音をたてぬよう細心の注意を払い、蘇芳は米屋の勝手口から屋内へと戻った。店舗土間でソワソワしている銀次郎に今の表情を見られるわけにはいかない。赤くなってしまったかもしれない鼻を気にかけながら、先程まで彼女と並び座っていた縁側へ一目散に向かう。

「――話は終わったな」

 縁側にぽつんと置き放しになっていた荷を抱え上げたとき、不意にそう声が聴こえた。慌てて顔を上げ声の出どころをキョロキョロと探す。

「夜さま」

 蘇芳の三歩後ろの柱の脇からフラリと夜さまが現れた。音もなく四つ足で歩み寄ってくる様は実に身軽でしなやかで、勝手口から抜き足差し足をしていた自身とは大違いだと思った。

「そういやアンタ、今までどこにいた?」
「何を今更。ヌシらと離れることなく共におったわ」
「……へ? ず、ずっと?」
「然様。悪漢から逃げた後も、ヌシが彼の者から幾度も拳をその胸板に打たれていたときも、米屋に着いて屋敷に上がりどこで話をするかと迷っとるときも、結局この場で話をしておったときも、ヌシが勝手口から彼の者を連れ出したときも、そしてここに再度コソコソと戻ってきたときもな。儂はずっとずぅっと見ておったし聞いておったぞ。まぁ、離れた位置からではあったがの」

 蘇芳の行動を淡々と、そして惜しげもなく列挙し終えた夜さまは、前脚をググッと前へ伸ばし背骨を弓なりに逸らす伸びをした。「全部かよ」な蘇芳は照れ恥じらいでカアと首まで真っ赤にし、うろたえる。

「な、なんでコソコソ見てんだよっ。いや、堂々と見られても困っただろーけどさぁ」
「ゆえに繋がったぞ」
「あん?」

 会話内容が急に飛ぶ。「なんか前もやったな」とデジャブを感じ、呆れと怪訝が混ざった感情で訊き返す。

「繋がったって、何が?」
「『会遇』じゃ。『結合術』を無事施したよって」
「無事って……いやいや、決裂しちまったの見てただろ? サヨナラ言ってきたんだよな、今。だからどうしようかなって、俺むっちゃ考えてて……」
「それでよい。何も間違っとらん。彼の者との別離は起こるべくして起こったことじゃ」
「はあ? 何言ってんだよ、俺夜さまから言われたことちゃんと出来なかったんだぞ? ワリーなと思ってんのに、そんなあっさりすんなよ」
「なぜ気に病む必要がある。儂は一度たりとも、『会遇』のその後が重要であるなどと言うとらんじゃろ」

 二回重ねたまばたきで「確かに」と振り返る。

「もとより……まぁこれは何度も言うたことじゃが、ヌシがこの時代の彼の者と『繋がる』ことができさえすればよいのじゃ。この時代に出でし目的は『会遇』――つまりヌシと彼の者が出逢い、惹き合うこと。そして儂がそこへ『結合術』を施すこと。この二点のみが重要であった。ゆえに、これにてようやく先に進む準備が整ったというわけじゃ」
「……なんかまるで俺がフラれるの待ってたみてぇだな」
「そうではないが、結果としてそうならざるを得んかったことではあったかの。彼の者を『ドア』の旅路へは巻き込めなんだし、ヌシこそここで旅路を終えられては困るよって」
「困る、ねぇ」
「そもそもこの時代の彼の者は、先の光芳どのと結ばれることが魂レベルで決まっとった。じゃて、光芳どのと魂のカタチがほぼ同一のヌシに彼の者が惹かれるなど火を見るよりも明らかじゃったわ」

 サラリと告げられた情報に注意が向く。脳内で幾度となく繰り返すと、胸の奥がきつく絞まっていく心地をおぼえた。

「彼の者が『転生した先で』ヌシと確実に結ばれるために、儂はどうしても『結合術』を施さねばならんかった。今世は叶えども次世はわからん。儂が、『ドア』でこうして掻き乱してしまったやもしれなんだゆえ」
「夜さまなりに責任とった、っつーことだったんか」
「責任とまでは言えんが、まぁ、その……」

 煮えきらない返答は、夜さまが俯いたことで最後まで聞き取ることができずに終わる。「ともかく」と顔を上げた夜さまの双眸は、これまでなかった優しさや慈しみの色が加わっていた。

「『会遇』も『結合術』も成された今、この時代に残り続ける理由はもうない。ヌシも彼の者と別れを言い合ってこれたゆえ、これにてようやく『ドア』を潜ることが出来るというわけじゃ」
「いや、まだ潜んねーよ」
「ヌシ……まだそんなたわけたことを申すか。一体どれだけ儂らを待――」
「どうせならちゃんと挨拶してからにしねぇとってことっ」

 被せられる言葉に、夜さまは目を見開き口を閉ざした。

「夜さまにももうわかんだろ、俺が義理とおさねぇといられねー|性分タチだってこと」

 ガチャと音をたてて荷に視線を向けさせる。

「これおやっさんに渡しときてぇし、どうせなら今からこれ渡して明日の朝出てくって話ようかと思ってんの。だから別に、今更『ドア』潜りたくねーって駄々こねてるわけじゃねーよ」

 陽の差す中庭へ顔を向ける。

「早い話が、夜さまは『結合術』ってので俺とアイツの『次』を確実にしてくれた感じなんだろ? 次ってのは、俺が元の時代に戻った先のこと。だから俺はこの時代に執着しねーで、『ドア』でやっぱり元の時代に戻った方がいいんだな。そんで俺が元の時代に戻ったら、きっと夜さまのチカラが効いてきて、いずれアイツとまた逢えるんだ」

 蘇芳は感じたままを口にしながら、まるで活路が拓かれたかのように思えていた。目測がたつと、自身が何をすべきか図ることができる。すると気持ちまで落ち着きを取り戻し、知らぬ間に前を向けていた。

「ヌシ、突然物分りがよくなったの」
「正直まだ夜さまが話してることの大半はよくわかんねーままだけどな。くぅが言ってたみたいに、なんでもかんでも一気に訊きゃいいってことでもねぇ。俺あんま頭よくねーしさ」

 気分ではなかったが、自発的に口角を上げると肩の力を抜くいいきっかけとなった。笑って生きていけと言った手前、みずからにも当て嵌めねば対等ではない。

「わかんねーことも、モヤつくことも、解決してねぇことがあっても、この旅の中で今の俺に出来ることはアンタの言うことを信じるだけだなって。なんかそーゆーのすんげー身に沁みたからさ」

 渇いた風が屋敷に吹き込んでくる。

「あんがとな、夜さま。未来の俺に(エン)繋いでくれてさ」

 息を呑み、夜さまは数秒間固まった。ややあって「まったく」と小さく呟き、瞼を伏せる。その様は、陽光の加減で薄く笑んでいるように蘇芳には見えた。

「やはりヌシには敵わん」

        ◆

 間もなく店舗土間へ移動した蘇芳は、そこでソワソワしていた銀次郎に声をかけた。距離を空け、夜さまが様子を眺めている。

「そうか、そちまで行ってしまうのだな」
「はい。なんか全部が急ですんません」
「何を申すか、気にするでない。流浪とはそういうことじゃ」

 銀次郎は撫子が無事城へ戻ったとわかるなり、ヘナヘナとそこに座り込んでしまった。蘇芳が肩を貸しなんとか立たせ、店舗内の小上がりに座らせたところで話を切り出した。

「そんで、さっき乾物屋の女将さんたちから『お礼』っつって、こーいうの貰ったんです」

 小上がりに置いた荷をズイと銀次郎へ差し出す。

「ほお、またなにやら効果そうな包だの」
「中身まだ確認してねーんですけど、正直俺が貰っても身に余るだろうなって。だから、俺らに食事と寝床くれてるおやっさんにお渡ししようかなって思ったんです」
「何を申すか、ワシは姫さまからのお言い付けを守ったにすぎん。何が身に余ろう、堂々とそちが持て。旅をする上で必要になるやもしれんぞ」
「けど、世話になったの俺一人じゃねーですし。それも踏まえて三日分のお礼代わりに、ぜひ受け取ってください」
「うーん……では共に中身を確認するとしよう。それで、欲しいものは優先的にそちが持てばよい」

 な? と首肯を求められ、遠慮がちに「はい」と返す。丁寧に荷解きをする銀次郎の手元を、近寄ってきた夜さまも共に見ていた。

「おお、なんとまた」

 巻物のようになった高価そうな反物が数本、半円型の櫛や玉飾りの付いたかんざし、そしてあのお調子者夫婦が入れてくれたであろう乾物の数々。それらが小さな焼き物の(カメ)に入れてあった。「重みのほとんどは瓶だったのか」と蘇芳は視界でとらえてやっと腑に落ちる。
 玉飾りの付いたかんざしを何気なく手にし、羽織の代わりにこういうものを彼女に手渡すことだってできたかもしれないとよぎる。くるりとひと回しし、しかし元に戻す。
 乾物を手に銀次郎が「せっかくならこれは夕餉に出そうな」と朗らかに笑んだので、蘇芳は迷いを払拭し、深々と頭を下げた。


   ◆   ◆   ◆

 誰かを、ずっと前から捜している気がする。
 眠りに落ちる前にいつもふと思い浮かべる誰かを、ずっと。
 ぼんやりと形になって見えるその人は、淡い暖色を纏っている。
「蘇芳──」
 そんな誰かを、これからもずっと捜していく気がする。

   ◆   ◆   ◆