「着いたわね」
「ああ、久しぶりの故郷だ」

 ルソンとセナがフィルラ村に着いたのはその日の昼過ぎ頃だった。
 そんな二人の姿を遠目に見掛けた一人の青年がセナとルソンの元まで走り寄り近付いて来る。

「ルソン様……! 本物ですか……!」

 懐かしいその声にルソンは自分の名を呼んだ声の主に目を向ける。

「本物だ。ヴィリス、久しぶりだな」
「良かったです……! 本物で。はい! お久しぶりですね。ルソン様。ん……? そちらの方は?」

 ヴィリスはルソンの背後に立っていたセナを見て、何処かで見たことがある気がすると呟く。それもそうだろう。

 セナは一度もルソンの故郷であるフィルラ村に訪れたことはないが、ヴィリスは一度、遠目でセナを見掛けている。

「こちらの方は、俺の幼なじみであり、専属護衛として仕えているお方だ」

 ルソンの軽い紹介にセナは一歩、前に出てルソンの隣に立ち、そっと口を開きヴィリスに挨拶する。

「初めまして、セナと言います。ルソンにはいつもお世話になっております」
「やっぱり、セナ姫様でしたか……! ルソン様から話しは聞いていたので存じておりましたが、こうして実際に会うのは初めてなので、とても光栄です。名乗るのが遅れました。俺の名前はヴィリスと言います。呼びやすい呼び方で呼んで下さると嬉しいです」

 ヴィリスの弾んだ声と嬉しそうな表情を見て、セナの引き締まっていた顔が自然と緩む。

「では、ヴィリスって呼び捨てで呼ばせていただきます」
「はい! あっ! 姫様は敬語を抜いてお話しして下さって構いませんよ」

 ヴィリスの気遣いにセナはでも……と遠慮しようとするが、隣にいたルソンの「ここは甘えておきましょうよ」の一言により、セナはヴィリスの気遣いに甘えることにした。

「ありがとう。では、お言葉に甘えてそうさせてもらうわね」

 セナのその言葉にヴィリスは笑顔で頷く。そんなヴィリスの表情にセナは人柄が出てるなと思う。

「姫さま、ヴィリスは俺の三個下なんですけど、凄くしっかりしているんですよ」
「そうなの?」
「はい! 料理も上手くて、洗濯や村の子供の面倒まで。俺が村に居なくて、結構、苦労をかけてしまっているんですけどね……」

 どうやらルソンが村を離れている間、ルソンの代わりにヴィリスが色々やってくれていたらしい。
 自分が居ない間、ヴィリスに苦労をかけてしまっていたのかもしれない。

 そんな申し訳ないという思いがルソンの心の奥底にはあった。
 しかし、ヴィリスはそんなことなど気にしては居なかったらしく……

「いやいや、ルソンさまが思っているより、私はそんなに苦労していませんよ。何だかんだ料理も洗濯も子供達の面倒を見るのも、楽しいですし。それに、ルソン様が頑張っているから、私も頑張れるんです」

 ヴィリスにとってルソンは憧れであり、人としても尊敬している。そんな人物だ。

 だからこそ、ルソンから頼りにされたり、信頼されていることがヴィリスにとって何にも変えられないぐらいに嬉しいことなのである。

「ヴィリス…… お前、本当に良い奴だな。こんなに良い子に育って俺は嬉しいぞ」
「ルソン、今、少しうるっときたでしょ?」
「いや、きてませんよ」

 うるっときたが、セナの前ではいつものルソンでいたいという思いが強くあった為、本音はあえてこの場では言わなかった。

「まあ、うるっときても、ルソン様が人前で泣くはずがありませんからね! あ! 皆んなの所までお連れしますね」
「ああ、頼む」
「ええ、お願いするわ」

 セナとルソンはヴィリスに連れられ、共に歩き出す。村の中へ入ると前方から男の声が聞こえた。

「お……? ヴィリスが戻ってきたぞー!」

 赤髪のまだ若さを感じられる男"アゴル"は遠目にヴィリスの姿を見つけ手を振ってくる。

 ヴィリス達が声をかけてきた若い男の元に来るなり、赤髪の男の左隣に立っている優しそうな雰囲気を纏った茶髪の女性(マリサ)もヴィリスに気付くなり声をかけてきた。

「ヴィリス、随分と遅かったわね。何処かで道草食っていたんじゃないでしょうね?」
「はは、ごめん。道草は食ってないよ」
「そう。なら、良いんだけど。ん……? ヴィリスの後ろにいるのはルソンじゃない!」

 茶髪の女性はヴィリスの後ろにルソンが立っていることに気付き目を丸くする。

 久しぶりにルソンが帰ってきてことに、茶髪の女性と赤髪の男性は声が自然と弾み始める。

「え……? ルソン、本当だ。久しぶりだな。ん? そちらのお嬢さんは?」
「ああ、久しぶりだな。こちらの方は俺が支えているセナ姫さまだ」
「セナ姫さま……! このお方が……?」

 男は驚きルソンの右隣に立つセナを見る。セナはそんな男に対して軽く会釈し挨拶する。

「初めまして、セナと言います。ルソンにはいつもお世話になっております。どうぞよろしくお願いします」

 ルソンからセナの話しを聞いていた男はこの方がセナ姫様かと心の中で呟き、ルソンのことをチラッと見た。
 
 そんなルソンは隣に立つセナのことを見守るように優しげな顔で見ていた。

「私はアゴルと言います。ルソンからセナ姫様の話しは聞いていました。しかし、何故、セナ姫様がこんな所まで?」

 王国の王女であるセナがルソンと2人だけでこんな所に来るのに疑問を感じたアゴルはセナにそう問い掛ける。
 しかし、セナはその問い掛けにすぐには答えなかった。そんなセナに代わってルソンが代わりに答える。

「まあ、色々、事情があってな……」
「立ち話をなんですし、ひとまず中に入りませんか?」

 ヴィリスの言葉にルソン、セナ、アゴル、マリサは頷きその場から歩き始める。
 セナの隣を共に歩いている茶髪の女性"マリサ"はセナを横目に見ながら声をかけてきた。

「セナ姫様、名乗るのが遅れてしまい申し訳ありません。アゴルの妻のマリサと申します。さっき旦那も言っておりましたが、ルソンから話しは聞いておりました。こうしてお目にかかれるなんて思ってもみなかったのでとても光栄です!」
「そうなんですね。こちらこそ、ルソンの故郷には前々から来てみたいなと思っていたんです」

 そんな思いを口にしたセナにマリサは優しく微笑む。

「ふふ、では、ゆっくりして行って下さいね」
「1日だけ泊まらせてくれ。部屋は空いているか?」

 ルソンもセナも長旅で疲れが大分溜まっていた。
 ここに来るまで外での野宿続きだった為、セナのことを考えると一日だけでもちゃんとした場所で休ませるべきだとルソンは判断する。

「一部屋なら空いているわよ」
「一部屋で大丈夫だ。準備の方を頼む」
「わかったわ」

 ルソンの頼みにマリサはそう返事を残しセナに軽く会釈をし、別方向へと立ち去る。



「みんな、暖かくて、優しい人達ね」
「そうだな。マリサとアゴルには俺がまだ小さかった頃、良く面倒を見てもらっていたんだ」

 ルソンは懐かしむようにそう言葉を溢し、セナを見て優しい笑みを浮かべる。

 そんなルソンの笑顔を見てルソンの故郷でもあるフィルラ村に共に来れて良かったなと心から思った。

「そうなのね。ルソンは今でもそうだけれど、好奇心旺盛で、こうと決めたら曲げないタイプだから、ある意味面倒を見るのが大変だったかもしれないわね」

 ルソンには実の両親がいない。
 寒い冬の季節。
 
 まだ赤子であったルソンは茶色の四角いダンボール箱の中、毛布に包まれて静かに眠っていたらしい。

 そんなルソンを拾ったのがマリサだった。ルソンにとってマリサとアゴルは両親のような存在であったのだ。

「はは、姫さま。良くわかっていますね。流石、俺の幼なじみ」
「わかるわよ。長い付き合いだもの」
「そうですね」

 セナはここに来るまでの出来事を思い返しながら、ルソンに伝えそびれていたことを伝えようと口を開く。

「ルソン、私が城を出ると行った理由をまだ伝えていなかったから言うわね」
「ああ、言われてみればそうですね」
「ええ、ルソン。私、春祭りの日にシウォンと名乗る男に出会ったの」

 懐かしく感じるその名前にルソンは少し驚いた顔をし反応する。

「シウォン……!」

 そんなルソンを見てセナはシウォンがあの日言っていたことが嘘偽りない本当であったことを確信した。

(シウォンが言っていたことは嘘ではなかった……)

「私の幼なじみだと言っていたわ。過去の出来事も全て彼から聞いたの。私に一部の記憶がないから、幼なじみだと言ってきた彼のことを思い出せないのかもしれない」
「それは……」

 ルソンはセナに何かを言いかけるが、少し複雑な顔を浮かべ言いかけた言葉を飲み込む。
 
 セナはそんなルソンの表情を見ながら、ルソンも私が記憶を失くしたことを知っていたのだなと悟った。

「私は知りたい。忘れてしまっていることも、彼から聞いたことが本当なのかも。城の外に出て初めて色々なことが見えてきた気がするの」
「姫さま……」
「ルソン、今から貴方に言うことは護衛として、幼なじみとして両方の気持ちよ。私の行く末をルソン、貴方には最後まで見届けて欲しいの」

 セナのそんな思いを聞き終えたルソンはいつもの優しい笑顔をセナに向ける。

「はい。言われなくても姫さま。俺は最初からそうするつもりでしたよ」

 ルソンはセナが決めたことなら、どんなに険しい道でも最後まで着いて行きたい。
 そう思う気持ちは今も胸の中に強く在り続けていた。

「ええ、ありがとう。ルソン」
「はい。それにしても驚きましたよ。姫さまがシウォン様に会っていたなんて。あの日、来ていたんですね。俺も会いたかったな……」
「やっぱり、幼なじみだと言うのは本当なのね」

 あの日。
 シウォンに幼なじみだと言われた時、信じるよりも不信感や恐怖心があった為、シウォンの話してくれた事を全て信じてはいなかった。

 けれど、自分な選びここまで歩んできたからこそ、シウォンの話してくれた事が信じられる物になったとそう心からセナは思う。

「まあ、本当ですけど、今はまだ無理に思い出そうとしなくても良いんじゃないですかね?そういう忘れてしまった記憶って、案外きっかけがあれば思い出したりしますし」
「そうね」

 この先、シウォンのことを思い出すことができるきっかけが起こってくれるか。
 そんなことはまだわからないが、いつかきっと思い出せる。

 そう信じることから始めてみよう。
 セナはそう心に決めた。



 夜が明けた早朝。
 セナとルソンはフィルラ村から出ようとしていた。

「もう、行っちゃうんですね。ルソン様……」

 少し寂しそうな顔を浮かべているヴィリスにルソンは苦笑し、優しくヴィリスの肩をポンポンと叩く。

「ヴィリス、また、帰って来るから、そんな顔をするな」
「はい……!  気長に帰って来るのを待っていますね」
「ああ、」
「また、帰って来いよ。セナ姫様も連れてな」

(帰って来いなんて、長く言われてなかったな……)
 
 ルソンは心の中でそう思いながら、そう言ってくれる相手がいることはきっと、とても幸せなことなのだろうと強く思う。

「ああ、連れて帰って来るよ。アゴルさんも元気でな」
「セナ姫様。お身体には充分、気をつけてくださいね。あと、これ、もし良かったら使って下さい」

 マリサはセナにそう声をかけて、手に持っていた白い布を綺麗に畳んだ状態でセナに手渡す。

「これは……?」

 セナがそう問い掛けるとマリサは優しく微笑み答える。

「昨日の夜、作ったんです。今、着ているフードマントの生地が少し薄そうに感じたので」
「わざわざ、作ってくれたんですね。嬉しいです! 有り難く使わせていただきます」

 セナの嬉しそうな顔にマリサは喜んでもらえて良かったと言い安堵する。

「じゃあ、行きましょうか?姫さま」
「ええ、」

 セナとルソンは三人に頭を下げて手を振り歩き始める。アゴルとマリサ、ヴィリスはそんな二人の姿が見えなくなるまで見送り届けた。

「行っちゃったなぁ……」
「そうね」

 マリサとアゴルは静かにそう呟きそっとその場を後にした。
 一人残されたヴィリスは二人を思いながら陽が昇り始めた晴れた朝の空を見上げ、もうここには居ない二人に向けての言葉を零す。

「お二人共、お元気で」