静かに歩み進む夜さまは、音も砂埃もたてることなく人と人の合間を行く。見失わぬように集中していた蘇芳は、気がつくとハアハアと小走りになっていた。そうしていくつかの角や狭い小路を左に右に曲がり進めば、もう帰り道などわからなくなってしまった。

「着いたぞ」

 立ち止まった夜さまが半身を振り返る。辿り着いたのは、建物と建物の間のまるで偶然できたような一坪に充たない空き地であった。そこで目の前にあったものを見て、蘇芳は息を呑んだ。

「え、『ドア』?!」

 まるで板状チョコレートのような形状。
 左側に黒色の丸ノブ。
 高さはおおよそ二メートル二〇センチ。
 幅は大人が二人並んで通れる程度――不可思議な妖しさに充ちた『ドア』は、見ているだけで手汗が滲むほどの存在感がある。時代錯誤による異質さは、『狭間』で見たときの『ドア』とはどこか違う雰囲気を纏っているように蘇芳には見えた。

「あーっ、すぅちゃん!」

 その前に膝を立て座り込んでいる人影がひとつ。『ドア』を背にしたくぅであった。蘇芳と夜さまを見て立ち上がり、三歩で駆け寄ってくる。

「な、なんでくぅがここに」
「わぁ! どーしたのその荷物?」
「いやまぁ、ちょっとな。礼の品っつって貰ったんだよ」
「ふぅん、すぅちゃんえらいえらい! ねぇ夜さまぁ、寝に戻ったんじゃなかったのぉ?」
「『成った』ことがわかったゆえ、すぅに話をせねばならんと思うてな。ここならばよそ者に聞かれる心配もないゆえ話もしやすかろ」

 そっかぁ、といつもの笑みで納得を向けるくぅ。

「つーか、こんなとこでなにやってたんだ。『ドア』見つけたんならさっさと言いに来ればいいだろーが。俺一人でずっと探しててバカみてぇだろーが」
「違うもぉん。別に今日さっきこの『ドア』見つけたわけじゃないもん」
「じゃあいつ見つけたんだよ?」
「初日には見つけとったわ」

 あっさりとそう言ってのける夜さま。思い遣りの見えない|白眼視に焦燥と苛立ちが湧き「はあ?」と鼻筋にシワを寄せる。

「ゆえに儂らはいままで交代で(モリ)をしとったんじゃ」
「うんうんっ。昼間はくぅが、陽が落ちてからは夜さまがって感じでね、交代交代で『ドア』の前に座って、しっかり門番してたんだよっ」
「なんでそ――」
「だからほら、すぅちゃん。とりあえずこっちおいでよぉ」

 反論の言葉をかけるより早く、くぅにグイグイと小袖を引かれ数歩歩かされる。抱えた荷がガチガチと揺れ、慌ててかかとで踏ん張りを利かせた。

「バッ、やめろ、話の決着ついてねーのに『ドア』潜れるかよ!」
「やだなぁ、やんなきゃいけないこと終わってないのに『ドア』潜ったりしないよぉ。こっち来ておしゃべりしよ? ってだけだもん」

 騙しうちが過ぎったが、過剰認識だったとわかりひとまず胸を撫でおろす。三人が三点で向き合うと、くぅは蘇芳の腕を離し、夜さまはその場へ腰を下ろした。

「さて。まずはこの旅の目的が複数あることを言うとかねばならんな」

 中性的な夜さまの声がスゥと落ち着き払う。先程、雑踏の中だというのにはっきりと耳に届いたあの声色である。
 複数、となぞり呟くと夜さまは小さく首肯した。

「その目的のひとつに、『蘇芳と彼の者を引き合わせ、繋ぐこと』があるのじゃ」

 蘇芳は口を「は?」の形にあんぐりと開いた。

「それがすぅちゃんの『会遇』なのぉ?」
「然様。この時代ではそれが最たる『成すべきこと』じゃ」
「じゃあ、その『成すべきこと』が終わんねーと『ドア』潜っても意味ないっつーことな?」

 くぅは夜さまからあらかじめ知らされていたのであろう、満足そうに笑み「うんうん」と大きな首肯を蘇芳へ向けた。

「儂には、若さと体力とそれなりの知力がある『蘇芳』と、転生前かつ無垢な『彼の者の魂』を引き合わせ繋いでおく、重要な役割があった。これは、わざわざヌシを浚ってでも確実に施してやらねばならぬ最初の事柄なのじゃ」
「え、転っ、転生?」

 まばたき多くしどろもどろに訊き返す。

「ちょ、よくわかってねーんだけど。転生ってなに、どういうこと?」
「言葉のままよ。彼の者の魂は幾度か転生するよって、次世での出逢いが円滑にいくよう『結合術』を施しておかねばならん」

 やはり夜さまの現実離れした発言は、理解だけはできども納得がいくとは言い難い。なにを訊ね、なにを鵜呑みにすべきかから迷ってしまう。
 二の句に迷い渋面をつくる蘇芳。構うことなく夜さまは続ける。

「『会遇』が成ったかと問うたのはそれがためじゃ。しかし未だきちんと繋げられとらんゆえ、後ほどヌシが彼の者と密会する折に施しておこうかとな」
「密会って言うな。つーか、だからそんときに俺に着いてくるって話だったのか」
「うむ。くどいようじゃが、ヌシの『会遇』は重要で、神聖で、失敗は許されん。じゃてこの時代ではヌシが『会遇』にのみ注力できるよう、儂らは余計なことは言わず、水面下で動いておったんじゃ」
「そーそー。すぅちゃんが余計な心配しなくていいように、くぅたちがすぅちゃんよりも早く『ドア』のこと探して、誰も入れないように見張ってたってわけ」
「代わりにヌシは相当やきもきしとったようじゃがな」
「そりゃそーだろ。勝手にタイムスリップさせられて、いろんなこともよくわかんねーのにたんまりと隠しごとされてんだぞ? バカみたいにのほほんとできるわけねーっつーの」
「まぁ、それもそうじゃな」
「よかったねぇ、のほほんとしてられるほどバカじゃなくて!」

 くぅの満面の笑みにキッと睨みを刺す蘇芳。案の定効果はない。

「けどよ、なんで見張りなんかやってたわけ? 俺らがいねぇとどのみち繋がんねぇんだろ? あるだけなら無害じゃねーの?」
「『繋がらん』だけで『開かん』わけではない。万が一関係のない者が『ドア』を開けば、否応なしに『狭間』に飛ばされる。出口は無い。言うたであろう? 『狭間』にて死ねぬまま生き留まる、と」

 その低い声につられて、初めて夜さまと『狭間』で話をした時のことを思い出した。あれか、と顔を歪めた蘇芳の背筋にザアと怖気(おぞけ)が走る。

「それにぃ、他の人が勝手に潜っちゃったら、三人ともこの時代に取り残されちゃうしねぇ」
「あ、そっか。『ドア』って人呑み込んだら勝手に消えるんだっけ」

 ますますヤバいモンじゃねーか、と抱いていた荷をきつく締める。蘇芳の想定よりもはるかに大事(おおごと)であると知り身体がこわばった。

「次に、儂らのサガシモノについて言うとかねばならんな」

 瞼を上げるくぅ。夜さまの黒く(つや)めく細長い尻尾がシュルリとうねる。

「儂もくぅも、ヌシ同様『会遇』を目的としとる。『ドア』を探し元の時代へと戻ることはこの旅の大前提であり、本来の目的は個々の『会遇』なのじゃ」
「……また会遇か」

 前日の夕刻にくぅが言っていたことを薄く思い出す。『毎日眠る前に少しだけぼんやりと見えるその人を見つけたい。そのために旅をしている』という話であった。それぞれが『ドア』を潜り行く先で出逢う誰かと、それぞれが魂を繋がれなければならないのだろうか。

「じゃがヌシとは違い、儂らは魂を繋いでおくという作業はない」
「え、そーなのぉ?」

 キョトンと訊ね返したくぅを見て「知らないことがあるのはくぅも同じか」とひっそり安堵する。

「儂らは『誰か』を連れ帰るために捜しておる。ゆえに捜し者(サガシモノ)じゃ」
「連れ帰るため」
「夜さまも『人を』捜してんのかよ? 同族の猫じゃなくて?」
「うむ、そのようじゃ」
「いや、なんでそこ曖昧なわけ」
「儂にも未だわからんことがあるよって」

 返答の仕方から、どうやらこれまでのはぐらかしとは違う雰囲気を察知し、蘇芳はふぅんと打った相槌で視線を逸した。冗談で和ませられるような話題ではない、と首の後ろへ手をやる。

「あーあ。くぅが捜してる人ってどんなひとなのかなぁ。どこで逢えるのかなぁ」
「ちょっともわかんねーのかよ? くぅは自分で着いてきたんだろ?」
「うぅーん、そうなんだけどぉ……」

 歯切れ悪い語尾で夜さまを一瞥するも、表情はやはり変わらない。

「言うたじゃろ、この件に関して儂はなにひとつ教えてやれん。みずからがすべてを思い出すまで旅を続けるのみ」
「うん、わかってる。……ごめんね夜さま」

 静かなやりとりは、どこか悲愴が染みている。蘇芳はただ言葉を呑み眉間を寄せることしかできない。

「話は以上じゃ。大したことは話せなんだが、次の『ドア』を潜った先ならばいまよりもう少し話せることも増えよう」
「それさ、夜さまが頃合い見計らってんの?」
「まぁ、そうじゃの。いまのところはそう思っておれ」
「言ったでしょ、すぅちゃん。一気にいろんなこと聞くと、頭パァンてなるってばぁ」
「へぇへぇわかりやしたよ。ほどほどにしときますよ」

 腕の荷を一度ガチャリと音を立て抱え直し、首をポキポキと鳴らした。

「夕刻にはくぅを米屋へ戻すよって、それまで儂はすぅに着いてゆくでな。約束までの間に荷を置きに米屋へ戻るといい」
「俺、マジでちょっとも見張りやんなくていいのかよ?」
「もーっ、なんも話聞いてなかったの?! すぅちゃんは『会遇』に集中しなきゃなんだからぁ、この時代の『ドア』のことはくぅと夜さまに任せなさいっ」

 練りたてのパン生地のような頬をぷぅと膨らませるくぅ。夜さまの薄いアメジストのような双眸も同意を訴えているようで、蘇芳はタジタジと「わ、わかったって」と苦笑した。

「じゃあお言葉に甘えて一旦米屋帰るわ。夕方まで気ィつけて見張りすんだぞ。変なヤツ来たら股間蹴ってやれな?」
「オッケー、任せてぇ!」
「股間蹴ることには抵抗ねーんかよ」

 妖しげな雰囲気の『ドア』。夜さまに続きそこから一歩一歩と遠退けば、「いってらっしゃぁい」と手を降っているくぅが次第に見えなくなる。間もなく角を曲がると徐々に肩の力が抜けていった。『ドア』を前にすると妙に緊張するらしい。

「なぁ夜さま」
「なんじゃ」
「俺とアイツの魂繋げられたら、それってつまり……えと」
「成るように成るだけじゃ。儂は、先々のことをなにも言うてやれん」

 振り返らない夜さまは、どこか突き放すような言い方で蘇芳の話を遮った。言葉を詰まらせながら訊ねるのは、言葉にして吐き出すと追々で現実になってしまうのではという恐れを抱いているがため。蘇芳は「だ、だよな」と曖昧に笑んで俯く。
 小路を出ると『ドア』がどこの近くに在るのかようやく把握できた。

「なんだ、城の近くじゃん」

 城がすぐそこに見える。角を曲がれば、昨日撫子と手を振り別れた場所――つまりこのあと会う約束をしている場所に出るわけだ。「近くをぐるぐるしてたのかよ」と苦笑が漏れる。

「次は独りで来られそうかの?」
「いやぁ、ここまでは来れても中の小路は無理くせーな、いくらなんでも」

 雑踏を背に夜さまと向き合う蘇芳。

「あのさ。この荷物、おやっさんに渡そうかなって思うんだよね」
「ほう」
「食事と寝床代にしちゃ足りないかもしれないけど、無いよりマシっつーかさ。ちょっとでも足しにしてもらえたらいいかなって思うんだけど」

 夜さまのまなざしがわずかに和らいだように見える。言葉を待つ間は数秒間なれど、やはり返答に緊張してしまう。

「ヌシが賜った物じゃ。ヌシの思うようにすればよい」

 夜さまの口調はどことなく柔らかい。背を押された心地になった蘇芳は「だよな」と自然に口角を上げた。

「そんじゃ米――」

 米屋へ戻ると伝えるため開いた口の途中で、言葉は消えてなくなった。代わりに聴覚が研ぎ澄まされる。瞼を上げ、表情が険しく変わる。見ると夜さまも同じようにしていた。

「いまの聞こえた?」
「うむ。もしや行くのか?」
「そのつもり」

 進行方向を、まっすぐから左折へと変える蘇芳。

「言っとくけど、頼まれたパトロールの一貫だからな」
「ハァ。じゃてオヒトヨシだと言われるのじゃ」
「ウルセー。いいか、アンタは口も手も出すんじゃねーぞ」
「代わりに『彼の者』との約束を反故(ほご)にしたら許さぬでな」