早足、小走りと速度を上げ、やがて短距離走になる。夜さまは気配を察知しているらしく、駆ける蘇芳を先導していく。
 砂埃を立て止まった先は、城壁そばの人気(ひとけ)のない細い丁字路。そこで、ヒョロガリで小汚い男三人が見覚えのある砥粉色の羽織を囲っている光景を目撃した。

「や、やめ――モガガ」
「チッ、大人しくしやがれ!」

 息を呑み、目が見開く。カアと頭に血がのぼった蘇芳は、抱えていた荷をトンと地に置き、羽織の主の白い細腕を乱暴に引いている男めがけて、体勢低く疾走した。

「すぅ!」

 静止を込めた夜さまの呼びかけは蘇芳の耳には届かない。声を上げぬまま奴らへ近付き、力任せに左脚で男の一人を蹴り飛ばす。

「ぐォアッ!」

 蹴られた男は右半身を丁字路突き当りの城壁にゴンと強く打ち付けた。ザリザリと細い音を立てて崩れ落ちる。

「う、ぐ……」

 蘇芳以外のその場の全員が状況把握もままならず、全員に等しく数秒間の隙が生まれた。その間に砥粉色の羽織の主の身を優しく浚い「逃げな」と小さく告げる。

「なっ、なンだテメェ!」
「クソッ。オレたちの仕事の邪魔してんじゃあねーぜ!」

 逃した彼女の走り去る音を背で聞く。二対一の陣形になったところで深呼吸をひとつ。

「アンタら人攫いか。ったく、アイツ相手にくだらねーことしやがって。身の程わきまえろっつの」

 初めに蹴り飛ばした男もヨロヨロと立ち上がる。改めて三対一だ。

「邪魔だてするってことは、つまりはわかってんだろーなぁ? おん?」
「知らねーよ、この時代のルールなんざちぃーっともわかんねーな」

 膝を曲げ、わずかに前かがみになる。視線は絶対に外さない。ザリ、と蘇芳の右脚が砂土を強く踏んだところで、手始めに手負いの男へもう一発入れ込まんと駆け出した。
 今度はしっかり反撃の拳が向かってくるので、しかしなんなく右手で叩き落とし、代わりに左拳を相手の下顎に打ち込む。これは利き手ではないため、利き手のそれよりも威力は多少落ちている。
 それでも食らった男は目を回し、ゴボゴボと泡か唾液を吐きながらその場に倒れた。予想外な決まり方に「あれっ」と目を丸くする。

「なんか、あっけなくね?」

 そう漏らしたのも束の間、左側から残りの二人が雄叫びながらかかってくる。

「げっ!」

 奴らは腰に差していたであろう脇差を抜いていた。それを無遠慮に振り被る様は両名とも殺気を帯びており、蘇芳の血の気はサアと引く。

「ム、ムリムリ、刃物はムリ!」

 情けなさ満点の独り言を吐きながら、荒々しい太刀筋を直感のみで見極め避けていく蘇芳。視界の端に研がれた刃物のギラリと光る様を見てしまうと、さすがに肝が冷えた。自身の頭が相手のみぞおちの高さにくるよう体勢を低くとり、二本の刃を危うさ満点ながらもどうにかかわしていった。
 一様に翻り、それぞれに構えの体勢を改める。

「ズリーぞ、刃物使いやがってっ。丸腰相手に恥ずかしくねーのかアンタら!」
「キサマ、妖しげな動きをしくさってからにッ」
「ワシらに歯向かえばどうなるか、思い知らせてくれる!」

 対峙(たいじ)した一人が刃を蘇芳の眼前へ突いてくる。ギリギリで右へかわし、脇差を握る相手の手首を膝蹴り。すると脇差はガランガランと音を立てて地に落ちた。
 武器がなければ得意の肉弾戦に持ち込める。慌てて脇差を明後日の方向へ蹴り飛ばし、拾えなくした。しかしその一瞬の間に下腹部を蹴られ、あえなく距離をとる。

「イツツ……仕事しろよな、俺の腹筋」

 入れ替わるようにして、今度はもう一人が再び雄叫びを上げ向かってくる。手には脇差。後ずさりするも尻もちをついてしまった蘇芳は、立ち上がる陰で咄嗟に小石をいくつか拾い投擲(とうてき)に転じた。特段当たるなどとは思っていなかったものの、反して小石は脇差しを振るう男らの右手の甲と左頬に直撃。鈍い音と、くぐもった声がふたつあがる。

「あ、当たっちゃった」

 (ひる)んだ隙から臨戦態勢に戻るまでに要した時間は、蘇芳のほうが短く済んだ。すぐさま駆け出し奴らの後方へまわり、脇差を握っている方へタックルをかます。押し倒した身体の脇腹を蹴り飛ばすと、間もなくゴロゴロと転がるさなかに手から刃が離れた。

「はぁ、はぁ、クソッ。治安悪すぎだろマジで」

 肩で息をし、冷や汗を拭う。奴らに刃を拾われ改めて向かってこられても困ると考え、蘇芳は砥粉色の羽織の主と夜さまの姿を探す。建物の壁に沿うようにしてひっそりと立っていた彼女を見つけ、一目散に駆け出した。その過程で置きっぱなしにしていた荷を拾い、右腕に抱える。

「逃げるぞ、走れる?!」
「えっ、ああ!」

 隣までやってきてすぐ、無意識的に彼女の右手を取り更に走る。後方から奴らの騒ぐ声や追ってくる足音が聞こえたが、振り返ることなく、ただ来た道を戻るようにがむしゃらに駆けていく。

「どこへ、向かうのだ!」
「とりあえず、ハア、人混みに紛れとけばっ、いいかなって!」

 充分に人の目がある通りに出たところで周辺の安全を確認し、邪魔にならなさそうな壁にもたれた二人。往来を視界に入れながら蘇芳はズリズリとその場にしゃがんでしまった。足元の夜さまが「巻いたようじゃぞ」と小声で告げれば、蘇芳はようやく頬を緩ませ、抱えた荷を股の間に置いた。

「なんとかなったみてぇだな。ハァー、びっくりした」
「すまない。こんなことにまでそなたを巻き込んでしまった」
「あは、今更。つーかそもそも人攫いなんかするほうがワリーんだから、アンタは謝る必要ないっしょ」

 左を見上ぐ。被った羽織は、見上げられると目隠しにはなっていない。おかげで羽織の中で不安気に眉を寄せた撫子を見ることができ、蘇芳は安堵し立ち上がった。

「むしろ平気? なんか変なことされてねぇ?」
「多少腕を引かれたが痛みもない。身体を弄ばれたわけでもないし、このくらいなんともない」

 撫子の手の甲が羽織を更に持ち上げると、着衣の袖が重力に従って下がる。するとわざわざめくらずとも手首や前腕が見え、確かに彼女の言うとおり痣や傷などは見当たらなかった。指先や肩などが震えているわけでもなければ恐怖に怯えた表情もしていない。『ひとまずは』大事にいたらず済んだと理解し、蘇芳は「そっか」と目尻を細めた。

「助けに来てくれたのが蘇芳で驚いた」
「俺もビビった。強引に腕引かれてるの見て、マジで肝冷えたし」
「だが、蘇芳だったから嬉しかったことも事実だ」

 視線がかち合う。淡く期待をしてしまう。

「身を(てい)し救ってくれて、ありがとう」

 ほわりと甘い笑み。それは桃色の気配。蘇芳はぐっと生唾を呑み、辿々しい相槌で返答する。

「そ、そそ、そーだ。き、昨日言ってた茶色い一枚板のことだけど――」
「すまない。散々探してみたが、やはり城の中では見つからなんだ」

 慌てる蘇芳をよそに、言葉を被せ伏し目になる撫子。申し訳なさそうな様は、まるで撫子が悪いかのように見えてしまう。

「いやいやいーの、謝んなくてダイジョブ! そんな申し訳なさそうにすんなよ」
「し、しかし」
「ちゃんと見つかったんだ。くぅ――いや、『妹』が見つけたってついさっき聞いてよ。だから、もう平気だって言いたかったんだ。どーもな」
「そうか、そうであったのか。あぁ、よかったな蘇芳。お手柄な妹御をよく褒めてやらねばならんぞ」

 安堵の声色でそう言った撫子は、顔つきが優しく穏やかに変わった。それに想い浸る一方で、蘇芳の脳裏には満面の笑みに両手でピースサインを作って(いや)しく笑うくぅが見えている。「チクショー、アイツめ」と心内でその像をはたき散らした。

「ていうか撫子も、随分早く城から出てきたんだな?」
「あぁ、急に夕刻に予定が入ったのだ。約束よりも少し早いことはわかっていたのだが、いましかないと思い慌てて城を抜け出した」
「そうだったんか」
「早くそなたに伝えねばと、不思議とそればかりが頭にあってな。もしも会えなんだら銀次郎の店まで向かおうかとも考えていたのだぞ」
「んなことしたら城抜け出してることバレんだろ」
「まぁ……正直なところ、それはもうよいのだ。今日を限りに、この隠しごとは(しま)いになる」

 そう言いつつも、しかし頑なに羽織は被ったまま。「どういうことだよ?」と怪訝に見つめ返すと、撫子は伏せた目を開き、通りの人混みへ視線を投げた。

「明後日には、嫁いでしまうからな」
「え?」
「日取りが早まったのだ。ゆえに、城下を歩くのもこれが最後となった」

 ズキン、と胸の奥に激震がはしる。左頬の痙攣を認識した蘇芳はぎこちない笑みで訊ね返す。

「とつ、嫁ぐ? 誰が? どこに?」
「隣国の若君のもとへ、私は嫁ぐ。これは数か月前から決まっていた」
「そん、な……」
「あとは私が意を決すだけだった。この前ようやく意志が固まったから、返事をした。いたずらにお待たせしても仕方がないしな」

 砥粉色の羽織が風に柔くはためく。撫子の横顔が隠れ、表情が読めなくなる。

「撫子は、それで幸せなのかよ」

 訊いてしまってから、いかに時代錯誤の問いかけかと自嘲する。撫子は蘇芳を向かない。通りに視線を留めたまま、説明するように口を開く。

「私は、私にしか成し得ぬことをするために姫であるのだと考えている。殿である父上のご意向や、この城下の安寧(あんねい)を想い、私みずからが他国との架け橋になるのだ。そうすることで、必ずやこの城下が平和に保たれる。それが、この小国に唯一残りし『姫』である私が婚礼によって成し得ねばならぬことなのだ」

 毅然(きぜん)とした話口調は、初めて城で見たときの彼女の姿と同じであった。なんと強い責任感、なんと(かたく)なな意思か。蘇芳は言葉を失った。
 そもそもとして、現代人との価値基準が違っている。蘇芳にしてみれば、撫子の意思を理解はできても到底納得がいかないと思えた。「幸せか」と問うたのに、その答えをストレートに返してこなかったことがもっとも引っかかりを生んでいる。

「兄上たちがご存命の頃は、どんなときでも自分の気持ちに正直でいたいと考えていた。兄上たちも、我が道を行く私を許してくれた。だが度重なる戦で一人死に、また一人死に……世継ぎが絶えたゆえ、二人の姉上らがこの国の和平のために嫁いでいった。最後に私だけが、父上とともにこの国に残っていた」

 徐々に俯いていく砥粉色の羽織。声もこころなしか小さく細くなり震えていく。

「きょうだいが誰もいなくなって初めてわかった。国や民の命の重さと比べたとき、たった一人の女の願望なぞを押し通してはならぬのだ。そのようなこと、わざわざ口にせずとも、姉上たちは幼き頃よりわかっていらっしゃったのだ。私だけが何も見ておらなんだだけで、本当は……」

 姫の役割を一身に担い、理想であり続けようともがく様が、蘇芳にはなぜだか痛々しく思えてならなかった。自己主張を重んじてはいない時代背景もまた、『現代との違い』として重苦しく感じる点であったためかもしれない。撫子という一人の女性の気持ちと、一国の姫であるがゆえの重責が、彼女を永く板挟みにしている。それを知ったところで、蘇芳はなにもしてやれない。

「蘇芳、私が城下を歩くときは護衛をしてくれるのであろう」
「あ? ま、まぁ」
「奴らをまだ撒ききれていないかもしれない。だから、しばし護衛を頼む」

 鼻をスンと啜ったあとで、努めて明るく撫子は言った。胸の前で交差させた細腕が砥粉色の衿部分を握り、パッと翻って、困惑の渦中におかれた蘇芳をようやく向く。

「最後の城下の見廻りをしたいのだ。私の大切なこの町を強く記憶に留めておくためにも、頼まれてくれるか」

 被っていた羽織がわずかに後ろへ下がり、同時にあらわになったのはなんとも哀しげで、それでいて温かみのある微笑であった。泣き出してしまいそうな少女のように見える一方、独り凛々しく敢然と立ち向かう大人の女性にも見える。

「撫子……」

 彼女から(あふれ)る愛おしさと痛々しさを見ていられずに、蘇芳は思わず抱き潰してしまいたくなる。しかし。

「ありがとうな、蘇芳」
「…………」

 目先のことやみずからのことしか見えていなかった実状を思い知り、眼前の彼女に不釣り合いであると覚る。加えて、彼女が二日後には嫁ぎゆく身であることを思い返し渋面を深くした。
 掠れた声で「別に」と呟けば、撫子は弱く笑んだ。沸きたっていた欲を懸命に(こら)えるため、蘇芳は静かに固く拳を握った。