撫子に合わせゆったりと歩み進む。未だ引きずり癖の残る脚は、これでもいくらか快復に向かっているらしい。
 町の些細な様子と人々の賑わいを眺めながら、撫子は小袖の奥で笑顔であった。

「この城下は活気に満ちている。良い活気がな。だが、本当は皆生活が苦しいはずだ。先のような人攫いがいるのも、その日の寝床や食うものにも困っている何よりの証拠であろう」
「じゃあ、この前銀次郎のおやっさんのとこに入った盗人も?」
「そうだ。思い出せ蘇芳。一様に皆、酷く痩せていやしないか」

 そういえば、と思わなくもない。
 先の人攫いが三対一であるのにあっけなく伸びてしまったことも、米屋で盗みを働いた男の捻り上げた腕が骨張った感触であったことも、乾物屋の前でいざこざを起こした男が過度に苛々していた様も――いずれも寝食に困窮しているのであれば納得がいく。明日を不安に夜を過ごさねばならない日々は人々の心をさもしいものにしていくのであろうか。蘇芳は眉間を詰めた。

「お互い悩ましい故郷だな。俺んとこは鉄造ってるお陰で空気悪ィし、ここは貧困で治安悪ィし」
「だが私の場合、私が嫁ぐことで貧困から城下の民を救い出せると考えている。私が嫁入りを受けた一番の理由はそれだ」
「そんな理由……撫子はマジでそれでいいのかよ? さっきも訊いたけど、アンタ自身の幸せとかは無視なのか?」
「私の幸せは、この城下が安泰であることだ。姫はもはや私しか居ない。姫にしか成し得ぬことなら、どんなことであろうと国のために成し遂げねばならない。でなくば望む安寧は叶わない」

 反射的に同じことを繰り返す彼女と目が合わない。歩き始めてからの撫子は蘇芳を向かない。自己犠牲をなんとも思わない彼女の思考に歯痒さをおぼえ、チッとひとつ舌打ちをした。

「じゃあなんでそんなキツそーなの」
「……なにを申す」
「ホントは嫌なんじゃねぇの? 嫁にいくの」
「そっ、そんなことは」
「もっと他の方法取れねーわけ? たんに一番簡単な方法で済まそうとしてんじゃねーのかよ」
「姉上たちもそうしたのだ。お二人がこの町を戦なき商業の町にそれぞれしてくださったゆえ、私も後に続くだけだ」
「それでも(ほころ)びが出てきてんだろ? だからまた治安悪くなってきてるし、最後まで城に残ってたアンタまで駆り出されなきゃなんなくなってんじゃん」
「私はっ!」

 足を止めた撫子はキッと蘇芳を睨む。

「賜わりし機を有効に使い、しかとこの国を護りたいだけだ!」

 その黒々とした両の目には、涙粒が揺れていた。
 まさかここまで強く怒気を向けられるとは思っていなかったので、蘇芳は一気に冷静さを取り戻した。

「私一人の身の置き場で安寧がもたらされるのなら、本当にそれでよいっ。争いや貧困がない町になれば、民は平和を謳歌できる。そのときに、たとえ国の(おさ)や名が変わろうとも、たとえ城下の誰も彼もが、私のことなど覚えていなくともっ、ここに住まう皆がずっと変わらず平穏に暮らしゆけるのであれば、私はそれだけで本望なのだ!」

 辺りへも意識が拡がると、往来する人の目が好奇のそれに映っていると気が付いてしまう。その一方で、目の前の撫子はひとつ、もうひとつと涙をその白い頬に転がしていた。胸の前で交差させた手は、変わらず襟を固く掴んでいる。

「目的を……使命を持って臨めば、たとえなにも知らぬままであれど怖くないと思って……そう思って、やっとのことで、心を決めたのに」
「撫子、ここじゃ人の目があ――」
「そなたが悪いっ!」

 ドン、と胸板を一打される蘇芳。強くもないがか弱くもないその拳の甲には、いくつか涙が落ちた跡があった。

「一昨日は、私がようやく、返事をした矢先だったのだっ。その決心を揺るがすように、私が夢見ていたことをそなたが簡単に行うからっ。私だけでは思いつかなかった革新的なものの見方までたやすく発案するし――」

 抱えている荷の上を、ドンドンと幾度も打撃する撫子。

「――いったい私がどれだけ永い間、独りで悩んでいたと思っているのだ!」
「わかった、ゴメン。焚き付けるようなことばっか言ったな、俺」

 堪らなくなり、そっと撫子の右肩に触れた。じりじりと彼女を自分から引き剥がしながら小さく告げる。

「さすがにこんなとこじゃゆっくり話せねぇしさ。ちょっとおやっさんとこ行こ」
「…………」

 雑踏の中でも聞こえたであろうか。撫子は俯いたまま、なにとも言わなかった。蘇芳も、その顔をわざわざ覗こうとはしない。代わりにスルリと彼女の右手を柔くさらい、人目につかぬよう庇いながら銀次郎の米屋を言葉なく目指し進む。
 スンスンと鼻を啜る音が聞こえていたのも始めのうちで、道中の撫子はとても静かであった。やがて米屋へ着くと蘇芳の手をほどき、まるでパーカーのフードを目深に被るかのように、また両手で砥粉色の襟を固く掴んだ。
 米屋の店舗土間に蘇芳から「ただいま」と立ち入る。その背に隠していた連れの姿を見つけた銀次郎は、何事かと目を丸くした。

「突然すまない、銀次郎」

 蘇芳が説明するよりも早く、撫子は被っていた羽織をスルリと外して肩に引っ掛け、申し訳なさそうに笑む。

「ひっ、姫さま?! ど、どうしてこんなとこに……」
「城の近くで悪漢に襲われかけたところを、たまたま蘇芳に救われた。それでもしつこく追われたので、ひとまずこちらへ逃げてきた。撒いたとは思うが、そなたまで巻き込んですまない」
「いやぁ、ワシは構わんのですがな。それより、お一人で城からお出になっとったんで?」
「そなたにどうしても挨拶に来たかった。二日後、嫁ぎ先へ発つことになったから」

 蘇芳が目を伏せ奥歯を噛む傍らで、銀次郎はふにゃりと脱力するように顔を崩した。

「……さいでしたか。確か、光芳(みつよし)さまでいらっしゃいましたかな」

 静かでどこか控えめな問いかけに、撫子も小さく首肯する。

「彼のお方は、恩情にあつい方と聞き及んでおります。姫さまともお年も(ちこ)うとのことですし、きっと……きっと案ずることはございませんでしょうや」
「……ああ」

 かすれ声の銀次郎は、鼻をいくらかぐしゅぐしゅと擦り「いかんな」と背を向けた。どうやら涙ぐんだか、顔を見られまいとしているらしいと(さと)る。

「蘇芳、しばしワシが外の様子を見とるよって、ひとまず姫さまを奥へお通しさしあげてくれんか」
「は、はい」

 蘇芳の首肯に続けて、撫子は「かたじけない」と同じように声をかすれさせていた。