
獰猛をあらわに哮り向かってくるドラヴは、岩石大の右ストレートを打ち込んできた。クルリと体を捻り避けようとするも、わずかに右肩の筋肉を掠めた。
フッと吐いたひと息で思考をリセット。ドラヴの懐へ身を屈めて潜り込み、下から顎を狙ったいわゆる掌底を突きかました。もちろん、先に忍ばせていた破片を掌の上に置いて下顎を打ったため、常人であれば目を回し倒れてもおかしくはない。
「ぐフ……ッ」
ところが、ドラヴはやはり『頑丈』であった。明確な『入った』感覚を得られなかった蘇芳は、「マズい」と慌てて距離を取る。ドラヴは二秒だけクラリとしていたものの、あっという間に意識を取り戻し、今度は左拳を振りかぶってきた。
それを払い落とそうと蘇芳が踏み込んだとき、ドラヴは振りかぶった左拳と共にフラフラとその場に崩折れた。そして赤砂の上へうつ伏せの格好で倒れ込む。ズウウンと低い音と共に赤砂が巻き上がり、巨体はようやく動かなくなった。
「ハア、ハア……な、なんとかなった……」
それまでに蓄積されていた疲労や矢傷による出血が主だった原因であろう。頑丈にだって絶対に限度がある――深い安堵の溜息と共に蘇芳はそう理解した。
呼吸を止めかねないため、うつ伏せている鼻を横へ向けさせ、しかしその背に容赦なく踏み乗る。人間が一人乗っている状態ではさすがのドラヴも動けぬであろう。
「おい捕虜の小僧、怪我してねぇか!」
建物内から駆け出てきたのは、収監室の見張り兵であった。束ねられている紐状のなにかを、慌てた様子のまま二人がかりで運んでいる。
「だから、捕虜の小僧って言うなっつーの。それより大丈夫かよ、それ? マジで金属?」
「あぁ、上等なの持ってきたからもう大丈夫だ」
二人の見張り兵が持ってきたのは鎖状の金属紐。それで手際よくドラヴの手首と胴体、足首をぐるぐる巻きにし、身動きが取れない状態へと戻した。
遠巻きながら、一連のドラヴ再捕縛劇を見ていたチャオツ軍幹部らは心底から戦意喪失したようで、手にしていた武器をガチャガチャとその場へ落とし、その場にへたり込んだ。ラグエル兵は、チャオツ兵の拘束具を見張り兵の持ってきたものへと交換していく。
「蘇芳」
「おう。思ったより平気そうだな」
様々絡み合い重苦しくなった身体を動かし、蘇芳のもとへ恐る恐る歩み寄るセピア。スッキリとした表情の蘇芳には、先のようにかつての伴侶の姿を重ね見ることができなかった。あれは死を覚悟した刹那に見えた幻想か――困惑に首を捻る。
「蘇芳お前、矢傷は?」
「もう大体治った。軟禁されて、一日以上寝かされてりゃなぁ」
夜さまの魔術のお陰だなどとはさすがに言えやしない。蘇芳がガシガシと自身の赤茶けた前髪を掻く一方で、セピアは「見え透いた嘘を」と眉間を詰める。
矢傷が一日かそこらで治るわけなどない。しかしコイツなら案外本当に治っているのかもしれないと思えてしまう――間もなくセピアはフッと肩の力を抜き、「バカ者め」と呟いて笑んだ。
向かい合ったセピアを改めて眺めると、確かに女性だなと思える身長差が認められた。一七五センチの蘇芳と比べて、セピアは蘇芳の口元ほどの身長である。撫子よりもわずかに高いと過った蘇芳は、つい何秒間だけボヤボヤと想い馳せてしまった。
「お前、なかなか強いんだな。あの動きはお前の国の体術か?」
「いや……別に『術』なんつーもんじゃ。ただの叩き上げの喧嘩ファイトっつーか」
「私が言えたことではないが、大したものだと思った。防具も着けず敵軍大将を前にして、その上怖気づかず向かっていくなど……まぁ、だからこそあんなに軽やかに立ち回れたのだろうが」
「アイツが手負いだったからラッキーだっただけだ。これでもだいぶ体鈍ってるよ。全然打撃決まんなかったし、裏拳食らっちったし」
「それはまた医者をよこすから診てもらえ」
未だ意識の戻らぬドラヴは、鎖のようなもので更にがんじがらめにされ、ラグエル兵がどこからともなく持ってきた台車に乗せられた。台車にはスキー板のようなものが敷いてあり、なかなかスムーズにゴトゴトと運ばれていく。恐らく行き先は牢であろう。
「セピアこそ、大した怪我なくて良かったな」
「私は……ただ腰を抜かしていただけだ。勇敢にかかっていったのは、私以外の兵士たちの方で」
やはり他人事のように言うセピアは、フッと短く溜め息を吐き出し収監室付きを呼び寄せた。
「お前たち、蘇芳を部屋へ戻せ。陽が昇りきればここに居られなくなる」
短い了承の返事のあと、見張り兵の一人が蘇芳を拘束しようかと迷う素振りを見せた。セピアは「必要ないだろう」と語尾を上げ、兵士みずからへ同意を促す。圧力だ、と蘇芳は複雑な気持ちで苦笑した。
「皆の手当のあとで軍会議を行う。お前たちも交代で参加しろ。蘇芳も傷が開いているといけない、あとはきちんと休め」
「セピアこそ、無茶ばっかすんなよ」
セピアは砂上に転がされていたみずからの剣を拾い、腰の鞘に収めながら自軍の兵のもとへと向かっていった。
「お前のお陰で助かった。ありがとう」
横顔で薄く笑んだセピアを、蘇芳は危なっかしいと思っていた。
