陽が西に傾き始めた頃、城下は煮炊きの匂いが増えていく。それに伴い、人々は店じまいへと移行していく。
 往来の土煙が西陽に朱くなると、くぅが小走りに帰ってきた。店前で銀次郎の手伝いをしていた蘇芳と合流すると、部屋へ行って休むよう銀次郎から告げられたため、ありがたく甘えることにした。

「すぅちゃんどぉしたの、その顔」
「あん?」
「崩れてるよ? ぐにゃぐにゃぁーって感じ」

 廊下を並び行きながらくぅにそうして見上げられ、ドキリとする。数時間前の逢瀬を幾度も鮮明に思い返し余韻に浸っていた、などとは口が裂けても言えない。頬をグニグニと揉むようにしてはぐらかし、蘇芳は「んなことより」と話題転換を図る。

「きょ、今日は『ドア』、どうだったよ?」
「うーん、まあまあかなぁ」
「まあまあって?」
「外から見えるところは探し終わったんだけどぉ、やっぱり建物の中がねぇ」

 探せないよねぇ、と肩を落とすくぅ。「ふぅん」な蘇芳はつい得意気になり「その点、俺は違うんだよなぁ」と弾ませた声でうっかり洩らしてしまいたくなる。

「すぅちゃんこそどうだったのォ?」
「なにが?」
「夜さま言ってた『会遇』ってやつ。なんかあったァ?」
「あぁ、多分まぁ、そうだな……まあまあだな」
「てことは、さっそくあったんだねぇ、『運命の出逢い』!」
「は、はあ?! 運めっ、んなこと、ひひひ一言も言ってね―だろっ! はや、早とちりもいいとこっつーかっ。あーあのアレだ、あっちの方で喧嘩止めたくらいだったしっ!」

 激しく取り乱す蘇芳の首から上は、熱した鉄のように赤くなっている。ポカンと蘇芳を見上げていたくぅは、その反応だけで粗方を察したらしい。ふぅんと顎をしゃくりながら、たどり着いた先である間借り部屋の襖をスパンと開けた。

「いいなぁ、すぅちゃん。羨ましい」
「だだだだから違くて俺はだな」
「そんなに真っ赤になるくらい照れちゃうような『いい出逢い』だった、ってことでしょ?」

 部屋の中央まで踏み入ったくぅは、色素の薄い髪を揺らしふわりと振り返った。差し込む西陽に朱く照らされ、蘇芳へ柔く笑んでいる。

「スゴいよすぅちゃん。旅始めたばっかりで、もう逢えちゃったんだもん。いいなぁ。くぅも早く『会遇』なりたいなぁ」

 馳せるように想いを吐露し、四畳半に差す西陽に顔を向ける。

「あのね、くぅね、自分で『ドア』潜るって決めて夜さまに着いてきたのはね、誰かをずぅっと捜してる気がするからなの」

 ブワリと風が抜けたような心地がした。息を呑み、呼吸も忘れ、くぅへ釘付けになる。

「具体的にどんな人かは全然わかんないんだけど、でも毎日眠る前に少しだけね、ぼんやーり見える人がいるのね。くぅ、いつかその人見つけたくて、夜さまと旅してるんだぁ」

 朱い西陽を浴び、瞼を伏せるくぅ。

「性別も、声も、年齢だってわかんない。親、きょうだい、友達、もしかして恋人かも! いまは毎日、そーやって想像して眠るの」

 あらゆることが、俺と同じだ――蘇芳は胸の奥が震えた。
 人生で初めて同じ想いを抱く人物に出逢った。しかし声にしたくとも、告白の衝撃が思ったよりも大きいがために上手く言葉にできない。下顎が震えてきた蘇芳は思わず口腔内をキツく噛む。

「とか言って、まだまだ肝心なことなんてなぁんにもわかんないから、毎日すんごーい歯痒いんだけどねぇ」

 えへへと苦笑いをし、くぅは蘇芳へ向き直る。

「だから今朝ね、すぅちゃんが『会遇』のこと夜さまに言われてて、すんごくいいなぁって思ったの。いつかくぅも旅の中で、捜してる人と会えるといいなぁって」

 もっちりとした頬が柔らかく持ち上がると、くぅは推定年齢以上の優しい笑みをした。そこには妬ましさなどの黒い気持ちはカケラもない。くぅの穢れなき心に、照れ誤魔化しを図ったみずからの意識をわずかにチクリと恥じた。

「すぅちゃんよかったね。まずひとつ達成したね!」
「違う」
「え?」
「ごめん俺、確かにくぅの言うとおり『いい出逢い』あったよ。けど『これ』が夜さまの指した『会遇』なのか不確かでさ。なんかその、いまいち喜びきれてねーっつーか」

 瞼を伏せる蘇芳。
 写真のように鮮明に緻密に思い出せるのは、あの知的で涼やかな姿。頭に深く被った小袖を翻し、ゆっくりとこちらを向く彼女の白い肌、黒真珠のような双眸、長く艷やかな黒髪、そして、甘く柔らかな笑顔。

「もしこれが『そう』だったとしても、アイツにはアイツの気持ちと責務がある。だから、俺の個人的な欲求だけで簡単にどうにかしていいわけじゃねぇ。そういうのもあって、この先どうしよう的なことも、考えなくちゃなんなくて……」

 思い込み、突き進み、挙げ句「間違ってました」では済まされない。『これ』が本当に夜さまの言う『会遇』なのだとしたら――突如として芽生えてしまった『想い』と『欲』は、与えられている『役割』と逆方向を向いていることに気が付いてしまう。たとえ成せども諦めなければならない『なにか』によって、足場が不安定になっていく。

「たとえばくぅは、『会遇』が成ったらどうするつもりなわけ?」
「どうするって?」
「たとえば、その、旅の途中で出逢ったそいつと今後ずっと一緒に居たいと思うとしたら、この旅から外れて、知らねー時代の知らねー土地でも一緒に過ごすんかなーとか。そーゆーの考えてんのかなって」

 視線を逸しゴニョゴニョと訊ねる蘇芳。部屋の襖にかけている手がじわりと汗を握っている。

「うーん。くぅはまだそこまで考えたことなかったや」
「か、考えたことなかったって、あのな」
「すぅちゃん、焦っちゃダメだよ」
「焦っ。別に俺はっ」
「捜してる理由がちゃんとわかれば、すぅちゃんもくぅもどうするべきか、きっと一緒にわかるんだよ」

 小さく言いなぞると、くぅは「うん」と大きく首肯を向けた。

「それって、夜さまに教えてもらうものじゃないんだよねぇ。どっちかっていうと、気付いたり、思い出すものなんだって」
「なんか、ほんと曖昧だよな……」
「そだねぇ。まぁ、今はくぅもすぅちゃんもわかんないことのがたくさんだけどさぁ、近いうち必ずちゃあんとわかるようになるよ。少なくともすぅちゃんは、くぅより早くわかると思う」

 そんなものなのだろうか――蘇芳は襖にかけていた手を離し、首の後ろへやる。

「いろんなことがわかったときが、元のところに帰れるときなんだろうなって、くぅは思ってるよ」
「え」
「元のところに帰るのが、すぅちゃんの根っこの目的でしょ?」
「えっ。あ、ま、まぁ、そそそそう、だな」
「くぅ、すぅちゃんのこと、自分のことみたいに応援してるからねっ」

 丁度そこへ|夕餉が運ばれてきた。昼間に銀次郎が撫子から「食事と床の用意を」と言い渡されたことで、連日保障されることは確実であるとようやく身に沁みる。
 膳に乗せられた二人分の食事と、申し訳程度の小皿。どうやら小皿は猫用ということらしい。そう思い至り、蘇芳ははたと顔を上げる。

「そーいや夜さまは?」
「わかんなぁい。くぅ、夜さまと朝から別行動だもォん」
「そっか。けどさすがにメシ食いにくらい戻ってくるよな?」
「んー、どうかなぁ。昨日は一緒だったから食べてたけどォ、もともと夜さまってぇ、ご飯全然食べないタイプだったの。だからもしかしたら今日も、日が暮れても戻ってこないかもしんなぁい」

 蘇芳が「マジか」と眉を上げ驚く反面、くぅは膳のひとつの前に落ち着いて正座した。

「そーゆーのもあって、『儂に気にしないで食べられるときに食べとくのじゃ』って夜さまいつも言うんだぁ。だからほらほらぁ、すぅちゃんも座って座ってぇ」

 畳をポンポンとするくぅ。しかし険しい表情のままの蘇芳はその場から動けない。「全員が揃ってから食す」という自身の祖父の教えが、夜さまの言いつけを静かに阻んでいた。

「もしかして、先に食べちゃうのが申し訳なく思っちゃってる?」
「うっ」
「それならせめて『座って』待ってよーよ。それなら平気でしょ?」

 小首を傾げ「ね?」とくぅが柔く笑む。その仕草に既視感をおぼえ、蘇芳は胃がチクリとした。その浅い痛みが背を押したようで、「しゃーねぇなぁ」な蘇芳はもうひとつの膳の前へぎこちなく腰を下ろす。
 間近になる、朝以来の食事。食べども食べども腹が減る歳頃である男子高校生の腹の虫は、実に素直で欲に忠実だ。キュルルルという高音にカアッと顔を赤くした。

「すまぬな、腹が鳴るほど待たせてしもうたか」
「夜さまぁ!」

 ギクゥと血の気が引いて冷や汗が吹き出る。蘇芳は思わず胸を押さえた。

「アンタなぁ。もしかしてドッキリとかヒヤカシが趣味なわけ?」
「なにをたわけたことを言うとるんじゃ」
「夜さまおかえりぃ。ねぇねぇ、とりあえずご飯にしよーよ。すぅちゃんだけじゃなくてぇ、くぅもお腹空いたもぉん!」
「うむ、そうじゃの」

 夜さまが小皿の前に腰を下ろすと、くぅは弾む声で「いっただっきまぁす!」と言いつつ箸を入れた。「マイペースすぎだろ」と蘇芳が小言を漏らすも、すっかり普段の幼い表情に戻ったくぅはいたずらな表情で笑むばかり。

「ったく、こーゆーのほどちゃんとしろよなぁ。『いただきます』」

 祖父の言いつけはこんなところでも抜けない。きちんと手を合わせ、目を閉じ、祈りのように呟く。

「昨日も思ったんだけどォ。すぅちゃんって案外真面目でオリコーさんだよねぇ。素直だし、嘘つけないし」
「ルセェ、別にそーゆーんじゃねーし。んなことより夜さま。そっちは『ドア』どうだったんだよ? 見つかった?」
「ふむ、まあまあじゃの」
「夜さままで『まあまあ』かよ。なぁ、やっぱり俺も探し回るほうがいいんじゃねぇ? 二人でじゃ探しきれねんだろ?」
「ダメダメ。すぅちゃんは米屋さんのお手伝い。それを大人しくやってるのが、夜さまのお手伝い」

 眉を寄せ「ちっ」と口を尖らせる蘇芳の傍ら、夜さまはそっと腰を上げた。いつの間にか夕飯を終え、皿はすっかり綺麗になっている。「量が少なかったのでは」とよぎるも口を挟む隙なく、夜さまは「さて」と四つ足で軽やかに歩み始めた。

「馳走になった。二人とも。今宵も夜更かしなどせぬよう早めに休むのじゃぞ」
「はぁーいっ」
「ちょ、夜さま。どこ行くんだよ?」
「ん……まぁ、()()に探れるところを行かねばあるまいて」

 視線を合わせず、まるではぐらかすように告げられた行き先。それが偽りであると簡単に覚る蘇芳は、夜さまを睨むように凝視し行く先を追う。

「夜さま、気を付けて行くんだよォー」
「うむ」
「おやすみなさぁい」

 振り返ることなく、夜さまは静かに部屋を出ていった。(いぶか)しむ蘇芳はすぐさまコソコソとくぅへ訊ねる。

「夜さまのあれ嘘だろ。ホントはどこ行ったわけ?」
「えぇー? くぅ、わかんなぁい」

 くしゃくしゃに笑み、ふるふると首を振る。また誤魔化されたに違いない、と蘇芳は鼻筋にシワを刻んだ。

「ねぇすぅちゃん食べないの? くぅ貰っちゃうよ?」
「せっかちめ。俺はよく噛んで食うたちなのッ」

 二人からなにかを隠されていることだけはっきりとわかる。踏み込んだように思えてその実踏み込ませてもらえないのは、自分への信頼がないがためか――蘇芳は布団の中で気を落とした。
 その夜、やはり夜さまは帰って来なかった。


   ◆   ◆   ◆

 誰かを、ずっと前から捜している気がする。
 眠りに落ちる前にいつもふと思い浮かべる誰かを、ずっと。

 まどろみに見える陰が、唐突に濃くなった。
 あなたは誰だ、誰なのだ。たった一回でいい、どうか答えてはくれないだろうか。
 そう望めども、しかし返ってくるのはやはり無のみ。いつもの光景、慣れた反応。明確なものは相変わらずなにもない。
 だが、今はそれでもいい。あなたを捜し続ける過程でそれは明かされてゆくのである。捜してさえいれば、いつか必ず、あなたに辿り着けるのだから。

   ◆   ◆   ◆