迎えた朝は薄曇りであった。
引き続き当然のように朝餉が用意されたので、くぅと二人でありがたく箸を入れる。片付けは二人で分担し丁寧を極め、ほぼないに等しい身支度をして米屋の店舗土間へ向かった。
「それ着てくの?」
「うん、なんとなくな」
四畳半を出る間際で、撫子から渡された砥粉色の羽織に袖を通した蘇芳。羽織本来の着方をすると気持ちがスッと落ち着いた。
「『狭間』で消えちまうかな、これ」
「どうかなぁ。くぅたち、現地のひととこんなに関わったことなかったの。だからわかんないんだぁ」
「そっか。そういや『目立たねぇように』とか言ってたもんな?」
「ひとまず『ドア』開ける前に、夜さまに相談してみるといいよ。きっと汲んでくれるよ」
米屋の入口周辺に赴けば、そこに城下の商人がわらわらと集まっていた。なんでも蘇芳へ一言礼を言いたいと、早朝にもかかわらず大勢待っている。予想外の大がかりな見送りに、蘇芳とくぅは顔を見合わせた。
「俺、こんなされるほど大したことやってねぇよ」
「ブワハハハ、まぁた謙遜か!」
「こやつはこれだからいい」
「やー、別れ惜しいな、銀のおやっさんよ」
「仕方のないことだ。蘇芳は故郷の改善策を探し、知見を得るために流浪の旅をしているのだからな」
店の奥から出てきた銀次郎は、手に大きな包をひとつ持っている。前日に賜った瓶よりもひと回り大きい。
「蘇芳、これはここの皆からだ。遠慮なく持ってゆけ」
「いや、けど……」
困惑の蘇芳に終始向けられている銀次郎の朗らかな笑み。この場合の遠慮は却って失礼にあたるな、と『貰わない』精神を遂に折った。
「ありがとうございます。ありがたく頂戴します」
「ほれ、掛けてやるから背を向け」
風呂敷のような大判の一枚布いっぱいに多種多様の品々が詰め込まれているらしい。中身を改めずともわかるのは、長い道中の糧となるよう多くの町民から祈られている品が集まったということである。
背負わされた荷の重みは蘇芳の心の深くまでじわりと温めた。
「短い間でしたけど、ホントにお世話になりました」
「お世話になりましたぁ!」
銀次郎をはじめ城下の皆々へ深く頭を下げた蘇芳。それに倣うくぅ。
「そちらの旅の無事を、ワシらはずっと祈っておるぞ」
「達者でなぁ!」
「用心棒も大概にするのだぞっ」
たくさんの笑顔に見送られ、一歩一歩と踏み出していく。振り返っては手を振り振られを幾度か繰り返し、ある程度すると、くぅが「すぅちゃん」と声をかけた。「わぁってるよ」と低く相槌を返した蘇芳は、それきり前を向いた。
「このおみやげ見たらぁ、きっと夜さま、すーっごくびっくりしちゃうね!」
「かもな」
「この荷物の大きさが、すぅちゃんがこの町の人たちにとーっても優しくしたんだってこと、しっかり表してるね」
「……そう思っていいのかな」
「いいんだよ。人さまのお気持ちは、ありがたぁく受け取らなくっちゃぁ」
ほどなくして『ドア』のある空き地へたどり着く。夜さまが一人ポツンとそこに佇み二人を待っていた。
「夜さまぁ、おまたせぇ」
「うむ」
蘇芳らを振り返る夜さまは、まばたきをいくつか重ね目を丸くした。
「何事じゃ、すぅ。その荷は」
「なんか近所の人たちが|餞別にってくれた」
「ほう? まぁ、これもヌシの才能じゃな」
空を仰ぎ、三角の耳をヒクヒクとさせる。空気を読むような素振りは蘇芳にとって不可思議そのものである。
「さて、頃合いじゃ。これより『ドア』を潜る」
告げる夜さまの声は低く重い。緊張感でピリピリとした唇に気が付き、そっとひと舐めする。
「すぅよ。今一度言うておくが、ヌシを連れてきたのにはきちんと理由がある。儂でもくぅでも叶わん、ドアノブを回すヌシにしか成せん『役割』じゃ」
「役割?」
「然様。ヌシには行き先を選択する役割がある。それは儂にもくぅにも出来んことゆえ、ヌシが『想い』とし常に胸に抱いておかねばならんのじゃ」
無意識的にみずからの胸に手を当てがう。『会遇』が成った折に締め付けられた『気持ち』があるのはこの辺りである。
「ヌシの『想い』がなければ『ドア』は開かん。それを念頭にドアノブに手をかけるのじゃ。それがヌシの『役割』、つまり儂が『手伝ってくれ』と頼んだことよ」
「行き先は俺の『想い』次第なのか? この後も? ずっと?」
「然様。ヌシが心の底で真に強く願っとらなんだら先に進めんほどじゃ」
「な、なんかちょっと重責じみてんなーって思うの、俺だけ?」
「確かにそうやもしれんが、そのように構えて考えずともよい。この先儂らを待っておる事柄については常に前向きに思い描けばよいのじゃ。さすれば必ず幸多き道となるよって」
顎に手をやる。半端な考えでは『ドア』を潜れない。何を心に置くかが重要になっているのだと覚る。
「なぁ。この時代に来たときもそうだったんなら、そんときの俺の『想い』って――」
「『誰かを、ずっと前から捜してる気がする』」
くぅが割り入る。「だよね?」と首を傾げ蘇芳を見上ぐ。
「そーかもだけど、それならすんなり現代に飛ばされそうな気ィしねぇ?」
「『ドア』は数十年間隔で時代を巡っとるよって、いくらヌシの願いであれど近い時代に出ることは叶わなんだのやもしれん」
「システム都合ってやつ?」
「言うなればな。じゃてヌシを拾いし時代より一番近くとも、彼の者がまだ赤子か生を受けとらんか、もしくは既に成人しとるかのどちらかになってしまっとったじゃろうな。成人後の時代に出なんだということは、その時代の彼の者には『その願い』が当て嵌まらんということ」
「てことはぁ、すぅちゃんの時代の『ひとつ前』が、たまたまこの時代だったってことぉ?」
「したら俺が成人したあとならアイツとまた逢えるってことじゃね?」
「すべて『無事戻れたならば』の話じゃがの」
嬉々とした表情を、夜さまのひと睨みで潰される。「わかったよ」と苦い笑みで払う。
「大丈夫だよ、すぅちゃん」
砥粉色の羽織の裾をきゅんと引くくぅ。
「すぅちゃんの誰かを想う優しい心が、『ドア』を次の世界に繋げるんだよ。ね、夜さま」
「そうじゃな」
「優しい、って……」
そんな言葉、これまで言われたことがなかった。ただ一人を除いては。
旅の過程で、他にもそう言い始める者が出てきた。かつて喧嘩ばかりだった自身へ、寄り添い理解を示す言葉を改めてかけられると、やはり無性にくすぐったい。
背の荷が、短期間に受けた信頼を象徴している。無機物であるのに温かく思ったのは、大なり小なり関わりを持った人の『想い』そのものがため。
「俺、これから何回も間違うかもしんない。俺の願いが間違ってて、余計なとこに寄ることもあるかもしんない」
向けられた恩恵は、円環を成すように次へ返さなければならない。以前教わったその教えが、蘇芳の胸の内で淡く光って主張している。
「それでも二人の役にたてるように旅に集中すっからさ。わかんねーこと、やらなきゃなんねぇこと。しつこいくらい俺に言ってくんね? 俺に出来ることやってみようと思うから」
そうだよな、とみずからを鼓舞する。肩にかかっている一枚布をきつく握り、夜さまとくぅと順に目を合わせた。
「間違い、大いに結構。すべて意味のある渡航じゃて」
「そーそー! 頼りにしてるよ、すぅちゃん」
風が、砥粉色に染みた香を淡く吹き上げる。
「ではすぅ、『ドア』を開けよ」
「おう」
◆
ドアノブはひんやりとしている。回し押し開けると中からひやりとした風が足元を抜けていく。
くぅ、夜さま、そして蘇芳と『ドア』の中へ踏み進む。
一五〇〇年代の扉が、バタンと無機質に閉じられた。
◆ ◆ ◆
引き続き当然のように朝餉が用意されたので、くぅと二人でありがたく箸を入れる。片付けは二人で分担し丁寧を極め、ほぼないに等しい身支度をして米屋の店舗土間へ向かった。
「それ着てくの?」
「うん、なんとなくな」
四畳半を出る間際で、撫子から渡された砥粉色の羽織に袖を通した蘇芳。羽織本来の着方をすると気持ちがスッと落ち着いた。
「『狭間』で消えちまうかな、これ」
「どうかなぁ。くぅたち、現地のひととこんなに関わったことなかったの。だからわかんないんだぁ」
「そっか。そういや『目立たねぇように』とか言ってたもんな?」
「ひとまず『ドア』開ける前に、夜さまに相談してみるといいよ。きっと汲んでくれるよ」
米屋の入口周辺に赴けば、そこに城下の商人がわらわらと集まっていた。なんでも蘇芳へ一言礼を言いたいと、早朝にもかかわらず大勢待っている。予想外の大がかりな見送りに、蘇芳とくぅは顔を見合わせた。
「俺、こんなされるほど大したことやってねぇよ」
「ブワハハハ、まぁた謙遜か!」
「こやつはこれだからいい」
「やー、別れ惜しいな、銀のおやっさんよ」
「仕方のないことだ。蘇芳は故郷の改善策を探し、知見を得るために流浪の旅をしているのだからな」
店の奥から出てきた銀次郎は、手に大きな包をひとつ持っている。前日に賜った瓶よりもひと回り大きい。
「蘇芳、これはここの皆からだ。遠慮なく持ってゆけ」
「いや、けど……」
困惑の蘇芳に終始向けられている銀次郎の朗らかな笑み。この場合の遠慮は却って失礼にあたるな、と『貰わない』精神を遂に折った。
「ありがとうございます。ありがたく頂戴します」
「ほれ、掛けてやるから背を向け」
風呂敷のような大判の一枚布いっぱいに多種多様の品々が詰め込まれているらしい。中身を改めずともわかるのは、長い道中の糧となるよう多くの町民から祈られている品が集まったということである。
背負わされた荷の重みは蘇芳の心の深くまでじわりと温めた。
「短い間でしたけど、ホントにお世話になりました」
「お世話になりましたぁ!」
銀次郎をはじめ城下の皆々へ深く頭を下げた蘇芳。それに倣うくぅ。
「そちらの旅の無事を、ワシらはずっと祈っておるぞ」
「達者でなぁ!」
「用心棒も大概にするのだぞっ」
たくさんの笑顔に見送られ、一歩一歩と踏み出していく。振り返っては手を振り振られを幾度か繰り返し、ある程度すると、くぅが「すぅちゃん」と声をかけた。「わぁってるよ」と低く相槌を返した蘇芳は、それきり前を向いた。
「このおみやげ見たらぁ、きっと夜さま、すーっごくびっくりしちゃうね!」
「かもな」
「この荷物の大きさが、すぅちゃんがこの町の人たちにとーっても優しくしたんだってこと、しっかり表してるね」
「……そう思っていいのかな」
「いいんだよ。人さまのお気持ちは、ありがたぁく受け取らなくっちゃぁ」
ほどなくして『ドア』のある空き地へたどり着く。夜さまが一人ポツンとそこに佇み二人を待っていた。
「夜さまぁ、おまたせぇ」
「うむ」
蘇芳らを振り返る夜さまは、まばたきをいくつか重ね目を丸くした。
「何事じゃ、すぅ。その荷は」
「なんか近所の人たちが|餞別にってくれた」
「ほう? まぁ、これもヌシの才能じゃな」
空を仰ぎ、三角の耳をヒクヒクとさせる。空気を読むような素振りは蘇芳にとって不可思議そのものである。
「さて、頃合いじゃ。これより『ドア』を潜る」
告げる夜さまの声は低く重い。緊張感でピリピリとした唇に気が付き、そっとひと舐めする。
「すぅよ。今一度言うておくが、ヌシを連れてきたのにはきちんと理由がある。儂でもくぅでも叶わん、ドアノブを回すヌシにしか成せん『役割』じゃ」
「役割?」
「然様。ヌシには行き先を選択する役割がある。それは儂にもくぅにも出来んことゆえ、ヌシが『想い』とし常に胸に抱いておかねばならんのじゃ」
無意識的にみずからの胸に手を当てがう。『会遇』が成った折に締め付けられた『気持ち』があるのはこの辺りである。
「ヌシの『想い』がなければ『ドア』は開かん。それを念頭にドアノブに手をかけるのじゃ。それがヌシの『役割』、つまり儂が『手伝ってくれ』と頼んだことよ」
「行き先は俺の『想い』次第なのか? この後も? ずっと?」
「然様。ヌシが心の底で真に強く願っとらなんだら先に進めんほどじゃ」
「な、なんかちょっと重責じみてんなーって思うの、俺だけ?」
「確かにそうやもしれんが、そのように構えて考えずともよい。この先儂らを待っておる事柄については常に前向きに思い描けばよいのじゃ。さすれば必ず幸多き道となるよって」
顎に手をやる。半端な考えでは『ドア』を潜れない。何を心に置くかが重要になっているのだと覚る。
「なぁ。この時代に来たときもそうだったんなら、そんときの俺の『想い』って――」
「『誰かを、ずっと前から捜してる気がする』」
くぅが割り入る。「だよね?」と首を傾げ蘇芳を見上ぐ。
「そーかもだけど、それならすんなり現代に飛ばされそうな気ィしねぇ?」
「『ドア』は数十年間隔で時代を巡っとるよって、いくらヌシの願いであれど近い時代に出ることは叶わなんだのやもしれん」
「システム都合ってやつ?」
「言うなればな。じゃてヌシを拾いし時代より一番近くとも、彼の者がまだ赤子か生を受けとらんか、もしくは既に成人しとるかのどちらかになってしまっとったじゃろうな。成人後の時代に出なんだということは、その時代の彼の者には『その願い』が当て嵌まらんということ」
「てことはぁ、すぅちゃんの時代の『ひとつ前』が、たまたまこの時代だったってことぉ?」
「したら俺が成人したあとならアイツとまた逢えるってことじゃね?」
「すべて『無事戻れたならば』の話じゃがの」
嬉々とした表情を、夜さまのひと睨みで潰される。「わかったよ」と苦い笑みで払う。
「大丈夫だよ、すぅちゃん」
砥粉色の羽織の裾をきゅんと引くくぅ。
「すぅちゃんの誰かを想う優しい心が、『ドア』を次の世界に繋げるんだよ。ね、夜さま」
「そうじゃな」
「優しい、って……」
そんな言葉、これまで言われたことがなかった。ただ一人を除いては。
旅の過程で、他にもそう言い始める者が出てきた。かつて喧嘩ばかりだった自身へ、寄り添い理解を示す言葉を改めてかけられると、やはり無性にくすぐったい。
背の荷が、短期間に受けた信頼を象徴している。無機物であるのに温かく思ったのは、大なり小なり関わりを持った人の『想い』そのものがため。
「俺、これから何回も間違うかもしんない。俺の願いが間違ってて、余計なとこに寄ることもあるかもしんない」
向けられた恩恵は、円環を成すように次へ返さなければならない。以前教わったその教えが、蘇芳の胸の内で淡く光って主張している。
「それでも二人の役にたてるように旅に集中すっからさ。わかんねーこと、やらなきゃなんねぇこと。しつこいくらい俺に言ってくんね? 俺に出来ることやってみようと思うから」
そうだよな、とみずからを鼓舞する。肩にかかっている一枚布をきつく握り、夜さまとくぅと順に目を合わせた。
「間違い、大いに結構。すべて意味のある渡航じゃて」
「そーそー! 頼りにしてるよ、すぅちゃん」
風が、砥粉色に染みた香を淡く吹き上げる。
「ではすぅ、『ドア』を開けよ」
「おう」
◆
ドアノブはひんやりとしている。回し押し開けると中からひやりとした風が足元を抜けていく。
くぅ、夜さま、そして蘇芳と『ドア』の中へ踏み進む。
一五〇〇年代の扉が、バタンと無機質に閉じられた。
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