ラグエルで迎えた二日目の朝は、騒々しいものであった。
「蘇芳、くぅ。セピアだ。多少早いが朝食を持ってきた」
室内からの返答を待たず、言いながら鬱金染めの長暖簾を颯爽と掻き分けてセピアが顔を出した。金属が打ち合うようなガチャガチャとした複数の足音が、眠っている蘇芳を容赦なく起こす。
横たわったままの寝ぼけまなこで長暖簾の辺りを眺めると、セピアは三人の兵士を連れていた。それぞれが銀色の甲冑のような装備を着け、槍や剣らしき長細いものや矢筒を背負い武装している。お陰で蘇芳の眠気は完全に飛んだ。
「なっ、な、なん、なにっ! 殺しに……はあっ?!」
「待て、違う。お前たちに危害を加えに来たわけじゃない」
慌てて身を起こそうとした蘇芳が左脇腹を押さえて悶え苦しんでいるため、セピアは三人の兵士をその場に留まらせ、自身だけが蘇芳へ寄っていく。ただ、近づくたびに鳴る甲冑のガチャガチャとした鈍い音が恐怖心を煽るため、寝起きの蘇芳は冷静な判断ができぬままとなっていた。
「簡単に信じられっか、バカ! 話聞かねぇで、一方的に毒矢、射られた身に、なってみろ!」
「聞け、朝飯を持ってきただけだ。飯だ、飯」
「とか言いながら、飯食わしてる間に、そいつらの武器で、俺らのこと、突き刺すんだろっ!」
「なにをバカなことを。こんな格好なのは、これから応戦に向かわなければならなくなったからだ」
応戦? となぞり怪訝な顔をする。
「未明に、我がラグエルの偵察隊がチャオツ兵の動きを確認した。勢い任せにこちらへ向かってきているらしい。既に先遣隊が足止めに向かったが、彼らだけでは正直なところ厳しいだろう」
真顔のセピアが左脇に抱えていたのがヘルメット型の兜であったことに、蘇芳はようやく気がついた。纏いし甲冑は輝きの無い銀色で、大小数々の傷がいくつも刻まれている。まるで紋様のように見えるそれは、歴戦を潜り抜けた確たる証拠であった。
命の獲り合いが間近であることを肌で感じ、間もなく冷静さを取り戻す。生唾を呑み、眉間を詰め、セピアの赤銅色の双眸を黙って見つめる。
「先に言っとくけど、俺たちはヤツらのことなんかアンタらより知らねぇから」
「そこをいま詳らかにしようとはしていない。お前の言うとおり、身ぐるみを剝いで持ち物を確認した現状で、お前たちを疑い続ける必要もないからな」
セピアは「ただ」と小さく付け加え、横たわったまま身を縮めている蘇芳を覗くように膝をつき、その目線を合わせにきた。
「この状況、お前はどう考える」
蘇芳だけに聞こえる声量で問うセピア。キリと冴えている端正な眉目に目を見張る。
気もそぞろのなか「え」と短くハテナを返した蘇芳であったが、セピアはわずかに表情から緊張を抜き、一転して「な、なんでもないっ」と慌ただしく立ち上がった。
「く、くぅを起こしてもいけないから、ここ、これで、退出する。おい、運び入れてくれっ」
長暖簾の向こうへ声を張れば、昨晩と同様に使用人の女性二人が盆に乗せた食事を運び入れてきた。一人はくぅの分を丸テーブルへ置き、横たわる蘇芳の足元に文机のような板を渡す。そこへもう一人が、夜さまのものらしき皿をふたつと蘇芳の分の食事をそれぞれ置き、一礼をし下がっていった。
「あのさ、本題なんだったわけ? わざわざ甲冑見せに来ただけ?」
「そんなバカな。私たちが戻り次第、お前の傷の状態を加味していくつか相談させてもらうことにしたから、それを言いに来たんだ」
「は? だから俺らは尋問なんか――」
「『相談』だ、尋問じゃあない。意味だって全然違うだろ」
やはり変わらぬ真顔気味のセピアは、しかしどこか声色優しく蘇芳へそう諭した。
「昨晩お前に言われたことが、なんだかやけに耳に張りついて拭えなくてな。もう少しお前たちと話がしたいんだ。くぅやお前と話をしていると、知らない間にいくつか閃きや着想を得られるような気がするんでな」
「……俺、なんかご大層なこと言ったっけ」
「わからないならいい」
蘇芳に背を向けたセピアは、相変わらず伸びた背筋と大きな歩幅でわずかに甲冑の金属音を鳴らしながら、三人の兵士の元へと戻っていった。うち二人の肩をポンと叩き、蘇芳を向き直る。
「この二人を部屋の入口両脇に付けておくから、もし用があったら声をかけろ。不用意に外へ出ようとするな、まずはこの二人に申し付けるんだ。いいな」
彼らの肩の位置はセピアの耳よりも高い。さすがにこの二人には、どれだけ抵抗せどもヒョイと担がれてしまいそうだ、と苦笑の相槌を返した。
「じゃ、私たちは出てくる。いまのうちに食事をとっておけ。器を下げる頃に医師を遣わすからそのつもりでいろ」
セピアの言い方は変わらず強いものであるが、語気には随分と思い遣りが込められてあった。わずかばかり、蘇芳の警戒心も緩くなる。
セピアを先頭に三人の兵士も長暖簾を潜り出ていくと、再び室内に静寂が戻った。しかし長暖簾の向こうは、甲冑の金属音やラグエルの人々の声が絶えずワアワアと続いている。
ふはぁ、と大袈裟なほどのひと息で首を右へゴロリと向けた蘇芳。そこには予期せず黒い毛玉が鎮座していた。
「っどわぁ?! よ、夜さま?!」
「声を落とせ、見張りがおるのじゃろ」
「にしたって近ぇよ……」
ヒソヒソの早口で忠告する夜さまは、文字どおり蘇芳の眼前にいつの間にか腰を下ろしていた。黒く細長い尻尾がシュルリとうねり、寝台上に音もなく落ち着く。
倣って、蘇芳もヒソヒソと夜さまを案じた。見た限りでは『猫』の容態など判別できない。
「いつ目ェ覚めたんだ? もう起き上がって大丈夫かよ?」
「あぁ、大事ない。それに、始めに目が覚めたのは真夜中でな、いまは二度寝を堪能しておったんじゃ」
濃さが増したようなアメジストのような目をわずかに細め、キュンと口角が短く上がる。「二度寝って」と蘇芳の表情もつられたが、笑顔になった夜さまを変に珍しいと感じていた。
「ところで、いまの武装しておった褐色肌の美しい娘は何者なんじゃ」
「え、娘? 誰が?」
「なにを言うとる。たしか『セピア』と名乗っておったな、あれは娘じゃろ?」
「…………」
蘇芳の思考が停止する。いくつかのまばたきの後で、セピアの容姿を解像度高めに思い返す。
あの胸元は、目立った膨らみが有るような無いような曖昧な見た目であった。同様に股周りも、モノが有るような無いような極めて判別に苦労する衣服の膨らみ方である。
「……もしやヌシ、思い違いをしておったのではあるまい?」
「ばっ、バカ、俺は別に……いやいやいや、まさかまさか。ハハ、ハ……」
そもそも、初対面の相手の胸元やら股周りやらをマジマジと舐めるように見ていたわけでもないため、夜さまの性別判断が一〇〇パーセント正しいとも言い難い。しかし自身の推察力には甚だ疑問ではある。
白けたまなざしの夜さまは「もうよい」と溜息をつき、「さて」とわざとらしく気を取り直す。
「ではヌシの傷の手当ての続きをせんとな」
「続きって?」
「矢傷じゃ。昨日までの処置は、入り込んだ毒を抜くまでしか出来とらん。もうすっかり体力も魔力も戻ったゆえ、ただちに完治させてやろうぞ。そのまま動くでない」
「えっ。いや、ちょ、まだいいっ。またその反動でごっそり体力消耗して、もっかい長いこと寝ちまうかもしんねーし。さすがに申し訳ねぇ通り越してそれはやだ」
「安心せい、そんなことにはもうならん」
「もうならんっつっても……つーかそもそも、一晩ですっかり治ってたら怪しまれんだろ。このあと医者寄越すってセピア言ってたし、いくらなんでも昨日の今日で傷口綺麗になってんの見られたら絶対ヤベーよ」
「じゃが酷く痛むじゃろ? 一人で起き上がれんではないか。じゃて綺麗に傷を治――」
「だから待てって。下手なことして見つかったら、マジで俺らみんなどうなるかわかんねーんだぞっ」
「よいではないか、別に。魔力充分な儂が相手なら交戦上等じゃ」
「なんだその喧嘩上等精神。物騒だなっ」
「物騒ならヌシには敵わん。ほら、暴れるでない。せっかくの朝食を蹴り飛ばす気か」
「だ、だったら飯食ってからっ。せめて飯のあと! 飯食って、医者に傷見せて、それから夜さまに治してもらうっ」
な? と同調を求めるも、夜さまは苦々しく目を細めるばかり。やがて「仕方あるまい」と夜さまが折れたために蘇芳はホーッと深く安堵を吐いた。
「くぅはまだ起きぬのか」
「疲れてんじゃねぇの? 俺ぶっ倒されたりとかいろいろあったし。夜寝るときも、俺より先に寝てたくらいだったしな」
「そうか……まぁ、原因予測はついとるが」
「試しに夜さまのその『充分な魔法』ちょっとだけ使って起こしてみれば?」
「朝餉を戴くとしようかの」
わくわくとした蘇芳の提案を無視し、寝台の足元に置かれた朝食を目指し歩み進む夜さま。むきゅむきゅと蘇芳の右太ももと左脛を踏みつけ、蘇芳に背を向ける格好で皿の前に座した。
「くぅの眠りは、この旅に於いて必要なことなのじゃ。恐らくこのまま寝かせておくに限る」
変わらず声を潜めている夜さまは、言うなりその全身を淡い藤色にぼんやりと発光させた。するとふわりと柔い引力で蘇芳の上半身が起き上がる。
「『ちょっと使う』程度で起こすのは、すぅのみで充分よ」
「すげぇ夜さまっ、マジでこんなことまで出来んのかよ!」
「なにを今更。荷を珠に替えたのを見とらんかったわけでもあるまいに」
「まぁそうなんだけど――って、そういやソレどうした、おやっさんたちに貰った大事な餞別っ。俺握ってたよな?!」
「安心せい、ヌシの身に同じように埋めてある」
「そ、そう、かよ……」
知らぬ間に埋められていたことに対し、蘇芳は「うげぇ」と表情を引きつらせていた。反して「セピアたちにバレなくてよかった」と安堵もしており、なんとも複雑な心地である。
夜さまが「戴こう」と一礼をしてから口をつけたところで、蘇芳も手を併せ「いただきます」と小さく告げた。
ラグエルでの食事量は、銀次郎の元で出されたものよりも品数も全体量も少ない印象である。ありつけるだけありがたいものの、現代人である高校生男子の食事量として考えるとかなり少ない。蘇芳は掻き込みたい本能を抑え、理性的に腹持ちを優先してゆっくりと口へ運んでいく。
「こんなにも食事に気を遣われとるとは思わなんだ。昨晩もヌシらはこのような食事じゃったか?」
「まぁ、そーだな。俺の晩飯は、こんな感じでちょっとゴージャスな流動食だったし、くぅたちはパン的なのとか蒸した肉みたいのも食ってたよ」
「フム。生かしたいのか敵対したいのか、どうにもこの国の者らの思考が読めん」
夜さまが疑問に思うことは蘇芳も同意であった。
命を奪うつもりで攻撃したはずが、しかし丁重に療養させわずかな資源を削ってまで寝食を与えている実状。この蘇芳の朝食でさえ、昨晩とは変わり小さく切られた固形物の混じるものになっている。
かと思いきや身柄は罪人扱いで収監、あまつさえ尋問や死罪をチラつかせる力業を向けてくる。だのにそこは強固な監獄ではなく、暖簾が隔てるだけの清潔な室内なのである。
「やはり一刻も早く『ドア』を探しに出るしかあるまい」
「けど、どうやって探すんだよ? さすがに見張り二人もいるとこからなんか抜け出せねーよ」
「安心せい、儂が行く」
チラチラと長暖簾の向こうを気にする蘇芳。しかし夜さまは口の周りのキャメルミルクをペロリと舐めとり、蘇芳へ向けてニヤリと笑んだ。
「暗がりに紛れられる駆体色ゆえ問題なかろう。昨晩も目が覚めた折にちと抜け出し内部を嗅ぎ廻ってみたが、こうして五体満足で朝餉にありつけとるくらいじゃ」
「え、既に出入り済みなわけ? なにやってんだよまったくっ」
「見つからなんだゆえよいではないか」
「バカッ。今回はたまたま見つかんなかっただけで、もし見つかったら猫だろーとぶっ殺されっかもしんねーんだぞ?」
「じゃが嗅ぎ廻った結果、術者が居ると踏んでおった件は間違いじゃった」
怒りの「は?」を向けていた蘇芳を無視するように、夜さまは唐突に話の路線をもとに戻した。理解が遅れ何も言えぬままの蘇芳をしり目に、夜さまはカツカツとミルク粥を口にし、よく噛み、飲み込んでから続ける。
「在ったのは術者ではなく、儂の魔力。かつて二分し『持っていかれた』儂自身の魔力じゃ」
「え、なに。じゃあ夜さまは、前にここに来たことあったわけ?」
「フッ、たわけ。儂ではない。ここへ来たのは儂の『捜し者』じゃわ」
言いなぞり、目を丸くする蘇芳。うっかり声を大きくしてしまい、長暖簾の向こうから見張りの一人が顔を覗かせたため、取り繕うためしばし食事に集中することになってしまった。
「で? 夜さまの『捜し者』ってどんなヤツなんだよ?」
「それが未だ思い出せんのじゃ。ヤツの姿形はじめ、性別も年齢も、もちろん声なぞもな」
潜められていることも相まって、そう言う夜さまの言葉には郷愁や悲愴が見て取れた。
「思い出せたこともあるが、いずれも直接的ではないように思える」
「なんか、不確定って感じなんだな。名前とかもまだわかんねーの?」
「まぁ、それは――」
瞼を伏せ、視線を切る夜さま。
「――思い出せたとて最後じゃろうな。名はまことに重要じゃて」
ふぅんと上顎で相槌を打ち、静かに匙を置いた蘇芳は「ごちそうさまでした」と手を併わす。本音はまだまだ食べ足りない。だが捕虜まがいの身分では腹をいっぱいに満たしたいとも思えない。
「儂の魔力は、水場に在った」
「水場? へぇ。どこにあったんだよ、そんなとこ」
「はっきりとはわからぬが、ここより三層ほど降りた先じゃて地下には違いない。そこだけ天井も高く、天井に空いた小さな穴から空が見えとった。実に美しく壮観じゃった。あの空間だけがまるで祀られているようでな」
小さな顎を上向け目を閉じる夜さまは、その水場へ思い馳せているようであった。そんなに恍惚とするほど澄んだ場所だったのだろうかと、蘇芳はジワリと羨む。
「そう、それでじゃ。あのセピアという娘やこの国の民から、なにか聞いとりゃせんか。その水場や井戸のようなものについて」
「んー、昔の人たちで水泉を掘り当てたから未だに水が充分にあるんだっつー話は聞いたけど、それのことかな?」
見つめ合う双眸に期待が込められていることを受け取った蘇芳。前髪をくしゃりと握りながら昨晩のセピアとの会話を思い返し、夜さまへあらましを告げる。
「なんか六〇年くらい前の話らしいんだけど。ふらっとやってきた旅人がこの辺に水源あるよって教えてくれたんだと。んで何日かかけて一緒にいくつも水場を掘った的なこと言ってた。もしかしたらその旅人っつーのが、夜さまの捜してるひとなわけ?」
「ありうる。いや、十中八九ヤツじゃろうな。水場には『願い』が織られとったゆえ」
「願い?」
「うむ。『この地の人々が水に困りませんように』じゃと。なんとも、ヤツらしき甘ちょろい願いじゃ」
なんだか冷めてるんだな、と蘇芳は咀嚼を続ける。
「その『願い』が儂の魔力と共鳴し、この国の水源に留まったとみておる。魔力は本来、適量ずつを削りながら使うのじゃが、ヤツは術者でないゆえすべてを注いでしまったらしい。故にこの国の水は枯れることなく、幾年も湧き続けとるんじゃ」
「じゃあ、本人はどこ行ったんだ」
「さあ? 他国に囚われたか、寿命で死んでおるか、はたまた……」
そうしてどこか俯瞰的に分析する夜さま。冷かとするか動揺を隠すためとするかの判断に、蘇芳は迷った。
気配のみに遭遇し、しかし肝心の本人に会うことは叶わなかった。それはいくら夜さまとはいえ、心内になにかしらの影響があったのではと勘ぐってしまう。
「他に聞いとることはあるかの?」
「んー。その旅人、この国に来たときはまだガキだったってセピアが言ってた」
「子ども、か。どの程度の年齢かが互いにわからんからなんとも言えぬが、やはり確定的とみてよいじゃろう。でなければ、儂の魔力がわざわざこんな『近未来のひとつ』に留まっている理由付けができん」
「き、近未来ぃ?」
ぐっと夜さまへ顔を近づける蘇芳。
「近未来って? まさかここ、近いうちにこうなるぞっつー世界なわけ?」
「いや、『ドア』で出でた未来は確定世界ではないんじゃ。無限の可能性のうちのひとつに出ただけゆえ、必ずしもこうなるわけではない」
「てことは、パラレルワールド的な感じ?」
「謂わばそうじゃろうな。もう少し厳密に言うと、ここはすぅの時代より何百年か先……いや、もう少し手前かの。要するにそのくらいの『未来世界』のひとつなのじゃ」
「よ、よくわかんなくなってきたけど……ここがどこだか調べたり知ったりするより、さっさと『ドア』見つけて先進んだほうがいいってことな?」
「やけに物わかりがよいの」
「関係ねー世界にいつまでも居続けて命の危機と隣り合わせなんて生活、俺はまっぴらだと思ってっから。つーかそもそも俺のせいでこんなとこに出ちまったわけじゃん。それもあって、なんとなく責任感じるっつーかさ」
「……あぁ、もしや『ヌシには行き先を選択する役割がある』と申したことを言うとるのか?」
戦国時代を出てくる直前、『旅に於ける役割』について夜さまから聞かされた。加えて『夜さまのサガシモノの願い』の話を聞き、蘇芳は唐突にそのことを気掛かりに思った。
「俺、あのとき咄嗟に『二人の役に立ちたい』って願ってた。俺のこと黙って四日間も待ってた二人の役に立ちてぇって。でもやっぱその『願い』が間違ってて、だからこんなとこ来ちまったんじゃねーかなって」
「『願い』には正解も不正解もない。この旅に於ける『願い』とは、心の奥底から込み上げるような『気持ち』を指すのじゃ。つまり、この世界に出たことにも何かしらの意味がある。ヌシが儂とくぅの役に立てる『何か』が、この世界には在るということなのじゃ」
いつになく真摯に、そして蘇芳へ寄り添うような説明をする夜さま。クッと下唇を甘噛み、うっかり出そうになる「けど」だの「でも」の弱音を殺す。
「現に、儂が魔力を完全に取り戻せたのはヌシのお陰じゃ。これも『サガシモノ』のひとつゆえ、遅かれ早かれいずれこの場に来ておったじゃろ。そしてくぅも、きっとこの世界にて『何か』を取り戻すはずじゃて」
「じゃあせめて、俺に出来ることってなんかねーかな。夜さまとくぅの『サガシモノ』取り戻すために、もっと直接的になんか出来ねぇ?」
「いや、こればかりは外から手伝ってやれんのじゃ。自身で手に入れるしかない。いずれも機を待たねばならん」
眉が寄る蘇芳。この時代で二人の力になれることは『ドア』を見つけ出すことくらいしかないと覚った。やることが明確になった反面、みずからの力の及ばない『モノ』を探し当てるまで進めないことには歯痒い想いを禁じ得ない。
「ヌシには、大層感謝しとる」
アメジスト様のまなざしを伏せる夜さま。
「右も左もわからぬ砂漠のなかで矢傷を受けたにもかかわらず、ヌシは弱音ひとつ吐かずこの国の者らの理不尽に耐え、儂らを護ろうとしてくれとる。既に充分すぎるほど、儂らに尽力しとるではないか。これ以上なにを気負うことがあろう?」
夜さまからの激励が嬉しいと感じ、蘇芳は鼻で深く呼吸をした。
「俺も、夜さまに感謝してるよ」
ウジウジしている態度を払拭する意味も込め、夜さまの小さな頭を右手で優しくくるりと撫でる。それはまるでビロードの絨毯にでも触れているような柔らかな毛艶であった。延々と撫でていられそうな手触りが心地よい。
「くぅから聞いたんだ。寝続けなきゃなんなくなるまで能力使ってくれたこと」
「よい。先も言うたが、あれは儂に魔力が充分戻っとらなんだゆえ、儂自身の回復も遅れただけじゃ。それに、魔術はひとの役に立ててこそ意味を成すよって、使うべくして使ったにすぎん。気負うことはない」
真実、夜さまの言うとおりであれど、それでも大層な負担をかけてしまったことに変わりない。蘇芳はしおらしさや萎縮する態度を隠すように、夜さまの頭を過剰に撫で回した。間もなく夜さまはくすぐったそうにその細い身を捩ったため、遂に手を離す。
「生きてようが死んでようが、絶対『サガシモノ』のソイツ見つけような」
言われた言葉に大きく目を見開き、夜さまは蘇芳を見上げる。
「夜さまが時代飛び越えて捜すくらいの大事なひとなんだから、どうだったとしても見つけ出して、なんとしてでも連れて帰ろう」
「すぅ……」
「夜さまは、強い意志で俺と撫子を繋いでくれた。まぁ、それの恩返しみたいな感じだと思ってくれよ。俺に出来ることは協力すっからさ」
どっちがだか、と出かかって口を噤む。夜さまは小さく「ありがとう」と返すに留まる。
「どのみちいまの俺に出来ることなんて、矢傷直して動けるようになることだけだしな。セピアが無事に帰ってきたら話しようっつー約束だし、ひとまずあとで『ドア』の手がかり探せねぇか掛け合ってみるな」
「うむ。喧嘩ごしにならんようにだけ気をつけるのじゃぞ」
「ふはっ、夜さまに言われたかねーよ」
長暖簾の向こうのざわめきは、未だ収まりそうにない。
「蘇芳、くぅ。セピアだ。多少早いが朝食を持ってきた」
室内からの返答を待たず、言いながら鬱金染めの長暖簾を颯爽と掻き分けてセピアが顔を出した。金属が打ち合うようなガチャガチャとした複数の足音が、眠っている蘇芳を容赦なく起こす。
横たわったままの寝ぼけまなこで長暖簾の辺りを眺めると、セピアは三人の兵士を連れていた。それぞれが銀色の甲冑のような装備を着け、槍や剣らしき長細いものや矢筒を背負い武装している。お陰で蘇芳の眠気は完全に飛んだ。
「なっ、な、なん、なにっ! 殺しに……はあっ?!」
「待て、違う。お前たちに危害を加えに来たわけじゃない」
慌てて身を起こそうとした蘇芳が左脇腹を押さえて悶え苦しんでいるため、セピアは三人の兵士をその場に留まらせ、自身だけが蘇芳へ寄っていく。ただ、近づくたびに鳴る甲冑のガチャガチャとした鈍い音が恐怖心を煽るため、寝起きの蘇芳は冷静な判断ができぬままとなっていた。
「簡単に信じられっか、バカ! 話聞かねぇで、一方的に毒矢、射られた身に、なってみろ!」
「聞け、朝飯を持ってきただけだ。飯だ、飯」
「とか言いながら、飯食わしてる間に、そいつらの武器で、俺らのこと、突き刺すんだろっ!」
「なにをバカなことを。こんな格好なのは、これから応戦に向かわなければならなくなったからだ」
応戦? となぞり怪訝な顔をする。
「未明に、我がラグエルの偵察隊がチャオツ兵の動きを確認した。勢い任せにこちらへ向かってきているらしい。既に先遣隊が足止めに向かったが、彼らだけでは正直なところ厳しいだろう」
真顔のセピアが左脇に抱えていたのがヘルメット型の兜であったことに、蘇芳はようやく気がついた。纏いし甲冑は輝きの無い銀色で、大小数々の傷がいくつも刻まれている。まるで紋様のように見えるそれは、歴戦を潜り抜けた確たる証拠であった。
命の獲り合いが間近であることを肌で感じ、間もなく冷静さを取り戻す。生唾を呑み、眉間を詰め、セピアの赤銅色の双眸を黙って見つめる。
「先に言っとくけど、俺たちはヤツらのことなんかアンタらより知らねぇから」
「そこをいま詳らかにしようとはしていない。お前の言うとおり、身ぐるみを剝いで持ち物を確認した現状で、お前たちを疑い続ける必要もないからな」
セピアは「ただ」と小さく付け加え、横たわったまま身を縮めている蘇芳を覗くように膝をつき、その目線を合わせにきた。
「この状況、お前はどう考える」
蘇芳だけに聞こえる声量で問うセピア。キリと冴えている端正な眉目に目を見張る。
気もそぞろのなか「え」と短くハテナを返した蘇芳であったが、セピアはわずかに表情から緊張を抜き、一転して「な、なんでもないっ」と慌ただしく立ち上がった。
「く、くぅを起こしてもいけないから、ここ、これで、退出する。おい、運び入れてくれっ」
長暖簾の向こうへ声を張れば、昨晩と同様に使用人の女性二人が盆に乗せた食事を運び入れてきた。一人はくぅの分を丸テーブルへ置き、横たわる蘇芳の足元に文机のような板を渡す。そこへもう一人が、夜さまのものらしき皿をふたつと蘇芳の分の食事をそれぞれ置き、一礼をし下がっていった。
「あのさ、本題なんだったわけ? わざわざ甲冑見せに来ただけ?」
「そんなバカな。私たちが戻り次第、お前の傷の状態を加味していくつか相談させてもらうことにしたから、それを言いに来たんだ」
「は? だから俺らは尋問なんか――」
「『相談』だ、尋問じゃあない。意味だって全然違うだろ」
やはり変わらぬ真顔気味のセピアは、しかしどこか声色優しく蘇芳へそう諭した。
「昨晩お前に言われたことが、なんだかやけに耳に張りついて拭えなくてな。もう少しお前たちと話がしたいんだ。くぅやお前と話をしていると、知らない間にいくつか閃きや着想を得られるような気がするんでな」
「……俺、なんかご大層なこと言ったっけ」
「わからないならいい」
蘇芳に背を向けたセピアは、相変わらず伸びた背筋と大きな歩幅でわずかに甲冑の金属音を鳴らしながら、三人の兵士の元へと戻っていった。うち二人の肩をポンと叩き、蘇芳を向き直る。
「この二人を部屋の入口両脇に付けておくから、もし用があったら声をかけろ。不用意に外へ出ようとするな、まずはこの二人に申し付けるんだ。いいな」
彼らの肩の位置はセピアの耳よりも高い。さすがにこの二人には、どれだけ抵抗せどもヒョイと担がれてしまいそうだ、と苦笑の相槌を返した。
「じゃ、私たちは出てくる。いまのうちに食事をとっておけ。器を下げる頃に医師を遣わすからそのつもりでいろ」
セピアの言い方は変わらず強いものであるが、語気には随分と思い遣りが込められてあった。わずかばかり、蘇芳の警戒心も緩くなる。
セピアを先頭に三人の兵士も長暖簾を潜り出ていくと、再び室内に静寂が戻った。しかし長暖簾の向こうは、甲冑の金属音やラグエルの人々の声が絶えずワアワアと続いている。
ふはぁ、と大袈裟なほどのひと息で首を右へゴロリと向けた蘇芳。そこには予期せず黒い毛玉が鎮座していた。
「っどわぁ?! よ、夜さま?!」
「声を落とせ、見張りがおるのじゃろ」
「にしたって近ぇよ……」
ヒソヒソの早口で忠告する夜さまは、文字どおり蘇芳の眼前にいつの間にか腰を下ろしていた。黒く細長い尻尾がシュルリとうねり、寝台上に音もなく落ち着く。
倣って、蘇芳もヒソヒソと夜さまを案じた。見た限りでは『猫』の容態など判別できない。
「いつ目ェ覚めたんだ? もう起き上がって大丈夫かよ?」
「あぁ、大事ない。それに、始めに目が覚めたのは真夜中でな、いまは二度寝を堪能しておったんじゃ」
濃さが増したようなアメジストのような目をわずかに細め、キュンと口角が短く上がる。「二度寝って」と蘇芳の表情もつられたが、笑顔になった夜さまを変に珍しいと感じていた。
「ところで、いまの武装しておった褐色肌の美しい娘は何者なんじゃ」
「え、娘? 誰が?」
「なにを言うとる。たしか『セピア』と名乗っておったな、あれは娘じゃろ?」
「…………」
蘇芳の思考が停止する。いくつかのまばたきの後で、セピアの容姿を解像度高めに思い返す。
あの胸元は、目立った膨らみが有るような無いような曖昧な見た目であった。同様に股周りも、モノが有るような無いような極めて判別に苦労する衣服の膨らみ方である。
「……もしやヌシ、思い違いをしておったのではあるまい?」
「ばっ、バカ、俺は別に……いやいやいや、まさかまさか。ハハ、ハ……」
そもそも、初対面の相手の胸元やら股周りやらをマジマジと舐めるように見ていたわけでもないため、夜さまの性別判断が一〇〇パーセント正しいとも言い難い。しかし自身の推察力には甚だ疑問ではある。
白けたまなざしの夜さまは「もうよい」と溜息をつき、「さて」とわざとらしく気を取り直す。
「ではヌシの傷の手当ての続きをせんとな」
「続きって?」
「矢傷じゃ。昨日までの処置は、入り込んだ毒を抜くまでしか出来とらん。もうすっかり体力も魔力も戻ったゆえ、ただちに完治させてやろうぞ。そのまま動くでない」
「えっ。いや、ちょ、まだいいっ。またその反動でごっそり体力消耗して、もっかい長いこと寝ちまうかもしんねーし。さすがに申し訳ねぇ通り越してそれはやだ」
「安心せい、そんなことにはもうならん」
「もうならんっつっても……つーかそもそも、一晩ですっかり治ってたら怪しまれんだろ。このあと医者寄越すってセピア言ってたし、いくらなんでも昨日の今日で傷口綺麗になってんの見られたら絶対ヤベーよ」
「じゃが酷く痛むじゃろ? 一人で起き上がれんではないか。じゃて綺麗に傷を治――」
「だから待てって。下手なことして見つかったら、マジで俺らみんなどうなるかわかんねーんだぞっ」
「よいではないか、別に。魔力充分な儂が相手なら交戦上等じゃ」
「なんだその喧嘩上等精神。物騒だなっ」
「物騒ならヌシには敵わん。ほら、暴れるでない。せっかくの朝食を蹴り飛ばす気か」
「だ、だったら飯食ってからっ。せめて飯のあと! 飯食って、医者に傷見せて、それから夜さまに治してもらうっ」
な? と同調を求めるも、夜さまは苦々しく目を細めるばかり。やがて「仕方あるまい」と夜さまが折れたために蘇芳はホーッと深く安堵を吐いた。
「くぅはまだ起きぬのか」
「疲れてんじゃねぇの? 俺ぶっ倒されたりとかいろいろあったし。夜寝るときも、俺より先に寝てたくらいだったしな」
「そうか……まぁ、原因予測はついとるが」
「試しに夜さまのその『充分な魔法』ちょっとだけ使って起こしてみれば?」
「朝餉を戴くとしようかの」
わくわくとした蘇芳の提案を無視し、寝台の足元に置かれた朝食を目指し歩み進む夜さま。むきゅむきゅと蘇芳の右太ももと左脛を踏みつけ、蘇芳に背を向ける格好で皿の前に座した。
「くぅの眠りは、この旅に於いて必要なことなのじゃ。恐らくこのまま寝かせておくに限る」
変わらず声を潜めている夜さまは、言うなりその全身を淡い藤色にぼんやりと発光させた。するとふわりと柔い引力で蘇芳の上半身が起き上がる。
「『ちょっと使う』程度で起こすのは、すぅのみで充分よ」
「すげぇ夜さまっ、マジでこんなことまで出来んのかよ!」
「なにを今更。荷を珠に替えたのを見とらんかったわけでもあるまいに」
「まぁそうなんだけど――って、そういやソレどうした、おやっさんたちに貰った大事な餞別っ。俺握ってたよな?!」
「安心せい、ヌシの身に同じように埋めてある」
「そ、そう、かよ……」
知らぬ間に埋められていたことに対し、蘇芳は「うげぇ」と表情を引きつらせていた。反して「セピアたちにバレなくてよかった」と安堵もしており、なんとも複雑な心地である。
夜さまが「戴こう」と一礼をしてから口をつけたところで、蘇芳も手を併せ「いただきます」と小さく告げた。
ラグエルでの食事量は、銀次郎の元で出されたものよりも品数も全体量も少ない印象である。ありつけるだけありがたいものの、現代人である高校生男子の食事量として考えるとかなり少ない。蘇芳は掻き込みたい本能を抑え、理性的に腹持ちを優先してゆっくりと口へ運んでいく。
「こんなにも食事に気を遣われとるとは思わなんだ。昨晩もヌシらはこのような食事じゃったか?」
「まぁ、そーだな。俺の晩飯は、こんな感じでちょっとゴージャスな流動食だったし、くぅたちはパン的なのとか蒸した肉みたいのも食ってたよ」
「フム。生かしたいのか敵対したいのか、どうにもこの国の者らの思考が読めん」
夜さまが疑問に思うことは蘇芳も同意であった。
命を奪うつもりで攻撃したはずが、しかし丁重に療養させわずかな資源を削ってまで寝食を与えている実状。この蘇芳の朝食でさえ、昨晩とは変わり小さく切られた固形物の混じるものになっている。
かと思いきや身柄は罪人扱いで収監、あまつさえ尋問や死罪をチラつかせる力業を向けてくる。だのにそこは強固な監獄ではなく、暖簾が隔てるだけの清潔な室内なのである。
「やはり一刻も早く『ドア』を探しに出るしかあるまい」
「けど、どうやって探すんだよ? さすがに見張り二人もいるとこからなんか抜け出せねーよ」
「安心せい、儂が行く」
チラチラと長暖簾の向こうを気にする蘇芳。しかし夜さまは口の周りのキャメルミルクをペロリと舐めとり、蘇芳へ向けてニヤリと笑んだ。
「暗がりに紛れられる駆体色ゆえ問題なかろう。昨晩も目が覚めた折にちと抜け出し内部を嗅ぎ廻ってみたが、こうして五体満足で朝餉にありつけとるくらいじゃ」
「え、既に出入り済みなわけ? なにやってんだよまったくっ」
「見つからなんだゆえよいではないか」
「バカッ。今回はたまたま見つかんなかっただけで、もし見つかったら猫だろーとぶっ殺されっかもしんねーんだぞ?」
「じゃが嗅ぎ廻った結果、術者が居ると踏んでおった件は間違いじゃった」
怒りの「は?」を向けていた蘇芳を無視するように、夜さまは唐突に話の路線をもとに戻した。理解が遅れ何も言えぬままの蘇芳をしり目に、夜さまはカツカツとミルク粥を口にし、よく噛み、飲み込んでから続ける。
「在ったのは術者ではなく、儂の魔力。かつて二分し『持っていかれた』儂自身の魔力じゃ」
「え、なに。じゃあ夜さまは、前にここに来たことあったわけ?」
「フッ、たわけ。儂ではない。ここへ来たのは儂の『捜し者』じゃわ」
言いなぞり、目を丸くする蘇芳。うっかり声を大きくしてしまい、長暖簾の向こうから見張りの一人が顔を覗かせたため、取り繕うためしばし食事に集中することになってしまった。
「で? 夜さまの『捜し者』ってどんなヤツなんだよ?」
「それが未だ思い出せんのじゃ。ヤツの姿形はじめ、性別も年齢も、もちろん声なぞもな」
潜められていることも相まって、そう言う夜さまの言葉には郷愁や悲愴が見て取れた。
「思い出せたこともあるが、いずれも直接的ではないように思える」
「なんか、不確定って感じなんだな。名前とかもまだわかんねーの?」
「まぁ、それは――」
瞼を伏せ、視線を切る夜さま。
「――思い出せたとて最後じゃろうな。名はまことに重要じゃて」
ふぅんと上顎で相槌を打ち、静かに匙を置いた蘇芳は「ごちそうさまでした」と手を併わす。本音はまだまだ食べ足りない。だが捕虜まがいの身分では腹をいっぱいに満たしたいとも思えない。
「儂の魔力は、水場に在った」
「水場? へぇ。どこにあったんだよ、そんなとこ」
「はっきりとはわからぬが、ここより三層ほど降りた先じゃて地下には違いない。そこだけ天井も高く、天井に空いた小さな穴から空が見えとった。実に美しく壮観じゃった。あの空間だけがまるで祀られているようでな」
小さな顎を上向け目を閉じる夜さまは、その水場へ思い馳せているようであった。そんなに恍惚とするほど澄んだ場所だったのだろうかと、蘇芳はジワリと羨む。
「そう、それでじゃ。あのセピアという娘やこの国の民から、なにか聞いとりゃせんか。その水場や井戸のようなものについて」
「んー、昔の人たちで水泉を掘り当てたから未だに水が充分にあるんだっつー話は聞いたけど、それのことかな?」
見つめ合う双眸に期待が込められていることを受け取った蘇芳。前髪をくしゃりと握りながら昨晩のセピアとの会話を思い返し、夜さまへあらましを告げる。
「なんか六〇年くらい前の話らしいんだけど。ふらっとやってきた旅人がこの辺に水源あるよって教えてくれたんだと。んで何日かかけて一緒にいくつも水場を掘った的なこと言ってた。もしかしたらその旅人っつーのが、夜さまの捜してるひとなわけ?」
「ありうる。いや、十中八九ヤツじゃろうな。水場には『願い』が織られとったゆえ」
「願い?」
「うむ。『この地の人々が水に困りませんように』じゃと。なんとも、ヤツらしき甘ちょろい願いじゃ」
なんだか冷めてるんだな、と蘇芳は咀嚼を続ける。
「その『願い』が儂の魔力と共鳴し、この国の水源に留まったとみておる。魔力は本来、適量ずつを削りながら使うのじゃが、ヤツは術者でないゆえすべてを注いでしまったらしい。故にこの国の水は枯れることなく、幾年も湧き続けとるんじゃ」
「じゃあ、本人はどこ行ったんだ」
「さあ? 他国に囚われたか、寿命で死んでおるか、はたまた……」
そうしてどこか俯瞰的に分析する夜さま。冷かとするか動揺を隠すためとするかの判断に、蘇芳は迷った。
気配のみに遭遇し、しかし肝心の本人に会うことは叶わなかった。それはいくら夜さまとはいえ、心内になにかしらの影響があったのではと勘ぐってしまう。
「他に聞いとることはあるかの?」
「んー。その旅人、この国に来たときはまだガキだったってセピアが言ってた」
「子ども、か。どの程度の年齢かが互いにわからんからなんとも言えぬが、やはり確定的とみてよいじゃろう。でなければ、儂の魔力がわざわざこんな『近未来のひとつ』に留まっている理由付けができん」
「き、近未来ぃ?」
ぐっと夜さまへ顔を近づける蘇芳。
「近未来って? まさかここ、近いうちにこうなるぞっつー世界なわけ?」
「いや、『ドア』で出でた未来は確定世界ではないんじゃ。無限の可能性のうちのひとつに出ただけゆえ、必ずしもこうなるわけではない」
「てことは、パラレルワールド的な感じ?」
「謂わばそうじゃろうな。もう少し厳密に言うと、ここはすぅの時代より何百年か先……いや、もう少し手前かの。要するにそのくらいの『未来世界』のひとつなのじゃ」
「よ、よくわかんなくなってきたけど……ここがどこだか調べたり知ったりするより、さっさと『ドア』見つけて先進んだほうがいいってことな?」
「やけに物わかりがよいの」
「関係ねー世界にいつまでも居続けて命の危機と隣り合わせなんて生活、俺はまっぴらだと思ってっから。つーかそもそも俺のせいでこんなとこに出ちまったわけじゃん。それもあって、なんとなく責任感じるっつーかさ」
「……あぁ、もしや『ヌシには行き先を選択する役割がある』と申したことを言うとるのか?」
戦国時代を出てくる直前、『旅に於ける役割』について夜さまから聞かされた。加えて『夜さまのサガシモノの願い』の話を聞き、蘇芳は唐突にそのことを気掛かりに思った。
「俺、あのとき咄嗟に『二人の役に立ちたい』って願ってた。俺のこと黙って四日間も待ってた二人の役に立ちてぇって。でもやっぱその『願い』が間違ってて、だからこんなとこ来ちまったんじゃねーかなって」
「『願い』には正解も不正解もない。この旅に於ける『願い』とは、心の奥底から込み上げるような『気持ち』を指すのじゃ。つまり、この世界に出たことにも何かしらの意味がある。ヌシが儂とくぅの役に立てる『何か』が、この世界には在るということなのじゃ」
いつになく真摯に、そして蘇芳へ寄り添うような説明をする夜さま。クッと下唇を甘噛み、うっかり出そうになる「けど」だの「でも」の弱音を殺す。
「現に、儂が魔力を完全に取り戻せたのはヌシのお陰じゃ。これも『サガシモノ』のひとつゆえ、遅かれ早かれいずれこの場に来ておったじゃろ。そしてくぅも、きっとこの世界にて『何か』を取り戻すはずじゃて」
「じゃあせめて、俺に出来ることってなんかねーかな。夜さまとくぅの『サガシモノ』取り戻すために、もっと直接的になんか出来ねぇ?」
「いや、こればかりは外から手伝ってやれんのじゃ。自身で手に入れるしかない。いずれも機を待たねばならん」
眉が寄る蘇芳。この時代で二人の力になれることは『ドア』を見つけ出すことくらいしかないと覚った。やることが明確になった反面、みずからの力の及ばない『モノ』を探し当てるまで進めないことには歯痒い想いを禁じ得ない。
「ヌシには、大層感謝しとる」
アメジスト様のまなざしを伏せる夜さま。
「右も左もわからぬ砂漠のなかで矢傷を受けたにもかかわらず、ヌシは弱音ひとつ吐かずこの国の者らの理不尽に耐え、儂らを護ろうとしてくれとる。既に充分すぎるほど、儂らに尽力しとるではないか。これ以上なにを気負うことがあろう?」
夜さまからの激励が嬉しいと感じ、蘇芳は鼻で深く呼吸をした。
「俺も、夜さまに感謝してるよ」
ウジウジしている態度を払拭する意味も込め、夜さまの小さな頭を右手で優しくくるりと撫でる。それはまるでビロードの絨毯にでも触れているような柔らかな毛艶であった。延々と撫でていられそうな手触りが心地よい。
「くぅから聞いたんだ。寝続けなきゃなんなくなるまで能力使ってくれたこと」
「よい。先も言うたが、あれは儂に魔力が充分戻っとらなんだゆえ、儂自身の回復も遅れただけじゃ。それに、魔術はひとの役に立ててこそ意味を成すよって、使うべくして使ったにすぎん。気負うことはない」
真実、夜さまの言うとおりであれど、それでも大層な負担をかけてしまったことに変わりない。蘇芳はしおらしさや萎縮する態度を隠すように、夜さまの頭を過剰に撫で回した。間もなく夜さまはくすぐったそうにその細い身を捩ったため、遂に手を離す。
「生きてようが死んでようが、絶対『サガシモノ』のソイツ見つけような」
言われた言葉に大きく目を見開き、夜さまは蘇芳を見上げる。
「夜さまが時代飛び越えて捜すくらいの大事なひとなんだから、どうだったとしても見つけ出して、なんとしてでも連れて帰ろう」
「すぅ……」
「夜さまは、強い意志で俺と撫子を繋いでくれた。まぁ、それの恩返しみたいな感じだと思ってくれよ。俺に出来ることは協力すっからさ」
どっちがだか、と出かかって口を噤む。夜さまは小さく「ありがとう」と返すに留まる。
「どのみちいまの俺に出来ることなんて、矢傷直して動けるようになることだけだしな。セピアが無事に帰ってきたら話しようっつー約束だし、ひとまずあとで『ドア』の手がかり探せねぇか掛け合ってみるな」
「うむ。喧嘩ごしにならんようにだけ気をつけるのじゃぞ」
「ふはっ、夜さまに言われたかねーよ」
長暖簾の向こうのざわめきは、未だ収まりそうにない。
