小学生の香織。居間で母親と向き合っている。テーブルの上にはテストの答案用紙。98点。
「98点?」
母の声。冷たい。
「うん……」
「クラスで一番は何点だった?」
「100点」
「じゃあ、あなたは一番じゃないわね」
母が答案用紙を置く。見ようともしない。
香織は黙る。何も言えない。
「一番になりなさい。二番では意味がない」
それが母の口癖だった。徒競走で二番。習字で銀賞。ピアノの発表会で次点。すべて「二番」。そして母は、いつも同じことを言った。
「二番では意味がない」
一番になった時だけ、母は笑った。褒めてくれた。抱きしめてくれた。それ以外の時は、冷たい視線。無言。まるで香織が存在しないかのように。
認められないと、存在価値がなかった。一番でないと、愛されなかった。
香織の独白。あの頃から、私は承認を求めていた。一番でいなければ、誰からも必要とされない。そう信じていた。
中学生の香織。友人グループの中心にいる。5人組。行き先も遊びの内容も、すべて香織が決める。
「今度の日曜、カラオケ行こう」
「いいね!」
みんなが賛成する。
「じゃあ1時に駅前集合ね」
「わかった!」
香織が決める。みんなが従う。それが当たり前だった。
しかしある日。一人の友人が言った。
「ねえ、私たちの意見も聞いてほしい」
香織は驚いた。
「え?」
「いつも香織が決めるじゃん。私たち、何も言えないんだけど」
「でも、みんな賛成してたよね?」
「賛成するしかなかったんだよ」
その友人は、次の日から学校を休んだ。そして2週間後、グループから離れた。連絡も取れなくなった。
グループは空中分解した。残りの3人も、次々と香織から離れていった。理由は言われなかった。でも、わかっていた。
香織は初めて「嫌われる」という体験をした。
教室で一人、昼食を食べた日。誰も隣に座らない。誰も話しかけてこない。自分だけが取り残されている。
孤独。それが怖かった。
高校に入学した時、香織は変わろうと決めた。もう、嫌われたくない。だから「好かれる自分」を演じることにした。
相手の意見を優先する。共感を示す。自分の主張は控える。
新しい友人グループができた。今度は、香織が中心ではない。でも、受け入れられた。
ある日、友人たちと遊園地へ。
「どこ行く?」
「私、ジェットコースター乗りたい!」
香織は苦手だった。でも言えなかった。
「私も!」
嘘をついた。
ジェットコースターに乗った。怖かった。でも、笑顔を作った。
「楽しかったね!」
「うん、また乗ろう!」
本音は言えない。言ったら、また嫌われる。そう思った。
友人たちは優しかった。香織を仲間として扱ってくれた。でも、香織は常に疲れていた。演じ続けることに。
本当の自分を出せない。好きなものも言えない。嫌いなものも言えない。すべて相手に合わせる。
これが、友情なのか。香織は疑問を感じていた。でも、それでも孤独よりはましだった。
大学1年生の春。サークルの新歓コンパ。そこで結衣と出会った。
結衣は天然だった。裏表がない。思ったことをそのまま口にする。誰にでも優しい。でも、誰かに合わせようとはしない。ありのままの自分でいる。
香織は結衣に惹かれた。
二人でカフェに行った日。
「香織って、何が好きなの?」
結衣が聞いた。
「え?」
「だって、いつも私の意見に合わせてくれるから。香織の好きなこと、知らないなって」
香織は驚いた。気づかれていた。
「私……わからないんだ。自分が何が好きなのか」
正直に答えた。初めて。
「そっか。じゃあ一緒に探そう!」
結衣が笑った。
それから、二人でいろいろな場所へ行った。映画館、美術館、カフェ、公園。結衣は香織に聞き続けた。
「これ、好き?」
「どう思う?」
「香織の意見は?」
香織は少しずつ、自分の好きなものを見つけていった。コーヒーが好き。静かな場所が好き。夕暮れの空が好き。
結衣となら、本当の自分でいられる。そう思った。
深夜の図書館。二人で課題をしながら、たわいもない話をした。結衣の恋愛相談。香織の家族の話。夢のこと。不安のこと。
「香織は、私の親友だよ」
結衣が言った。
「私も」
香織は心から答えた。
あの頃は、嘘をつかなくても笑えた。本音を言い合える関係だった。結衣となら、ありのままの自分でいられた。
香織は現在の部屋で、その記憶を反芻する。いつから変わったのか。なぜ、あの頃の自分に戻れないのか。答えは出ない。
卒業後、香織は広告代理店に就職した。華やかな業界。しかし現実は厳しかった。
上司からの評価。クライアントからのダメ出し。同期との競争。すべてが数値化される世界。営業成績、プロジェクトの成果、契約件数。香織は必死に働いた。認められたい。評価されたい。一番になりたい。
でも、思うような評価は得られなかった。
「藤崎さんの企画、ちょっと弱いかな」
上司の言葉。
「もう少し、インパクトが欲しい」
同期の江藤が先に昇進した。香織より営業成績が良かった。香織は二番。またしても、二番。
会議室で一人、残業する夜。誰もいないオフィス。パソコンの画面だけが光っている。企画書を作り直す。何度も。でも、認められない。
ストレス。孤独。会社での居場所がない。
そんな時、スマホの通知音。インスタグラム。友人が投稿した写真。楽しそうな食事会。いいね! を押す。
香織も投稿してみた。カフェでのランチ。おしゃれな盛り付け。
「今日のランチ🍴 #カフェ巡り #おしゃれランチ」
数分後、いいね!が3。10分後、8。1時間後、25。
初めて、認められた気がした。会社では評価されない。でもインスタグラムでは、認められる。
それから、香織は毎日投稿するようになった。カフェ、旅行、買い物、友人との写真。すべてインスタグラム用。
いいね!の数が、自分の価値を証明してくれる。フォロワーが増える。コメントがつく。「素敵ですね!」「羨ましい!」「センスいい!」
会社での評価は低くても、インスタグラムでは人気者。香織はそこに居場所を見つけた。
そして入社3年目、香織は会社を辞めた。フリーランスのグラフィックデザイナーになる決意。自分のペースで働きたい。評価されない環境から逃げたい。
最初は順調だった。クライアントも少しずつ増えた。収入も安定してきた。
でも、孤独だった。
一人で仕事をする毎日。誰の声も聞かない日が増えた。朝起きて、パソコンを開き、夕方まで画面に向かう。人と接するのは、コンビニの店員だけ。言葉を交わすことさえ、ほとんどない。
朝、目が覚める。カーテンを開ける。窓の外は曇り空。朝食を作る。一人で食べる。パソコンを開く。デザイン作業。昼食。また作業。夕方。コンビニへ。夕食。作業。深夜。ベッドに入る。眠れない。スマホを見る。インスタグラムを開く。
いいね!だけが、自分が生きている証だった。
結衣たちとの関係が、唯一の拠り所になった。友人がいる。自分には仲間がいる。必要とされている。そう信じたかった。
そして結衣の結婚が決まった時、香織は喜んだ。幹事を引き受けた。自分が中心になれる。みんなから頼られる。インスタグラムに投稿すれば、いいね!がたくさんつく。
香織は夢中になった。式場選び、ドレス選び、席次、プログラム。すべてを自分が決めた。結衣のためだと思っていた。でも本当は、自分のためだった。
承認欲求を満たすため。インスタグラムの投稿ネタを作るため。「充実した日常」を演出するため。
香織は気づかなかった。自分が再び、友人たちを利用していることに。中心でいるために、彼女たちを支配していることに。
現在の部屋。香織は鏡の前に立つ。洗面所の鏡。自分の顔を見つめる。やつれた顔。目の下のクマ。乾いた唇。
「私は、また同じことをしていた」
呟く。声が震える。
中学の時と同じ。友人を支配して、中心にいようとした。違うのは、その方法だけ。今度は「幹事」という立場を使って。「結衣のため」という名目で。
でも本質は同じ。承認欲求を満たすために、友人を利用していた。
「本当の友達は、一人もいない」
その言葉が、胸に突き刺さる。結衣も、理沙も、早苗も。誰も香織の友達ではなかった。利用されていただけ。我慢していただけ。
香織はベッドに倒れ込む。枕を顔に押し当てる。声を殺して泣く。誰にも聞かれたくない。でも、止まらない。
携帯の着信音が鳴る。結衣から。香織はスマホを見るが、応答できない。着信が切れる。不在着信の通知。
また鳴る。また結衣。また無視。
3回目の着信。香織はスマホの電源を切った。
深夜3時。香織はまだ眠れない。天井を見つめる。部屋は暗い。街灯の光だけが、カーテンの隙間から差し込んでいる。
仕事の悩み。恋愛の失敗。家族との確執。すべて一人で抱えてきた。誰にも相談できなかった。本音を言えば、嫌われる。そう思っていた。
でも、本音を言わなくても嫌われていた。
結衣には、大学時代、いろいろな話をした。でも就職してから、徐々に距離ができた。香織が本音を言わなくなったから。いや、違う。香織が「充実した自分」を演じ始めたから。
インスタグラムの投稿。カフェでの楽しい時間。旅行の美しい景色。友人との笑顔の写真。すべて嘘。演出。
本当の香織は、孤独で、不安で、認められたくて、必死だった。
「私は、ずっと一人だった」
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでくる。香織は一睡もできなかった。目を開けたまま、天井を見つめていた。
起き上がる。洗面所へ。顔を洗う。鏡を見る。ひどい顔。化粧では隠せない疲労。
スマホの電源を入れる。通知が一気に入る。結衣から5件の不在着信。LINEも3件。
「香織、大丈夫?」
「心配してる」
「連絡ください」
香織は返信しない。できない。何を書けばいいのか、わからない。
「98点?」
母の声。冷たい。
「うん……」
「クラスで一番は何点だった?」
「100点」
「じゃあ、あなたは一番じゃないわね」
母が答案用紙を置く。見ようともしない。
香織は黙る。何も言えない。
「一番になりなさい。二番では意味がない」
それが母の口癖だった。徒競走で二番。習字で銀賞。ピアノの発表会で次点。すべて「二番」。そして母は、いつも同じことを言った。
「二番では意味がない」
一番になった時だけ、母は笑った。褒めてくれた。抱きしめてくれた。それ以外の時は、冷たい視線。無言。まるで香織が存在しないかのように。
認められないと、存在価値がなかった。一番でないと、愛されなかった。
香織の独白。あの頃から、私は承認を求めていた。一番でいなければ、誰からも必要とされない。そう信じていた。
中学生の香織。友人グループの中心にいる。5人組。行き先も遊びの内容も、すべて香織が決める。
「今度の日曜、カラオケ行こう」
「いいね!」
みんなが賛成する。
「じゃあ1時に駅前集合ね」
「わかった!」
香織が決める。みんなが従う。それが当たり前だった。
しかしある日。一人の友人が言った。
「ねえ、私たちの意見も聞いてほしい」
香織は驚いた。
「え?」
「いつも香織が決めるじゃん。私たち、何も言えないんだけど」
「でも、みんな賛成してたよね?」
「賛成するしかなかったんだよ」
その友人は、次の日から学校を休んだ。そして2週間後、グループから離れた。連絡も取れなくなった。
グループは空中分解した。残りの3人も、次々と香織から離れていった。理由は言われなかった。でも、わかっていた。
香織は初めて「嫌われる」という体験をした。
教室で一人、昼食を食べた日。誰も隣に座らない。誰も話しかけてこない。自分だけが取り残されている。
孤独。それが怖かった。
高校に入学した時、香織は変わろうと決めた。もう、嫌われたくない。だから「好かれる自分」を演じることにした。
相手の意見を優先する。共感を示す。自分の主張は控える。
新しい友人グループができた。今度は、香織が中心ではない。でも、受け入れられた。
ある日、友人たちと遊園地へ。
「どこ行く?」
「私、ジェットコースター乗りたい!」
香織は苦手だった。でも言えなかった。
「私も!」
嘘をついた。
ジェットコースターに乗った。怖かった。でも、笑顔を作った。
「楽しかったね!」
「うん、また乗ろう!」
本音は言えない。言ったら、また嫌われる。そう思った。
友人たちは優しかった。香織を仲間として扱ってくれた。でも、香織は常に疲れていた。演じ続けることに。
本当の自分を出せない。好きなものも言えない。嫌いなものも言えない。すべて相手に合わせる。
これが、友情なのか。香織は疑問を感じていた。でも、それでも孤独よりはましだった。
大学1年生の春。サークルの新歓コンパ。そこで結衣と出会った。
結衣は天然だった。裏表がない。思ったことをそのまま口にする。誰にでも優しい。でも、誰かに合わせようとはしない。ありのままの自分でいる。
香織は結衣に惹かれた。
二人でカフェに行った日。
「香織って、何が好きなの?」
結衣が聞いた。
「え?」
「だって、いつも私の意見に合わせてくれるから。香織の好きなこと、知らないなって」
香織は驚いた。気づかれていた。
「私……わからないんだ。自分が何が好きなのか」
正直に答えた。初めて。
「そっか。じゃあ一緒に探そう!」
結衣が笑った。
それから、二人でいろいろな場所へ行った。映画館、美術館、カフェ、公園。結衣は香織に聞き続けた。
「これ、好き?」
「どう思う?」
「香織の意見は?」
香織は少しずつ、自分の好きなものを見つけていった。コーヒーが好き。静かな場所が好き。夕暮れの空が好き。
結衣となら、本当の自分でいられる。そう思った。
深夜の図書館。二人で課題をしながら、たわいもない話をした。結衣の恋愛相談。香織の家族の話。夢のこと。不安のこと。
「香織は、私の親友だよ」
結衣が言った。
「私も」
香織は心から答えた。
あの頃は、嘘をつかなくても笑えた。本音を言い合える関係だった。結衣となら、ありのままの自分でいられた。
香織は現在の部屋で、その記憶を反芻する。いつから変わったのか。なぜ、あの頃の自分に戻れないのか。答えは出ない。
卒業後、香織は広告代理店に就職した。華やかな業界。しかし現実は厳しかった。
上司からの評価。クライアントからのダメ出し。同期との競争。すべてが数値化される世界。営業成績、プロジェクトの成果、契約件数。香織は必死に働いた。認められたい。評価されたい。一番になりたい。
でも、思うような評価は得られなかった。
「藤崎さんの企画、ちょっと弱いかな」
上司の言葉。
「もう少し、インパクトが欲しい」
同期の江藤が先に昇進した。香織より営業成績が良かった。香織は二番。またしても、二番。
会議室で一人、残業する夜。誰もいないオフィス。パソコンの画面だけが光っている。企画書を作り直す。何度も。でも、認められない。
ストレス。孤独。会社での居場所がない。
そんな時、スマホの通知音。インスタグラム。友人が投稿した写真。楽しそうな食事会。いいね! を押す。
香織も投稿してみた。カフェでのランチ。おしゃれな盛り付け。
「今日のランチ🍴 #カフェ巡り #おしゃれランチ」
数分後、いいね!が3。10分後、8。1時間後、25。
初めて、認められた気がした。会社では評価されない。でもインスタグラムでは、認められる。
それから、香織は毎日投稿するようになった。カフェ、旅行、買い物、友人との写真。すべてインスタグラム用。
いいね!の数が、自分の価値を証明してくれる。フォロワーが増える。コメントがつく。「素敵ですね!」「羨ましい!」「センスいい!」
会社での評価は低くても、インスタグラムでは人気者。香織はそこに居場所を見つけた。
そして入社3年目、香織は会社を辞めた。フリーランスのグラフィックデザイナーになる決意。自分のペースで働きたい。評価されない環境から逃げたい。
最初は順調だった。クライアントも少しずつ増えた。収入も安定してきた。
でも、孤独だった。
一人で仕事をする毎日。誰の声も聞かない日が増えた。朝起きて、パソコンを開き、夕方まで画面に向かう。人と接するのは、コンビニの店員だけ。言葉を交わすことさえ、ほとんどない。
朝、目が覚める。カーテンを開ける。窓の外は曇り空。朝食を作る。一人で食べる。パソコンを開く。デザイン作業。昼食。また作業。夕方。コンビニへ。夕食。作業。深夜。ベッドに入る。眠れない。スマホを見る。インスタグラムを開く。
いいね!だけが、自分が生きている証だった。
結衣たちとの関係が、唯一の拠り所になった。友人がいる。自分には仲間がいる。必要とされている。そう信じたかった。
そして結衣の結婚が決まった時、香織は喜んだ。幹事を引き受けた。自分が中心になれる。みんなから頼られる。インスタグラムに投稿すれば、いいね!がたくさんつく。
香織は夢中になった。式場選び、ドレス選び、席次、プログラム。すべてを自分が決めた。結衣のためだと思っていた。でも本当は、自分のためだった。
承認欲求を満たすため。インスタグラムの投稿ネタを作るため。「充実した日常」を演出するため。
香織は気づかなかった。自分が再び、友人たちを利用していることに。中心でいるために、彼女たちを支配していることに。
現在の部屋。香織は鏡の前に立つ。洗面所の鏡。自分の顔を見つめる。やつれた顔。目の下のクマ。乾いた唇。
「私は、また同じことをしていた」
呟く。声が震える。
中学の時と同じ。友人を支配して、中心にいようとした。違うのは、その方法だけ。今度は「幹事」という立場を使って。「結衣のため」という名目で。
でも本質は同じ。承認欲求を満たすために、友人を利用していた。
「本当の友達は、一人もいない」
その言葉が、胸に突き刺さる。結衣も、理沙も、早苗も。誰も香織の友達ではなかった。利用されていただけ。我慢していただけ。
香織はベッドに倒れ込む。枕を顔に押し当てる。声を殺して泣く。誰にも聞かれたくない。でも、止まらない。
携帯の着信音が鳴る。結衣から。香織はスマホを見るが、応答できない。着信が切れる。不在着信の通知。
また鳴る。また結衣。また無視。
3回目の着信。香織はスマホの電源を切った。
深夜3時。香織はまだ眠れない。天井を見つめる。部屋は暗い。街灯の光だけが、カーテンの隙間から差し込んでいる。
仕事の悩み。恋愛の失敗。家族との確執。すべて一人で抱えてきた。誰にも相談できなかった。本音を言えば、嫌われる。そう思っていた。
でも、本音を言わなくても嫌われていた。
結衣には、大学時代、いろいろな話をした。でも就職してから、徐々に距離ができた。香織が本音を言わなくなったから。いや、違う。香織が「充実した自分」を演じ始めたから。
インスタグラムの投稿。カフェでの楽しい時間。旅行の美しい景色。友人との笑顔の写真。すべて嘘。演出。
本当の香織は、孤独で、不安で、認められたくて、必死だった。
「私は、ずっと一人だった」
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでくる。香織は一睡もできなかった。目を開けたまま、天井を見つめていた。
起き上がる。洗面所へ。顔を洗う。鏡を見る。ひどい顔。化粧では隠せない疲労。
スマホの電源を入れる。通知が一気に入る。結衣から5件の不在着信。LINEも3件。
「香織、大丈夫?」
「心配してる」
「連絡ください」
香織は返信しない。できない。何を書けばいいのか、わからない。

