「すぅちゃん!」

 ゆるりと目が開くと、その先一面にくぅが映り込んだ。どうやら仰向けに寝かされているらしいと覚る。
 くぅがあまりにも至近距離のため思わずぎょっとした蘇芳であったが、色素の薄い眉をハの字に垂れ下げ不安をあらわに覗き込む様に、相当の心配をかけたらしいと理解する。

「バカ、近ぇよ。離、れろ」

 出した声は酷く(かす)れていた。喉が渇き貼り付くようであったため、ガハガハと激しく咳き込んでしまう。すると途端に脇腹がグサリと鋭い痛みに襲われた。

「うっ! ぐぅう……」
「大丈夫?! どこが痛むの、肩?! お腹?! 誰か呼ぶ?!」
「い、いたむ……けど」

 反射的に身を捩り悶絶するも、捩った先が悪かったらしく、ズキンッと更なる激痛が左肩と脇腹を同時に襲った。

「いでぇえあっ!」
「わーんどーしよーっ! すぅちゃんが死んじゃうよう!」
「頼むからっ、ギャーギャー騒ぐ、な……っくあ、傷に、傷にク、る、だはあっ! イデデデデ……」

 激痛に苦しみ悶える蘇芳と、それに悲観し喚きちらすくぅ。その声が傷口に沁みるように感じるためありがた迷惑になりつつある。

「なんだ。騒々しいと思ったら、目が覚めたのか」

 蘇芳が寝かされているベッドのような台の左側から不意に声がかかった。まるでガラス細工の小鳥が(さえず)ったような、美しく澄んだ中性的な声である。

「わーん、セピアさまーっ。すぅちゃんを助けてくださぁい!」
「セピ、ア、さまっ?」

 苦悶の表情を向けた先には、性別判断がつかない中性的な人物が立っていた。

 よく陽に焼けた細身の体躯。
 栗皮(くりかわ)色の癖毛気味な短髪。
 細く切れ長の眉目は聡明な印象で、双眸は深い|赤銅(しゃくどう)色をしている。
 身に着けているのは洋服らしき衣服である。キャメル色の上衣はハイネックだが袖なしの形、深紅(しんく)色の下衣はナス状にダボついたサルエルパンツ様のもの。

「わかったよ、くぅ。いま医者を呼んでくるから、しばし待っていろ」
「ええーん、お願いしますぅーっ」

 セピアと呼ばれたその人は、泣き真似様のくぅの懇願を眺めども表情を変えない。部屋に入ってきて間もないその身をくるりと翻すと、両耳に下げている黄金色の円盤型ピアスがシャーンと鳴った。静かな足音と大きな歩幅なセピアは、入口に下がっている鬱金染(うこんぞ)めの長暖簾(ながのれん)をバサリと掻き分け部屋を出ていった。

「いまの、誰?」

 右脇のくぅへ顔を戻し、声をひそめる蘇芳。長暖簾の隙間から向こう側が見えたが、両端にどうやら兵士らしき屈強な男が見えたため「見張りがいるな」と警戒する。

「セピアさまだよ。ここのお城の偉い人。なんか、王さまとはちょっと違うみたい」

 くぅも蘇芳に倣い声をひそめる。「はーん」と相槌を返すと再び左脇腹がズキンズキンとした。

「イデデ。で? 俺たちは、そのセピアさまとやらに、拾われたっつー、ことか?」
「とりあえずね」
「俺、どうなったんだ?」
「矢で射たれたの。肩と、お腹」
「矢? あー、そうだったかも」
「矢じりにね、麻酔みたいなよくわかんない毒が塗られててね、すぅちゃんの体からそれ抜くのに、夜さまがたくさん魔法を使ったの。毒が体にまわるの、結構速くてね、夜さま予想以上に大変だったみたい」
「そっ、か。で、夜さまは?」
「ここで寝てるよ。魔力って、眠って回復するんだって」

 くぅは自身の足元へと手を伸ばす。持ち上げたそれを蘇芳へ見せてやると、ようやく安堵の溜め息が出た。
 くぅが持ち上げたのは小さな籠。その中いっぱいにタオルのような柔らかい布が敷いてあり、中央には埋まるように丸くなって眠る夜さまがいた。

「悪かったな、夜さま。こんななるまで、チカラ使わしてさ」

 夜さまの艶やかな黒い背を苦く見つめる蘇芳。そんな蘇芳の気持ちを汲んだか、代わりにくぅがそこをさらりさらりと優しく撫でた。

「くぅは、なんともねぇか?」
「うん、平気。ごめんね、一人だけピンピンしてて」
「なに言ってんだ。そんな顔、すんな。むしろ、矢ァ刺さったのが、俺だけで良かった、だろ」

 でも、と口をへの字にくぅが再び泣き出しそうな顔をするため、蘇芳はなんとか動いた右掌でくぅのもちもちの頬に触れた。

「水、貰えたか?」
「うん、セピアさまがくれたよ。すぅちゃんは、飲んでいいかお医者さんにちゃんと訊かないとダメなんだって」

 だからごめんね、と肩を落とすくぅ。

「腹、やられたんだもんな。そりゃ微妙、だよなぁ」

 左脇腹を、掛けられた布の上から軽く()する。ピリリとそれなりに痛み、苦悶に顔が歪む。

「あのね。これは夜さまと考えた『設定』。多分これから身の上のこと訊かれるから覚えてね、一回で」
「その『一回で』っての、夜さまっぽくて、キンチョーすんだろが」
「文句言わないっ。あのね……」

 耳打ちでボソボソとあらましを聞きながら、蘇芳は終始「フン、フン」と相槌を挟む。聞き終える一拍前に「入るぞ」と声がかかり、鬱金染めの長暖簾がバサリと揺れた。

「医者を連れてきた。傷を見せてみろ」

 出ていったときと同様に颯爽(さっそう)と入ってきたセピア。その背後には医師らしき人物が一人。
 医師はセピアよりも小柄で、白髪混じりの長髪を首の付根でひとつに括った五〇代とおぼしき女性である。抱えてきた救急箱らしき簡易キットを手近の台へ置き、恐らく部屋の隅にあったであろう簡素な腰掛けを手際よく蘇芳の左側に用意すると、無愛想にそこへタンと腰を落ち着けた。

(めく)りますね。触りますね」

 医師は、言うよりも早く行動していく。まばたきの速度で身体に掛けられていた布が剥がされ、何と問い直すよりも先に傷口の包帯や消毒布が捲られていく。
 そのときになって初めて、蘇芳は自身の上半身が裸体であることや、主に左側に包帯が巻かれてあることに気が付いた。特に、傷口となっている肩や脇腹の消毒布には、止血しきれていない血が付着している。医師はそれらを手早く交換しつつ、自身が施したであろう縫合跡を確認していた。

「脇腹は(かす)めただけなので縫合してあります、肩は刺さっただけですから治りもまあ早いでしょう、筋肉が守ってくれたと言えますよかったわね。ただ、神経に触っているかもしれないから私の許可が出るまで絶対に動かさないように、まぁ後遺症が残ってもいいなら私は口出ししません、ご随意に。あぁそうそう水は飲めます、なので痛み止めを置いていきますから水で服用してください。食事は明日の夕飯からが普通飯ですそれまでは柔らかいものね、こちらから炊事班に伝えておきますから」
「へぁっ、あ、はぁ」

 いやにペラペラと早口に告げた医師。そこに感情はまるでこもっていない。蘇芳が情報処理に必死になっている間にさっさと腰掛けから立ち上がり、セピアを向いたかと思うと一転、人が変わったかのように表情柔らかく至極丁寧な一礼をセピアへ向けた。

「お待たせいたしました、セピアさま。処置は以上です」
「ありがとう、もう戻っていいよ」
「は。失礼いたします」

 医師の態度の温度差に呆気にとられる蘇芳。驚きのあまり診察結果のいくつかを忘れてしまった。

「おい」

 医師がすっかり部屋を出てから、セピアが蘇芳へ低く声をかけてきた。「話せるか」と短く問われ、怪訝をあらわに首肯する。

「お前、名は」
「え。す、蘇芳」
「どうしてあの場をうろついていた」
「こ、考古学研究の、関係で」
「……ほう?」
「磁石失くして、迷っちまって。この辺りだったかなって、覚えある風景、探してるうちに、完全に迷って、それで」
「見たところ荷が一切見当たらなかったが? 私物はくぅの持っていた竹筒二本のみ。どう説明する」
「野宿先で、盗まれたんだ。そん中に食料とか、それから磁石とか、も、あったから」
「なるほどな」

 赤銅色の刺すような視線を一旦伏せ、セピアは医師が座していた腰掛けへと歩み寄ってきた。カタンと静かに腰を下ろすと間近に蘇芳と視線を合わせてくる。

「いいか、嘘がわかったらそのときは死罪だと思え。このラグエルではそれが法だ」
「……ラグエル?」

 聞いたことがない単語だと蘇芳は思った。それはただみずからに学がないがためか、はたまた時代を遥かに超えた地に降り立ったがゆえの齟齬か、真相には辿り着けない。

「お前たちは本当にチャオツの者ではないのか?」
「はぇ?」

 うっかり、すっとんきょうな返しをしてしまった。続々とわからない単語がセピアの口から飛び出すため、蘇芳の脳内は既にキャパシティオーバーであった。

「ちょ、マジでわかんねんだけどさ。まずラグエルとかチャオツ? って、なんのことだよ。そもそもアンタこそ、何者(なにモン)なわけ?」
「いま質問しているのはこちらだ。お前が質問する番ではない、立場をわきまえろ」

 セピアの強い語気に「言い方……」と顔をしかめる。そんな蘇芳を見て、「まぁ、とはいえ」とセピアはその眼力を弱め、案外あっさりと回答を述べた。

「いまのお前は身動きがとれないだろうし……いいだろう、簡単に答えてやる。私はセピアだ。このラグエルの(おさ)であり頭首を務めている。お前を寝かせているここはラグエルの収監室だ」
「収監、室? なんで、そんな」
「お前たちがチャオツの(きたな)い盗人かと思ったからだ。砦に近付く奴を見つけ次第毒矢を射るよう、常時私が命令している。もちろん、間違いがないよう入出は名簿管理しているから、ラグエルの民を射抜くことはありえないがな」

 くぅの言うとおり、蘇芳の身体に刺さったのは毒矢で間違いないらしい。それを平然と告げるセピアの冷酷さに言葉が見つからない。

「この辺りは、このラグエルの民と水を奪いに来るチャオツの連中とで弾丸や武器を交えている。学者ならば知らぬわけではあるまい、十数年間に及んでいるこの抗争のことを」
「は? なに。じゃあ俺たちを、水を奪いに来たやつらだと、勝手に決めつけて、攻撃したっつーのか? こっちの事情とか、確認とか、なんもしねーで?」
「いちいち話などできない。最近は砦を越えて忍び込もうとする卑怯者も多いからな」

 顔色ひとつ変えぬセピアに腹が立ち、チッと大きく舌打ちをして視線を逸らす。

「ひとまずお前たちがチャオツの者でないらしいことはわかったし、今日の聞き取りはこれで終いにしておいてやる。明日からは正式な尋問に移るからそのつもりでいろ」
「ちょ、ちょっと待て。尋問って? こちとら誰かのせいで、手負いだっつーのに、これ以上なに、話さなきゃ、なんねーっつんだよ? こっちのが、教えてほしいわ」
「そのときに虚偽が判明した場合、猶予なく全員死罪と決まっているからそのつもりで臨め。いいな」
「いやいや、俺を手当てするときに、身ぐるみ剥いで全部調べて、マジでなにも持ってなかったの、わかったんじゃねーのかよ? じゃあこれ以上、説明することなんて、マジでねぇよっ」
「こちらには訊きたいことがある、だから尋問の場を設けている。特例は認められない。大体、疑わしい行動をとっていたお前だって悪いだろう」
「はぁ?」

 責任転嫁するようなその一言に、蘇芳の理性の糸がブチンと切れてしまった。セピアを酷く睨み返し、低い怒声を吐き捨てる。

「生憎ここがなんつー大陸で、なんつー国の、どんなとこなのかも全っ然わかんねぇんだよっ! なのに俺らが悪いだ? アンタ達のモノサシだけで判断してんじゃねぇよ、マジでただ歩いてただけだっつーの!」

 バン! と勢いよく、握った右拳を振り下ろし叩きつける。眼前に振り降ろされたそれにくぅがびくりと肩を震わせる。

「どんな事情だろうと、やっぱ矢で攻撃してきたことだって許せねぇ。俺が怪我したことも、それなりに腹立ってっけど……それより、ちょっと軌道、ずれてたら、コイツらに当たってたんだ。敵味方関係なく、もしあの毒、こんな小せぇ身体に当たってたらって、考えねーわけ? もしかしたら命、なかったかもしんねぇだろ。そんなこともわかんねぇのか! よくそんな周り見えてねぇのに頭首だなんて言えるなッ!」
「す、すぅちゃん」

 くぅのたしなめる声に、ハッと我に返る蘇芳。一瞥(いちべつ)したくぅの不安気な表情に、一方的な怒声に対し「ま、まぁ」と反省する。

「でも、医者を寄越して、手当てしてくれてることにだけは、感謝してる。くぅと夜さまに水、やってくれたり、外より涼しいとこに、置いてくれてることも、な」

 収監室だけど、という余計なひと言は呑み込んでおく。

「ハッキリ言うわ。俺たちはここの土地の人間じゃねぇ。まったく別の場所から、来た」
「完全に信じることは、まだ、できない」
「別にいい。アンタが俺たちを信じようが疑おうが、どうでもいい。アンタが俺たちを、疑ったり脅してくる、限り、俺たちだって、アンタを疑ってかかるし、脅しに屈したりしねぇ」

 眉を寄せたセピアはその薄い唇を引き結んだ。

「喧嘩ごしの姿勢、で、誰が親切に、協力してやろうと、するかよ。そういうのちゃんと、考えて、もし悪ィと思ってるから俺を手当て、してくれてんなら、そういう態度でこっちに、モノ訊いてこいよ。それが責任っつー、もんじゃねぇの?」

 右に大きく身を(よじ)って上半身を起こそうとする蘇芳。しかし傷口が痛んだため慎重を極めた。歯を喰いしばって耐えながら起こしゆくが、傍らのくぅに「ダメだよ」と諭される。

「ただ……はぁ。戦争中っ、なら……グッ、どんな人間でも疑いたくなる気持ち、ちょっとくらいなら理解、はできる。俺の故郷も、昔っ、戦争で、民間人も街も、めちゃめちゃにした歴史、あるから」

 痛めた箇所がどちらもジンワリと熱い。もしかしたら傷口が開いて血が滲んだのかもしれないと想像がはたらく。くぅの小さな手を借りながらどうにか上半身が起き上がると、強い視線で間近になったセピアを睨みつけた。

「どーしても尋問、するっつーなら、ハァ、傷がちゃんと回復したあとで、『俺だけは』付き合って、やる。コイツらは絶……絶対、巻き込むな。それが条件だ」
「…………」

 身の丈以上を言ってしまったかもしれないと省みる一方で、苦々しい感情が蘇芳の胸に渦を巻く。
 睨み合うも、セピアはそれきり何とも言わなくなってしまった。だがそうしていても進展しない。もう用事はないとばかりに蘇芳は視線を外し、身を横たえ直した。深い溜め息で目を閉じ、様子伺いをするくぅへ小さく「寝る」と告げる。

「しばらくはここに(こも)り、傷を癒せ。尋問だのなんだのは、ひとまずそれまで取っておく」

 ほどなくして、セピアは低くそう言った。そこに怒気や威圧はほぼない。
 目を開けた蘇芳がそっとセピアを目の端で見やると、かけていた椅子から音もなく離れ、やはり颯爽と長暖簾を潜り行くところであった。
 耳の円盤がたてたシャーンという涼やかな音が、しばらくの間収監室に残ったように蘇芳は感じていた。