結婚式まで、あと5日。
香織は部屋の整理を始める。クローゼットの奥。長い間開けていなかった段ボール箱。ホコリが積もっている。
箱を引き出す。重い。床に置く。ガムテープを剥がす。蓋を開ける。
中には、古い写真。プリクラ。手紙。高校時代、大学時代の思い出。
一枚ずつ取り出す。色褪せた写真。笑顔の自分。友人たち。あの頃は、何もかもが輝いていた。
写真の中の一枚。大学1年生。結衣と二人きり。大学の屋上。デジカメで撮影した写真。スマホ以前の時代。二人とも素の笑顔。作り物ではない。背景にはオレンジ色の夕焼け。空が広い。
香織は写真を手に取る。裏を見る。結衣の手書き文字。
「香織へ。ずっと友達だよ」
日付。2015年10月28日。10年前。
香織の目に涙が浮かぶ。あの頃は、嘘をつかなくても笑えた。本音を言い合えた。ありのままの自分でいられた。
次の写真。大学時代。サークルの合宿。海辺で4人で撮った写真。結衣、香織、理沙、早苗。腕を組んで笑っている。
みんな若い。顔が幼い。でも笑顔は本物だった。あの頃は。
プリクラの束。何十枚もある。結衣と二人で撮ったもの。理沙と早苗も一緒のもの。落書きがいっぱい。ハートマーク。星。「最高!」「ずっと友達」「大好き」
手書きのメッセージ。結衣の文字。
「香織は私の親友💕」
理沙の文字。
「香織と出会えて幸せ!」
早苗の文字。
「香織、いつもありがとう✨」
でも、今。その言葉は本心だったのか。それとも当時から、演技だったのか。
香織にはわからない。
手紙の束。結衣からの手紙。大学2年の夏休み。結衣が実家に帰省していた時に書いたもの。便箋3枚。丁寧な文字。
「香織へ
元気にしてる? 私は実家でのんびりしてるよ。香織がいないと寂しい。早く東京に戻りたい。香織と話したいことがいっぱいある。夏休み明けたら、また二人でカフェ行こうね。香織、私の一番の親友だよ。
結衣」
香織は手紙を握りしめる。涙がこぼれる。
あの頃は、本当に親友だった。嘘じゃなかった。でも、いつから変わったのか。
香織が変えたのか。それとも、二人とも変わったのか。
答えは出ない。
香織はすべての写真、プリクラ、手紙を床に広げる。思い出が床一面に散らばる。
これらはすべて、「見せるための記録」。インスタグラム用。SNS用。「充実した日常」を演出するための小道具。
でも、当時は本物だった。少なくとも、香織はそう信じていた。
結衣との写真だけは違う。あの屋上の一枚。二人きりで撮った写真。誰にも見せなかった。インスタグラムにも投稿しなかった。ただ、自分のために取っておいた。
香織はその写真を見つめる。裏の文字。「ずっと友達だよ」
でも今は——。
香織は写真を机の引き出しにしまう。他のものは、ゴミ袋に入れる決心をする。でもこの一枚だけは、捨てられない。
式まであと3日。
香織はPCの前に座る。白紙のドキュメントを開く。タイトルを入力する。
「結衣へのスピーチ」
カーソルが点滅する。しかし、何を書けばいいのかわからない。指がキーボードの上で止まる。
時計を見る。深夜2時。
書き始める。
「結衣との出会いは、大学1年の春でした。サークルの新歓で、結衣の笑顔を見た時、この人と友達になりたいと思いました」
書き進める。
「いつも明るくて、一緒にいると楽しくて。結衣といると、自分らしくいられました」
さらに書く。
「結衣、結婚おめでとう。これからも、ずっと友達でいてね。幸せになってね」
書き終える。読み返す。
すべてが空虚に感じる。嘘の羅列。
「結衣といると、自分らしくいられました」——過去形。今は違う。
「ずっと友達でいてね」——もう友達じゃない。
香織は文章をすべて削除する。
再度、書き始める。
「結衣は私の親友です。いつも支えてくれて、ありがとう。これまでたくさんの思い出を作ってきました」
また読み返す。
「親友です」——嘘だ。
「支えてくれて」——利用していただけだ。
「思い出を作ってきました」——演出していただけだ。
また削除。
「結衣、本当におめでとう。あなたと出会えて、私は——」
書けない。何も。
香織は何度も書き直す。しかしどの言葉も、嘘に聞こえる。本心ではない。
文章を書いては削除し、また書いては削除する。繰り返す。
時計は深夜3時を回っている。画面には、空白のドキュメント。何も残っていない。
香織は疲れた目でPCの画面を見つめ続ける。
深夜4時。香織は一つの原稿を完成させる。印刷する。プリンターが動く音。A4用紙1枚が出てくる。
手に取る。読む。
「結衣へ。あなたは私の大切な友達です。いつも明るくて、一緒にいると楽しくて。これまでたくさんの思い出を作ってきました。結婚、本当におめでとう。これからも、ずっと友達でいてね。幸せになってね」
読み終える。沈黙。
すべてが、嘘だ。
香織は原稿を両手で持つ。そして一気に破る。ビリビリと音を立てて。縦に、横に。細かく。破片が床に散らばる。
「私には、祝福する資格がない」
声に出して呟く。誰もいない部屋に、その言葉だけが響く。
朝。窓から光が差し込む。カーテンの隙間から、細い光の筋。香織は一睡もしていない。PCの前に座ったまま。床には破れた原稿の破片。
このまま式を終えて、自然に距離を置く。それが一番傷つかない方法。誰も責めず、誰も傷つけず。静かにフェードアウトする。理沙も早苗も、きっと望んでいる。結衣だって、本心では。
香織は立ち上がる。洗面所へ。鏡を見る。やつれた顔。目の下の深いクマ。髪がぼさぼさ。
「このままでいいのか」
自分に問いかける。
フェードアウトする。誰も傷つけない。平和的な別れ。
でも——。
「それで、私は変われるのか」
もう一度、鏡の中の自分を見る。
このまま何もせず、関係を終わらせる。そして数年後、新しい友人を作る。でもまた、同じことを繰り返すのではないか。承認欲求に駆られ、友人を利用し、中心にいようとする。
「繰り返す」
香織の中で、何かが動く。
中学の時、友人を失った。高校で、演じることを覚えた。大学で、結衣と出会った。就職して、また承認欲求に駆られた。そして今——。
「ずっと、同じことを繰り返している」
中心にいたい。認められたい。嫌われたくない。その欲求が、すべてを壊してきた。
「今、終わらせなければ」
香織は鏡から目を離さない。自分の目を見つめる。
式のスピーチで、すべてを告白する。自分の加害性。利用していた事実。虚飾の日常。本音を言えなかった弱さ。
関係は壊れる。結衣も、理沙も、早苗も。もう二度と、友達には戻れない。
でも——。
「それでも」
香織は決める。
少なくとも、最後は本当の自分で。嘘をつかず、演じず。ありのままの、欠陥だらけの自分で。
「これが、私の贖罪」
式前日。
グループLINE「結衣's Wedding準備」に、最終確認のメッセージが流れる。
結衣「明日、楽しみだね! みんなありがとう💕」
理沙「こちらこそ! 楽しもうね✨」
早苗「最高の式にしましょう!」
香織は画面を見つめる。返信を打ちかけて、消す。また打って、消す。5回繰り返す。
何を書けばいい? 「楽しみ」? 嘘だ。「ありがとう」? 何に対して? 「頑張ろう」? 何を?
結局、香織は短く打つ。
香織「うん、楽しみ」
送信。絵文字なし。句点なし。いつもと違う。3人は気づくだろうか。
既読が3つ。しかし誰も返信しない。沈黙。
香織はスマホを置く。ベッドに横になる。天井を見る。
「これが、最後の嘘」
明日、すべてが終わる。関係も、嘘も、虚飾も。
香織は目を閉じる。眠れない。でも、目を閉じ続ける。
窓の外、雨が降り始める。
香織は部屋の整理を始める。クローゼットの奥。長い間開けていなかった段ボール箱。ホコリが積もっている。
箱を引き出す。重い。床に置く。ガムテープを剥がす。蓋を開ける。
中には、古い写真。プリクラ。手紙。高校時代、大学時代の思い出。
一枚ずつ取り出す。色褪せた写真。笑顔の自分。友人たち。あの頃は、何もかもが輝いていた。
写真の中の一枚。大学1年生。結衣と二人きり。大学の屋上。デジカメで撮影した写真。スマホ以前の時代。二人とも素の笑顔。作り物ではない。背景にはオレンジ色の夕焼け。空が広い。
香織は写真を手に取る。裏を見る。結衣の手書き文字。
「香織へ。ずっと友達だよ」
日付。2015年10月28日。10年前。
香織の目に涙が浮かぶ。あの頃は、嘘をつかなくても笑えた。本音を言い合えた。ありのままの自分でいられた。
次の写真。大学時代。サークルの合宿。海辺で4人で撮った写真。結衣、香織、理沙、早苗。腕を組んで笑っている。
みんな若い。顔が幼い。でも笑顔は本物だった。あの頃は。
プリクラの束。何十枚もある。結衣と二人で撮ったもの。理沙と早苗も一緒のもの。落書きがいっぱい。ハートマーク。星。「最高!」「ずっと友達」「大好き」
手書きのメッセージ。結衣の文字。
「香織は私の親友💕」
理沙の文字。
「香織と出会えて幸せ!」
早苗の文字。
「香織、いつもありがとう✨」
でも、今。その言葉は本心だったのか。それとも当時から、演技だったのか。
香織にはわからない。
手紙の束。結衣からの手紙。大学2年の夏休み。結衣が実家に帰省していた時に書いたもの。便箋3枚。丁寧な文字。
「香織へ
元気にしてる? 私は実家でのんびりしてるよ。香織がいないと寂しい。早く東京に戻りたい。香織と話したいことがいっぱいある。夏休み明けたら、また二人でカフェ行こうね。香織、私の一番の親友だよ。
結衣」
香織は手紙を握りしめる。涙がこぼれる。
あの頃は、本当に親友だった。嘘じゃなかった。でも、いつから変わったのか。
香織が変えたのか。それとも、二人とも変わったのか。
答えは出ない。
香織はすべての写真、プリクラ、手紙を床に広げる。思い出が床一面に散らばる。
これらはすべて、「見せるための記録」。インスタグラム用。SNS用。「充実した日常」を演出するための小道具。
でも、当時は本物だった。少なくとも、香織はそう信じていた。
結衣との写真だけは違う。あの屋上の一枚。二人きりで撮った写真。誰にも見せなかった。インスタグラムにも投稿しなかった。ただ、自分のために取っておいた。
香織はその写真を見つめる。裏の文字。「ずっと友達だよ」
でも今は——。
香織は写真を机の引き出しにしまう。他のものは、ゴミ袋に入れる決心をする。でもこの一枚だけは、捨てられない。
式まであと3日。
香織はPCの前に座る。白紙のドキュメントを開く。タイトルを入力する。
「結衣へのスピーチ」
カーソルが点滅する。しかし、何を書けばいいのかわからない。指がキーボードの上で止まる。
時計を見る。深夜2時。
書き始める。
「結衣との出会いは、大学1年の春でした。サークルの新歓で、結衣の笑顔を見た時、この人と友達になりたいと思いました」
書き進める。
「いつも明るくて、一緒にいると楽しくて。結衣といると、自分らしくいられました」
さらに書く。
「結衣、結婚おめでとう。これからも、ずっと友達でいてね。幸せになってね」
書き終える。読み返す。
すべてが空虚に感じる。嘘の羅列。
「結衣といると、自分らしくいられました」——過去形。今は違う。
「ずっと友達でいてね」——もう友達じゃない。
香織は文章をすべて削除する。
再度、書き始める。
「結衣は私の親友です。いつも支えてくれて、ありがとう。これまでたくさんの思い出を作ってきました」
また読み返す。
「親友です」——嘘だ。
「支えてくれて」——利用していただけだ。
「思い出を作ってきました」——演出していただけだ。
また削除。
「結衣、本当におめでとう。あなたと出会えて、私は——」
書けない。何も。
香織は何度も書き直す。しかしどの言葉も、嘘に聞こえる。本心ではない。
文章を書いては削除し、また書いては削除する。繰り返す。
時計は深夜3時を回っている。画面には、空白のドキュメント。何も残っていない。
香織は疲れた目でPCの画面を見つめ続ける。
深夜4時。香織は一つの原稿を完成させる。印刷する。プリンターが動く音。A4用紙1枚が出てくる。
手に取る。読む。
「結衣へ。あなたは私の大切な友達です。いつも明るくて、一緒にいると楽しくて。これまでたくさんの思い出を作ってきました。結婚、本当におめでとう。これからも、ずっと友達でいてね。幸せになってね」
読み終える。沈黙。
すべてが、嘘だ。
香織は原稿を両手で持つ。そして一気に破る。ビリビリと音を立てて。縦に、横に。細かく。破片が床に散らばる。
「私には、祝福する資格がない」
声に出して呟く。誰もいない部屋に、その言葉だけが響く。
朝。窓から光が差し込む。カーテンの隙間から、細い光の筋。香織は一睡もしていない。PCの前に座ったまま。床には破れた原稿の破片。
このまま式を終えて、自然に距離を置く。それが一番傷つかない方法。誰も責めず、誰も傷つけず。静かにフェードアウトする。理沙も早苗も、きっと望んでいる。結衣だって、本心では。
香織は立ち上がる。洗面所へ。鏡を見る。やつれた顔。目の下の深いクマ。髪がぼさぼさ。
「このままでいいのか」
自分に問いかける。
フェードアウトする。誰も傷つけない。平和的な別れ。
でも——。
「それで、私は変われるのか」
もう一度、鏡の中の自分を見る。
このまま何もせず、関係を終わらせる。そして数年後、新しい友人を作る。でもまた、同じことを繰り返すのではないか。承認欲求に駆られ、友人を利用し、中心にいようとする。
「繰り返す」
香織の中で、何かが動く。
中学の時、友人を失った。高校で、演じることを覚えた。大学で、結衣と出会った。就職して、また承認欲求に駆られた。そして今——。
「ずっと、同じことを繰り返している」
中心にいたい。認められたい。嫌われたくない。その欲求が、すべてを壊してきた。
「今、終わらせなければ」
香織は鏡から目を離さない。自分の目を見つめる。
式のスピーチで、すべてを告白する。自分の加害性。利用していた事実。虚飾の日常。本音を言えなかった弱さ。
関係は壊れる。結衣も、理沙も、早苗も。もう二度と、友達には戻れない。
でも——。
「それでも」
香織は決める。
少なくとも、最後は本当の自分で。嘘をつかず、演じず。ありのままの、欠陥だらけの自分で。
「これが、私の贖罪」
式前日。
グループLINE「結衣's Wedding準備」に、最終確認のメッセージが流れる。
結衣「明日、楽しみだね! みんなありがとう💕」
理沙「こちらこそ! 楽しもうね✨」
早苗「最高の式にしましょう!」
香織は画面を見つめる。返信を打ちかけて、消す。また打って、消す。5回繰り返す。
何を書けばいい? 「楽しみ」? 嘘だ。「ありがとう」? 何に対して? 「頑張ろう」? 何を?
結局、香織は短く打つ。
香織「うん、楽しみ」
送信。絵文字なし。句点なし。いつもと違う。3人は気づくだろうか。
既読が3つ。しかし誰も返信しない。沈黙。
香織はスマホを置く。ベッドに横になる。天井を見る。
「これが、最後の嘘」
明日、すべてが終わる。関係も、嘘も、虚飾も。
香織は目を閉じる。眠れない。でも、目を閉じ続ける。
窓の外、雨が降り始める。

