砂地の朝は大層冷え込んでいる。昼日中の焼けるような温度が嘘なのではと思える冷え込みは、数粒の降雪を期待させるほどである。しかし、この地の民は実物の雪なぞ見たことがない。雪景色にいたっては、空想や伝達、過去の資料などでしか知り得ない事象である。
 未だ暗がりが辺りの大半を占めているが、地平線の向こうは早くも陽光が昇りつつあるらしい。漆黒の闇がくっきりとした緋色に照り、砂地の赤との隔たりを見せつけてくる。それはラクダに乗っているからこそ見える絶景であり、また前線に出るまで見たこともなかった景色のひとつであった。

「セピアさま、お待ちしておりました!」

 ラグエルの偵察隊員が一人、体勢低く赤砂の上を駆け寄ってきた。セピアは乗っていたラクダの走行を徐々に止め、短く労いの言葉をかける。

「報告のとおりです。チャオツ軍は早々に野営をたたみ、こちらへ向かってきました」
「先遣隊は既に対峙したか」
「そう見ております。時間的にも、既に刃を交えているかと」
 ということは、とセピアは苦い顔をした。
「急がなければ先遣隊が危ういな。数で負け――」
「いえ、セピアさま。数ではなく力量なのです」

 しかめつらで「どういうことだ」と問うラグエル軍の追撃隊長。彼はセピアの左後方にてラクダにまたがっている。

「チャオツ軍も、精鋭部隊であります」

 偵察隊員の一言にピキンとした緊張がはしる。セピアは「なるほど」と不敵な笑みをした。

「どのみち急がねばならんということだ!」

 言いながら、セピアはラクダの手綱を強く引いた。砂地をダカッダカッと音を立ててラクダが走り出す。セピアを見上げ報告をしていた偵察隊員は、追撃隊長の合図でラクダがしゃがむと同時に、急いでそれにまたがった。

「チャオツ軍の元へ案内しろ! 奴らは近いかっ?」
「はっ、城壁がかすかに見える程度には近場ですっ!」
「まさかそこまで攻め寄られていたとはな」

 先遣隊員を乗せた追撃隊長は、ラクダでセピアの前に出る。彼の指示のもと、セピアらラグエル軍精鋭部隊も続く。
 従えている兵は、三〇人にも満たない。ラグエル国内で精鋭部隊だのと持て囃されているものの、それは自分以外のことだとセピアは考えているため、心中はかなり複雑である。

 もとを辿れば、セピアは戦闘員ではなかった。

 ラグエルに生まれ育ち、水が財産だと教育を受けた、純真無垢な少女の一人であったセピア。源泉奥からわずかばかり取れる砂金を集め、それで細やかな装飾品を作ることを、幼い頃から遊びとしていた。
 青春時期には、同い年のとある少年と恋仲になった。彼が(まつりごと)に関心を示せば自然とそれを補佐するようになるほど、セピアは素直で染まりやすい性分であった。
 やがて成人まもない彼は亡き父の後を継ぐかたちで精鋭部隊の隊長の座に就き、同時に国政の(おさ)も兼任することで、ラグエルは周辺国との対話に向け本格的に動き出した。その方針に異を唱える者は、戦疲れしているラグエルにはいなかった。
 ほどなくして隣国のチャオツでも頭首が代わると、それまで計画的に進めていた対話による戦禍鎮静(せんかちんせい)が厳しくなった。
 チャオツ軍の新頭首・ドラヴは、周辺国のなかでもかなり腕のたつ拳闘(けんとう)戦士だが、いたずらに好戦的であり、弾薬使用も好んでいる。そんな彼の趣向形成の誘因のひとつとして、チャオツの赤砂からは特に質の良い砂鉄や鉛が豊富に採れることも挙がるであろう。
 いつもドラヴは戦の最前線へ出てきては、ラグエル兵を幾人も惨殺した。無抵抗の者も、命乞いをする者も関係ない。ときには過剰殺傷行為を平気で行っていたと、ボロボロになって帰還した兵たちが震えながら言っていた。
 そんな奴に、セピアが愛した彼は殺された。セピアと彼が結婚して二年が経ったその日のことであった。
 筋骨隆々で高身長、加えて顔に古い剣傷があるドラヴと名乗った男に殺されたのだと伝え聞いたセピアは、その特徴を湧き上がる憎悪と共に強く黒々と記憶した。

 ドン、ドオン、と聴こえた銃声で、セピアはハタと我に返る。ラクダの手綱の触感をようやく思い出したことで『いますべきこと』を再度噛みしめる。

「セピアさま、あれですっ。戦線見えました!」

 案内役でもある偵察隊員が、斜め後ろのセピアを向きながら声を張った。

「こっち向かってきてますね。ありゃ先遣部隊の連中、相当圧さ()れてるだろうぜ」
「セピアさま、オレが矢ァ撃ち込んで奴らの意識こっちに向けますよ」

 追撃隊長はじめ、剣の達人に弓の名手まで好戦的な意見を並べる。そして、皆は一様に頼もしい顔をしていた。殺られないし殺らせない――そんな言葉が聞こえそうな表情である。

「迷ってる暇ァねぇ、セピアさま。ひとまずこのまま突っ込むのか一旦止まるのかの指示だけでもっ」

 走らせているラクダの脚は止まらない。遺品でもある甲冑頭部を視界の端に確認し、遂げなくてはならぬことが自分にあると強く胸に抱く。

「わかった。では、このまま突っ込む。追撃隊長は弓兵の指示にまわれ。遠距離射撃で戦力分散しろ、細かいことは任せる」
「はっ」
「近接武器の者は私に続け。今日で頭を潰すぞッ」

 それを合図に、二手に分かれる追撃部隊。先頭に出たセピアがラクダの速度を上げるも、すぐに数人に追い抜かれてしまった。

「セピアさま、道はオレらが開けますから」
「そうそう。だから無茶しねーで、隊に指示しててくださいっす」

 言いながらセピアを囲うのは、剣術が秀でている者たちと、毒を塗り込んだ鉾を構えている者たちであった。皆、かつて軍全体の指揮をとっていたセピアの伴侶を尊敬し、信頼し、忠誠的である者たちばかり。いい笑顔でセピアの前へ出て陣形をつくり、敵軍へと走り向かう。

「……いつも、すまない」

 伴侶の代わりを勤めるべくはこの者たちの中から選ばれるべきであったのに、とセピアは密かに彼らへ劣等感をおぼえている。

「なに言ってんすかセピアさま!」
「生きて帰って、ラグエルの美味ぇ水飲みましょーよ」

 だが、気のいい彼らはそんなセピアの心情を理解していた。理解したうえで納得してセピアを(おさ)とし、堅く護っている。

「あぁ、そうだな」

 辛気臭い顔をしていられない。セピアはみずからを鼓舞するように大きな声を上げた。

「我らラグエルの民は、チャオツの弾丸を決してくらわないっ! 生きて再びラグエルの水をその身に染み込ませることのみ考えよ!」

 オオオ、と兵たちが決起に湧く。手綱を握る手に一層の力が加わる。

「奴らも人間だ。多少疲弊しているいま、一気に叩こうぞ!」

 決起する言葉をかけること、そして民のためを想う政に力を注ぐこと。このふたつを出来ないなりにもやってきたセピア。頭首の地位など器ではないことは自分がよくわかっている。しかし愛する彼の意志を引き継げる者は自分しかいないと立ち上がった、その気持ちに嘘はない。
 同時に、なんと出過ぎたことをしてしまったのだろうかと、伴侶の死による混乱の最中(さなか)に発した虚栄への後悔がやまない。遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)が自分の本当の姿――そんな自己評価を、片や後悔している虚栄で守り固めていることもまた事実である。

「セピアさまっ、奴のラクダの脚がやられてます!」
「弓兵か、よくやったな! よし、そのまま頭首の懐まで突っ込むぞ!」

 鉾を携えた精鋭部隊員の明るい報告を聞き、セピアは腰から剣を抜く。左腕に手綱をぐるぐると巻き付け、震える腕を固定する。

「今日こそ……本当に今日こそ、ドラヴの首を獲るッ」

 敵軍へと飛んでいく精鋭部隊員らの矢。走り進むラクダの足元に転がる手負いの者たち。激化している鍔迫り合いからは鈍い金属音が幾重も鳴っている。傍らで、いまにも討ち取られそうであった先遣隊員たちはセピアの姿を一瞥するなりその表情を「はぁ」と安堵に綻ばせた。

「セピアさま!」
「持ち堪えご苦労、あとは後方支援にまわれ!」
「はいっ」

 セピアの前を開けようと、疲弊している敵軍を薙ぎ払う精鋭部隊員たち。数秒も経てば、赤砂の上で仁王立つ敵軍大将・ドラヴが見えた。

「やはり来たか、女ァ!」
「ドラヴ、今日こそ覚悟しろ!」

 ドラヴは不気味に笑みながら、前脚を怪我した自身のラクダを足蹴にした。隆々とした自身の駆体をまるで喜ぶように震わせ、刃こぼれ著しい剣を手にセピアへ向かってくる。愛用の銃火器は持っていないことから、それは使い果たしたと察する。

「近接戦闘ならば拳対剣だ。決して旗色は悪くない」

 セピアはぐるぐる巻きにしていた手綱を解き、ラクダから飛び降りた。その高さは実は二メートル近くにもなるが、セピアは甲冑を纏っていることを忘れるほどの慣れた身のこなしで砂上へ着地し、鈍く光る銀の剣を水平に構えドラヴへ走り向かう。
 ガギィーンッとかち合う、刃と刃。ドラヴは未だ短刀を所持していた。セピアの全身から怨念じみた力が加わっていく。

「弱い。弱いなァ、ラグエルの女ァ。俺が憎くて憎くてたまんねーんじゃあねーのかァ?」
「ぐっ」

 セピアが圧し負けた。身を翻しドラヴの短刀の軌道をかわす。体勢を立て直す前に再度強制的に交わる刃と刃。ドラヴの短刀の刃こぼれが、むしろセピアの刃を深く捕らえ、離れてはギチギチと何度も何度も圧してくる。

「そんなに亭主を殺られたのが惜しかったか」
「黙れ、お前は殺しすぎる」
「殺る殺られるの世界で、殺さねーように手加減しろってか、バカがッ」

 短刀を振りかぶるドラヴ。上体を低くとるセピア。尚も刃を噛ませ合い、セピアの脚が砂に沈む頻度が増していく。
 横から応戦に駆けつけたチャオツ兵がいれば、途端にラグエルの精鋭部隊員が斬りかかって排除する。そうして一対一の構図がしばし守られる。
 セピアの甲冑にいくつも新たな傷がつく。ドラヴの顔面に浅いなりとも新たに傷が増える。疲弊が顕著になりつつあるセピアに対し、本当にいままで先遣隊員を幾人も相手取ってきたのかと疑うほど、底なしの体力を魅せるドラヴ。
 持ち堪えられるのも時間の問題か――そう弱く過ったとき、セピアの右側面から矢が数本飛んできて、うち二本がドラヴの左の二の腕と右ふくらはぎにドスドスと刺さった。
 痛みに対し苦悶の声を洩らしたドラヴは、その場に片膝をつき縮こまる。慌てて矢を抜くも、(やじり)に塗り込んだ毒がズキズキと耐え難い痛みを与えるのであろう。
 矢の軌道を振り返るセピアは、近づきつつある弓兵によって助けられたことを理解した。弓兵が安堵に口角を上げている表情を見てひとつ頷き、改めてドラヴに視線をやる。

「チャオツ軍大将、ドラヴ。貴様の悪事もここまでだ」

 強く言葉を投げたセピアは、手にしている銀の剣を脂汗を流し悶えているドラヴの眼前に突き出す。

「貴様らは、我が国ラグエルへ連れて行く。そして、戦争刑罰の侵略罪にあたるとし、両国合同裁判にかける」
「なにを……悠長なッ」

 強がり睨んでいるドラヴの脚からは、鮮血がボタボタと(したた)っていた。赤く焼けるような砂地がその血を啜るかのようにじわじわと染みてゆく。

「ただちに我々はチャオツ国の有権者に謁見を申し入れ、貴様の処遇を厳正に取り締まる」
「俺が長だ、俺がチャオツの正義だ! 俺がッ、法律だアッ!」

 ジリジリと砂上に這いつくばる大将の瞳は、どうやらまだ死んでいない。燃ゆる炎をそこに飼っているかのように、セピアを刺し殺さんと睨み続け、この場の誰よりも殺気立っている。

「殺したきゃ殺せばいい。いますぐこの場で、俺様を殺せ! テメーらの軟弱な国に連れてかれるくらいなら、この場で殺されてやらァ! どうせ、極刑は免れねぇ、だろうからなァ!」
「まだ殺らん、そう簡単に楽にさせない。存分に苦しみもがき、その屈辱の内に『死なせてください』と貴様が懇願(こんがん)するまで、我らがたっぷりと(もてあそ)んでくれる」

 ゾワゾワと原因不明の鳥肌が止まらない。

「さて……どうしてくれようかな。ひとつずつ指をもいでやろうか? 意識あるままその腹を掻っ捌いてやろうか? それとも、抉り出した貴様の目で貴様自身の醜い姿を見てみるか?」

 奴の苦しむ姿を見続けていると、やがて無意識にニタリと口角が上向いた。

「あぁ見ててくれ、コイツに殺された可哀想なラグエルの民たち。そして私の最愛のひと、ビスタ。殺しの快楽に(おぼ)れたコイツらは、果たしてどんな最期を迎えるのだろうな!」

 そうして、セピアは高く声を上げて笑った。交戦していた者たちの手が、敵味方関係なく止まっていく。
 狂気に高笑うセピアの姿は、もはやラグエルを誇りとし美しく気高く生きる当主の姿ではなかった。ただ復讐心をあらわにした、憐れな女の姿であった。