今日は年に一度、春に行われる春祭りの日である。
 そのせいか、また陽が上っていない明け方から城内では慌ただしく人が動き回っていた。

 そんな慌ただしい空気を感じ取ったセナは珍しく早く起きてしまった為、身支度を整えて、自分の侍女であるリーナがいるであろう部屋まで自ら足を運ぶことを決め、そっと自室である部屋を後にする。

「こんなに早く起きたのはいつ振りかしら……?」

 早起きが苦手なセナにとっては、今日のように早く起きることは早々ない。

 セナにしてはとても珍しいことである。
 少なからず、この日(春祭り)を楽しみにしていたから、早く起きることが出来たのかもしれない。

 そう思いながらセナは淡々と目的の場所まで一定のペースを保ちながら、歩みを進める。

 侍女 であるリーナの部屋の前に着いたセナは茶色い木製で作られたドアを2回ほどノックし、部屋の中からの返事を待った。

「はーい。今、開けますので、ちょっと待って下さいね」

 侍女の部屋は二人部屋となっている為、返ってきた返答の主である声がリーナ本人であるとわかったセナは一言、自分であることを伝える。

「リーナ。私よ。こんなに朝早くにごめんなさい」

 自分の部屋の前にいるのが、まさかセナであると思っていなかったのだろう。
 部屋の中から驚きと慌てた声が聞こえてくる。

「ちょっ……ちょっと、待って下さいね。姫さま」

 そんなに慌てなくても良いのにと言いたくなったセナだったが、侍女として仕えている相手であるセナが、自ら足を運んでやって来たのだ。慌てて焦りもするだろう。

 数分してリーナがいつもと変わらない髪型と服装をして、部屋の中から出てきた。

「姫さまがこんなに早起きするなんて、いつ振りでしょう……!」

 セナ自身も思っていたことをリーナは言葉にする。セナはそんなリーナに対して、早く起きてしまったから退屈だということを伝えると、なるほどと言い苦笑する。

「少しだけ散歩でもしましょうか?」
 
 リーナの言葉にセナは退屈だと言った自分に付き合ってくれるのだと理解し、弾んだ声で返答する。

「散歩っ? ええ、いいわよ! しましょう」
 
 リーナと共に歩き出したセナはふと前から気になっていたことを問いかけた。

「ねぇ、リーナ。結構、前から気になっていたのだけれど、いつも肌身離さずつけている腕輪。それって、確か私が小さい頃、リーナの誕生日にあげた物よね?」
 
 セナがそう言い指差したのは、リーナの左腕に付けられている緑色の腕輪だった。セナは昔の記憶を辿り思い出そうとする。

 あれは、確かリーナが18を迎えた誕生日の日。護衛であるルソンと共にお忍びで王都まで行った時のこと。リーナにあげる誕生日プレゼントを王都にある腕輪専門店で買ったのだ。

「良く覚えておられますね! そうですよ。私はあの時のことを今でも鮮明に覚えています。ただの侍女である私の誕生日を姫さまは覚えていてくれたのですから」

 リーナは身寄りのいない孤児だ。
 私の父親であり、現国王であるルク王が自ら足を運んだ村で、奴隷として捕まり売買されそうになっていた所を王の護衛として同行していた護衛の1人であったルイスがリーナを助けたらしい。

 その後、行く当てないリーナを城に連れて帰って来たのだ。それから父上は私の専属侍女という役割をリーナに与えた。

 私が幼い頃から、侍女としてずっと側に居てくれたリーナ。セナにとってはとても大切な人でもあるのだ。

「リーナ。貴方が私の侍女で本当に良かったわ」

 セナの唐突な言葉にリーナは少し驚いた顔をする。しかし、すぐに表情を和らげて嬉しそうにセナに礼を言う。

「そう言っていただき嬉しい限りです。ありがとうございます。姫さま」

 中庭に着いたセナとリーナは中庭の花壇に咲いている色とりどりの春に咲く花を見ながら、他愛のない会話を始める。

「綺麗ですね。私、季節の中で春が1番好きなんです」
「そうなの?」

 セナの問いにリーナは頷く。
 季節の中で一番、春が好きだと言うリーナ。
 どうして、春が好きなのか。
 純粋に気になったセナはリーナに理由を聞いてみることにする。

「どうして、春が一番好きなの?」
「私が春を好きな理由は、姫さまと出会った日のことを思い出すからです」

 そう言われてみれば、自分とリーナが出会った季節は春だった。

 決して忘れていた訳ではないのだが、言われなければ、それ程、鮮明に思い出せなかっただろう。

「嬉しいこと言ってくれるじゃない」

 正直、私は春という季節はあまり好きじゃない。理由は何か大事なことを忘れているような気持ちになりモヤモヤしてしまうからだ。

 だけど、リーナと出会うことができた春。そう思うと少しだけ春という季節が好きになれるような気がした。



 徐々に明るくなり始めている空をセナとリーナは見上げる。
 その後、リーナは用事があると言いセナを残してその場から立ち去って行った。

 1人中庭に残されたセナは、花壇に咲いている花に目をやりながら、ふと思い至る。

 花壇に咲いている花の1つが何故か初めて見た気がしない。

 そんな何とも言えない違和感を感じていると後ろに人の気配を感じた為、セナはそっとその場から立ち上がり振り返った。

「久しぶりですね。セナ姫」

 そう言った声の主は被っていた白いフードマントを取り、セナに対して優しく微笑んできた。何処か懐かしさを覚える腰まである小麦色の髪と緑色の瞳をした男。

 己の護衛であるルソンに近い身長であるせいか見下ろされるように視線を向けられる。

 そんな中、セナの中で1つの疑問が生まれる。何故、自分のことを前から知っていたかのように声をかけて来たのだろうか……?

 少しずつ恐怖心を抱き始めたセナはそっと後退りこの場から逃げようと試みるが。

「待って下さい。セナ姫……! 私は貴方の幼なじみなんです。貴方は覚えておられないと思いますが……先に名乗らなくて申し訳ありません。私の名前はシウォンと申します」
 
 そう男は名乗ると緑色の瞳がセナを捉えた。

「私の幼なじみはルソン1人だけだと思っているわ……」

 紛れもない事実を発したセナであったが、心の中では言葉では言い表せない何かが引っかかっているような気がしてならなかった。

「覚えておられないのも無理はありません。だって、貴方はあの日、一部の記憶を失くしたのですから……」
 
 シウォンがそう言うと朝の澄んだ空気が2人の肌を指し、春の心地良い風がシウォンの腰まである小麦色の髪をそっと揺らした。