結婚式当日。
空は晴れている。雲一つない青空。式場の外観は白く輝き、エントランスには色とりどりの花が飾られている。噴水の水が、朝日を浴びてきらめく。
ゲストが続々と到着する。スーツ姿の男性たち。華やかなドレスの女性たち。笑顔。挨拶。写真を撮る人々。
香織は黒いワンピースを着て、タクシーから降りる。午前9時30分。式は11時から。まだ時間がある。
手に持つ小さなクラッチバッグ。中身は財布とスマホだけ。スピーチ原稿は、入っていない。
式場の入り口を見上げる。深呼吸。
「今日で、終わる」
呟く。誰にも聞こえない。
足を踏み出す。エントランスを抜ける。受付で名前を告げる。スタッフが控室への道を案内してくれる。
廊下を歩く。心臓の鼓動が早い。手が冷たい。
控室の前。ドアのプレートに「親族・友人控室」と書かれている。ノックする。
「どうぞ」
中から声。ドアを開ける。
理沙と早苗がすでに座っている。ソファに並んで。二人とも華やかなドレス。理沙は紺色。早苗は薄ピンク。
「おはよう!」
理沙が笑顔で挨拶する。
「おはようございます」
早苗も笑顔。
「おはよう」
香織は小さく答える。空いている席に座る。一人掛けのソファ。理沙と早苗から少し離れた位置。
テーブルの上には、飲み物とお菓子。誰も手をつけていない。
沈黙。
時計の秒針の音だけが、部屋に響く。
「今日は、いい天気だね」
理沙が話しかける。
「うん」
香織が短く答える。
「結衣、喜ぶね」
早苗が言う。
「そうだね」
香織。
また沈黙。
理沙がスマホを取り出す。画面を見る。早苗は髪を直す。鏡を見ながら。
香織は何もせず、ただ座っている。手を膝の上に置く。握りしめる。
会話が弾まない。いつもなら、香織が話題を提供していた。でも今日は、何も言えない。
「香織、大丈夫? 顔色悪いよ」
理沙が心配そうに見る。
「大丈夫、ちょっと緊張してるだけ」
「そっか。スピーチ、頑張ってね」
「……うん」
香織の心理。スピーチ。そう、今日、私はすべてを話す。
ドアが開く。結衣が入ってくる。
ウェディングドレス。真っ白。マーメイドライン。香織が選んだドレス。結衣の体のラインを美しく見せている。ベールが長く、床まで届いている。
3人が立ち上がる。拍手。
「結衣!」
「綺麗!」
「素敵!」
声が重なる。
結衣は照れたように笑う。
「ありがとう、みんな」
涙を浮かべている。嬉しい涙。
香織も立ち上がる。拍手する。でも、声は出ない。
結衣が香織を見る。
「香織、ありがとう。このドレス、香織が選んでくれたやつ」
「……うん」
「本当に、ありがとう」
結衣が近づいてくる。香織を抱きしめる。
香織の体が強張る。でも、抱き返す。
胸が締め付けられる。
「最後に、この笑顔を見られて良かった」
香織の心の声。誰にも聞こえない。
結衣が離れる。
「じゃあ、そろそろ準備しなきゃ。また後でね」
「うん」
結衣が控室を出る。ドアが閉まる。
3人が再び座る。沈黙が戻る。
時計を見る。10時。あと1時間で式が始まる。
挙式。
チャペル。天井まで届くステンドグラス。色とりどりの光が床に模様を描く。ゲストが座る。両サイドに分かれて。新郎側と新婦側。
香織は最後列に座る。理沙と早苗は前の方。香織だけが離れた位置。
オルガンの音楽が流れる。扉が開く。新郎が入場する。祭壇の前で待つ。
次に、新婦。結衣が父親と腕を組んで、ゆっくりと歩いてくる。ベールの下の笑顔。幸せそうな表情。
ゲストが立ち上がる。拍手。
香織も立つ。拍手する。でも、心は空っぽ。
結衣が祭壇の前に到着する。父親が結衣の手を新郎に渡す。二人が並ぶ。
牧師が言葉を述べる。誓いの言葉。新郎が答える。新婦が答える。
指輪の交換。新郎が新婦の指に。新婦が新郎の指に。
キス。ベールを上げる。唇を重ねる。
拍手が湧く。
香織は拍手する。機械的に。表情は固い。
式が終わる。新郎新婦が退場する。ゲストも立ち上がり、チャペルを出る。
披露宴会場へ移動する。
披露宴会場。広い空間。シャンデリア。白いテーブルクロス。中央に高砂。新郎新婦が座る席。
ゲストテーブルが並ぶ。香織は友人代表テーブルに案内される。理沙と早苗と同じテーブル。3人で丸テーブル。
席に着く。テーブルの上にはメニュー表。コース料理。
司会者がマイクを持つ。
「それでは、新郎新婦の入場です」
扉が開く。新郎新婦が手を繋いで入ってくる。拍手。音楽。
高砂に座る。笑顔。
「乾杯の音頭を、新郎の上司、田口様にお願いします」
田口氏がスピーチする。簡潔な挨拶。グラスを掲げる。
「乾杯!」
全員がグラスを掲げる。カチンと音が鳴る。
食事が始まる。料理が運ばれてくる。前菜。スープ。魚料理。
香織は料理に手をつけられない。フォークを持つ。でも、口に運べない。
周囲の賑やかさ。笑い声。会話。
香織のテーブルだけが、静かだ。
理沙が料理を食べている。早苗も。でも、会話はない。
時々、目が合う。すぐに逸らす。
香織の心理。あと少し。スピーチの順番が来る。そうしたら、すべてを話す。
司会者がマイクを持つ。
「それでは、友人代表スピーチに移ります。まずは、理沙様からお願いいたします」
理沙が立ち上がる。マイクスタンドの前へ歩く。原稿を手に持っている。
会場が静まる。
「結衣、結婚おめでとう」
理沙の声。明るい。
「結衣との出会いは、大学1年の春でした。サークルの新歓で、結衣の天然なところに惹かれて、すぐに仲良くなりました」
笑いが起きる。結衣も笑っている。
「結衣はいつも周りを明るくしてくれる人です。困った時には相談に乗ってくれて、一緒にいると元気になれる。そんな結衣が、素敵な人と出会えて、本当に嬉しいです」
理沙が新郎の方を見る。
「結衣をよろしくお願いします。そして結衣、幸せになってね」
拍手。理沙が席に戻る。無難なスピーチ。笑いもあり、感動もあり。
「ありがとうございました。続きまして、早苗様、お願いいたします」
早苗が立ち上がる。マイクの前へ。原稿を持つ手が少し震えている。
「結衣さん、ご結婚おめでとうございます」
早苗の声。丁寧。
「私が結衣さんと出会ったのは、大学2年の時でした。ゼミが一緒で、グループワークをした時、結衣さんの優しさに触れました」
早苗が原稿を読む。
「結衣さんは、誰にでも優しくて、誰の話も真剣に聞いてくれる人です。私が悩んでいた時、結衣さんは何時間も話を聞いてくれました。そのおかげで、私は前に進むことができました」
早苗の目に涙が浮かぶ。
「結衣さん、あなたと友達でいられて、本当に幸せです。これからも、ずっと友達でいてください」
すすり泣きが聞こえる。ゲストの中から。感動的なスピーチ。
拍手。早苗が席に戻る。目元を拭いている。
「ありがとうございました。それでは最後に、香織様、お願いいたします」
香織の名前が呼ばれる。
心臓が跳ねる。
立ち上がる。足が震える。でも、前へ進む。
マイクスタンドの前に立つ。会場の視線が集中する。結衣が笑顔で見ている。新郎も。理沙と早苗も。すべてのゲストが、香織を見ている。
香織はポケットに手を入れる。折りたたんだ原稿。触れる。
でも、取り出さない。
代わりに、原稿を両手で握る。ポケットの中で。
そして、破る。
ビリ。
小さな音。誰にも聞こえない。
破片がポケットの中に散らばる。
香織はマイクを握る。深呼吸。
会場が静まり返る。
「結衣」
香織が呼びかける。声が震えている。
結衣が頷く。笑顔。
「私は——」
香織が言葉を探す。
「私は、あなたの親友じゃなかった」
会場がざわつく。
結衣の笑顔が消える。驚いた表情。
新郎が不安そうに結衣を見る。理沙と早苗が顔を見合わせる。
香織は続ける。
「私は、みんなを利用していた」
ざわめきが大きくなる。
「承認欲求を満たすために、友情を装っていた。インスタグラムに投稿するために、『充実した日常』を演出していた」
香織の声が震える。でも、止まらない。
「私は、みんなの意見を聞かなかった。自分の思い通りにすることだけを考えていた。ドレスも、式場も、席次も、すべて私が勝手に決めた」
結衣の両親が立ち上がりかける。スタッフが慌てて近づく。
「結衣、あなたは本当は、あのドレスを着たくなかったよね。私が押し付けた。理沙も、早苗も、私の意見に従うしかなかった」
理沙が顔を伏せる。早苗が目を閉じる。
「私は、あなたたちの時間を奪った。本当の友情を築けなかった」
香織の涙が頬を伝う。
「ごめんなさい」
深く一礼する。頭を下げたまま、数秒。
そして顔を上げる。マイクを置く。
会場は静まり返っている。誰も動かない。
香織は高砂の方を見る。結衣が座ったまま、呆然としている。涙を流している。
香織は歩き出す。会場の出口へ。誰も止めない。止められない。
扉に手をかける。開ける。
振り返らない。
廊下へ出る。扉が閉まる。
香織は走る。式場の外へ。エントランスを抜ける。
晴れた空。まぶしい日差し。
タクシー乗り場へ向かう。タクシーに乗る。
「どちらまで?」
運転手が聞く。
「駅まで」
香織が答える。
タクシーが動き出す。窓の外を流れる景色。式場が遠ざかる。
空が曇ってくる。雨が降り始める。窓ガラスに雨粒が当たる。
香織は窓を見つめる。涙が止まらない。
「これで、終わった」
呟く。声が震える。
駅に着く。料金を払う。タクシーを降りる。
雨が強くなっている。傘を持っていない。でも、気にしない。
駅の中へ。改札を通る。ホームへ。電車を待つ。
濡れた服。濡れた髪。でも、香織は動かない。
電車が来る。乗る。座る。窓の外を見る。
「終わった」
もう一度、呟く。
自宅マンションに着く。玄関で鍵を開ける。手が震える。何度も鍵穴を外す。ようやく開く。
ドアを開ける。部屋に入る。ドアを閉める。
背中をドアに預ける。ずるずると、床に座り込む。
濡れた服のまま。動けない。
スマホの電源を切る。ボタンを長押しする。画面が消える。
誰からの連絡も、受け取りたくない。
香織は床に座ったまま、動かない。涙が流れ続ける。
「私は、友達を失った」
声に出す。
「でも、初めて本当の自分で、話せた」
矛盾した感情。喪失感と、わずかな解放感。
窓の外、雨が激しく降っている。
空は晴れている。雲一つない青空。式場の外観は白く輝き、エントランスには色とりどりの花が飾られている。噴水の水が、朝日を浴びてきらめく。
ゲストが続々と到着する。スーツ姿の男性たち。華やかなドレスの女性たち。笑顔。挨拶。写真を撮る人々。
香織は黒いワンピースを着て、タクシーから降りる。午前9時30分。式は11時から。まだ時間がある。
手に持つ小さなクラッチバッグ。中身は財布とスマホだけ。スピーチ原稿は、入っていない。
式場の入り口を見上げる。深呼吸。
「今日で、終わる」
呟く。誰にも聞こえない。
足を踏み出す。エントランスを抜ける。受付で名前を告げる。スタッフが控室への道を案内してくれる。
廊下を歩く。心臓の鼓動が早い。手が冷たい。
控室の前。ドアのプレートに「親族・友人控室」と書かれている。ノックする。
「どうぞ」
中から声。ドアを開ける。
理沙と早苗がすでに座っている。ソファに並んで。二人とも華やかなドレス。理沙は紺色。早苗は薄ピンク。
「おはよう!」
理沙が笑顔で挨拶する。
「おはようございます」
早苗も笑顔。
「おはよう」
香織は小さく答える。空いている席に座る。一人掛けのソファ。理沙と早苗から少し離れた位置。
テーブルの上には、飲み物とお菓子。誰も手をつけていない。
沈黙。
時計の秒針の音だけが、部屋に響く。
「今日は、いい天気だね」
理沙が話しかける。
「うん」
香織が短く答える。
「結衣、喜ぶね」
早苗が言う。
「そうだね」
香織。
また沈黙。
理沙がスマホを取り出す。画面を見る。早苗は髪を直す。鏡を見ながら。
香織は何もせず、ただ座っている。手を膝の上に置く。握りしめる。
会話が弾まない。いつもなら、香織が話題を提供していた。でも今日は、何も言えない。
「香織、大丈夫? 顔色悪いよ」
理沙が心配そうに見る。
「大丈夫、ちょっと緊張してるだけ」
「そっか。スピーチ、頑張ってね」
「……うん」
香織の心理。スピーチ。そう、今日、私はすべてを話す。
ドアが開く。結衣が入ってくる。
ウェディングドレス。真っ白。マーメイドライン。香織が選んだドレス。結衣の体のラインを美しく見せている。ベールが長く、床まで届いている。
3人が立ち上がる。拍手。
「結衣!」
「綺麗!」
「素敵!」
声が重なる。
結衣は照れたように笑う。
「ありがとう、みんな」
涙を浮かべている。嬉しい涙。
香織も立ち上がる。拍手する。でも、声は出ない。
結衣が香織を見る。
「香織、ありがとう。このドレス、香織が選んでくれたやつ」
「……うん」
「本当に、ありがとう」
結衣が近づいてくる。香織を抱きしめる。
香織の体が強張る。でも、抱き返す。
胸が締め付けられる。
「最後に、この笑顔を見られて良かった」
香織の心の声。誰にも聞こえない。
結衣が離れる。
「じゃあ、そろそろ準備しなきゃ。また後でね」
「うん」
結衣が控室を出る。ドアが閉まる。
3人が再び座る。沈黙が戻る。
時計を見る。10時。あと1時間で式が始まる。
挙式。
チャペル。天井まで届くステンドグラス。色とりどりの光が床に模様を描く。ゲストが座る。両サイドに分かれて。新郎側と新婦側。
香織は最後列に座る。理沙と早苗は前の方。香織だけが離れた位置。
オルガンの音楽が流れる。扉が開く。新郎が入場する。祭壇の前で待つ。
次に、新婦。結衣が父親と腕を組んで、ゆっくりと歩いてくる。ベールの下の笑顔。幸せそうな表情。
ゲストが立ち上がる。拍手。
香織も立つ。拍手する。でも、心は空っぽ。
結衣が祭壇の前に到着する。父親が結衣の手を新郎に渡す。二人が並ぶ。
牧師が言葉を述べる。誓いの言葉。新郎が答える。新婦が答える。
指輪の交換。新郎が新婦の指に。新婦が新郎の指に。
キス。ベールを上げる。唇を重ねる。
拍手が湧く。
香織は拍手する。機械的に。表情は固い。
式が終わる。新郎新婦が退場する。ゲストも立ち上がり、チャペルを出る。
披露宴会場へ移動する。
披露宴会場。広い空間。シャンデリア。白いテーブルクロス。中央に高砂。新郎新婦が座る席。
ゲストテーブルが並ぶ。香織は友人代表テーブルに案内される。理沙と早苗と同じテーブル。3人で丸テーブル。
席に着く。テーブルの上にはメニュー表。コース料理。
司会者がマイクを持つ。
「それでは、新郎新婦の入場です」
扉が開く。新郎新婦が手を繋いで入ってくる。拍手。音楽。
高砂に座る。笑顔。
「乾杯の音頭を、新郎の上司、田口様にお願いします」
田口氏がスピーチする。簡潔な挨拶。グラスを掲げる。
「乾杯!」
全員がグラスを掲げる。カチンと音が鳴る。
食事が始まる。料理が運ばれてくる。前菜。スープ。魚料理。
香織は料理に手をつけられない。フォークを持つ。でも、口に運べない。
周囲の賑やかさ。笑い声。会話。
香織のテーブルだけが、静かだ。
理沙が料理を食べている。早苗も。でも、会話はない。
時々、目が合う。すぐに逸らす。
香織の心理。あと少し。スピーチの順番が来る。そうしたら、すべてを話す。
司会者がマイクを持つ。
「それでは、友人代表スピーチに移ります。まずは、理沙様からお願いいたします」
理沙が立ち上がる。マイクスタンドの前へ歩く。原稿を手に持っている。
会場が静まる。
「結衣、結婚おめでとう」
理沙の声。明るい。
「結衣との出会いは、大学1年の春でした。サークルの新歓で、結衣の天然なところに惹かれて、すぐに仲良くなりました」
笑いが起きる。結衣も笑っている。
「結衣はいつも周りを明るくしてくれる人です。困った時には相談に乗ってくれて、一緒にいると元気になれる。そんな結衣が、素敵な人と出会えて、本当に嬉しいです」
理沙が新郎の方を見る。
「結衣をよろしくお願いします。そして結衣、幸せになってね」
拍手。理沙が席に戻る。無難なスピーチ。笑いもあり、感動もあり。
「ありがとうございました。続きまして、早苗様、お願いいたします」
早苗が立ち上がる。マイクの前へ。原稿を持つ手が少し震えている。
「結衣さん、ご結婚おめでとうございます」
早苗の声。丁寧。
「私が結衣さんと出会ったのは、大学2年の時でした。ゼミが一緒で、グループワークをした時、結衣さんの優しさに触れました」
早苗が原稿を読む。
「結衣さんは、誰にでも優しくて、誰の話も真剣に聞いてくれる人です。私が悩んでいた時、結衣さんは何時間も話を聞いてくれました。そのおかげで、私は前に進むことができました」
早苗の目に涙が浮かぶ。
「結衣さん、あなたと友達でいられて、本当に幸せです。これからも、ずっと友達でいてください」
すすり泣きが聞こえる。ゲストの中から。感動的なスピーチ。
拍手。早苗が席に戻る。目元を拭いている。
「ありがとうございました。それでは最後に、香織様、お願いいたします」
香織の名前が呼ばれる。
心臓が跳ねる。
立ち上がる。足が震える。でも、前へ進む。
マイクスタンドの前に立つ。会場の視線が集中する。結衣が笑顔で見ている。新郎も。理沙と早苗も。すべてのゲストが、香織を見ている。
香織はポケットに手を入れる。折りたたんだ原稿。触れる。
でも、取り出さない。
代わりに、原稿を両手で握る。ポケットの中で。
そして、破る。
ビリ。
小さな音。誰にも聞こえない。
破片がポケットの中に散らばる。
香織はマイクを握る。深呼吸。
会場が静まり返る。
「結衣」
香織が呼びかける。声が震えている。
結衣が頷く。笑顔。
「私は——」
香織が言葉を探す。
「私は、あなたの親友じゃなかった」
会場がざわつく。
結衣の笑顔が消える。驚いた表情。
新郎が不安そうに結衣を見る。理沙と早苗が顔を見合わせる。
香織は続ける。
「私は、みんなを利用していた」
ざわめきが大きくなる。
「承認欲求を満たすために、友情を装っていた。インスタグラムに投稿するために、『充実した日常』を演出していた」
香織の声が震える。でも、止まらない。
「私は、みんなの意見を聞かなかった。自分の思い通りにすることだけを考えていた。ドレスも、式場も、席次も、すべて私が勝手に決めた」
結衣の両親が立ち上がりかける。スタッフが慌てて近づく。
「結衣、あなたは本当は、あのドレスを着たくなかったよね。私が押し付けた。理沙も、早苗も、私の意見に従うしかなかった」
理沙が顔を伏せる。早苗が目を閉じる。
「私は、あなたたちの時間を奪った。本当の友情を築けなかった」
香織の涙が頬を伝う。
「ごめんなさい」
深く一礼する。頭を下げたまま、数秒。
そして顔を上げる。マイクを置く。
会場は静まり返っている。誰も動かない。
香織は高砂の方を見る。結衣が座ったまま、呆然としている。涙を流している。
香織は歩き出す。会場の出口へ。誰も止めない。止められない。
扉に手をかける。開ける。
振り返らない。
廊下へ出る。扉が閉まる。
香織は走る。式場の外へ。エントランスを抜ける。
晴れた空。まぶしい日差し。
タクシー乗り場へ向かう。タクシーに乗る。
「どちらまで?」
運転手が聞く。
「駅まで」
香織が答える。
タクシーが動き出す。窓の外を流れる景色。式場が遠ざかる。
空が曇ってくる。雨が降り始める。窓ガラスに雨粒が当たる。
香織は窓を見つめる。涙が止まらない。
「これで、終わった」
呟く。声が震える。
駅に着く。料金を払う。タクシーを降りる。
雨が強くなっている。傘を持っていない。でも、気にしない。
駅の中へ。改札を通る。ホームへ。電車を待つ。
濡れた服。濡れた髪。でも、香織は動かない。
電車が来る。乗る。座る。窓の外を見る。
「終わった」
もう一度、呟く。
自宅マンションに着く。玄関で鍵を開ける。手が震える。何度も鍵穴を外す。ようやく開く。
ドアを開ける。部屋に入る。ドアを閉める。
背中をドアに預ける。ずるずると、床に座り込む。
濡れた服のまま。動けない。
スマホの電源を切る。ボタンを長押しする。画面が消える。
誰からの連絡も、受け取りたくない。
香織は床に座ったまま、動かない。涙が流れ続ける。
「私は、友達を失った」
声に出す。
「でも、初めて本当の自分で、話せた」
矛盾した感情。喪失感と、わずかな解放感。
窓の外、雨が激しく降っている。

