ここ天蘭王国(てんらんおうこく)では年に一度、春に行われる春祭りがある。
 今日はそんな春祭りの前日であるせいか、朝から城の中は慌ただしい空気で満ちていた。

「全く姫さまったら、何処に行ったのかしら? セナ姫さま~! 隠れていないで出てきてください」

 淡い桃色の髪を両サイドで二つ結びにして結っている少女は辺りを見回しながら、声を張って侍女として仕えている主。
 セナの名前を呼びながら探していた。

 自分のことを探している侍女であるリーナの姿を草陰に隠れながらそっと見ていた空色の髪の少女は、静かにため息をつき小声で文句をぶつぶつ言い始める。

「出ていくわけないでしょう。嫌なものは嫌なのよ。何で私があんな退屈な会議に参加しなければならないのよ」

 少々、苛立ちながらそう言う彼女。
 セナはこの天蘭王国(てんらんおうこく)の第一皇女であり、この国唯一の跡継ぎでもある。

 そして、今現在、行われている最中である会議にセナも参加することになっていたのだが。

 息が詰まるような重たい空気の中、セナからしてみたら難しいと思わずにはいられない議題に沿って行われている話し合いに耐えられず、逃げるように会議が行われている部屋から抜け出し、今こうして草陰に隠れている訳である。

「あれ、姫さまじゃないですか? こんな所で何をしているんですか?」

 背後から聞き慣れた声が聞こえ、そっと振り返ると黒髪で背の高い男が自分を見下ろし立っていた。なんで、今この男に遭遇するのだろうと思わずにはいられないぐらいタイミングが悪すぎる。

 そんな思いが顔に出ていることなどセナ自身は知る由もなくバツの悪そうな顔をセナは自分の護衛であり幼なじみでもあるルソンに向けた。

「っ……! ルソン、お前ねぇ、いきなり背後から話しかけないでよ」

 セナの少し慌てた様子を見て、何に対してそんなに慌てたのか、少しばかり気になったルソンだったが、ここは素直に謝っておくかと気持ちを切り変え謝罪の言葉を述べることにした。

「え、あ~、ごめんなさいね~! 姫さま」
 
 ルソンの軽い棒読み謝罪にセナは少し気に食わなかったのか、眉を吊り上げた。

 怒った顔も可愛いですね~! などと言ったらまた怒られるのが目に見えているので、ここはグッと堪えることにしたルソンの選択は正解だったと言えるだろう。

「全然、悪いと思ってないわね。まあ、いいわ。そんなことよりも早く何処かに行きなさいよ」

 自分がこの場にいたら、何か都合が悪いことでもあるのかとルソンは思いながら、視線だけ泳がせ辺りを見回した。

「えー、嫌ですよ。そもそも何で、俺がこの場から立ち去らなきゃいけないんですか?」

 ルソンのその問いかけにセナは、はぁ、とため息をつき、何故かその場から立つことをせず辺りをそっと見回しながら話し始めた。

「今、行われている窮屈な会議から、抜け出して来たのよ。今、こうして隠れているのは侍女であるリーナが私のことを探しているから。リーナに見つかったら、また、あの窮屈で息苦しい会議の部屋に引き戻されるわ。それは嫌なのよ!」
「ほう、なるほど」

 ルソンがそう返答したのと同時に先程、立ち去って行ったリーナが戻ってきたのかセナの名前をまた呼び始めた。

「セナ姫さま~! 隠れているのはわかってるんですからね! 良い加減、諦めて出てきてください」

 侍女の姿を見て全てを悟ったルソンはそういうことか! と1人でに納得し、大きな声で侍女を呼びつける。

「おーい、そこの侍女さん。ここに姫さまがいるぞー!」

 いきなりそう言葉を発したルソンに草陰に身を潜めて隠れていたセナは思いっきり立ち上がってしまい……

「見つけましたよ! 姫さま、もう、隠れても無駄ですよ!」

 セナの姿を捉えたリーナは早足でセナの元まで歩み寄り、逃すまいとセナの手を掴んだ。
 
 もう、逃げないわよと言いリーナに掴まれた手を離してほしいという思いとリーナが手を離したらまたこの場から逃亡したいという思いで最後の抵抗を試みるセナだったが、それも虚しく終わってしまう。

「やっぱり、嫌よ。戻りたくないわ。それに、私はあの重い空気の中、難しい議題で会議している部屋には居なくても全然、問題ないと思うのよ」

 まだ、抵抗するのかと侍女のリーナと間近で2人の会話を聞いていたルソンは心の中で突っ込みを入れる。

「何を言っているんですか? 姫さま。貴方はこの国の皇女。嫌でも出席する義務という物があるんです!」

 御もっともなリーナの言葉にセナは数秒、押し黙ったが、また文句を言い始めようと口を開きかけようとしたのと同時に、リーナはセナの手を強く握り、セナを引っ張るようにして歩き出す。

 その光景を見てルソンは思わず吹き出してしまった。まるでワガママを言う子供を引っ張る母親のように見えてしまったからだ。

 リーナにズルズルと引きずられていくセナを見送りながら、にこやかに手を振るルソンは護衛としてではなく、幼なじみとして暖かい言葉をかけてやることにした。

「頑張ってくださいねー! 姫さま」

 徐々に遠ざかっていくルソンの姿を空色の瞳に映しながら、ふつふつと湧き上がる苛立ちを声に乗せた。

「後で覚えてなさいよっー!」

 セナのその言葉は晴れた空の下に響き渡った。
 リーナに引きずられらように去って行ったセナの姿が見えなくなったのを確認し、ルソンはそっと青白く晴れた空を見上げる。

「今日は良い天気だな。あの日もこのぐらい晴れていたか。あいつはこの広い空の下の何処かで生きているのだろうか……?」

 独り言のようにそう呟いたルソンの声は春の柔らかい空気に包まれて消えていった。

 近い未来に起こる出来事で、私の運命が大きく変わり平穏な日常が少しずつ壊されていくことになることなど。この時はまだ、知る由もなかった。